サターンは破滅の戦士。
彼女がその鎌を振るう時、対象となったすべてのものは息絶える。
シルバーミレニアムの崩壊時、時代を終わらせるために彼女は目覚めた。
月と地球が生み出したものたちを屠り、すべては終わる。
仕事を終えた彼女の瞳に映るのは虚無。

彼女の死を見届けるものはもう誰もいない。

 * * *


KO大学付属病院の裏庭にはベンチが置いてあって、ちょっとしたお弁当や
サンドイッチを持ち込んでお昼を食べるのにちょうどいいスペースになっている。

中庭にも似たような場所があるのだが、そこは入院患者さんが散歩コースとして
利用することが多いため、患者でも病院関係者でもない人が入り込んで
お昼を食べるのは少し躊躇われる。

冥王せつなが病院の裏庭のことを知ったのは、彼女が物理の研究室に出入りするようになって
少し経ってからのことだった。
理学部の学生とは言え、一年生の彼女に研究室に出入りする義務があるわけではない。
それなのに彼女が研究室に入り浸っているのは空間に異変が起きているから――ではなく、
単純に物理学の研究に興味があるからである。
一学年に何人かこういった学生はいるものなので、研究室の方でも
適当にテーマを与えてみて戦力になりそうだったらもっと鍛えてみようといったスタンスで
彼女に対応している。
出入りするようになって数か月、今のところ、彼女は期待に応えていると言って良かった。
彼女自身も測定やデータ整理を楽しんでいる。

病院の裏庭で食事をとることが多いのも、研究に没頭しているからだ。
大学の食堂は理学部の建物からはかなり遠い。往復だけで時間がかかる。
弁当を持ってきて研究室で食べるというのも何度か試してはみたが、
ついつい食事をしながら文献を読み漁ってしまったり計算を始めてしまったりと
なかなか食事に集中できない。
ということで妥協案として、理学部からほど近い病院の裏庭で食事をすることにしたのだ。

裏庭、ということでここに来るのは病院関係者がほとんどだ。
若い看護師らしい女性が何人かでお弁当をつついているのを見るとほほえましい。
彼女たちも仕事の合間のわずかな時間を縫って食事をとっているのだろう。
良く笑っている人が多いのは、そんな性格でないと病院勤務は勤まらないからかもしれない。

「……」
紙パックに入ったお茶をストローで飲みながら、せつなはふと病院の建物を見上げた。
この裏庭に面した窓が見える。
少し前にせつなはこの病院の眼科にかかったのだけれど――ひどく混んでいて、
大した病気でもないのに大学病院に行くことはないと悟った――、その時にこの病院の大体の
つくりを知った。だから、この裏庭に面しているのが入院病棟であると今は知っている。

大抵、窓はしまっている。
その中の一つの窓がせつなには妙に気にかかる。
地上から窓の数を数えて、たぶん9階の窓だ。
他と同じようにぴたりと閉じたまま、白いカーテンに遮られて部屋の中は見えない。
――気のせい、よね……。
せつなは病棟の窓から目をそらすとサンドイッチを一つ手に取った。


ある日、またせつなは病院の裏庭にやってきていた。今日は看護師さん達も
裏庭に出てきていないので、せつなの独り占めだ。
初夏の爽やかな風が木々についた葉を揺らしている。緑もずいぶんと深くなり、
季節の移り変わりを感じさせた。
せつなは裏庭の中で一番大きな樹のそばに設置されているベンチに腰掛けると、
うんと背伸びをしてからお弁当を広げ始めた。

「……あ」
辺りを見回して、思わず声が漏れる。いつも気になるあの窓が今日は開いていた。
きっと風が気持ちいいから窓を開けているのだろう、なんて考える。
窓を開けることができるくらい病室の主が回復したのかもしれない。
もしそうだったらそれは喜ばしいことだ。
顔も知らない病室の主にそんなことを思って、せつなは一人で食事を始める。
今日つくって来たお弁当は我ながら中々おいしかった。

「あ、」
昼食を食べ終え、また声が漏れる。中庭には相変わらず誰もいないので、
声をあげたからといって気づくものはなかった。

あの窓から、何かが落ちてくる。
――帽子……?

