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光と闇は隣り合わせである。
光は闇となり闇は光となる。
光溢れる絶頂を迎えたとき、そこにはかならず奈落の闇へと落ちる穴が
ぽっかりと口を開けて待っているのだ。

 * * *

あとから考えてみれば、その日のプルートは妙に優しかった。
月の裏側、賢者の海に建つその城で暮らすウラヌス、ネプチューン、プルートの三人は
たいてい一緒にいてプルートに小言を言われる日も多かったが、
その日は小言らしい小言がなかった。

「いてててっ」
城の医務室でウラヌスが声を上げる。
さきほどネプチューンと一緒に戦闘訓練をしていた時に負傷した傷を
プルートに治療してもらっているのだ。
ネプチューンも順番を待っている。

この城には医者が常駐しているのでこういう手当は医者にしてもらうのだが、
この日はたまたま出掛けていたのでプルートに治療してもらっていた。
薬草から抽出した傷薬は傷にかけると沁みる。
かえって傷を深くしているんじゃないかと思うくらい沁みる。
たまにプルートに手当てしてもらう時は、痛いとか何とかいうと
「泣き言言わないの!」
と叩かれたりして却って痛くされるのだが、
今日はウラヌスが思わず悲鳴を上げてもプルートは優しく傷跡の上に布を乗せて
包帯で巻いただけだった。

「ウラヌス、ほかには怪我は?」
「他にはないよ。ここだけ。ネプチューンも怪我してるから」
ウラヌスはそう答えるとネプチューンに席をゆずる。
彼女の左腕に大きくついた傷を見てプルートは一瞬眉をひそめたが、
「泣かなくなったのね」
とネプチューンの顔を覗き込んだ。
こんな風にひどい傷を受けたとき、少し前のネプチューンなら
泣き出していたものだ。
えらいえらい――と、そんな表情でプルートはネプチューンを見て、
治療を始めた。

「いつまで経っても子供扱いするなよ。僕たちだって強くなってるんだから」
その様子を見ていたウラヌスがプルートに突っかかると、「そうね」と
プルートは流した。

プルートはウラヌス、ネプチューンの二人と比べて少し年も多いし身体も大きい。
プルートとウラヌス、プルートとネプチューンという組み合わせで
戦闘訓練をすることもあったが、プルートが手加減をしているのは
二人にも分かった。

「プルート、いつ本気のあなたに手合わせしてもらえるのかしら?」
ネプチューンがプルートの目を見る。プルートはその真剣な目を見つめた後
視線をそらし、
「もう少し後ね。少なくとも、この怪我が治ってから」
と傷薬を塗り始める。
ネプチューンは悲鳴こそあげなかったが顔をしかめた。

「確かに早く治るけど、めちゃくちゃ痛いよなこの傷薬。何が入ってるんだ」
「ヘカテが開発したのよ。いくつかの薬草の成分を混ぜ合わせて。
 今日のは、混ぜたのは私だけど」
「ヘカテが?」
ウラヌスは一瞬言葉を切ると、

「だから痛いんだな」
と妙に納得したように言った。

ヘカテ――とはこの月の裏側に建つ城の女主人である。
魔女とも呼ばれるとおり、薬をつくる術や呪いに長けていると言われている。
予言の能力もあるそうで、彼女がこの城を任されているのは
月の王国にその予言について教えているからという説もある。

しかしウラヌスたちは、彼女の魔女らしい姿をあまり見たことがない。
彼女は養育者として、故郷の惑星からこの月を頼ってやってきたウラヌスたちを
養育していたが、彼女はとにかく愛想がない――という印象ばかりが強い。

いつもタイトな短い黒のトゥニカ――身体の動きを邪魔しない機能的な
仕事着と思ってもらえればいい――を身にまとい、肩より下まで伸びる長い髪は
後れ毛の一本もなくいつもお団子状にきっちりとまとめている。
何よりその表情はほとんど動かない。
ウラヌスたちがここに来てから、彼女の表情は2種類くらいしか見たことがない。
真顔か、諦めた顔か。
感情が激することもほとんどない。怒る時は静かな怒りを全身から漂わせる。
鉄仮面のような彼女のことをウラヌスはあまり好きではなかった。

 * * *

翌朝。ウラヌスやネプチューンは起床すると、いつものように
三人がご飯を食べる食堂に向かった。
起きる時間は決まっているので、それに合わせてご飯も用意されている。
小さなテーブルに三人分の食事が並んでいるのだが、
ウラヌスが行ってみるとそこには二人分の食事しか並んでいなかった。
後ろからすぐにやってきたネプチューンも、立ち止っているウラヌスを見て
食堂の中をのぞくと目を瞬かせる。

「どうして二人分なんだろう」
「プルートは先に食べたのかしら?」
二人して首を捻りながら食堂に入り、炊事担当の侍女を捕まえて聞いてみるも、
はっきりとした返事は得られなかった。
二人に分かったのは、用意してある食事は間違いなくウラヌスとネプチューンの
ものであることだけだ。
プルートがどうしたかは分からなかった。

