水無月かれんには青いドレスが良く似合う。と最初にかれんに言ったのは誰だったか、
たしか中学生のときか高校生のときの友人の誰かだったと思う。
貴族の邸宅としては中規模の水無月邸で今日もかれんはお気に入りの水色の
ドレスを身に纏い、じいやが先ほど持ってきた手紙をチェックしていた。

かれん本人に宛てた手の込んだ広告、両親に宛てた広告や仕事の手紙はある。
だが肝心の手紙はない。かれんは頬に手を当てるとふっとため息をついた。

手紙でなくてもいい。何らかの形で連絡がありさえすればいい。
誰か人づてに話を聞くのでも構わない。
春日野うららからの連絡が途絶えて約一ヶ月。かれんの焦りは濃くなってきていた。

――また私は……、
友達を失いつつあるのかもしれない。かれんは机に向かったまま額に手を当てて俯いた。
だがその考え事も長くは続かなかった。家の周りでの耳慣れぬ物音にかれんは立ち上がると
レースのカーテンを開け外の様子を窺う。

――あれは……!?
特殊治安維持部隊――軍の中でも国内の安定を担当する部隊の制服を着た者たちが
水無月邸を取り囲むように集まってきている。かれんは祈るように胸の前で手を合わせた。
彼らがこの家に来ることに心あたりはあった。
すぐに玄関の方から慌しく乱暴な声が聞こえてくる。来客への応対は執事の坂本の
仕事であるが、かれんは今日ばかりはすぐにドレスを翻しながら玄関へと向かった。

「そのようなことはありえません。お引取りください」
坂本の――じいやの、落ち着いた声が聞こえてくる。邸宅の中に乗り込んできたのは
隊長か何かと思わせる制服を着たトカゲのような目をした男とあと二人。
「我々は本人を連れて行かなければならない。本人が出てこないなら強制的に
 邸内を捜索するが?」
「待って! 何の話!?」
隊長らしき男はおや、と近づいてきたかれんを見た。
「水無月かれん?」
「水無月かれんは私よ」
そうか、と隊長は部下の方に右手を出した。部下が何かの書類を手渡す。
隊長はその紙をかれんの目の前に突きつけた。
「水無月かれん。国家反逆罪の容疑でお前に逮捕状が出ている」
「かれんお嬢様がそのようなことをするなどあり得ません」
かれんの横からじいやが反論した。
「……私が話すわ」
とかれんはじいやを下がらせる。
「どういった容疑かしら」
「反政府組織に最近潤沢な資金が渡っている。その資金源がこの水無月家だと
 考えられている」
「……証拠でもあると?」
ふっと男はトカゲのような目を細めた。
「反政府組織の一員が吐いた。春日野うらら……お前とは昔からの知り合いらしいな」
かれんはぴくりと眉を動かした。恐れていた最悪の事態が起きていたらしい。
「もういいだろう。弁明は部隊本部での取調べのときに聞く」
「お嬢様……」
じいやはまだ何とかしようとしていた。かれんを行かせまいとしていた。
だがかれんは、既に覚悟を決めていた。
「じいや。私がいない間、家をお願い」
そう言って隊長の方へと一歩を進める。彼は軍服のポケットから手錠を取り出した。
「……手錠を?」
「容疑者逮捕時の規則だ。貴族のお嬢様だからといって例外は認めない」
かれんはちらりと横目でじいやを見た。彼は見ていられないというように目をそらした。
家族がすぐそばにいることに少しくらい気を遣ってくれてもいいのに、とかれんは思った。

――いつからこの国はこんなになったのかしら……
護送される車の窓に流れていく風景を見ながらかれんは思った。
両脇は治安維持部隊の隊員で固められている。
少なくとも、かれんが小さな頃はまだこんなではなかった。少しずつ変わり始めたのは、
今の政権を樹立した者たちが政治の世界で力を握るようになってきてからだろう。
その頃から始まった戦争はまだ終わっていない。
厭戦気分の蔓延している昨今、そろそろ戦争を終わらせるための議論が政府内で
行われてもいい頃だ。
だが、事実上独裁政権になっている現在、そうした議論が行われる気配はない。
国民が政府に対する抗議活動を行うのも当然だ――そして、政府がそれを
反政府活動として糾弾するのもまた必然だ。

