せつなが久しぶりに我が家に帰ったのは家を出てから三日後のことだった。
十番小学校の保健の先生として働いているせつなであるが、元の職場の
東京湾天文台のスタッフから「どうしても今度の彗星接近時の観測に必要な人手が足りないので
手伝ってくれ」と頼まれたのがひと月前のこと。
最初は断ったせつなだったが、何度も依頼されたのでとうとう折れて協力することにした。

その結果、ここ三日間は昼間は十番小、夜間は天文台で観測データを解析し泊まり込む
という生活を続けていたのだがようやく今日解放されたので家に帰ってきたのである。

――は〜、肩凝った……
もう時間も遅い。ほたるは眠ってしまっているだろう。
今ははるかも海外遠征中なのでほたるの世話は全部みちるに任せてしまっている。
明日からは変わろう、とせつなは決意しながら玄関の扉を開けてそっと家の中に入った。

――明かりが?
もうほたるもみちるも寝室だろうと思ったのだが、リビングから明かりが漏れている。
足音を立てないように気を付けてリビングに入ってみると、
「みちる?」
「あら、せつな。お帰りなさい。言ってた時間より早かったじゃない」
みちるが一人用のソファに座り、その前のテーブルにワインのボトルを置いて一人飲んでいる。

「みちる……何してるの……?」
一人でワインを飲んでいる姿に不安を覚えて尋ねてみると、
「実家の知り合いから頂いたのよ。折角だから飲もうかと。明日からは朝ゆっくりできるもの」
「はるかが帰ってくるまで待てばいいのに」
「はるかが好きな銘柄じゃないのよ」
そうなの。とせつなは納得した。
ふらり、とみちるは立ち上がると食器棚からもう一つグラスを持ってくる。

「せつな、あなたも」
慣れた手つきでグラスにワインを注いでせつなに薦める。
せつなもみちるの斜め前にある長いソファに座ると、「いただきます」と一口飲んだ。

「ん……飲みやすいのね」
「でしょう。はるかはもう少し強い方が好きだから」
グラスを口元に運び二口目、三口目と飲んでいるとこのままずっと
こうして飲んでいたいような感覚に襲われる。せつなもアルコールが嫌いではない。
それを見透かしたかのようにみちるはせつなにちらりと視線を送り、

「ねえ、私さっきまで思い出してたのよね。はるかとのこと」
「はるかとの、何を?」
「この世界に転生してきてから、出会って、これまでのことよ」
「……そうなの」
相手が目の前にいないからこそ、そうした物思いに耽ることもあるだろう。
せつなはそう思った。

「それでね、私気になったんだけど」
「どうしたの?」
なるべく優しく、せつなは尋ねた。何か心配事でもあるのならきっと聞いておいた方がいい。

「せつな、あなたの恋愛遍歴は?」
「は?」
せつながきょとんとした表情を浮かべると、
「あなたの恋愛について聞いたことがないのに気づいたのよ、私。
 それで気になって」
何でそんな余計なことに気づくのだろうか。せつなはそう思ったがそこには触れず、

「話すようなことなんてなにもないわ」
「そんなこともないでしょう」
「生憎、あなたやはるかみたいな華やかな人生は送っていないのよ」
そう答えて立ち上がりかけたせつなだったが、みちるはそんなせつなを引き留めるように
言葉を繋げる。
「中学生や高校生の頃は?」
「真面目な学生だったもの」
すましてそう答えると、
「じゃあ、あなたの前世。30世紀の『プルート』の時は?」
とみちるは質問を変えた。せつなはぎくりとした。
30世紀、片思いの経験はある。だが平静を装いつつ、

「みちる、知っているでしょう? プルートの持ち場は時空の扉。
 恋なんて許される場所ではないわ」
「……嘘ね」
みちるはあっさり言い切った。
「嘘、って」
「恋は勝手に落ちるもので許される許されないの問題ではないし。
 あなたの視線が今泳いだのを見逃すとでも思って? さあ、せつな」
みちるは嬉しそうだ。やっと尻尾を捕まえたとでも言いたげに。
「白状なさい?」

深海を思わせるみちるの瞳がせつなを捕らえる。
今ここで逃げてもすぐに次の機会を見つけてみちるは知ろうとするのに違いない。
やがて彼女の待ち受ける深海に引きずり込まれてしまう。

「……そんな面白い話ではないわ。私が一人憧れていただけだもの」
諦めてせつながそれだけ答えると、
「お相手はどなた?」
とみちるは核心をついてくる。
「……キング・エンディミオン……」
せつなが渋々口に出した言葉に、さすがにみちるは目を丸くした。
「そ、そう、だったの」
「だって仕方がないじゃない! 誰も来ないような時空の扉に
 あんなお優しくて素敵な方が現れたら!」
早口で言い訳するせつなに「それはそうよね」とみちるは同調して宥めながら、

