咲は健太の話なんか信じていなかった。三年生になった咲たちが毎日過ごす三年B組の
教室に、昔水泳の授業で事故に遭った生徒の霊が出てくるなんていうのは健太の作り話に
決まっていると思っていた。

「ひどい雨ね。天気予報は一日晴れるって言ってたのに」
舞は教室の窓から灰色に沈んだ空を見上げる。
「ごめんね、舞。私に付き合わせちゃったから……」
今日は部活がない。咲は宿題のプリントを忘れたことで先生から居残りするよう言われ、
舞に教えてもらっていたら雨に閉じ込められてしまった。教室には二人のほか誰もいない。

「ううん、いいの。でも」
耳をつんざくような轟音とともに教室の空気がびかりと光った。稲妻の光はすぐ消えたが
同時に教室の電気もふつりと消え部屋がひどく薄暗くなる。
咲と舞は思わず天井を見上げた。蛍光灯は全て、消えてしまっている。

「さ、咲、ほら他の建物も暗くなってるから……停電よ」
「本当だ……雷がどこかに落ちたのかな?」
二人が同時に口を閉じると、途端に辺りは静まり返る。窓の外を見て理由が分かったとは
いえ薄暗い中に二人きりというのはあまり気味のいいものではなかった。
電気が消えるだけでこんなに心細くなるなんて、と咲は思った。

「ねえ咲……」
並んで窓の外を見ていた舞が咲に身を寄せる。
「どうかした?」
「何か聞こえない? 何か……近づいてくるような」
やめてよ舞、と咲は言いかけたが舞が真剣な表情なので耳を澄ませる。
廊下を誰かが歩いてくるようだ。タン、タンと静かな音が近づいてくる。

「せ、先生かな?」
咲はそう言ったが、すぐに妙な音が混ざって聞こえていることに気づいた。
足音とテンポを合わせるようにして聞こえるぴちゃ、ぴちゃという音。
水の滴る音に聞こえる。次第に近づいてくる。この教室に向かって来ている。
健太の話を思い出してしまった。……舞には言わないことにする。
「咲……水の音……」
「ミ、ミズハナターレかなんかだよ、きっと」
冗談を言っているつもりが咲の声も震えている。

窓から振り返り廊下へと続く扉を見ると、廊下からちらちらと光る明かりが近づいてくる。
懐中電灯の光ではない。ずっと頼りなく、得体の知れない光だ。
咲は左手で舞の手を取り右手の拳をぎゅっと握った。足音が教室の扉の前で止まる。
咲も舞も身を固くした。教室の扉が音もなく静かに開けられる。

透き通るような白い手が扉を掴んでいるのが見えた。


「……なんて顔してるのよ」
入ってきた満は二人を見てきょとんとした表情を見せる。
薫の顔もひょっこりと廊下から覗いた。二人はダークフォールにいた時と同じ、
灰色の服にペンダントをかけた姿だった。先ほど見えていた光は二人のペンダント
だったようだ。
「み、満〜」
「薫さん……」
咲と舞の二人は緊張感が一気に解け、思わずその場に座り込んでしまった。
事情を知らない満と薫は不思議そうな顔をして咲たちのそばにやってくる。
二人の髪からは水滴がぽたぽたと垂れてきていた。

「どうしたのよ」
「どうしたのって……その……満たちこそどうしたの? びしょびしょじゃない、頭も服も」
ああこれ、と満は自分の前髪に触った。ちょっと飛んできたからと答え、
夕凪中の制服姿へと身を変える。制服は乾いているが髪はまだ濡れている。

「咲の家に行ってみたらみのりちゃんが心配してたのよ。あなた達があまり遅いから。
雨もひどくなってきたしね。傘持ってないんだろうから届けようと思って」
薫の言葉に続けて、はい、と満と薫は咲と舞それぞれに傘を渡す。
舞の傘はこの前咲の家に忘れてきたものだ。

「ねえ、満さんと薫さんの傘は?」
舞が疑問を口にすると満と薫は持ってないわ、とあっさり答えた。
「空飛ぶのに傘差してたら邪魔だから」
「……そんなに濡れちゃって。風邪引いちゃうよ」
引かないわよ。引いちゃうよ。引かない。引くってば。咲と満が押し問答している間に舞は鞄からハンドタオルを出した。
「薫さん、はいこれ。拭いた方がいいわ」
「……ありがとう」

薫は素直に受け取ると顔についた水滴を拭う。
咲は「あっそうだ!」と一声叫ぶとロッカーから大き目のスポーツタオルを
二枚持ってきた。
「はい、満。薫も。部活で使うかもしれないと思って持ってきてあったんだ。
でもまだ使ってないから大丈夫だよ」

適当に頭を拭く満を見て咲はもう、と言いながらタオルを取る。
「私がちゃんと拭いてあげる。そこ座って」
満を座らせてタオルを広げると、咲は少し力を入れて満の髪を拭き始めた。

「ねえちょっと、痛いんだけど。舞みたいに優しくしてくれない?」
隣では舞が、薫の長い髪を静かに拭いている。
「贅沢言わないの。ちゃんと拭かないと風邪引いちゃうんだから」
咲が外に目をやると、雨足は大分弱くなっている。満と薫の髪がもう少し乾いたら四人で傘を差して家に帰ろう、と咲は思った。


-完-

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