この日も、誰も来ることはありませんでした。否、「日」という概念自体が
あるのかどうか。セーラープルートの体幹として24時間が経過したことは分かっても、
ここ時空の扉での時の流れが他の場所のそれと同一とは限らないことは分かっていました。

彼女は遠い昔、クイーン・セレニティに指名を与えられたとおりにこの地を守っていました。
しかしシルバー・ミレニアムはとうに滅んでこの扉の向こうにはなく、
彼女はこの地でただ一人、シルバー・ミレニアム再興の時を待っていました。

破滅の戦士セーラーサターン。シルバー・ミレニアムの終わりの時に彼女が振り降ろした
沈黙の鎌は過たずに太陽系に住む全ての人々や大型の生き物たちを滅ぼしました。
かろうじて太陽系の残った微生物たちは少しずつその性質を変化させながら、
かつてのような多様な生き物たちを生み出すべくゆるやかな進化を続けていました。
セーラープルートは、待っていました。太陽系の偉大な星々の力を与えられた
セーラー戦士たちが再びこの地に生まれてくるのをじっと待っていました。

このセーラープルートが産まれた場所は太陽系ではありません。
シルバー・ミレニアムが滅んだ時、セーラーサターンを目覚めさせたセーラープルートは
冥王星の生まれでしたが、彼女もやはりシルバー・ミレニアム崩壊の時にその命を落としています。
その魂は転生し、別の星で生まれました。そしてある時に彼女は前世の記憶を取戻し、
この太陽系に戻ってきたのでした。

これは、彼女が時空の扉にやって来るまでの前半生を描いたお話です。

 * * *

太陽系を遠く離れた銀河系の中心のほど近くに二つの小さな星が並んでいます。
転生したセーラープルート――その星にいたころは別の名前で呼ばれていましたが、
ここでは便宜上セーラープルートと呼ぶことにしましょう――はその星で育てられました。

二つの星はいずれも大きな河を持つ砂漠の星でした。その名を、レテ星とムネモシュネ星といいます。
それぞれの星のセーラー戦士であるセーラーレテとセーラームネモシュネは殊の外
仲が良く、主にレテ星の居城で一緒に暮らしていました。

ある日のことです。ムネモシュネがレテの居城を訪れると、いつもは聞こえない
赤ん坊のけたたましい泣き声が聞こえてきました。

「レテ!?」
ムネモシュネが大慌てで声のする方に駆けつけると、
レテが自分の寝室で赤ん坊を困った顔で抱っこしてあやしていました。

「……いつ産んだの?」
「私の子じゃない」
冗談に付き合うゆとりはないと、憮然とした顔つきでレテは答えました。
「だったらこの子、どうしたの?」
「河に行ったら流れてきたんだ。桶みたいなのに乗ってて」
「……捨て子かしら」
ムネモシュネは腕を伸ばすと、レテの手から赤ちゃんを受け取りました。
褐色の肌をしたその子は、しばらくあやされているうちに
泣き止んでとろんと眠そうな目になりました。

「うまいな、ムネモシュネ」
「レテの抱き方が下手なのよ……」
「悪かったね」
「それで、この子、どうするの?」
レテはムネモシュネの腕の中の赤ん坊を見ました。
「一応、こういう子を保護したという知らせは出すけれど……
 捨て子だったら名乗り出る親はいないだろうね。もう忘れてしまっているだろうし」
「だったら、ここで育てるの?」
「……よろしく、ムネモシュネ」
「責任者はレテよ」
レテの言った通り、彼女を捨てた親が名乗り出ることはありませんでした。
セーラープルートはレテの居城で育てられました。

レテ星とムネモシュネ星は砂漠の星です。
大きな河は流れていますが、土と呼べるもののないこの星々には原生の樹は生えていません。
この時代、この星は鉱物資源を主要な輸出品としていました。
この星で採掘されるある種の貴金属は宝飾品として好まれていましたから、
この星はゆたかでした。
交易を求める商人たちも多数出入りしていました。プルートはこの星ですくすくと育ちました。

