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咲たちのようにこの町で暮らしている者からすればトネリコの森は庭のようなものである。
どこをどう進んでいけばどんな樹や花があるか、どこに崖があって危ないのか
頭の中に全部入っている。一方、千里や晴美からすると子の森は鬱蒼と木が生い茂り、
一歩入っただけで外界の町と隔絶されてしまうようなそんな非日常的な感覚を
抱かせる場所だった。実際、森の中に入った途端に少しばかり暗くなり、
ひんやりとした風が流れてくるようになった。先ほどまでは小さく聞こえていた車の音も、
今となってはほとんど聞こえない。代わりに聞こえてくるのは葉擦れの音と鳥のざわめきだ。

――案内してもらえてよかった。
晴美は心の底からそう思っていた。そして同時に、自分の町の近くでは中々見られない今の景色を
しっかりと心に焼き付けておこうと思った。
「じゃーん! ここが頂上なんですよ!」
山道を登りきったところは広場のようになっていて、神社のような社が一つある。
だがそれ以上に目を引くのはその隣にある大きな樹だ。幹の太さは千里や晴美のような
女子高生が十人くらいで腕を広げてつながればやっと一周できるだろうかというくらいに太く、
根はうねるようにその足を大地に張り巡らせている。樹の一番上の部分は
ここからは見通すことができなかった。

見たことのないような巨大なその樹の姿に千里も晴美も思わず息を飲んだが、
初めに口を開いたのは千里の方だった。
「この樹は?」
「大空の樹って言って、この町のシンボルなんです」
舞が嬉しそうに答える。この樹はこの町の人にとって自慢の樹らしい。
「ミミンガって、この近くにいるという話なの?」
晴美は大空の樹に見とれていたが、気を取り直して咲に尋ねる。
「あ、はい。多分そうだと思います」
咲の答えは曖昧なものだった。実際、ミミンガがこの近くにいるのかどうかは
分からない。ただし、この樹は精霊たち――フラッピ達の住む故郷とこちらの世界を
つなぐ門のような役割を果たしているので、精霊たちがこの近くに住んでいると言えなくもない。

晴美はその曖昧な答えを聞いて彼女なりに納得していた。これだけの大きな樹だ。
さぞ昔からここに立っているのに違いない。
つまりこの場所は大昔からあまり変わっていないということで――
それはミミンガという妖精の一体や二体、いても不思議ではないのかもしれない。
晴美はバッグの中からカメラを出して樹に向かって構える。だが、
「待って晴美」
と千里がその手を掴んだ。
「何、千里?」
「写真取っていいのかしら。ご神木でしょう? 祠みたいになっているし」
千里の指差す先に視線を向けると、確かに樹の幹にできたうろに木製の柵が
はめられ、祠のようにも見える。

「写真、まずいかな?」
晴美ヒア咲と舞の方に顔を向ける。
「大丈夫だと思いますよ」
咲は即答した。
「たまにここに記念写真を撮っていく人いますし」
お墨付きが出たので、晴美は安心してカシャカシャと写真を撮る。
千里は腕組みをして後ろに下がり、
――この樹、樹齢どのくらいなのかしら。
と一人考える。
「千里、ごめん」
樹の周りを一周して写真を撮ってきた晴美が今度はスケッチブックを袋から
取り出しながら、
「スケッチもしてっていい? せっかくだから。他の資料にもなるかもしれないし」
「いいわ。待ってる」
「ありがと」
晴美は樹の根の上に腰を下ろして鉛筆を動かし始める。
千里はその様子を好ましく見守っていた。晴美の描く漫画の内容を批判することはあっても、
漫画を描くことそれ自体は千里も応援しているのだ。
まんが甲子園に出られるくらいきっちりとした作品を描きなさいと言っているだけで。