「……その、気持ちは伝えたの?」
と尋ねる。せつなは答える代りにグラスの中のワインを一気に飲み干した。
みちるがすぐにワインを注ぎ直す。

「そんなこと」
なみなみと注がれたワインを再び一気に飲み干し、せつなは微笑を浮かべる。
「できるはずないでしょう? 初めてお会いした時からキングの隣には
 ネオ・クィーン・セレニティがいらして――」
目を閉じるとその時の光景が見えるような気がする。
暗く静かな時空の扉を開き、眩い光と共にやって来た美しい二人。きっと光の中で産まれ、
光の中を歩むように運命づけられた人たち。

「あの方は、ネオ・クィーン・セレニティは私とは何もかも違う方よ。
 髪の色から肌の色から声の質から。あまりに違い過ぎると嫉妬さえできなくて、
 憧れるしかないのよね」
「……せつな」
みちるがまたせつなのグラスにワインを注ぐ。
「何?」

「あなたに一ついいことを教えてあげるわ」
「何?」
せつなはみちるがグラスを空にしたのに気づいて、そのグラスにワインを注いだ。
「あなたが持ってる鏡、歪んでるわよ」
「え。そう?」
鏡面が平面ではないのだろうか。一度計測する必要がある。せつながそう考えていると、
「あなたが今考えているような物理的な意味ではないわ」
みちるの言葉がぴしゃりと先回りした。

「恋をすると鏡は歪むの。自分がとびきりの美人に見えたり、この世に二人といない
 不細工に見えたり。本当の姿なんて映しはしないわ」
「……?」
みちるの真意を掴みかねてせつなが首を捻ると、

「つまり、あなたは100人に聞けば97人くらいは美人だと答えるくらいの美人だと
 言ってるのよ。そこは私が保証するから安心していいわ」
せつなはその言葉を聞いてくすりと笑う。
「あら、ありがとうみちる」

――単なる慰めとしか思ってないわね。
みちるは内心、苛立ちを覚えた。慰めで言ったつもりはないのだ。
むしろ事実を述べたのである。とはいっても、今はこのことで何を言っても
聞く耳は持っていないのだろうからまた後にしよう、と思った。

「まあ、次に素敵な出会いがあったら積極的になってもいいんじゃないかしらね」
「そうねえ……」
せつなは左肘をソファの肘掛けにつき手の上に頬を載せる。
「あら、気のない返事ね?」
「もういるのよね。大事な人が。手に入れて初めて大事と分かったというか」
「聞いてないわよ」
みちるはぐいと身を乗り出した。

「どんな素敵な王子様があなたのところに現れたのかしら?」
「王子様ではないわね。お姫様、かしら」
せつなは淡々と答えて視線を動かす。みちるはその視線を追った。
視線の先には天井。その方角にいるのは……、

「まさか、ほたる?」
「ええ」
せつなはみちるに目を向ける。
「あなたとはるかもだけど」
「あのねえ、せつな」
みちるはグラスを置いて頭を抱えるような動作をした。
「家族愛と恋愛感情ってまた別物だと思うけど?」
「そうかしらね。でも、誰憚ることなく愛することができる人がいるって幸せなことよ?」
せつなは微笑んでワインを一口含む。ゆっくりとそれを飲み込んでから、
「おいしいお酒も貰えるし」
と笑った。

呆れたわ、とばかりにみちるが手を広げるジェスチャーをしていると
がたんと二階から音がした。ほたるが起きてきてトイレに行っているらしい。
しばらくすると、ほたるは眠そうな目をこすりこすりリビングまでやって来た。

「みちるさんまだ起きてるの……あれ? せつなさん帰ってたの」
ただいまと答えるせつなの声を聞きながらほたるはとてとてと部屋の中に入ってきて
テーブルの上に置かれたワインのボトルと二人の前のグラスを見る。

「二人でお酒飲んでたの?」
その言葉に籠められたものは、軽い抗議。自分はこの中には入れてもらえないことを分かっているから。

「ほたるも大人になったらね」
案の定せつなにそう言われて、ほたるは少しだけ不満そうな表情を浮かべつつ、
せつなの座るソファの後ろに立って顔だけを背もたれの上からのぞかせる。
「何のお話してたの?」
「女のお話よ」
みちるが冗談めかしてそう言うと、
「じゃあ私も入る!」
とほたるがせつなの隣に座る。その様子を見てせつなは苦笑を浮かべ、
「大人の女の話だから、ほたるにはまだちょっと早いわ」
「え〜。私だって女なのに」
ほたるはまた不満そうだ。
「もう少し大人になったらね。ほら、明日も学校があるんだからもう寝ないと」
「はーい」
せつなに言い含められてほたるはしぶしぶ立ち上がる。
「せつなに一緒に寝てもらったら、ほたる?」
大真面目な口調でからかっているみちるにほたるは
「一人で寝るもん!」
と言い返してからお休みなさいと言って部屋を出ていく。
さて、とみちるはグラスを持ち直してほたるの背中を見送っているせつなに
視線を向けた。

「このワイン、空にしちゃいましょ」
「そうね」
白ワインを間に、取り留めのない話をしながら女二人の夜が更けていく。

-完-

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