 * * *

ある日のことです。
プルートが城の外で遊んでいましたら、道に座る一人の承認が売っているものが
眼の中に飛び込んできました。
それは大きな赤い宝石で、プルートは思わず足を止めてしゃがみ込むと、
それに見入ってしまいました。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい」
人のよさそうな商人は、怒るでもなくにこにことしながらプルートに尋ねます。

「この石、なあに?」
「それは柘榴石って言うんだ。ここから少し離れた採掘場で採れたんだよ。
 綺麗だろう?」
プルートは大きくうなずきました。それからまたしげしげとその石を見ました。
「そいつは、お嬢ちゃんには売れないけどな。代わりに」
商人はズボンのポケットをまさぐると、小さなビンを取り出しました。
透明なビンの中には、この宝石と同じ赤色をした砂が詰まっていました。
これは宝石を加工した時に出る屑で、売り物にはならないものでした。
「こいつをやるよ。お父さんかお母さんが宝石欲しいって言ったらここに連れてきてな。
 ……旦那、こいつを奥さんにどうです?」
商人は近くを歩く裕福そうな男性を見ると、すぐにそちらに声をかけました。
プルートはお礼を言ってその場から立ち去りました。

「レテ様、ムネモシュネ様!」
レテの居城に戻ると、プルートはすぐに大好きな二人の姿を探しました。
レテは外に出かけていたのですけれども、ムネモシュネは城の中におりました。

「どうしたの?」
「見て、これもらったの」
プルートが先ほど商人から貰った赤い砂のビンを見せますと、ムネモシュネは「まあ」と
顔を輝かせました。

「柘榴石のかけらね。こんなにきれいな赤色は珍しいわ」
「そうなの?」
「ええ、きっと長い時間かけて産みだされたのでしょう」
プルートは目をぱちくりとさせました。その瞳は、長い時間の果てに生まれた
柘榴石のような色をしておりました。

「柘榴石って、どうやってできるの?」
「地下の深いところで、熱や圧力がかかって――、そうね、」
ムネモシュネは途中で言葉を切るとプルートのことを見ました。

「レテとも相談だけれど、あなたにはそろそろ家庭教師の先生について
 もらった方がいいかもしれないわ」
「家庭教師?」
プルートは首をかしげました。
「ええ、私やレテが教えられることは限られているもの。
 物知りの先生に来てもらえば、あなたが知りたがっているこの世界のことを
 たくさん教えてもらえるかもしれないわ」
「本当!?」
プルートにとって、ムネモシュネの言葉は全く予期していないものでしたけれど、
それはとてもいい考えのように思えました。これまでプルートが興味を持って
尋ねたことの中にもレテやムネモシュネが答えられなかったことはいくつかあって、
そうしたことを全部教えてくれる先生が来てくれるのかと思うと、
それはプルートにとってたまらなく嬉しいことなのでした。

 * * *

家庭教師の先生は、よその星から通ってくる物知りの博士でした。プルートは先生から
数学や理科を沢山学びました。レテ星やムネモシュネ星の他にもたくさんの星があって、
それぞれの星に人が住んでいることも学びました。
プルートはよく勉強しましたので、先生も驚くほど進度は速かったのでした。

ある日、授業時間を終えてお茶の時間になると、
「あなたは本当によく勉強しますね」
と先生が言いました。プルートが照れておりますと、
「この星の者たちは、何しろ物事をよく忘れてしまうと聞いていましたから、
 不安だったんですよ」
「え? そうなんですか?」
「そうですとも」
先生は真っ白なひげを一撫ですると、大きくうなずきました。
「この星の住民たちは何か辛いことがあればその全てを忘れてしまいますからね。
 その時、ついでに関係ない他の知識も忘れてしまうんです。だから、豊かな星の割に、
 ここでまともな学問は発達しないんですよ」
プルートはその言葉にショックを受けました。そんなことは考えたこともなかったからでした。
レテやムネモシュネも、そんな風に色々なことを忘れて言っているようにはとても見えませんでした。
あなたはこの星の他の連中とは違う、と先生は続けて言いました。
「あなたはもしかすると、学問の道が向いているかもしれませんね」
しかしプルートにとって、それはあまり興味のないことでした。
先生が帰ってしまうと、プルートはすぐにレテとムネモシュネを探しました。

