ナッツハウスの前の湖は朝日を反射して白く輝いていた。

「お〜」
登校前にナッツハウスに寄ったのぞみとりんが感嘆の声をあげる。
二人の吐く息も白い。昨日の夜はすっかり冷え込んだのだが、
その効果で湖は完全に凍り付いていた。

「なにやってんのよ、のぞみもりんも」
ナッツハウスから出てきたくるみは湖の前にぼんやり立っている二人を見て
咎めるように言う。

「おはよーくるみ、氷張ってるんだよ」
「氷?」
くるみはきょとんとした表情を浮かべたかと思うとのぞみを押しのけるように
二人の間に割って入り、白い湖面を見て「えっ!」と驚きの声を上げた。
そのまま湖に駆け寄ると屈みこんでおそるおそる手を伸ばして握った手で湖面をこんこんと叩いてみる。
湖面はしっかりと凍り付いたまま、ぴくりともしない。
少し押せばすぐにでも割れてしまうような薄い氷が張っていたこともあったが、
こんなに厚い氷が張ったのは初めてのことだった。

「くるみも初めてなんだあ、こんな風に氷が張ったの見るの」
のぞみはきゅっとマフラーを締めなおす。
「そうよ、今まではすぐ割れてしまうような氷だったもの。こんな白いの見たことないわ」
「こんなだったらスケートだってできそうだよね」
「スケート?」
くるみは立ち上がるとりんの方を振り返る。
「テレビで見たことない? スピードスケートとかフィギュアスケートとか!」
のぞみはくるんとその場で一回転してよろけそうになったものの何とか持ちこたえた。
「見たことはあるわよ。でも、あのスケートリンクの氷ってこんな感じなの」
屋内の競技かと思ってた、というくるみに、
「雪国だと池や湖に張った氷でみんなスケートしてるって聞いたことあるよ」
とりんが答える。
くるみが鞄を持ち直すと、それが合図になったように三人は学校に向かって歩き始めた。

のぞみは突然いいことを思いついたように表情を明るくしたかと思うと、
「あ、じゃあ、今度みんなでスケートリンク行ってみようよ! けってーい!」
と人差し指を突き出した。

 * * *

ということで、次の日曜日にのぞみ達六人は近くにあるスケートリンクに遊びにやってきたのである。
休日ということもあってスケートリンクは混雑していたが、滑ることはできそうだ。
一同の中で完全に初めてなのはくるみだけで、靴の選び方からかれんに手取り足取り
教えてもらっている。

「そういうかれんはレンタルしないの?」
カウンターのお姉さんにくるみの靴だけを頼んで自分の靴を頼んでいる様子がない
見てこまちが尋ねると、
「私は自分のを持ってきたから」
とかれんは手にしていたバッグからスケート靴を取り出した。
何度か履いた跡のあるそれには側面に「Karen」と名前が刺繍してある。
ロッカールームで荷物を預けてスケート靴を履く時には、かれんはくるみの
右足の靴ひもを結んで見せた。

「分かる? くるみ。こんな風にして結ぶの。中で足が動いたら危ないから、
 ゆるくしたらだめよ。痛くない程度できつめに」
「分かったわ」
「左は自分で結べる?」
「ええ、ありがとうかれん」
かれんはくるみの隣のベンチに腰を下ろすと自分の靴を履き始める。
その様子は手早いもので、慣れていることを感じさせた。

「のぞみ、あんたこんなんでいいでしょ?」
「りんちゃんありがとう!」
向こうの方から聞こえる声からすると、のぞみもりんに紐を結んでもらっているらしい。
のぞみは初めてじゃなさそうだったのにとくるみは思っていたのだが、
人のことは言っていられないと先ほどのかれんの手つきを思い出しながら
左の靴の紐を結ぶ。結びあがった靴の中で足を動かしてみると右側より少し
ゆるく感じたので一度ほどいてもう一度結びなおしてみる。
すでに自分の靴を履き終えたかれんはのぞみたちの様子を見に行っていたが
また戻ってきて、
「履けた?」
とベンチに座るくるみの顔を覗き込んだ。
「ええ、たぶん」
くるみは大きくうなずくと勢いよく立ち上がろうとして、
「わっ!」
とバランスを崩しかける。
「初めてなんでしょう?」
かれんはくるみの身体を支えながら「無理しちゃだめよ」と笑った。


