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「プリンセスネプチューン」
ため息とともに、ヘカテは珍しく正式な名でネプチューンのことを呼んだ。
「困った人ですね、あなたは。碌に証拠もないくせに、
 直感だけで核心に食いついてくる」
二人ともこちらへ。と、ヘカテは二人を奥の部屋に招いた。

ヘカテの私室の一番奥の部屋は見慣れないものがたくさんある。
予言や薬づくりに使うものらしいが毒のついていそうな仮面だったり
何かの動物の死体が干からびたものが箱に並んでいたりと、あまり愉快なものはない。

殊に目立つのは部屋の真ん中に置いてある壷で――三方の持ち手部分には猛々しい
犬の顔が装飾されている――その中で火を燃やしてその炎から未来の予言を読み取るのだそうである。

ヘカテが二人にすすめた椅子も、一見したところは愛想も何もないただの丸い椅子であったが
脚には蛇の装飾が施されていた。
薄暗い部屋でこんなものに囲まれていると、ウラヌスはおかしくなりそうな気さえする。
ネプチューンは平気な顔に見えた。


「プリンセスウラヌス、プリンセスネプチューン。先ほどプリンセスネプチューンに
 指摘されたとおり、」
改めてヘカテは話し始めた。その表情は良く見えない。
「私は冥王星の者です。プリンセスプルートの父君にお仕えしていました。
 あの時、冥王星と海王星と天王星が死の星になった時、我々の祖先の故郷である
 この月を頼ってプリンセスと共にやって来たのです」

ヘカテの言葉を理解するには太陽系の歴史を少しばかり紐解く必要がある。

遠い古代、太陽系で生命が初めて産まれたのは地球であったと言われている。
その後、地球を見守るかのように月には長寿の生命体が産まれた。
この長寿の人間たちは他の惑星へと渡り広がっていった。

ちょうど現代の地球人の祖先が住んでいた場所を遡るとアフリカに至るように、
太陽系の各惑星の住人も元を辿っていけば月にたどりつく。
太陽系のはずれである天王星、海王星、冥王星に住んでいた住人達も
元をたどれば月の世界の生命体である。

しかし太陽系に人が広がっていったのは神と人とが交わっていた昔の話、
元は同じ星の出身と言っても実際にそれぞれの星に住む人間たちは
少しずつその性質が異なる。
民族という言葉で表現することもできるし、天王星に住む一族、海王星に住む一族――
という言い方もよくなされている。
たとえば冥王星の一族はその先祖にクロノス神を戴く。そのため時間を操ることができる者が
産まれてくる場合があるが、他の星にそうした人間は産まれてこない。

各惑星に住む人々はそれぞれの特質を持ちながらも自らのルーツたる月に忠誠を誓う、
そんなゆるい共同体を形成しているのが太陽系の姿であった。


太陽系に月出身の人間が広がっていったとき、それは決して平坦な道のりではなかった。
当時の太陽系は妖魔に類する魑魅魍魎が闊歩する世界であったから、
新しい惑星についた人間たちはまずそれらと戦い倒してから彼らの街を築いた。
その過程で沈黙の星となったのが土星である。
戦いの中で、土星は人も魑魅魍魎も住むことのできない不毛の星となり
そのままに残された。

したがって、太陽系の9惑星のうち土星を除く8つの惑星に人間が移り住んだことになる。
しかしウラヌスやネプチューンが月の裏側の城で生きる現在、天王星、海王星、冥王星の
3つの星にも人は誰も住んでいない。

ウラヌス達がまだ小さかった頃、太陽系の外、カイ星系からの侵略者が冥王星に侵入した。
彼らの戦力は大したことはなかったので、すぐに排除された。
ごく一部の者たちは冥王星の住人の攻撃をすり抜け海王星と天王星に向かったが、
そこで迎え撃たれ死亡した。