「レテ様!」
「やあ、どうした」
レテは自分の部屋で、少しばかりアルコールを飲んでいて、上機嫌でした。

「さっき先生に聞いたの。この星の人は色々なことを忘れてしまうって――本当なの?」
レテは手にしていたグラスを置くと、真面目な表情を浮かべました。
「……そうだな」
少ししてからレテは立ち上がると、「おいで」とプルートの手を引いて
バルコニーに向かいました。

外はもう日が落ちてすっかり暗くなっていました。
空気は乾燥し、空にはいくつもの星が輝いていました。
地上に建つ家々はいくつもの光を灯し、中央に流れる大河は黒々と沈み込んでいました。
レテはバルコニーの手すりに手をかけてそんな街の様子を見ながら、後ろに立つ
プルートには目を向けずに話し始めました。

「前に、お前に話したが。お前は赤ん坊の時に私が拾った」
プルートは頷きました。その話を聞いた時も大変ショックだったのですけれど、
レテとムネモシュネは「私たちはお前をここで育てる」と言ってくれたのでした。

「お前の生みの親は、きっとこの星のどこかにいるだろう。
 しかし、見つけることはできないだろう。きっとお前のことを、もう忘れてしまっているだろうから」
そう言ってレテは振り返ると、プルートの沈んだ表情を見て言い直しました。

「変な意味じゃない。この星に住む人たちは、辛いことはみんな忘れてしまうんだ」
レテはプルートを手招きすると、バルコニーから見える街の景色を見せました。

「あの河は、忘却の河と言う。あの河の水を飲んだ人間は、自分の記憶を
 なくしてしまうんだ。量によっては、生まれてから今までの記憶も全部」
プルートは目をぱちくりとさせました。レテはそんな彼女に頷きました。

「この川は、最後には冥府に注ぎ込むと言われている。死んだ人の魂が
 生きていた時の記憶をすべて消すために飲むのだ、とも。
 それが本当かは誰にも分からないが、いずれにせよ、この河の水には
 そんな不思議な力がある」
レテはまた、町の方へと目を向けました。その眼は慈しむように街の灯りを眺めていました。

「この星は、むかしほとんど人がいなかった。今いる人たちは、色々な理由でよその星から
 移住してきた人たちの子孫だ。今も、移住してくる人はいる。
 昔から、この星に移住してくるには一つ条件があってね。――前の星のことは、
 全部忘れてもらう。河の水を大量に飲んでもらうんだ」
プルートは驚いた表情でレテを見ました。
「前の星でのいざこざやら、縄張り争いやらをここに持ちこんでほしくはないからね。
 この星に住むからには、新たにここの人間としてやり直してもらうよ。だが――」
レテは一度、言葉を切りました。
「さっきも言った通り、辛いことや悲しいことがあるとこの星の住民たちは
 河の水を飲んで忘れてしまうようになってね。この河の水を飲んでも、早いうちに
 ムネモシュネ星の記憶の河の水を飲めば記憶は取り戻せるんだが、
 誰もそんなことをする奴はいやしない。そうやって何度も飲んでいると、
 次第に忘れたい記憶だけじゃなく、他の色んなことも忘れてしまうようになるんだ」
「レテ様とムネモシュネ様も?」
プルートは小さな声で尋ねました。

「私たちは飲んじゃいないさ。色んなことを記憶している人の存在も、星には必要だからな」
レテはそう言うと、ぽんとプルートの頭を叩いてその耳元に口を寄せました。
「お前も飲むな。お前はいずれ、この星を支えていくだろうから」
プルートが目を大きく見開いてレテを見上げました。

「お前は私たちが育てた子だし、勉強もよくする。大人になれば、この星を
 支える存在になるだろう。それに、この星は将来的に大変なことに見舞われるだろうからな」
プルートは不安そうにレテを見ました。「心配するな」とレテは言いました。
「大変なことになるのは、きっと私もお前も死んだ後のことだ。
 この星に眠る鉱物を取り尽くした後――その後、この星に生きる人が
 どうしていけばいいか、少しだけ考えておく必要があるんだ」
レテの話はプルートの胸に深く焼きつきました。望んで記憶をなくしてしまうことが
できるというのが、プルートにとっては大変なショックでした。

