月は、地球にはその裏面を見せないことで知られている。
太古の昔、シルバーミレニアムの世からそれはずっと変わらない。
夜空に輝く青い地球を見つめるムーン・キャッスル側とは異なり、
裏側からは他の星を見ることはできても地球を見ることはできない。

同じ星でありながら、月の表側――あくまでも地球から見た物言いになるが――から
裏側に行くものはほとんどいない。
月の住人は月の表面全てを必要とするほど多くはない。
裏側の住人が表側に遊びに行くことはたまにある。

しかし、裏側と表側の間にほとんど交流がないことは、表側の住人に知られたくないことを
裏側に隠すには好都合であった。

為政者が隠さねばならないことは裏側に置けばよい。
禁忌は裏側に秘めればよい。

地球から見て月が新月となる時、月の裏側は太陽の光を浴びて光り輝く。
その場所には知られてはならないことが隠されている。

賢者の海と呼ばれる平原が、月の裏側にある。
魔女と呼ばれる女主人が所有する城がそこには建っている。
そしてそこには、表側の住人達にほとんど知られることのないままに育つ
小さな者たちがいた。

 * * *

「プルート!」
賢者の海に建つ城の一室、プルートが使う小さな部屋にネプチューンが
駆け込んできた。
ネプチューンが走るのは珍しい。まだ大人の腰くらいまでの身長しかない
彼女だったが、同い年のウラヌスと比較するとその物腰は落ち着いて大人びて見える。
プルートは二人より少し年上で、もともと長身なこともあって
大人の胸くらいまでの身長はあったが、まだまだ顔にはあどけなさが残る。

この城では今、この三人が育っていた。

三人が産まれた場所はこの月からは遠く離れている。
ウラヌスは天王星、ネプチューンは海王星、プルートは冥王星。
三人ともそれぞれの星ではプリンセスとも呼ばれる立場であった。
が、現在は特にプリンセスとしての教育は受けていない。むしろ彼女たちは
戦士として――そして、月の王国に仕えるものとしての教育を受けていた。

「プルート、また本を読んでいるの?」
プルートの部屋に入り込んできたネプチューンはソファに座って何やら
分厚い本を読んでいるプルートを見て呆れたように声を出す。
プルートの部屋は壁の一面に大きな本棚が置いてあって、そこは本で埋まっていた。

「どうしたの、ネプチューン?」
やっとプルートが本から目を上げる。その本はこの太陽系の歴史か何かを
綴ったもののようで、ネプチューンはあまり興味を覚えなかった。

「もうすぐここにクィーンがお忍びでいらっしゃるらしいの!
 すぐに正装に着替えて失礼のないようにお出迎えするようにって」
えっ、とプルートは珍しく本を取り落しそうになった。

白い月の王国のクィーン――クィーン・セレニティ。
月の支配者、王国の主である。
彼女が月の裏側に来ることなど滅多にない。少なくとも、
プルートたちがここに来てからは一度もない。

プルートもネプチューンも、ウラヌスも、写真や絵でその顔を見たことが
あるばかりで実際にその姿を目にしたことはない。

「ウラヌスは!? ウラヌスには伝えたの!?」
「ええ、伝えたわ真っ先に」
プルートは本をしまうと、すぐにワードローブの中から正装を――
セーラー戦士としての服を、取り出した。
戦士である彼女たちの正装はこれだ。

「ネプチューン、あなたも着替えてこないと」
「ええ、すぐに」
そう答えてネプチューンは部屋を出ていく。
一人残ったプルートは大慌てで着替えを始めた。


この城の謁見の間はほとんど使われることがない。
本来なら城の女主人と部下の話し合いの時にでも使われる場所なのだろうけれど、
彼女は最近までプルート、ウラヌス、ネプチューンの三人の養育に
追われていたので謁見の間でのんびり部下と会っている場合ではなかったのである。
情報伝達は廊下などですれ違った場合、あるいは通信機を介して
適宜早口で行われるのが常であったので、謁見の間は閉ざされたままになっていた。