しかし、彼らが持ち込んできたものが問題だった。
彼らは太陽系には存在しない、強力な病原体を持ち込んできたのである。
性格には彼らの誰かがその病原体に罹患していた。
太陽系の住民はその菌に耐性を持たない。
戦争には勝っても、病原体には勝てなかった。
奇病蔓延のパニックの末に、冥王星、海王星、天王星の人々は死滅した。


ヘカテはカイ星系の者たちの接近に気付いたころ――まだ、戦いが始まってもいなかった頃――、
プリンセスプルートを守り月に逃げよという予言を得た。
その予言のことを聞いた皆は半信半疑であったが――当のヘカテですらこの予言の
意味を怪しんだ――念のためということでヘカテとプルートは月に逃げた。

結果、プリンセスプルートが惨事に巻き込まれるのは防ぐことができた。
だが、冥王星の一族の中で彼女とヘカテだけが残される形になった。
クィーン・セレニティはプルートとヘカテの二人を歓迎し、
月の裏側に建つこの城を与えた。

プリンセスウラヌスとプリンセスネプチューンの二人は、冥王星で奇病が流行し始めたと
聞いたクィーンが特使を遣わして月へと避難させてきた。
月の女王直々の迎えがきたのだから海王星でも天王星でもさぞ驚いただろうが、
結果的にそれは二人のプリンセスの無事を保証することになった。
しばらくの隔離期間を経て、プリンセスウラヌスとプリンセスネプチューンも
この城で暮らすことになったのである。ヘカテが養育するということで。

三人が住む城が月の裏側にあるのは偶然ではないだろう。
クィーンは外部太陽系の三つの星が死の星となったことを公には知らせなかった。
のどかに暮らしている月世界の住人にそんな悲惨なことを教える必要はない、
上に立つ人間だけがそのことを知り今後の対策とすれば良いとクィーンは考えていた。
それゆえに、三人のプリンセスがこの月世界で育っていることも秘匿されていた。
「今後の対策」として、太陽系外からの脅威に対する防衛の強化が重要視されたのは
想像に難くない。

三惑星は死の星と化した後、月の王国で開発された消毒薬によって浄化された。
病原体は浄化されたが、しかし今もそこが無人の星であることに変わりはない。
輝ける月の王国の者たちの大半は、太陽系にそんな脅威が迫った事実も三つの星が
滅んだことも知らないまま、穏やかな日々を過ごしていた。……



「……プルートと主従関係にはとても見えなかったけどな。
 ヘカテの方が偉そうだった」
ヘカテが元はプルートに仕える身分だったと聞いたウラヌスが皮肉交じりに言う。
「それはプリンセスのお気遣いです」
ヘカテは即答した。
「気遣い?」
「プリンセスウラヌスとプリンセスネプチューンをここにお迎えし、お育てするにあたって、
 ご自分のこともお二人と同じように扱ってほしいとプリンセスは望まれました。
 そうでないと、お二人が気にされるだろうからと。
 私が月の者と思われるような振る舞いをして三人に平等に接した方がいいだろうと」
ヘカテの言葉は次第に敬語になっていった。もはや彼女は養育者としてではなく、
プルートに仕える者という本来の立場で自分たちに接しようとしているのだとネプチューンは感じた。

「……それでプルートはどこに行ったんだ」
「先ほどもお話しましたが、申し上げられません」
「なぜ?」
「プリンセスがそう望まれています」
「どうして」
ここで嘘を言うのは簡単だった。プルートはもう二人の顔も見たくない、とか何とか。
だがヘカテは本当のことを言うことにした。

「予言が出たのです。太陽が輝きを強めてから後、あなた方三人が同じ場所に
 集まることがあればそれはこのシルバーミレニアムの終わる時だと」
ウラヌスもネプチューンも息を飲んだ。予言なんて馬鹿馬鹿しい、とは
彼女たちには言えない。
そもそもプルートがここに来たのも彼女の予言ゆえのことなのだし、
それでプルートは命拾いしたのだから。

「太陽が輝きを強めてからって、いつなんだ?」
「正確には分かりません。ですが、そう遠い未来ではありません」
「だからプルートは僕たちに居場所を教えるなって言ってるのか?」
「はい」
ヘカテはうつむいた。