この頃から、プルートは不思議な夢を見るようになりました。その夢は、普段見る夢とは
違っていてまるで自分が経験したことのように生々しいものでした。
けれども、目が覚めて考えてみるとそんなことをした覚えは全くないのでした。
夢の中でプルートは大きな扉の前にいたり――この扉を守らなければならないと
強く思っているのでした――綺麗な服を着た女王様から
何かと言いつけられたりしていました。
自分は知らず知らず、あの河の水を飲んでしまっていたのではないか、
そして自分は何か大事なことを忘れてしまっているのではないか――と、
プルートは恐れました。

 * * *

それからしばらく後のことです。プルートは城の外に住んでいる同い年くらいの子と
友達になっていました。二人は大人には内緒で子猫を飼っていました。
砂漠の中の空き地に住処となる箱を置いて、毎日食べ物を持って行っては
育てていました。子猫はすっかり二人に慣れて、足音が聞こえると
箱から顔を出して二人を迎えるようになっていました。

「ねえ、この子、ここでずっと育てようね。大人になるまで」
「うん!」
二人はそう言い交していました。猫に餌を与えた後は市場に連れ出したりして、
二人はそうして遊んでいました。
ある日のことです。
二人がいつもと同じように公園に行ってみると、普段なら歓迎するはずの猫の声が
今日はどこからも聞こえませんでした。

「あれ?」「どうしたのかなあ?」
二人が箱の中を覗いてみると、その中には何かの獣に食いちぎられた子猫の死体が
ありました。友達は、きゃっと声を上げてプルートにしがみつきました。
プルートは血まみれのその姿から目を離すことができませんでした。
生き物の流す赤い血は、これまでの彼女の生活ではさほど馴染みのないものの
はずですが、不思議と、よく見たものであるような気がしていました。

二人は空き地の隅を猫のお墓に決めました。そこに丁寧に死体を埋めて、
その日はそこで別れました。さよならするまで、友達はずっと泣いていました。

翌日、プルートは友達をまた空き地へと誘いました。お墓参りがしたかったのでした。
友達は、もう泣いてはいませんでした。空き地に行こうとプルートが言うと、
友達は不思議そうな顔をしていました。

「空き地なんかで何をするの?」
「猫のお墓、行こう」
「猫って?」
えっ、とプルートは思いました。友達は猫という言葉に全く心当たりがないようでした。

「昨日まで育ててた猫の――」
「そうなんだ、猫育ててたんだね!」
ここにきて、プルートは悟りました。友達は猫のことをすっかり忘れてしまっているのでした。
昨夜のうちに河の水を飲んだのに違いありません。

「ごめん、今日は」
一緒にいるのに耐えられなくなって、プルートはぱっと踵を返すと居城に戻り、
自分の部屋に入るとぱたんとドアを閉めてベッドの上にうずくまりました。
これであの猫の存在がなくなってしまったような気がして、ただただ悲しく、
プルートはしくしくと泣いていました。あの猫は、本当にもういなくなってしまったのでした。
プルートは泣き続け、そしていつしか寝入ってしまいました。

"――どうして、そんなに泣いているのです?"
夢の中で誰かの優しい声が島shチア。友達があの猫のことを忘れてしまったからです、
とプルートは心の中で答えました。

"そう――、でも、泣くことはありませんよ"
夢の中の声がプルートに答えます。
やがてその声の主はプルートの目にも見える姿になりました。
ふと気づけば、プルートは見たこともない王宮の中に降りました。
石造りの柱が並ぶその王宮の窓の外には大きな樹が生い茂るのがミエ、
レテ星でないことはあきらかでした。
声の主は玉座に腰かけ、白いきらびやかなドレスを身に纏った一人の女王でした。
プルートはどうしたらいいかわからず、ただ茫然と彼女の前に立ち尽くしていました。

"人が物事を忘れるのは仕方のないことなのです"
"でも、こんなに早く――"
"貴女がその分、きちんと覚えておいてあげればいいのですよ"
女王は優しく言いました。

"私は"
プルートの声が小さくなりました。プルートはずっと、自分が忘れてしまった
何かのことが気にかかっていたのでした。

"私も、何かを忘れてしまっているんです。何かひどく、大事なことを……"
"それは、どのようなこと?"
プルートは夢で見たいくつものことを話しました。
それはとりとめのない話でありながら、しかし実際に経験した記憶の一断片であるかのように
鮮やかでした。