クィーンがお忍びで来る、という連絡が来てから城の女官たちで
大急ぎで掃除をして体裁を整え、準備をする。

プルートが謁見の間に着いたとき、ネプチューンとウラヌスは一足先に
正装してそこにいた。昼寝でもしていたのか、ウラヌスはどこか眠そうな顔をしている。

「ウラヌス」
ネプチューンがウラヌスのリボンを直している。
いつもはきちんと着ているのに、とプルートは思わずくすりと笑った。
「なんだよプルート」
と、ウラヌスはそれを見逃さない。

「ウラヌスはいつもお洒落なのに」
「いきなり呼び出されてもな」
プルートの回答にウラヌスはぶすっとした表情だ。彼女自身、気ままに行動する割に
自分が他人の気まぐれに付き合わされるのは好まない。

「クィーンはお世継ぎを産まれたばかりなのにわざわざここまで
 来てくださるのよ」
ネプチューンが窘めても、
「こんなに突然でなくてもいいだろ」
とウラヌスはふてくされたままである。

白い月の王国のクィーン。月の最高権力者が――おそらく、お忍びで――
この城に来るとなれば唐突な話にもなろうとは誰でも考えられることだが、
ウラヌスにとってはそんなことは関係がない。

謁見室に入ってきたこの城の女主人がごほんと一つ咳払いをした。
プルート、ネプチューン、ウラヌスはこの順に整列して姿勢を正す。

「クィーンがお見えになりました」
絶対に粗相のないように。とは言わなかったが、女主人のにこりともしない眼は
明らかにそう言っていた。
三人はひざまずき、君主を迎える姿勢を取る。
女主人に先導される形でクィーンが謁見の間へと入ってくる。
ひざまずいているウラヌスがほんの少しだけ顔を上げると、
クィーンの白い長いドレスの裾が見えた。
月の王国の、おそらく一番の職人の手になる刺繍のほどこされたそれは、
久しぶりに明かりの灯った謁見の間でまるで月の光のように輝いていた。

謁見の間の最奥にしつらえられた玉座にクィーンの座る音がする。
「顔を上げなさい」
柔らかい声でそう言われ、じっと頭を垂れていた三人が顔を上げると、
城の女主人を横に従え玉座に座るクィーンは穏やかな微笑みを浮かべていた。
まるでこの世の中の悲しみや苦しみというものがこの周りでは一切消えて
しまうかのような笑み。
三人は何度か月の表側に行ってはそこに建つ建築物やいろいろな店で売られている
品々の美しさに驚嘆したものだったが、その美しさの源は彼女一人にあったのでは
ないかとさえ思わせるような笑みであった。
彼女こそがまさに月の王国そのものであって、彼女の繁栄と王国の繁栄は
共にあるといったような。

「セーラープルート、セーラーネプチューン、セーラーウラヌス……ですね」
「はい」「はい」「はい」
クィーンは一人一人の顔を見ながらその名前を呼ぶ。
名前を呼ばれる順に三人は返事をした。自分たちの名前が覚えられていることが
意外だった。

「三人とも、こちらにいらっしゃい」
「クィーン、それは……」
失礼なことがあってはと女主人がそれを止めようとしたが、「いいんです」
とクィーンは三人を自分の近くに呼び集めた。

玉座に座るクィーンの膝の上に、白いおくるみに包まれて抱かれているのは、
産まれたばかりの小さな女の子――この王国のプリンセスだ。
三人とも赤ちゃんを見るのは初めてだったが、すやすやと眠るその子は
いかにも無垢で、可愛らしかった。

――触ったら壊れそうだな……
ウラヌスは、そんな風に思う。クィーンやプリンセスを守ることが自分たちの使命、
とは今まで何度も聞かされてきたことだったが、こうして守る対象を見たのは初めてだ。
赤ちゃんのぷにぷにとした頬は柔らかそうでつついてみたくなるが、
うかつに触ると傷つけてしまいそうな気がする。

