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「はるか! せつな!」
はるかとせつなが腕に着けていた通信機がみちるの声を伝えた。
「みちる」
はるかもせつなも立ち止まると通信機に呼びかける。
「今公演終わったの。伝言聞いたわ。すぐに帰るから」
「ああ、頼む。僕たちも探してる」
「それで、はるか、せつな。良く聞いて」
はるかとせつなは通信機から聞こえてくるみちるの声に耳をすませた。

「意識を集中して。眼を閉じて、すべての感覚を研ぎ澄まして。
 ほたるの気配を感じるかもしれない。どんな些細なものでも、何かを感じたら
 そこに向かって」
「分かった」「分かったわ」
はるかとせつなは同時に答えて通信機を切った。
はるかはその場に立ち止まり目を閉じる。
せつなもちびうさの手を握ったまま――ちびうさもみちるの声を聞いていたので一緒に――
目を閉じて神経を研ぎ澄ました。


――風……?
はるかは風を感じた。雪が載っているはずなのに冷たくない風。
別の世界から吹いてくるような。
目を見開くと、はるかは真っ直ぐに風を感じた方に向けて駆け出した。
時折立ち止まり、風の気配を確認してまた走る。

「ほたるっ!」
見つけた。ほたるは出て行ったときの格好のまま雪の中に倒れこんでいた。
すでにその身体にはうっすらと白い雪が積もり始めている。
辺りには誰もいない。ほたる一人だ。
「ほたる! しっかりしろ!」
ほたるの身体に覆いかぶさるようにして叫ぶと、
「はるかパパ……?」
ほたるは薄く目を開けた。彼女の意識があったことにはるかは安堵しながら
ほたるを抱きあげる。

「せつな」
腕につけた通信機の能力を全開にして声よ届けとばかりに叫ぶ。
「ほたるを見つけた。倒れてた。この場所だと家より火川神社の方が近いからそっちに運ぶ。
 レイに断っておいてくれ」
必要事項を言うだけ言って通信を切るとはるかはほたるを抱きかかえたまま走り始める。


火川神社では、顔面を蒼白にしたほたるを抱えてきたはるかの姿を見てレイのおじいさんが
すぐに母屋の一室に通し、布団を敷いてまずほたるを寝かせてくれた。
レイの知り合いだとかそんなことは何も言わなかったのだが、神社という場所は
そんな状態で来た人を見れば何も聞かずとも助けてくれるものなのかもしれない。

「はるか!」
せつなとちびうさ、それに少しだけ遅れてうさぎたち五人が火川神社に集まってくる。

「ほたるは意識はあるんだ。熱はなさそうなんだけど。雪の中に倒れてた」
はるかが言うのを聞きながらせつなはほたるの様子を診る。
日頃はほたるとちびうさの通う十番小学校で保健の先生をしているせつなである。
子どもの病気なら大体は分かる。

――異常は特になさそう……?
熱があるどころか、むしろ体は冷えている。かといって、冷えすぎて体温調節が
できないという状態でもない。こうして暖かい場所に居ればすぐに体温は上がってくるだろう。
異常がないのが、せつなにはむしろ不思議だった。雪の中で一体何をしていたというのか。

「ほたる。……どこか痛むところはない?」
何があったのか聞くのは後回しにしてまずそれを尋ねると、
「ないわ」
上体を起こして、そうほたるは答える。その声はどこか冷たかった。

「……! みんな、どいて! ほたるちゃんから離れてせつなさん!」
ほたるの布団の足元の方からほたるの様子を見ていたレイが突然前に出る。
え、とせつなが思う間もなくレイはずかずかとせつなとほたるの間に割って入ると
お札を取り出した。

「悪霊退散! 立ち去れ、長き時の間さまよい続けた霊よ!」
ほたるが急に咳き込んだ。その背後から黒い影が立ち上る。
ヒトのような姿をしたその影はほたるの背中にぺたりと張り付いたまま、
「おのれ……! これからじっくりと取り殺してやるつもりであったのに……!」
と呪詛の言葉を吐き出す。
「立ち去れ!」
レイが再びお札を投げつける。霊は獣のような悲鳴を上げた。
「おのれ……!」
黒い影はもはやヒトの形を保っていられずにがらがらと崩れていく。
どろりとした水たまりのようになった黒い影に、しかし目は一つだけ残っていた。
思わず振り向いたほたるとその目が合う。

(忘れるな……いつかお前も殺される……サターンに殺される)
その声はほたるの耳ではなく頭に直接響いてきたような気がした。
その後の哄笑も。

すぐに黒い影は床に溶け込むようにして完全に消えてなくなった。

「レイ……今のは……?」
はるかが尋ねると、
「幽霊です」
とレイは手短に答えた。
「昔々……シルバーミレニアムの頃からずっと彷徨っていた亡霊です」
うさぎ達は息を飲んだ。
せつなは、ほたるがまるでサターンのような冷たい目をしていることが気になった。

「なんでそんな霊が」
今頃になって。と問うはるかにレイは、
「……結構いますよ。長い間ずっと彷徨っている人。
 地縛霊なんかになっている場合も多いですけど。きっとこの人、死にたくなかったんですよ」
と何でもない事のように答える。
あの時はあれだけの惨事だったのだから霊の一人や二人いてもおかしくはない、とは言わないでおいた。

「ほたる? 大丈夫?」
せつなの声に応えるように、ほたるの目はほたるらしい目つきに戻った。
――ごめんなさい……
やっとそんな言葉が胸の内に産まれた。先ほどの霊に内心で手を合わせてから、