咲と舞はそんな二人の様子を見ながら、精霊のことはばれずにすみそうだとほっとしていた。
昨日こちらに来た花の精フラッピは携帯電話のような形の変身アイテムに姿を変えて
咲の鞄の外にぶら下がってじっとしている。

「この樹は、」
じっと待っているのも退屈だろうと思い、咲は千里に話しかける。
この前見た、スコップを振り回して暴れている千里の姿は今日はずっと影を潜めていたので
安心したというのもあった。

「この樹はこの町のシンボルで、夏のお祭りもこの近くでするんですよ」
「これはご神木ではないの? 社も近くにあるけれど」
千里はそのことが引っかかっていたようで、確かめるように尋ねる。
「うーん、もしかするとそうなのかもしれないんですけど」
咲は明るく答えた。
「写真はいいみたいです」
「ふうん……」
と千里は大空の樹を見上げる。
「この樹には不思議な力もあるんですよ」
世間話の続きというように、今度は舞が口を挟む。
「それはどういう力なの?」
千里はその話題に食いついた。
「この樹の下で出会った人たちは強い絆で結ばれるんです。私と咲も、
 ここで出会ったんですよ」
舞が嬉しそうに話す。千里は真顔になって目の色を変えた。
よくある他愛のない言い伝えの一つ、とは彼女は考えなかった。
「それ、本当なの!?」
本気の目で問い詰めてくる千里に、舞は気圧されながらも「は、はい!」と答える。
「晴美っ!」
「わっ!?」
突然自分の名前を大声で呼ばれて、晴美は驚いて跳びあがりそうになった。
「私、これから先生呼んでくるから!」
「は? ……え?」
これまで会話に加わっていなかった晴美は千里の言葉についていけず、間の抜けた
返事を返す。
「この樹の下でであると強い力で結ばれるそうよ! 今から先生呼んできて
 ここで出会うわ!」
「……それって、初対面じゃないといけないんじゃないの?」
「だったら、ここでの出会いからやり直せばいいのよ!」
とにかく呼んでくる! と言い残し、千里は猛然と山道を駈け下っていく。
「……行ってらっしゃい」
と晴美は千里の背中を見て呟いた。
「あ、あの!」
咲は千里が突然、以前の――スコップを持って暴れていた姿に戻ったような気がして
呆気にとられていたが、とにかく千里の後を追おうとして、
「大丈夫だよ、放っておいて」
という晴美の言葉に立ち止まる。
「大丈夫なんですか?」
「ああなっちゃったら、誰が何言っても止まらないから。本人の気のすむようにしないと」
晴美はそう答えて苦笑を浮かべた。咲と舞は何となく晴美の両隣に座る。
舞が絵を描くときにはすっかり絵の世界に入り込んでしまっていて
周囲の音が耳に入らなくなるのだが、藤吉晴美の場合にはある程度なら会話をしながらでも
手を動かせるようだったので咲は会話を続けてみた。

「千里さんとは昔から友達なんですか?」
「うん、小学校の時から」
晴美は大空の樹と自分の絵とを見比べては線を何本も描き足していく。

「千里の家は昔引っ越しが多くて、私の通う小学校に千里が転校してきたのが最初。
 千里、転校多かったし融通がきかない性格ってこともあって中々友達作ろうとしない
 子だったんだよね」
聞かれてもいないのに晴美はそんな風に話した。どこか懐かしそうな言い方だったので、
咲と舞は黙ってその話を聞いていた。
「小学校の頃は、私、『クラスの皆と仲良くしましょう』っていう大人の言葉を
 真に受けるくらいにはいい子だったから、千里とも一緒にいるようになって、
 それで何となくね、今まで学校が一緒で」
「あの」
今度は舞が口を開いた。舞は先ほど、まるでスイッチが切り替わったかのように
千里の様子が変わったのが気にかかっていた。
「千里さんが言っていた、『先生』というのは……」
「あ、うちのクラスの担任。千里、先生のこと好きだから」
晴美はあっさちそう言ったが、先ほどの千里の態度からしてその『好き』は
ただの憧れや尊敬と言った感情ではないのだろうと咲と舞は感じ取った。

