「へえ、このミュージカル?」
ナッツハウス。かれんはうららから見せてもらったチケットを手に持ち
ひとしきり眺めた後、はい、とうららに戻す。
「かなり名作と言われている作品よね。チケットを取るのも大変って聞いた気がするわ」
こまちがうららに確かめるように尋ねると、
「そうなんです!」
うららは少し興奮気味に答えて話を続けた。
「いい物を見るのも勉強だからって鷲尾さんが苦労して取ってくれたんです」
「へえ……」
嬉しそうなうららを見ていると自然にかれんとこまちの口元も緩む。

「劇場が少し遠いので、もうすぐここを出なくちゃいけないんですけど」
少し残念そうにうららは言った。今日はのぞみ達二年生が遅くなりそうなので、
会えないのが残念らしい。
「大丈夫よ、ナッツハウスは。私とこまちで店番しているから」
「ええ。お願いします」
やがてうららは迎えに来たマネージャーの車でナッツハウスを後にした。



劇場までは自動車で二時間弱。うららが到着した時には開演までまだ少し時間があった。
鷲尾さんが手配してくれた席は二階のS席。出口にも近くてトイレにも行きやすい。
パンフレットを購入、トイレにも行って準備万端。ふかふかの椅子に深く腰掛けて
快適な時間を過ごしながらうららは幕が上がる時を待つ。
初めは少なかったお客さんの数も開演が迫るに連れて加速度的に増えてきた。
みんなが静かにしようとしているのにざわめきだけはどうしようもなく劇場の中に響いている。

しばらくしてうららが時計を見ると、開演まではあと五分。
見渡す限りほとんどの席が埋まっている。――いや、例外がごく身近にあった。
うららの隣から続く三つの席だけはまだ空いたままだ。

急用か何かで来れなくなったのかなとうららはぼんやり考えた。勿体無い、とも思う。
確か今日のチケットは完売のはずだ。

劇場内が暗くなった。待ちに待った舞台が開く。うららは思わず身を乗り出した。
――と、突然の雑音に集中力が途切れた。隣から続く席に三人の女性が駆け込んできて
座ったのだ。もう始まってるのに、とうららは少し不快に思った。
だが、駆け込んできた女性たちの方はというと座った途端に舞台に集中し始めたように
見える。うららも舞台の方に集中することにする。
最初の曲が流れ出してきていた。


幕間。

うららは第一幕の余韻にふけりながらフラフラと泳ぐようにしてトイレに向った。
うららの席から一番近い場所にあるトイレはあまり人が来ないらしく空いている。
洗面台の鏡の前に隣の席に座っていた女性がいるのにうららは気づき、軽く会釈して
通り過ぎようとして思わず足を止めた。

――トリニティの人!?

劇場内では薄暗くて気づかなかったが、今ここでこうして見れば間違いない。
人気ダンスユニット、トリニティのミユキに違いない。ということは、
あの三つの席にはトリニティの三人が座っていたということだ。

「あ、さっきはごめんなさい。始まってから騒がしくしてしまって」
うららが自分を見ているのに気づいたミユキが軽く会釈する。

「いえ……」
うららも軽く会釈を返し、「あの、トリニティのミユキさん……ですよね?」と尋ねる。
「ばれちゃった?」
ミユキは軽く笑った。
「あ、ごめんなさいお忍びで来てたんですか?」
「ううん、そういうことじゃないわ」
ミユキは軽く手を振る。
「これも仕事の一つだし」
「仕事ですか?」
「そうよ。ミュージカルみたいな、いつも私たちが踊っているダンスとは少し
 ジャンルの違うものを観るとすごく参考になることがあるの。
 だから仕事の合間にできるだけ観るようにしているのよ」
「……そうなんですか」
腑に落ちた。彼女たちが時間ぎりぎりに来たのは、きっとどこかで仕事を
終えてきたからだ。このミュージカルが終ればまたすぐに次の仕事が待っているのかもしれない。
それは売れっ子の宿命だ。
だが、そんな中でも貪欲なまでに何かを学ぼうとしているミユキたちの姿勢が眩しい。

「……あなた、どこかで会ったことあったかしら?」
突然ミユキが首を傾げた。うららを見ていて何か思い出すところがあったらしい。
「あっあの! 私も女優として働いてるんです!」
「え? じゃあ、ドラマか何かであなたのこと見たのかしら」
「……まだ、あんまり色んな作品に出ているわけじゃないんですけど、でもいつか皆に
 観て貰えるようなお芝居をしたくて……」
うららの声が小さくなる。分野が異なるとはいえ、トップに上り詰めた人に
自分の事を話すのは少し恥ずかしい。
ミユキはそんなうららの肩にぽんと手を置いた。

「素敵な夢ね」
「……ありがとうございます」
「真剣に取り組んでいれば、きっとかなうわ。あなた、すごくいい目をしてるもの」
ミユキの顔がうららの頭の高さにまで降りてくる。
えっと思う間もなく、ミユキの唇がうららの額に触れていた。

「……」
ぽかんとミユキを見つめるうらら。ミユキはその様子を見て苦笑すると、
「おまじないよ。頑張ってね」
と手を振り、トイレから出て行く。

「……」
しばらくうららは呆けたようにミユキの出て行った方を観ていたが、「あっ!」と
第二幕まであまり時間がないことに気づくと慌てて用を済ませ、座席へと戻った。

-完-

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