ひらひらと風に舞い、時間をかけて落ちてきたそれを拾い上げると、
それは確かに帽子だった。帽子は白く、薄紫色のリボンが巻いてある。
ひっくり返して中を見ると、「土萠ほたる」と名前が書いてあった。

――土萠ほたる……
どこかで聞いた名だ、とせつなは思う。
芸能人だったか、どこかの文化人だったか。中学校かどこかで自分と同学年だった誰かか。
とにかく、これを届けようとせつなは空になった弁当箱と帽子を持って病院に入っていった。


帽子の大きさが子供用のサイズだったのでうすうす予感してはいたが、
9階は小児病棟だった。せつなの表情が曇る。どの病棟もそうだが、小児病棟は哀しい。
中にいる子供がいい子であれば尚のこと――エレベーターが9階で止まった。
せつなは帽子を手に、小児病棟へと入って行った。

廊下はかわいい動物の飾りや人気キャラクターの張り絵で飾られている。
他の階には絶対にない、哀しい明るさがここにはあった。

せつなはすれ違う子どもたち――それは患者本人かもしれないし、
お見舞いにきた子どもかもしれない――とはあまり目を合わせないようにして
ナースステーションに行くと、裏庭にいたら9階の窓から帽子が落ちてきたことを伝えて
帽子を渡した。

「あ、はい。わざわざありがとうございます」
看護師は驚いたようにそれを受け取ると、
「一応お名前を教えていただけますか?」
と面会票のようなものを差し出す。

「届けに来ただけですから」
「いえ、念のために」
何の念のためかよくわからないが、押し切られてせつなは名前と連絡先を
書いて渡した。
裏庭から見た窓の位置のほうにある病室をみやると、その廊下はしんとしていた。



「せつな! 今日、夕食いっしょ行かない?」
「レイカさん」
午後、研究室に戻って天文台から送られてきたデータを解析しているせつなの所へ
同じ理学部の西村レイカが声をかけてきた。
彼女はせつなの一年先輩にあたるが、理学部には女性が少ないこともあって
こうしてよく彼女を誘いに来る。

「忙しい?」
パソコンに向き合ったままのせつなの肩をレイカが揉むと、せつなは笑いながら
肩を動かしてそれから逃れた。

「いいえ、大丈夫です」
「じゃ、7時にいつものとこね」
レイカはそう決めてから、ん? とせつなのパソコンの画面を覗き込んだ。
「珍しいね、今日はあんまり進んでない」
「あ……ちょっと」
病院でのことを考えていて手が止まりがちだったことを見抜かれ、
せつなはいささかの動揺を覚えながら、
「ちょっと考え事してて」
と答える。

「ふうん? 珍しいね」
「……レイカさん」
せつなは身体ごと、自分の後ろにいるレイカのほうを向いた。

「『土萠ほたる』という名前に心当たりあります?」
「『土萠ほたる』? ……どっかで聞いたような……」
額に手を当てて、うーんとレイカは思い出そうとする。

「誰だったかな……え〜っと」
「あ、別に今すぐにわからないといけないことではないので」
「思い出した!」
レイカがぱんと手を打った。
「数年前の事故よ」
「事故?」
「ほら、覚えてない? 三角洲の中心で起きた爆発事故。あの辺一帯の開発、結局
 あの事故以来止まったままなのよね」
「ああ……」
ぼんやりと、せつなは思い出した。確かに数年前、そんな事故があった。

「あの事故、一家が巻き込まれたんじゃなかったっけ。お父さんとお母さんは亡くなって、
 小さな女の子がいたんだけど、救出された時まだ息があったから、うちの付属病院に
 入院したはず。KOの全力を注いで治すって当時はすごかったけど――
 どうなったのかしらね、そういえば。あの時頑張ってた医学部の先生ももう定年だと思うし」
「その小さな子が『土萠ほたる』ですか?」
「確かそんな名前だったと思うわよ。で、その子がどうしたの?」
ちょっと名前が思い浮かんだので気になったんです、とせつなはごまかした。

 * * *

レイカから、今度行くという旅行の話をたくさん聞いて夕食を終えたせつなは
夜もだいぶ遅くなってから大学近くで一人暮らしをしているマンションに帰ってきた。
一人暮らしにふさわしいこの小さな部屋は、それなりにきれいに片づけてはあるものの
最近は本が増えて床の上を覆い始めている。
お風呂に入ったら一勉強しようと思いながらせつなはコップに水を入れて
ごくりと飲みほす。