昨夜、プリンセスプルートはセーラープルートとして正式に
時空の扉を守護するようにという使命を受けた。
月の王国のほとんどの人間は時空の扉の存在すら知らされていない。
天王星と海王星のプリンセスには使命のことを話しても構わない――と言われていたが、
王宮から戻った彼女は授かったばかりのガーネットロッドを手に、
"ウラヌスとネプチューンには私の使命のことは話さないで"
と言ったのだ。
"プリンセス? しかしそれでは"
"ヘカテの予言だと、三人が同じ場所に集まると危険なんでしょう?
 三人集まらなければ問題はないはずだわ。あの二人は同い年で仲もいいし、
 会えばいいと思うの。私がその場にいなければ大丈夫なんだもの"
プルートはそう言って、無理に笑顔を浮かべて見せた。
"プリンセス……"
"ヘカテ、今までありがとう。ウラヌスとネプチューンのこともお願いね"
そう言って、プルートはこの城を離れて行った。


「ヘカテ。あなたはこれからどうするの?」
ネプチューンの言葉にヘカテは我に返った。
「あなた方も、いずれはそれぞれ使命を受けこの城を離れていかれるはずです。
 それまではここにおります」
「そう。……ありがとう」
ネプチューンはウラヌスをつつくと共にヘカテの部屋から出て行った。

城の庭に出ると、まばゆい太陽の光が当たりに広がっている。
薄暗いヘカテの部屋で聞いていた話が嘘だったようにも思えたが、
プルートがいないのはやはり現実だ。

「僕だけが知らなかったんだな。ヘカテとプルートのこと」
拗ねたような口調でそう言って、ウラヌスは庭に置いてあるベンチに腰かけた。
「私だって知ってたわけじゃないわ。何となく、そんな気がしただけ」
「……」
ウラヌスは黙ったまま吹いてくるそよ風に目をとじた。
ネプチューンもウラヌスの隣に座る。その気配にウラヌスは目を開けた。

「しばらくしたら君ともお別れみたいだ」
「ええ」
「きっと、僕たちはそれぞれ天王星と海王星にいくんだろうな」
「ええ。私も、そんな気がするわ」
「この星ともお別れか」
緑の草が風にそよぐ庭を見渡して、あああとウラヌスは大きなため息をつくと
背もたれに寄りかかった。

「こんなことになるんだったら……いっそ、最初から会わなければ良かったのに」
そうすれば、こんな思いになることもなかったさ。とウラヌスは思っていた。
「あなたはそう思うの?」
「君はどう思うんだい?」
「私は、」
ネプチューンはウラヌスの手をとった。
「誰もいなくなった海王星でも、あなたとの思い出があれば生きていける気がするわ」
ウラヌスは黙ってネプチューンの手を握り返した。



二人が部屋から出て行ってから、ヘカテは更に奥の小部屋につながる扉を開けた。
この部屋には今はプルートの私物が所狭しと入っている。
"いい時に、冥王星に持って帰ってね"
と言われたので預かっているのだ。

――プリンセス……
プルートが愛読していた本を手に取ると、ヘカテの顔は歪んだ。
彼女が予言を得ようとするとき、思っていることは一つしかない。
プリンセスプルートが幸せになるにはどうすればいいか、ということだ。
それだけを思って予言の術を使ってきたはずなのに……、
結果的に彼女を絶対的な孤独に追い込んでしまっただけだ。

――私はどこで間違ったんでしょう……
何年かぶりの涙をヘカテは零した。


しばらくして、ウラヌスとネプチューンはそれぞれ天王星と海王星へと
去っていった。
ヘカテはプルートの荷物を持って冥王星のカロンキャッスルへと戻った。
元々ごく小さな星である冥王星は、多くの人が住んでいなければそれほど目立つ星でもなく
敵もそうそうやっては来ない。敵はまず海王星を目指す。
彼女はシルバーミレニアム崩壊まで冥王星でひっそりと暮らしたという話である。

-完-

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