「素敵な先生なんですね」
舞がそういうと、「うーん?」と晴美は首を捻る。
「素敵……かなあ? どっちかって言うと、ダメダメな感じだけど」
そうなんですか、という以外に咲と舞には言葉がない。駄目な人に惹かれる人がいるというのも、
二人にはよく分からなかった。総受けキャラとして漫画に出すには最高だけどね、
と晴美は咲と舞には更によく分からないことを呟いてから、

「まあ、千里は難しいんだけどね……相手が相手だし」
ぽつぽつと晴美が言葉を落とす。「相手が相手」という言葉を咲と舞は「相手が
教師だから」という意味にとった。
特殊な環境でもない限り、教師と生徒の恋愛はハードルが高い。
「でも、卒業したら……」
咲がそう言いかけると、晴美は意外そうな顔でスケッチブックから顔を上げたかと思うと
ぷっと吹き出した。
「違う違う。教師だからって問題じゃなくて、もっと根本的に、人間としてね」
そうなんですか、とまた咲と舞は答えた。
「先生、もてるし。クラスの大抵の女子は先生のことが好きだからライバルも多いしね」
凄い話だと咲と舞は思った。夕凪中にはそうした女子生徒の人気の的になるような
先生がいないこともあり、どこか夢の中の話にも思えた。

「それに、千里が押してばっかりだからね」
え? と咲が聞き返す。
「千里って融通がきかなくてとにかく直進するから……。押してばっかりで。
 恋愛って押すだけじゃなくて時には引くことも大事じゃない?」
咲と舞は曖昧にうなずいた。二人ともまだ恋愛らしい恋愛をしたことがないので、
実際のところよく分からないのである。
ふふ、と晴美は笑う。

「私ね、今は昔みたいにいい子じゃないから。『引いた方がいい』って千里に
 言ったりはしないんだ。だってそんなの千里らしくないし。
 自分を曲げる千里なんて見たくないしね」
冗談めかして晴美はそう言う。彼女がこぼす笑みはどこか自嘲的で、
咲と舞は何も言えなかった。
しばらくして、晴美はスケッチを描き終えた。

藤吉晴美の誤算は、この辺りでは携帯電話の電波がほとんどつながらないことだった。
絵が終わったら適当に千里と連絡を取って、と思っていたのだがこれでは仕方がない。
咲と舞にPANPAKAパンまで案内してもらい、行きの電車で千里がきっちり数え上げたように
チョココロネを5つ買うと、晴美は両手に荷物を持って駅へと向かう。
「千里さん、大丈夫なんですか?」
咲が心配してそう尋ねると、「うーん」と晴美は答えた。
「携帯がつながるところまで行ったら電話してみるよ。すれ違っちゃいそうだけど……、
 まあ、千里だって一人で何とかできるしね」
今日はいろいろありがとう、と駅に着いたところで晴美は咲と舞に振り返った。
「今度は二人でパンを食べに来てくださいね」
咲が愛想よく誘う。咲の家の店であるPANPAKAパンには、買ったパンをその場で食べられる
スペースもあるのだ。
「そうだね、千里と一緒に……」
晴美がそう答えていると、帰りとは逆方向の列車が来た。駅に止まった列車は乗客を
一人降ろしてまた走り去った。

「晴美!」
「えっ……千里!?」
ホームに立つ千里の姿に晴美は驚いた。行って戻ってくるには早すぎるだろうと
いう気がしたし、先生もそばにはいなかった。それに何より、千里は額に大きな
絆創膏を貼っている。