プルートも同じように思っていたのか、とうとう我慢しきれなくなったかのように
手を伸ばしかけた。だが、
「おやめなさい」
城の女主人の厳とした声に阻まれ、すぐに手を引っ込める。
「いいんですよ」
クィーンは再度微笑んだ。その顔を見て、恐る恐るという様子でプルートがもう一度手を伸ばす。
赤ちゃんの手に触れると、小さな手が少し動いた。

「プルート、ネプチューン、ウラヌス。あなた達にはこの星系の外からやってくる
 敵を防いでもらわねばなりません」
プリンセスに見とれている三人に、クィーンの声が上から降ってくる。
三人ははっとクィーンの顔を見上げた。座っていてさえ、クィーンの顔は三人より
少し高いところにある。

「しっかり、頼みますね」
穏やかにそう語るクィーンの顔を見て、三人は自然とひざまずいて「はい」と答えていた。


クィーンの滞在時間は短かった。掃除などの準備時間は何だったのだろうかと思うくらい
あっという間にクィーンはこの城を後にし、城には再び日常が戻ってきた。

「ネプチューン、プルート」
なんとなく城の外の庭に出てきた三人であったが、ウラヌスがぴたりと足を止める。
先を歩いていた二人は「え?」と振り返ってウラヌスを見る。

「どっちでもいい。ちょっと僕の相手をしてくれ。訓練を、したいんだ」
訓練。戦士としての、訓練である。
「あら」
とネプチューンは口に手をあててくすりと笑った。
「どういう風の吹き回し?」
「うるさいな」
ウラヌスはむっとして、
「たまにやる気になったんだからいいだろ」
「そうね、それならあなたのお相手は私が」
ウラヌスは訓練にもあまり真面目ではなかった。その武芸の才は誰もが
認めるところであったのに、訓練を抜け出すことが多いので持って生まれた才能は
これまで中々磨かれてこなかった。

――本気になったのね、ウラヌス。
訓練場へと向かうウラヌスとネプチューンの背中を見ながらプルートはそう思った。
守るべきお姫様の姿――本当に、守ってあげなくてはいけないと思わせるその姿――を見て、
ウラヌスはやっと戦士としての自覚を持った。

 * * *

その城を初めに去ったのはプルートだった。彼女は自分に与えられた持ち場、
時空の扉を守るために月の裏側を去った。
その後しばらくして、ウラヌスとネプチューンも去った。
彼女たちは太陽系のはずれ、天王星と海王星で防衛に当たった。

天王星からは、月の光はほとんど見えない。
ウラヌスは通信機を使ってネプチューンと時折連絡を取っては、
彼女の手鏡に映る月の光の様子を聞いていた。

「いつもと同じよ。美しく輝いているわ」
「そうか。分かった」
そんな時には、こんな会話が交わされるのが常だった。
太陽系外からの侵略者は何度も何度も押し寄せる。
それを自分たちが食い止め、月の王国に――プリンセスに、被害が及ばないように
しているのが彼女たちの誇りだった。

――僕が倒れる時にも、月の王国は白く輝いているのだろう。
ウラヌスは漠然とそう思っていた。戦いの場で倒れるのは構わない。
それは戦士としての宿命だ――ただ、願わくば、強い敵と相打ちの形で
倒れたいと思っていた。自分の倒れた後に敵が月の王国に侵攻していくのでは
死んでも死にきれない。



順番が逆になるなんて、思ってもみなかった。

ウラヌス、ネプチューン、プルートの三人が再び揃ったのは、
三人があの城を離れてから随分経ってからのこと。
三人が持つタリスマンは発動し、破滅の神を呼び寄せた。
それはすなわち、世界の終り。
死の光が自分たちを包み、すべては終わっていく。
――もしも、次があるのなら……
もっと、守るべき人に近いところで彼女を守りたい。

薄れゆく意識の中でウラヌスはそう思った。


-完-

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