傍から見れば現在の体制はもう限界だ。あと十年か二十年もすれば必ず状況は変わっているだろう。
だが国の中にいるかれん達には十年二十年は長すぎて待ちきれない。
かれんの中学・高校時代の友人達、のぞみやこまちやうららもいつしか
反政府的な活動を始めるようになってきていた。かれんもそれを援助していた。
今回の逮捕は何かの間違いなどではなく、いつか来るはずのことが今起きたに過ぎなかった。


「ここだ」
治安維持部隊の本部は無機質な外観である。かれんはその中の一室に通された。
部屋は狭い。窓はない。ベッドが一つあるきりだ。隊員の一人がかれんに銃を向けている間に、
もう一人の隊員がかれんの手錠を外す。
「……取調べは?」
「その時に呼ぶ。ここで待っていろ」
無愛想に答えると、隊員たちはドアの外に出て行った。外側から重い鍵をかける音がする。
つまりここは独房だった。
――うららもここに来たのかしら……、
部屋の中にはベッドのほかに何もない。前にここに入った人がどういう人かを示す
手がかりもなかった。
独房はここ以外にも何室かあるだろうから、うららがこの部屋に入れられたとも
限らない。
――うららだけは何とかして助けないと……
どうすればいいかはまだ分からない。だが、うららをどうにかして助けたい。
そのためにはうららが今どうなっているか、情報が必要だ。
一番情報が得られそうなのは――取調べの時だ。かれんはその時を待っていた。

十分過ぎるほどの時間が経過した後、かれんは取り調べに呼ばれた。
再び手錠を掛けられ長い廊下を歩く。ある部屋の扉の前で兵士二人は立ち止まった。
「失礼します。連れてまいりました」
部屋の中にそう声をかけ、扉を開く。背中を銃で押されるようにして
かれんは部屋の中に入った。
「ご苦労」
部屋の中は暗い。窓のそばに置いた机の向こう側に一人、この兵士達の上官らしき
人がいる。思ったより背は高くない。かれんと同じかそれより低いくらいだ。
声からしても恐らくは女性だ。窓を塞ぐカーテンの隙間から差し込む光が唯一の
照明であるこの部屋では彼女の顔は見えない。
「下がっていていい。後で呼ぶ」
兵士達を部屋の外に出させると、取調官は手元のスイッチを押した。
突然降り注いだ光にかれんの目は一瞬眩んだ。机の左側に置いてある照明が
まばゆく輝き、部屋の中でかれんだけを照らし出す。
取調官はというとドアに鍵をかけ、かれんの後ろに回りこむと腕を伸ばして手錠を外す。
手錠くらい外したって逃げられはしないということね、とかれんは思った。