「……その怪我、どうしたの?」
「先生をここに連れてこようとしたらまといちゃんに妨害されて」
そういうことか、と晴美は思う。常月まといは二人のクラスメイトであり、やはり
先生に熱を上げているのである。千里が「強い絆で結ばれるために」先生をここに連れて
来ようとしているのを知ったなら全力で阻止しようとするだろう。
千里は駅から一旦外に出てきた。
「……にしても、戻ってくるの早くない?」
「約束したでしょう、パンは私が持つって」
千里は晴美の手からパンの袋を半ば取り上げるようにして自分で持つ。
それにしたって早すぎるって、と晴美は思ったが、
――まあ、千里だから。
と思うことにした。千里は時折人間離れしたことをする。
「今日はありがとう」
千里の方はというと、咲と舞に目を向けてお礼を言っていた。いえその、と咲が答える。

「あの……がんばってください」
咲は思わず、そう言っていた。「何を?」と千里が尋ねる。
「えっとその……色々と」
曖昧なその答えに、「そういうことはきっちり具体的に」と千里は更に問い詰めようとしたが、
「ほら千里! 列車くるよ!」
と晴美が駅の中へと千里を引っ張っていく。ほどなくしてやってきた列車に乗って、
二人は夕凪町を後にした。

 * * *

「何か、難しかったね」
列車を見送ってからため息とともに咲が呟く。
「そうね……」
舞も何か考え込んでいるようだった。咲の鞄につけた携帯電話のようなものが
突然ぴょんぴょんと動いたかと思うと、
「ラピ」
と花の精フラッピが声をあげる。
「フラッピも、引いてみた方がいいラピ?」
「あのねえ」
咲は苦笑した。
「フラッピはそもそも押しが足りないじゃない!」
「でも、さっきの人は『引くのが大事』って言ってたラピ」
「さっきの人は押してばっかりだからたまには引いた方がいいって話だったんだよ!
 フラッピはまず、押すところから始めないと!」
「ラピ……」
痛いところをつかれた、というようにフラッピの声が小さくなった。
それにしても、と咲は思い、橙色に染まった空を見上げる。

「押したり引いたりって、難しそうだよね」
将来、大人の恋愛をするようになったらと咲はそんなことを思っていた。
「咲は」
ずっと考えていたことを披露するかのように舞が口を開いた。
「咲らしくしていて、そんな咲のことを好きになってくれる人がいいと思うの」
「え……そう?」
咲が目をぱちくりさせるのに舞はうなずく。
「押すとか引くとか考えなくても、そのままの先を好きになってくれる人がいると思うの」
えへへ、と咲はその舞の言葉を聞いてはにかんだように笑った。
「そんな人いるかなあ」
「ええ、きっと」
舞は静かに、そう保証した。
ぷうん、と咲と舞のもとに光の珠が飛んでくる。
「チョピッ!」
それはぽわんと音を立てて、鳥の精チョッピの姿になった。真っ白なぬいぐるみのような
ふかふかの身体が舞の腕の中に収まる。

「チョッピ! どうしたの?」
「フラッピが遅いから迎えに来たチョピ! 大空の樹の所に知らない人がいたから、
 見つからないように樹の中に隠れてたチョピ!」
チョッピが舞に応える声を聞いて、フラッピもぽんと元のぬいぐるみのような
姿に戻った。
「チョッピ、フラッピのこと探しに来てくれたラピ?」
フラッピの声がはずんでいる。チョッピは元気よく、
「そうチョピ! ムープもフープもみんな待ってるチョピ!」
と答える。
「そ、そうラピ……」
とフラッピのテンションは下がる。咲も舞も思わず笑っていた。

 * * *

「ん?」
その夜、撮影した写真を見ていた藤吉晴美は思わず首を傾げていた。
撮った時には気づかなかったのだが、大空の樹のうろのなかに小さな白い丸いものが写っている。
ぼんやりとしていて何かはよく分からない。

――心霊写真かな。
晴美はそう思い、千里ならこういうのも鑑定できそうだから明日よく見てもらおうと考えていた。

-完-

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