「何か用事かしら。プルート、最近城の外に出ること多いわよね」
「そうだな」
食事をとりながらそんな会話をしてみたものの、二人とも何かおかしいことを
感じていた。侍女たちの態度にどうも違和感がある。
何かを隠しているような――食事を終えた二人は、プルートの私室へと直行した。

「プルート?」
ノックしてみるも、返事はない。ウラヌスとネプチューンは顔を見合わせて頷き合うと、
「入るよ」
と扉を開けてみた。

「……」
部屋を一目見た瞬間、二人は二人とも言葉を失った。
目に入る風景は、真っ白。
まるで最初から誰もここにはいなかったかのように、家具も荷物も
すべてがなくなって白い壁だけが目の前に広がっていた。
「プルート!」
ウラヌスは飛び込んで奥の部屋の扉を開ける。だが、そこにも何もない。
プルートの痕跡すら、部屋には残っていなかった。

「ネプチューン、いくぞ!」
ウラヌスはネプチューンの手を強引に引っ張ると、大股にプルートの部屋を出て
ずんずんと歩いていく。
「ウラヌス、どこへ!?」
「決まってるだろ、ヘカテのところだ!」
ヘカテはこの城の女主人である。この城で起きたことで彼女の知らないことは何もない。
プルートがいなくなったことについても、何か知っているのに決まっている。
むしろ彼女が首謀者かもしれない。

「ヘカテ!」
ノックもせず、ウラヌスは乱暴にヘカテの部屋の戸を開け放つ。
彼女は奥の部屋にいたらしく、一枚奥の戸を静かに開けて出てきた。
その顔は相変わらずの無表情だ。

「ウラヌス、人の部屋を訪ねる時はノックをしなさい」
「知るかそんなの!」
乱暴に言い返すウラヌスの言葉にもヘカテは眉一つ動かさない。
「プルートをどこにやったんだよ! ヘカテなら知ってるんだろ!」
「プルート?」
彼女は冷静にその名前を繰り返すと、
「時間が来ました。プルートはもう、戦士として自分の守るべき持ち場につくべき時です」
そんなことだろうと思ったよ、とウラヌスは内心で呟いた。
「プルートは持ち場についたっていうのか? 僕たちには何も言わずに?」
「言う必要もないでしょう」
ヘカテは素っ気ない。
「あなた方は元々、様々な経緯の上で偶然一緒に暮らしているに過ぎないのですから」
「あんたとはそうだよ。だけど、プルートとは違うよ」
「ヘカテ」
ずっと黙っていたネプチューンが口を開いた。
「プルートの荷物が何もないのはなぜ? 彼女はもうここに帰っては来ないの?」
「ええ」
当然のことだ――とでも言いたそうにヘカテは答えた。
「なぜ? 休暇ぐらいあるでしょう」
「ありません」
「えっ」「どんな持ち場だよ」
ヘカテは目を左右に動かし、ウラヌスとネプチューンを交互に見た。

「プルートにはプルートの使命があります。それは、余人をもって代えがたい
 重要なものです」
「だったら僕たちが会いに行く。それならいいんだろ、場所を教えてくれ」
「なりません」
「どうして」
「禁忌ですから」
「なんなんだよ! そんなの、納得できるわけないだろ!」
「納得できないなら忘れなさい」
ヘカテは冷たく言い放った。
「何を」
「プルートのことを」
ウラヌスはかっと頭に血が上り思わずヘカテに掴みかかろうとしたが、
繋いでいたネプチューンの手にぐっと力が籠って動きを止めた。
「哀しいものね、ヘカテ」
あいている方の手で長い髪をばさりとかきあげたネプチューンの口調は、
いつもと少し違っていた。どこか大人びているような。

「何がです? ネプチューン」
ヘカテは一つ深呼吸をしてからネプチューンに尋ねる。
「プルートのことを忘れるなんて、できやしないくせに。
 あなたが一番、プルートのことを忘れられないくせに。
 プルートがいなくなったことをひどく哀しんでいるくせに、
 そんなことを言わなくちゃならないなんてね」
え、という表情でウラヌスがネプチューンを見る。ウラヌスにはヘカテがプルートとの
別れを悲しんでいるようにはとても思えなかったのだが。

「プルートは私やウラヌスより先にこの城に来た。だから、私たちより
 ひと足先にあなたに出会ってた。昔はそう思ってたけど、それは違うわよね。
 あなたはプルートが月に来る前からプルートを知っていた。
 いいえ、あなたはプルートと共に冥王星にいたのではないかしら」
「えっ」
ウラヌスは今度は声を上げた。ヘカテのことは月の王国の者だと信じ込んでいたので
――だからこそこれだけの城を与えられたのだろうと思ってもいた――、
ネプチューンの言ったことがあまりにも意外だった。

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