ある夏休みの一日に、まことは塾の午前講習を終えた亜美と一緒に
商店街で買い物をしていた。二人が訪れたのはまことが良く買い物をする雑貨屋さんだ。
毎日のように使っているキッチンミトンが破れてしまったので、
新しいものを買おうというのである。

買うものの候補はすでに二つに絞り込んである。

「これかこれにしようと思うんだけど、どっちがいいと思う?」
まことは亜美の目の前で二つのミトンを掲げて見せた。
一つは、白地のミトンに緑の縁取りがあって全面にバラの模様が細かく描かれている。
もう一つは、白地に灰色の縁取りがあって右手の甲の部分に黒い猫が描かれているものだ。

「うーん」
どちらも可愛い。亜美は悩んだ。宙に出した人差し指がくるくると長い軌跡を描く。

「こっち、かな」
亜美が指さしたのはバラの模様の方だった。
「迷ったね〜」
まことは苦笑しながら、選ばれなかった黒猫のミトンを陳列棚に戻す。

「だってどっちも可愛いんだもの。自分で使うんだったら猫の方かなと思ったけど、
 まこちゃんならやっぱりそっちかなって思って」
「そっか。ありがと」
まことはそう言って、ミトンの会計を済ませてから亜美と並んで店を出る。
「この後うちに来ない? おいしい紅茶があるんだ」
「ええ、ごちそうになるわ」
にっこり笑ってそう答える亜美だが、その顔は道の向こう側から聞こえてきた喧騒に
気を取られてすぐにそちらを向いた。

「何かしら、あの人だかり?」
「うーん?」
まことはわずかに背伸びをした。普通にしていても背の高いまことが背伸びをすると、
だいぶ遠くまで見渡せる。
「何か、イベントみたいだよ。展示会とかなんとか書いた看板が立ってる」
二人は顔を見合わせると、人だかりの方に向かっていった。


そのイベントは、氷の彫刻の展示会だった。夏の暑い盛り、お客さんが少しでも
涼を感じるようにと商店街が企画したらしい。屋外でのイベントであるため
次第に彫刻が溶けていってしまっているのは仕方がなかった。
それでも、氷柱から作品を削り出そうとしている職人の作業一つ一つに歓声が上がり、
イベントとしては成功だった。

「うわ、可愛い」
人だかりの中を進んで前に出たまことと亜美の目に最初にのは止まったのは
猫の姿をした氷像だった。

「アルテミスに似てるな」
「ちょっと溶けちゃってるけど」
氷像はそこかしこにあった。一番の目玉は一メートルほどの高さのある
東京タワーの氷像で、これだけは溶けないようにという配慮か、
ケースの中に入っている。

「すごいね」
とまことは亜美の袖を引っ張るとタワーの像を指さした。
「ああやってケースに入ってると、ガラス細工かなにかみたいだ。透明だし」
そうね、と網はうなずく。氷像はどれもきれいな透明で、一点の曇りも
ないように見えた。

「きっと空気を含まないように氷を作ったのね。水自体もきれいなもので」
「そうなの?」
あまり最前列を占領していては他の人に悪いので、まことと亜美はそんな会話を
交わしながら人ごみをかき分けその輪の外に出た。

「氷が白くなっちゃうのって、空気も一緒に凍らせるからなのよ。
 水だけをじっくり凍らせるようにすれば白い部分はなくなるわ。
 それと、より不純物の少ない水を使うことで透明度が上がるみたいね」
二人の足は自然とまことの家に向いている。

「そうなんだ」
亜美ちゃんみたいだな――とまことは思ったが、言わなかった。水を操る戦士
だからだろうか、まことには亜美が時折水のように感じられることがある。
それも、混じりけのないごく綺麗な水のように。

 * * *

「待ってて、今紅茶淹れるから」
家に着くと、約束通りまことは紅茶の支度を始める。おかまいなくと言いながら
亜美が何となくキッチンを覗くと、まことはペットボトルの水をやかんに入れて
沸かしていた。

「どうしたの? それ」
見たことのないラベルのついたペットボトルだったので亜美は首をかしげる。
「ああ、これ――」
まことは空になった容器を投げてよこした。やはり、見慣れないラベルだった。
日本のどこかの山系の天然水らしい。

「はるかさんがこの前来て、段ボール一箱分置いていったんだ。
 スポンサーから新商品をたくさんもらったんだけど、
 家族だけじゃ飲みきれそうにないからって。これで紅茶淹れると
 おいしいっていうのも、はるかさんに教えてもらったんだよ」
「へえ、そうなの――はるかさん、わざわざ」
「うん、わざわざ。あたしが一人暮らしだからかなあ、そういうのたまに
 くれるんだよね。その前は、やっぱりスポンサーから貰ったっていう
 プロテインのサプリメントを沢山貰ったし」
「それはどうしたの?」
「飲んだよ」
もちろん、と答えるまことに、ああそれで――と亜美は思った。
最近、まことは以前にもまして体つきがたくましくなったような気がする。

ピーと音を立てて、お湯が沸いたのをやかんが告げた。
まことは火を消してやかんをガス台から取り上げると、茶葉を入れたポットに
お湯を注いでタイマーをスタートさせる。
カップの方を温めておくのも忘れない。やがて時間が来てタイマーが鳴る。

「お待たせ」
ティーセットをダイニングに運び、まことは二つのカップに紅茶を注いだ。
亜美はまことの向かいの椅子に座ると、いただきますとカップを口に運ぶ。
紅茶はまだ熱い。だが一口飲んでみると、さわやかな味わいが口の中に広がった。
「美味しい」
「でしょ?」
まことは嬉しそうだ。

「もともとこの紅茶好きだったんだけど、この水だと本当においしくてさ。
 誰かに飲んでもらいたかったんだ」
「私で良かったの?」
「そりゃあもう」
何も言うことないよ――とまことは言ってから、急に思いついたように
「さっきみたいな純粋な水で淹れてみたらもっとおいしくなるかな」
「え?」
「ほら、さっきの透明な氷のもとになった水ってすごく純粋なんだよね?
 あんな感じで、すごく純粋な水を使ったらどうかなって思って。
 本当に混じりけがないような水だったたって」
「ああ……本当に純粋な水だったら、美味しくはならないと思うわ」
亜美はあっさりと否定した。

「え?」
まことはきょとんとした表情を浮かべる。
「限りなく純粋な水――つまり、H2O以外の物質を含まないような水はね、
 ミネラルも何も含まれていないから無味、無臭なのよ。飲んでもおいしくないそうだから、
 紅茶でも多分」
「え? そうなの?」
「そうよ。純水だと実質的に絶縁体と言えるくらい電気もほとんど通さないし、
 私たちが一般的に思っている水のイメージとは違うと思った方がいいわ」
「そうか」
まことは紅茶を一口、口に含んだ。

「あたし純粋な水って亜美ちゃんみたいなのかと思ってたけどちょっとイメージ違うかなあ」
「え? 私?」
今度は亜美がきょとんとする番だ。

「ほら亜美ちゃんって透明感っていうか、何かそんな感じがするし」
うーん? と亜美は首をひねる。それから、考え付いたようにこう言った。

「うさぎちゃんと会う前の私だったら純水っぽかったかもしれないわ。
 人を何も動かさなかったし、人の意見や考えなんかも、何も通さなかったと思うから。
 うさぎちゃんに会ってから少し変わった気はするわ」
「……じゃあ、うさぎちゃんは不純物?」
「そうかもしれないわね」
二人は顔を見合わせ、この場にいない友達の顔を思い出しながらくすくすと笑いあっていた。

-完-

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