「水無月かれん。国家反逆禁止法違反の容疑で逮捕――」
取調官は机の後ろに戻るとその上にあった書類を読み上げた。え、とかれんは思う。
今の声には聞き覚えがあった。
「あなた、まさか……!?」
ブーツの音を立てて歩いてくると取調官はかれんの目の前に立った。
逆光気味ではあったが彼女の顔ははっきりと見えた。
「覚えてたんですね。私のことを」
「りん……!」
夏木りん。中学、高校時代を通じてのかれんの友人の一人。だが彼女は高校を卒業すると
同時にかれんの前から姿を消した。
「今までどこに行っていたの!? ずっと……ずっと探していたのよ。
 妹さんも弟さんも、あなたがどうしているのか教えてくれないし……」
りんはそれを聞くと薄い笑みを浮かべた。かれんにはりんの目に宿った光が
ひどく虚無的に思えた。
「あいとゆうは、私との約束を守って言わなかったんですね」
「そ、そうよ……絶対に言ってくれなかった。……今までどこに!?」
「あいとゆうは私より勉強が好きです。だから二人は大学に行かせたかったんです。
 うちの店、私が高校の時くらいから経営が厳しくなっていたのはかれんさんも知っているでしょう?
 何事も倹約倹約って世相になると花屋ってのはなかなかね」
「私に相談してくれれば……私に相談してくれれば、妹さん達の学費くらい何とかなったのに」
「理由もなくお金なんて受け取れませんよ、かれんさん。高校を卒業してすぐ、
 軍に入ったんです。軍ってのは危険な場所にいるほど給料が高くなる組織で……、
 最前線にいました。半年くらい前までね」
今はどうして、と聞きかけたかれんに先回りするようにりんは軍服の詰襟を
指で軽く押さえる。首の右から肩にかけてケロイド状の傷跡が見える。かれんは思わず
目をそらした。
「爆発に巻き込まれたんです。もう少し場所が悪かったら死んでたそうですけど」
りんは自嘲気味に笑うと、襟から手を離した。傷跡が隠れる。
「しばらく入院して、特殊治安維持部隊に配属になりました。
 怪我する前と比べると手の動きも良くはないですし、前線では使えないと
 判断されたんでしょうね」
「……」
かれんはりんに何と言っていいのか分からなかった。
「もう私の話はいいでしょう。かれんさん、あなたの話を聞かせてください。
 あなたはどれだけの名前を知っているんです?」
「名前?」
「反政府活動に関わっている人の名前です」
りんの目はかれんを見ているようで、どこか遠くを見ているようにかれんには感じられた。
口をつぐんだままのかれんをしばらくりんは見ていたがやがて、
「教えてくれないんですね」
と呟く。
「りん、あなただって何も教えてくれなかったじゃない。
 あなたが何を考えているのか、何をしようとしているのか」
「国家反逆罪に対する刑は重いんですよ、かれんさん。
 刑を軽減するためには一つしか方法がない――仲間の名前を売ることです。
 これまでに捕らえられた人たちも、ほとんどそうしてきましたよ」
「私がそんな取引に応じるとでも?」
あくまでも気高くかれんが答える。その姿はこの場所にあっても、
誇りを失っていなかった。
「強情なんですね。昔と変わらない」
「当然よ」
「うららも……強情でしたね」
りんが薄く笑みを浮かべる。かれんの全神経が一気に研ぎ澄まされた。
「うららもあなたが取り調べたの」
「ええ。うららには手を焼きました。うらら一人であんな活動ができるはずはないのに、
 協力者は誰もいない、自分ひとりでやったことだって言い張るんですから」
「りん……」
「あの可愛い顔を傷つけるって脅しても言おうとしないんだから笑いましたよ」
「りん! あなたうららに何をしたの!」
りんは答えなかった。代わりにホルスターから拳銃を抜くと、かれんに突きつけた。
冷たい金属がかれんの額に真っ直ぐに押し付けられる。
「立場を弁えてもらえませんか。あなたは容疑者で私はあなたを取り調べているんです。
 たとえ今あなたがここで死んだとしても、法的には私には何の責任もない。
 法律がそういう風になってたんです。私が戦地に行っている間に」
かれんが口をつぐむとりんも銃口を下ろした。
「でもやっぱり」
かれんから離れ、机の向こう側へと回りながら呟く。
「かれんさんも少し痛い思いをしないとと何も話してくれなさそうだ」
机の上に置いてあるマントのようなものをばさりと窓枠に掛けるとスイッチを操作して
照明を消す。一瞬にしてあたりは闇に包まれた。細く開いたカーテンから
光は差し込んでいるのだが、まぶし過ぎるほどの光に慣れたかれんの目には
その光は弱すぎた。りんは音もなくかれんの後ろに回りこむ。
「りん、何を……」
聞く間もなく、かれんはりんの両腕に背後から捕らえられた。
数年会わないでいた間にりんの腕はかれんが覚えていたよりずっと逞しくなり
かれんに抗う隙を与えなかった。
「りん……!」
叫ぼうとした口はりんの掌に塞がれる。りんはかれんの身体を抱きかかえたまま
部屋の隅にあるベッドのような家具の上に背中から倒れこんだ。
はずみでかれんの靴が脱げ裸足になる。
「静かにしてください、かれんさん……」
かれんの口を手で覆ったままりんが耳元に口を寄せて囁く。
「あの窓枠に隠しカメラがあるんです。マイクもあります。
 余計なことをマイクに拾われないように」
りんはそっとかれんの口から手を離した。その腕は再びかれんの身体を抱く。
数年経つ間にかれんの身体はずいぶん華奢になったようにりんには感じられた。
「どういう……こと?」
当惑してかれんがりんを見る。暗くて良くは見えないが、りんの目には
昔の彼女と似た光が宿っているように思えた。
「逃げてください、かれんさん。治安維持部隊に話は通じません。分かったでしょう?」
「逃げるって……でも私はうららを置いては……」
「うららも逃がしました」
りんの囁きにかれんの目が大きく見開かれる。
「パルミエに行ってください。くるみがいます。うららも先に行っています。
 どうせ、のぞみやこまちさんもあなた達と一緒に活動しているんでしょう?
 みんなと、みんなの家族を連れてすぐに逃げてください。
 今夜、あなたをここから逃がします。
 それまでにどういう手順でみんなを連れて国を出るか、考えておいてください」
美々野くるみはかれんやりんと同じ学校時代をすごした留学生だ。今は母国である
パルミエ王国に戻っている。
「どう……して……?」
「この国はもう駄目です。でもこの国を変えるにも、中から変えるのは危険すぎる。
 外から変える方法を考えるべきです」
「りん……」
かれんは腕を伸ばした。手がりんの頬に触れる。かれんはそっとりんの頬を撫でた。
「あなたはやっぱりりんなのね。本当に……」
「本当ですよ」
「さっきまでの演技は真に迫っていたわ。嘘をつくの、下手だったくせに」
「必要に迫られればこのくらいは。……ああ、もう一つ言っておくと。
 うららはかれんさんを売ってはいませんよ。……私からかれんさんの名前を出しました。
 そうしたら泣き出して、それで確信が持てました」
「どうして私の名前を出したの?」
「かれんさんをここに呼びたかったんです。このくらいのことをしないと、
 国外に逃げてはくれないでしょうから」
「……」
りんはかれんを抱いている腕に力をこめ、顔をかれんの後頭部へと押し付けた。
「……かれんさん、痩せましたね」
「昔みたいに、毎日笑っていられるような生活じゃないから……」
「そう……ですか……」
かれんの髪の匂いがすうっとりんの胸の中に吸い込まれていく。
久しぶりだとりんは思った。この上品な匂いを嗅いでいると気持ちが落ち着く……
やがてりんは手を離した。
「かれんさん。一つだけ、許してください」
「えっ?」
何を言っているのかと聞き返す前に、パンと乾いた音とともにかれんの頬に痛みが
走った。平手で打たれたのだと理解するのに一瞬かかった。りんは乱暴にベッドから降りると
照明のスイッチを入れ、窓枠に掛けていたマントを外す。それからかれんを強引に
照明の明かりの中へと引き立て、頬の腫れたその姿をカメラに見せると再び歪んだ笑いを浮かべた。
「明日またお話しましょうか、かれんさん」
「連れて行け」と部下を呼び出し、「忘れ物ですよ」と先ほど脱げたかれんの靴を
投げてよこし――かれんは再び独房に戻された。