女王はわずかに悲しそうな表情でプルートの話を聞いていました。

"それはきっと、――過去のあなたの強い後悔ですね"
"後悔。……?"
プルートは首をかしげました。そんな覚えはありませんでした。

"思い出したいですか?"
女王は尋ねました。思い出す、というのはその過去の大きな後悔にまつわる
記憶のことでしょう。プルートは悩みました。
それはいい思い出であるはずがありません。けれども、
今ここで思い出さなければこのもやもやとした思いはずっと続くのだろうという
気もしていました。

"はい"
プルートがそう答えて頷くと、"こちらにいらっしゃい"と女王は立ち上がって
プルートを手招きしました。

プルートが女王のすぐ前へと進むと、女王はその指をプルートの額へと当てました。
初めは、何をしているのかと思いました。しかし、すぐにプルートの頭には
今まで見たことのないビジョンが次から次へと浮かんできました。
それはかつて――彼女の魂が転生する前、シルバー・ミレニアムでセーラープルートとして
生きていた時の記憶でした。

セーラープルートは時空の扉を守り、シルバー・ミレニアムの崩壊時にはウラヌス、ネプチューンと
ともにタリスマンを発動させてサターンを目覚めさせ、そしてシルバー・ミレニアム崩壊とともに
命を落としたのでした。

"……クイーン・セレニティ!"
全ての記憶を得たプルートは女王の前に跪きました。
その人は、かつてプルートに使命を与えたクイーン・セレニティその人でした。

"教えてください。シルバー・ミレニアムは今どうなっているのですか。
 太陽系は、どうなっているのですか!?"
"シルバー・ミレニアムは、もうありません"
セレニティは優しく答えました。

"太陽系は、もちろん存在します。あの大崩壊の時にも生き残った一部の微生物たちが
 少しずつ進化を続けています。いずれ――遠い遠い未来のかなたで、シルバー・ミレニアムが
 再興される時がくるでしょう"
"私は、"
とプルートはあわてるように言葉をつなぎました。

"私はどうして、ここに生まれたんですか!? 私はどうしたらいいんですか!"
その声はまるで前世のプルートのそれのようでした。
クイーン・セレニティはそれには答えず、ただ微笑んだだけでした。

"教えてください、私は……"
プルートの言葉もむなしく、セレニティの姿は少しずつうすくなっていきます。
やがてプルートはベッドの上で目を覚ましました。幾筋もの涙が頬を伝って
いるのがわかりました。部屋の窓からはいつものような穏やかな砂漠の風景が見えます。
レテの居城に自分がいることに内心安心を覚えつつも、プルートはやはり気落ちしていました。

――私はどうして、ここにいるのだろう……

プルートはそう思わざるを得ませんでした。かつて、前世ではセーラー戦士であったはずの
自分が今はセーラー戦士としての力に目覚めていないのも、不思議でした。
今、この世界でのプルートの親はどこにいるのでしょう。
何を思って、プルートを捨てたのでしょうあ。それは彼女には分からないことでしたし、
今後も二度と分からないままでしょう。せめて私に親がいれば、とプルートは思っていました。
この星に私が存在する意味を見つけることもできてのかもしれないのに、と。

太陽系のことは太陽系のこと。今の私はこの星で生きよう――と考えるには、
プルートが取り戻した前世の記憶はあまりにも生々しいものでした。
前世、あのすべてが終わるときに感じた言いようのない後悔は今のプルートの胸にも
渦巻いていました。

プルートはずっとふさぎ込んでいました。日がたっても、一月が過ぎても
ふさぎ込んでいました。ずっと勉強が手についていないらしいプルートを見かねて、
ある日、城にやって来たムネモシュネがプルートをレテの部屋へと呼びました。


レテの部屋へと言ってみると、二人は心配そうな顔でプルートを待っていました。
「最近、どうしたの? ふさぎこんでいるようだけれど」
ムネモシュネがそう口火を切りました。レテはプルートの異変に気づいてはいても、
直接聞くことはできずにいたのでした。