それでも、普通の床を歩いている分には刃が床に引っかかっているからまだいい。

「おおお〜……」
のぞみは混んでいるリンクの上へと一番手で降りて行ったが、二、三歩と歩いたかと思うと
「おおっととと!」
と派手に転んだ。
「のぞみさん!」「のぞみ!」
りんとうららがあわててリンクに駆け出していく。
りんはリンクに降りた途端にすいすいと滑り始める。スケートが全然苦にならないようだ。

うららは多少よろけたものの、こちらもやがて安定して滑り始めた。
最近はスケート人気が高いのでドラマなどでそういったシーンが出てくることも多く、
仕事の関係で少し練習したそうである。
「のぞみ、大丈夫なの?」
顔から転んだのぞみをりんが引っ張り上げる。
「ううう〜……痛い」
「のぞみさん大丈夫ですか?」
うららが差し出した手にのぞみは掴まると、
「うん、だいじょう」
大丈夫、と言いかけてまた大きくバランスを崩しかけたのぞみを
今度はうららが支え、
「のぞみさん、ゆっくり滑りましょう」
とりんと二人で壁際を滑って行く。あらあら、とこまちは笑ってそれに続いた。

そして、くるみは。

リンクには降りたものの、壁にしっかりとしがみついて手を離さない。
かれんはその後ろにいささか呆れ顔で立っていた。

「くるみ?」
「こ、こんなの絶対おかしいでしょ! こんな靴で氷の上に立てるって!」
くるみは顔を真っ赤にして壁にしがみついている。ちょっとでも手を放したら
バランスを崩して転んでしまうと確信しているかのようだ。
実際、のぞみが転びそうになって騒いでいる声は先ほどから何度も聞こえてくる。

「立てるわよ。くるみ運動神経悪くないんだからちょっとバランスに気をつければ」
かれんは何にもつかまらずに平然と氷の上に立っていた。
まるで普通の靴を履いてでもいるかのようだ。
「かれんは何回もこういうところに来たことがあるんでしょ」
くるみはそんなかれんに少しむくれる。
「そうね――、こんなに混んでいるところは初めてだけど。
 誰もいないリンクで滑ってることの方が多いかしら」
きっとそれは水無月家所有のリンクだろう。
そういうところでこっそり練習させてもらえばよかったとくるみは思った。

「……いっそミルキィローズに変身したら滑れるかも」
転びそうになったら華麗にジャンプしてごまかせばいいしとくるみはそこまで考えたが、
「だめ」
くるみの思いつきをかれんは言下に否定する。
「ほら、いつまでもそうやってたらいつまでたっても滑れるようにならないわよ?
 壁から手を離さないと」
「無理無理無理! 絶対転ぶから!」
却ってぎゅっと壁にしがみついたくるみを見てかれんは苦笑すると、
「ほら」
と手を差し出した。
「かれん?」
「私につかまっていれば大丈夫でしょ? さあ、くるみ」
「かれん!」
くるみは壁から手を放すと、一直線にかれんの手を目指してくる。
決して速くはないが、うまくバランスをとったその滑り方を見ていてかれんは
――放っておいても滑れるようになるんじゃないかしら。
とちらりと思ったがそんなことはおくびにも出さずにくるみの手を捕まえて、

「じゃあゆっくり滑るわよ」
とくるみの身体を支える。
「うん、かれん……ゆっくり、ね」
恥ずかしそうなくるみを見てかれんはわずかに笑いながら、
「大丈夫よ」とくるみに向き合って彼女の両手を持つと、
人の少ない隅の方で自分は後ろ向きに滑りながらくるみを滑らせる。