夜が更けた。独房の中も冷えてきた。わずかな靴音と共に誰かが近づいてくる。
かれんは息を殺して彼女を待った。静かに鍵を外す音に続き、扉がゆっくりと開かれた。
「かれんさん」
「りん……」
伸ばしてきたりんの手につかまり、かれんは外に出る。りんは前と同じように
鍵をかけた。
「こっちです。大きな音を立てないように気をつけて」
りんに案内され、かれんは治安維持部隊本部の地下道を通って外に出た。
「ここは?」
「かれんさんが入ってきた玄関口のちょうど裏側ですよ」
「ああ……」
ぐるりと辺りを見回し、かれんは自分の現在の位置を把握した。
「かれんさん。後は自分でやってください。のぞみやこまちさんのことも。
 すぐに逃げないと、間に合いませんよ」
私はこれで。りんはそう言ってもとの道に戻ろうとした。だがかれんはその手を掴んだ。
「……何です?」
「りん、あなたも一緒に来なさい」
「私は……」
行けません。りんは俯いて首を振った。
「りんの家族も連れて行くわ。うちの車を何台か出せば全員乗せられるから。
 あなたも来なさい、りん」
「……こっちでの後始末もありますから。私には。
 私がここにいれば、多少なりとも時間も稼げますし」
「私に分からないとでも思ってるの?」
かれんは詰問口調でりんを見下ろした。
「うららも、私も。あなたに取り調べられた二人が次々に逃げ出して、
 あなたが無事でいられるはずがないでしょう。
 りん。私は本当にあなたのことをずっと探していたのよ。
 必ず、いつか会えると思っていた。でも……」
かれんの左手がりんの首筋に伸び、襟に隠れた傷跡にそっと触れる。
りんはわずかに身を震わせた。
「本当に、あなたのことを失いかけていたなんて……
 もう二度と会えなくなるかも知れなかったなんて……、」
「……」
りんは口を噤んだ。かれんは傷跡から手を離すと、りんの手を握っている右手に
力を込めた。
「私はあなたの手を絶対に離さない。行きましょう、りん」
二人は手に手を取ったままその場から離れた。治安維持部隊が気づいたときには
水無月家も夏木家も、彼らと親しかった夢原家も秋元家も、もぬけの空であったという。

-完-

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