「うん、大丈夫」
平気な顔でほたるは布団から立ち上がろうとする。
「無理しない方がいいよ!」
うさぎが慌てて押しとどめた。
「でも」
何だかんだと理由をつけて立ち上がろうとするほたるをせつなが止め、
亜美はその間に電話を借りてタクシーを呼ぶ。
普段よりだいぶ時間がかかってタクシーが到着すると、
ほたるとせつな、はるかの三人はタクシーに乗って家に帰った。

 * * *

雪の中に倒れていた割にほたるの体調にとくにおかしなところはみられなかった。
家に帰ってからのほたるは大人しくいつも通りの生活をしていた。
そのうちにみちるも帰ってくる。はるかから連絡は受けていたものの、
ほたるの顔を見て安心したようだった。

夜、ほたるはいつもよりだいぶ早く寝ることにした。
特に体調が悪いというわけではなかったが、こういう日は早く寝た方がいいような気がしたのだ。
リビングにいる三人に「お休みなさい」と告げると三人は少し驚いた顔をしたが、
ソファに座っていたみちるがほたるを手招きした。
「お休みなさい」
そう言って、寄ってきたほたるの額にそっとキスをする。
ほたるがまだ小さかったころに毎晩していたように。
ほたるは照れたように笑ってからソファの後ろに立つせつなを見上げた。

「せつなママ、今日は久しぶりにせつなママの部屋で寝てもいい?」
「ええ」
せつなは優しく答えてから、
「ほたるが寝付くまで一緒にいるわ」
とソファの後ろからすっとその身を出すとほたるの頭を軽く撫でる。
「うん」
ほたるは素直に答えると、「はるかパパ、みちるママ、お休みなさい」ともう一度言って
せつなと一緒に部屋を出て行った。

ふう、とみちるはため息をついて額に手をやる。
「あの子、最近は私たちのことを『パパ』『ママ』って呼ばなくなってたのに」
「……不安なのかもしれないな。帰ってきてから今日のことはほとんど何も言わないけれど」
一通り僕たちに説明したきりであとは何も言わない、と壁に寄りかかっている
はるかは腕組みをして答えた。みちるはもう一度ため息をつくと、
「ごめんなさいはるか。もう一度教えてくれる? 今日起きたこと。
 なんだかうまく理解ができないの」
「ああ」
はるかはゆっくりと説明を始めた。

 * * *

「久しぶりだね」「そうね」
せつなとほたるは、せつなの部屋のベッドで二人して横になっていた。
ほたるが小さなころは良くこうして一緒に寝ていたものだ。
ほたるが寝付くのを待ってからせつなはもう一度起きだして自分の仕事をするのが常だった。
「ねえせつなママ、歌を歌って」
「子守唄?」
「うん」
ほたるが甘えた声を出す。せつなは昔よくほたるに歌っていた歌を思い出しながら歌った。
目を閉じてほたるはそれを聞いている。聞いていると、昔に戻ったような気がする――。
せつなの歌が変わった。今度は聞いたことのない歌だ。穏やかで、流れるような旋律。
「せつな、今の歌は何?」
歌が終わってからほたるは目を見開いた。
「これは昔、私が育ててもらった人に歌ってもらった歌よ。シルバーミレニアムがまだあった頃」
「育ててもらった人って? 前世のプルートのお母さん?」
「いいえ、母ではないけれど。私をずっと育ててくれた人。今の歌は、忘却の歌というの。
 怖いものや嫌なものを忘れてしまうようにっていうお祈りみたいな歌ね」
「ふうん」
怖いものや嫌なもの。自分は今何かを怖がっているのだろうかとほたるは内心自問していた。
(いつかお前も殺される……サターンに殺される)
あの時聞こえてきた言葉ははるか達には話さなかった。
大したことではないと思ったからだ。自分がサターンに殺されるというのは妙な話だし、
そもそも、死ぬのはさほど怖くはない。殺されるのも。――強いて言うなら、みんなと一緒に戦えなくなるのは嫌だ。

「さあほたる、もう目を閉じて」
「うん」
せつなに促されてほたるは素直に目を閉じた。布団の上から優しいリズムでとんとんと
背中を叩かれているうちにほたるは本当に眠りに落ちた。

「お休みなさい」
せつなはほたるの規則正しい寝息を聞いてしばらくしてからそう声をかけてベッドを降りる。
お休みなさい。悪い夢を見ないように。

 * * *

せつながリビングに戻ると、深刻な表情のみちるとはるかが彼女を出迎えた。
「ほたるは?」
「寝たわ」
はるかにそう答えて、せつなはどさりとソファに腰かけ足を投げ出す。
「せつな」
みちるはソファの前のテーブルの上に置いてあるアクセサリーの箱をせつなに見せると、
「さっきはるかと話してたの。もう一度、これをつけようって」
中に入っているのは三人の指輪。赤ちゃんだったころのほたるを育て始める時に
おそろいで買った。ほたるを大事に育てるという誓いの指輪。

「また、今日みたいなことが起きるかもしれない。
 それに――、サターンが世界を滅ぼさないといけないような状態には
 二度としちゃいけないんだ」
僕たちがプリンセスをしっかり支えていかなくちゃいけないんだ、と
はるかは言った。

せつなは頷くとアクセサリーの箱に手を伸ばした。
はるかとみちるも箱から指輪を取り出す。

三人の指にはまった指輪は部屋の明かりを反射してきらきらと輝いていた。

-完-

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