と、その時。とんとんと、ドアをたたく音がした。
「……はーい?」
こんな時間に訪ねてくる客などそうそう居ない。せつなは首をひねりながら玄関のドアを開ける。
ぎいと、ドアはきしんで開く。向こうにいたのはせつなの予想をはるかに超えた人――
小学生くらいの、女の子だった。
紫がかった黒い髪をおかっぱにした少女は、戸惑っているせつなを見て、
「お礼を言いにきたの」
と告げる。
「お礼?」
こくりと少女はうなずくと、
「帽子を取ってきてもらったお礼」
あ、とせつなは思った。「土萠ほたる」の関係者か誰かがお礼を言いに来たのだと理解した。
それにしても、近くに大人の姿は見えない。
女の子はどう頑張っても小学校6年生にしか見えない。下手をすると3、4年生かも知れない。
こんな時間にこんな子を一人でよこすなんて非常識な、とせつなは思った。

「お父さんやお母さんは? 近くにいるの?」
ううん、と女の子は首を振る。
「迎えに来てもらったほうがいいから、……お家の電話番号は?」
再度、女の子は首を振った。
「ひとりで帰れるから大丈夫」
そんなわけにもいかない、とせつなは思う。
「だったら送って行くわ」
「……」
女の子は深い紫の瞳でじっとせつなを見上げていたが、やがて、こくりとうなずいた。

戸締りして家を出ると、せつなは女の子と一緒に彼女が向う方へと歩き出した。
「あなたはほたるちゃんの友達なの? それとも、親戚? いとことか?」
うん、と女の子はうなずく。彼女は駅の方に向かっているらしかった。

「あの帽子、ほたるちゃんが持ってる最後のものなの」
はっきりとした、全く感情を込めない口調で女の子が唐突に話し始める。
「え?」
「ほたるちゃんのお家は事故でなくなっちゃったから、以前おじいちゃんの家に忘れて
 いったあの帽子しかないの。ほたるちゃんのもの」
「そうなの」
せつなにはそれ以上答えようがなかった。

あのね、お姉さん。街灯の光だけが照らす道で、女の子は突然立ち止まった。

「みんなね、先に死んじゃった。パパもママも」
「え? 何を言っているの?」
「私が死んでも、誰も見てくれる人がいないの」
「何の話?」
「だからね、せめてお姉さんだけには私のこと見に来てほしいの。約束してね」
「……」
女の子はじっとせつなを見ている。じっと見たまま、決して目をそらそうとしない。
とうとうせつなが根負けした。
「分かったわ」
でも……、とせつなは言いかけたが、女の子の満面の笑み――それは彼女が見せた
初めての笑顔だった――を見て、口をつぐんだ。

「ありがとう、お姉さん」
女の子はそう言い残して、突然身をひるがえしてぱたぱたと走り出す。
「あっ! ちょっと、待って!」
せつなが慌てておいかけるが、女の子はすぐに角を曲がって姿を消す。
せつなも角を曲がるが、
「……」
そこにはもう、誰もいなかった。

――あの子、まさか……
せつなの頭にある考えが浮かぶ。
ばかばかしい発想だと、自分でも思う。あまりにも現実離れしていると。
だが、今の出来事はたった一つの答えにしか行きつかないような気がして、せつなは
KO病院の方へと駆けた。

今の時間だと救急窓口しか開いていないのでそこに行って、入院患者の知り合いだと
告げてとにかく小児病棟へと通してもらう。
小児病棟で「土萠ほたる」の知り合いだと言って告げられたのは、
今までずっと意識不明だった土萠ほたるはつい先ほど息を引き取った――という
事実だった。

「御親戚の方に連絡をとったんですが、いらっしゃるまでしばらくかかるようで……、
 霊安室に、いらっしゃいますか?」
看護師の言葉にはいと答えて、地下に案内してもらう。
彼女はその部屋の中で身を横たえ、静かに眠っていた。顔を覆う白い布をせつながそっとずらすと、
その顔は確かに先ほどやってきたあの少女のものだった。――

うつむいたせつなが何も言えないでいると、
「あの、」
と看護師が声をかける。その表情はどこか悲しげだった。

「もしよろしければ、なんですが……御親戚の方がくるまで少しかかるようなので、
 しばらくほたるちゃんと一緒にいてあげてもらえませんか?」
そして声をひそめて、
「最近はお見舞いにも全然いらっしゃらなくて、ほたるちゃんずっと一人だったのでなんだか可哀想で」
と続ける。

わかりました、とせつなは答えた。わかりました、約束ですから。一緒にいます。
せつなの言葉を聞いて看護師はほっと安心したような表情を浮かべた。

彼女の死が産んだ沈黙が支配するその部屋で時だけがゆっくりと流れていく。
殺風景な部屋の片隅に置いてもらった椅子に腰掛け、せつなは知らない子供を悼んで
涙を落し続けていた。

-完-

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