「ほー、かれんさんとくるみ本格的に練習開始だ」
りんとのぞみ、うららとこまちは丁度リンクの反対側の隅で一休みしていたが、
くるみがやっと滑り出したのを見てりんが声を上げた。

「なんか、くるみさんかれんさんに掴まらなくても滑れそうですけど」
うららが呟く。確かに、くるみの立ち方はしっかりとしていて、
かれんも手を添えているだけに見える。

「ねえ。あんな練習しなくても大丈夫そう」
「……自転車の練習だったら、後ろで支えているふりをしてこっそり手を放すものだけど、
 あの場合どうするのかしら?」
こまちの言葉に、さあ、とりんは首をひねった。
「かれんさんくるみの正面にいるからこっそり手を放すの無理ですしね」
「りんちゃん、行って来たら? 後ろから支えてあげるって顔してこっそり放すの」
のぞみはりんの肩につかまったままそんなことを言う。
「やだ。騙したってばれたらひどいことになりそうだもん。
 そういうのはかれんさんに任せて……てゆーか! あんたも
 いい加減一人で滑れるようになりなさいよ! ほら、手を放す!」
「えー」
りんは自分の肩の上ののぞみの手を無理やり引きはがそうとしたが、
「ちょちょちょ、りんちゃん、転ぶ転ぶ!」
のぞみはまた大きくバランスを崩した。


一方の、かれんとくるみ。くるみは今度は片手だけをかれんに預けて横に並んで一緒に滑ることにした。

「ほらくるみ、滑れてるじゃない。重心はこんな風にかけていくのよ」
見よう見まねで滑りながら、すいすい滑っている他の人にも混ざってみる。かれんと二人で。

――あれ、こういうの……

TVで見たことがある、とくるみは思った。確かフィギュアスケートの何かの競技で、
ふたりで滑るものがあるのだ。ペアとか、アイスダンスとか、そんな名前だった。
もちろん、TVで放映されるトップスケーターの演技と比べるのがおかしいほど
くるみたち二人の滑りはぎごちないものだったけれど。

――練習したら、かれんと一緒にあんな風に滑れるようになるのかしら。
TVの画面の中でくるくる回っていたスケートの選手をくるみは夢想した。
かれんと一緒に、すいすいと……

「わーっ! 危ない!」
突然ののぞみの声にくるみは現実に引き戻された。
後ろからどんとのぞみがぶつかってくる。
つられてくるみとかれんも思い切り転んだ。

「もう、なんなのよのぞみ!」
「ごめん、りんちゃんが一人で滑りなさいって言うから〜……」
「ちょっと、私のせい!?」
言い合っている三人に、「まあまあ」とこまちが割って入る。

「ちょうど、リンクの整備をするみたいよ」
こまちが指さしたリンクの隅では製氷機がうなり声をあげていた。

「一度あがりましょう」
一同はほかのお客さんたちに混ざってリンクの外に出ると、リンク横のファーストフード店で
ジュースを飲みお菓子を買って食べる。
店の中は同じようにリンクから上がった人でごった返していて、のぞみたちは
二手に分かれて席に座った。
くるみはかれんと一緒に、リンクを見下ろすカウンター席だ。
「かれん」
「なあに?」
グレープジュースを一口飲んで、かれんはくるみへと視線を向ける。

「整備終わったら、また一緒に滑ってね」
くすりとかれんは笑う。
「くるみ、もう一人でも滑れるんじゃない?」
「え、そんなことないわよ! かれんと一緒に滑りたいの!」
「はいはい」
かれんはそんなくるみの反応に吹き出しそうになるのをこらえながら、
「スケート気に入ったなら今度うちのリンクを使ってみる?」
と尋ねる。
「かれんの家の?」
「ええ。ここよりリンクは小さいけれど、人がいないからのびのび滑れると思うわ」
「行くわ! 行かせて」
くるみは即答する。
「それなら、今日これからまたたっぷり練習しておきましょうか」
大きくうなずいて、くるみは
「ええ、しっかり滑るわ」
ときれいになっていくリンクを見つめていた。

-完-

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