「……」
プルートはもじもじとしていました。
今、自分の気持ちを話すことは二人への裏切りになってしまいそうな気もしていたのでした。

「どうした、言ってみればいい」
レテがそう言いました、それで、プルートは思い切って口を開きました。

「前世のことを思い出したんです……」
プルートは一通りのことを話しました。話し終えると、重苦しい沈黙が
三人のいる部屋に漂いました。

「……それで、あなたはどうしたいの?」
ムネモシュネが尋ねます。
「分かりません、ただ……」
「ただ……?」
プルートがうつむいて答えます。

「もしも本当にシルバーミレニアムが再興するのなら、私はそこにいたいと思います」
それは正直な気持ちでした。
「そうか……」
レテが静かに立ち上がりました。
「それがお前の気持ちなら、私は私で、しなくちゃいけないことがある」
プルートには彼女の言っていることの意味が分かりませんでした。
レテはプルートの胸元に手をかけたかと思うと、ぐいとプルートをバルコニーへと引きずりだしました。

「レテ、やめて!」
慌てたムネモシュネがレテの後を追います。それでも彼女は止まろうとはしませんでした。
プルートがもがくのも意に介さず、彼女はプルートを手すりのそばまで引きずって行きました。

「前世の記憶なんて人間が持つものじゃないんだよ! 全部忘れてしまえばいい!」
「レテ!」
ムネモシュネが止めるのを聞かず、レテはプルートを手すりから外へと突き落としました。下には忘却の河が流れています。ムネモシュネは息を飲んで、レテは傷ついたような顔で
落ちていくプルートを見つめていました。

額が熱い、とプルートは思っていました。下に見える河や、記憶を失う恐怖を
感じるゆとりのないほどにプルートの額は熱く疼いていました。――突然、閃光が
あたりを照らしました。
一瞬のちにプルートはセーラー戦士としての姿となり、水面の衝撃波を打って
身体を浮かせ川岸へと着地していました。
一瞬のまばゆい光に目のくらんだレテとムネモシュネは、呆然と変身した
彼女の姿を見守っていました。

「レテ」
ムネモシュネがレテの肩に手をおきました。
「あきらめましょう。星の守護を受けたセーラー戦士が母星へ帰ろうとするのを
 阻むことは誰にもできないわ……」
レテは手すりにもたれかかったまま、何も答えませんでした。

やがて、プルートは再びバルコニーへと戻ってきました。
「レテ様、ムネモシュネ様……」
レテはプルートに背を向けたままでしたが、ムネモシュネは彼女の姿を見て
微笑を浮かべました。

「お行きなさい。あなたの心が指し示す場所へ」
「はい。今まで……ありがとうございました」
レテはやはり、プルートに背中を向けたまま動きませんでした。
ムネモシュネはそんなレテをちらりと見やってからまたプルートに目をやり、
「さよなら」
と優しく言いました。プルートは光の軌跡を残して、太陽系へと飛び立っていきました。


その夜のことです。レテは、小さな銀の盃に忘却の河の水を汲んで自分の部屋へと
持ってきていました。姿勢を整えてそれを一気に飲み干そうとしましたが、
ぱんという乾いた音と共にムネモシュネがそれを手から叩き落としました。

「あの子のこと忘れようなんて、許さないから」
ムネモシュネはそう言いました。
「……一生に一度くらい、忘れたいことを忘れてもいいだろう」
レテがそう答えると、
「あなたが忘れてしまったら、私が一人だけであの子のことを覚えていなければいけないじゃない」
とムネモシュネは言いました。
「前世の記憶なんか、綺麗さっぱり忘れて産まれて来ればよかったのに……」
レテは床に落ちた盃を拾い上げました。

 * * *

時空の扉は、外界とは時間の流れが違います。
この場所にいる限り、プルートは――外界の時間で考えるなら――長い寿命を保っていることもできます。
プルートが太陽系に帰って来た時、地球ではようやく哺乳類が登場したころでした。
シルバー・ミレニアム再興までの長い時間を、プルートはここで待ち続けるつもりでした。


-完-

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