むき出しになったイースの腕を蛇のように蔦が這って行く。
先端についた小さな刺は彼女の腕にある一点を見定めるとぷつり、と白い皮膚に
喰らいついた。ごく微かに痛みが走る。赤い血が蔦の中に吸い込まれたかと思うと、
蔦は興味を失ったかのように彼女の腕から離れた。
「採血終わりました」
医療担当者が消毒薬を吹き付けた綿で彼女の腕を軽く押さえてテープで止める。
「検査結果は管理局のほうに転送しておきます」
「そう」

赤血球、白血球、血糖値、その他諸々のデータが彼女自身に知らされることはない。
採取されたデータはすべて管理局に送られ、そこで判断される。
健康体であると判断されればこれからの任務をそのまま続けることになるし、
何らかの病気であると判断されれば任務は中断、治療を受けることになる。
治療にかかるコストが高すぎると判断されればその時点で寿命は尽きる。

イースは自分が健康体であると信じていた。だから、検査結果に特に興味を覚えなかった。
これまでずっと、教えられたとおりの生活を送っている。完全に管理された生活を送って
いるのだから病気になどなるはずがなかった。

採血された医務室はラビリンス中心部に建つ高い塔の最上階近くにあった。
医務室から廊下に出ると、広い窓がついている。窓の向こうにすぐ目に見えるのは
メビウス城の威容だ。あの城はラビリンスのどこからでも良く見える。
メビウスの導きによりラビリンス国民が正しく生きていることの象徴とも言えた。

下に目を向けると、灰色の者達が蠢いている。――いや、彼女自身も少し前までは
あそこにいた。ラビリンスの一般人民だ。彼等がラビリンスを支えている。
適材適所という言葉はラビリンスにこそ相応しい。
各人は各人の能力を最も活かすことのできる仕事を与えられ、それが義務となる。
イースが現在パラレルワールドの侵攻部隊へと抜擢されたのも、彼女の能力が
それにふさわしいと判断されたからだ。

もちろん、判断したのは総統である。それまでずっと着用していた灰色のスーツに変えて
黒と赤を基調にした制服を支給された時には戸惑ったが、今ではすっかり慣れた。

健康診断に問題がなければ出撃となる。ラビリンスともしばらくの間お別れだ――だが
イースには、故郷を離れる者にありがちな感傷はなかった。
どうせすぐに任務を終了しここに戻ってくる。任務が終わった暁には、
どのパラレルワールドもここラビリンスと同じような世界になっているはずなのだ。
ポーン、と廊下に取り付けられたスピーカーが音を立てた。この世界では誰がどの場所に
いるかということも逐一管理されている。この場所にいるイースとコンタクトを取るため
に音が鳴ったのに違いなかった。
「……何か?」
スピーカーの横についている通話ボタンを押して話しかけるとクラインの声が聞こえてきた。
「ご連絡があります。地下三階の作業準備室までお越しください」
イースの返事を待たずにクラインは通話を切った。やや不快な気分になるが
やむを得ないので地下三階まで行くことにする。手近にある移動通路に乗ればすぐだ。

この建物は地上部分は医療センターとして機能しているが、地下には生殖センターが
設けられている。ラビリンスの全国民はかつてのように自然に任せた生殖は行っていない。

このセンター内で人工的な生殖作業が行われ、外で生活できるようになるまで――昔風の
言い方をすれば「お母さんのお腹から出てこられるようになるまで」この中で育てられる。
このセンターはある意味では全ラビリンス国民の誕生の地なのだ。もちろんイースもここで生まれた。

移動通路に乗っていると、現在位置を示すランプが適宜現れる。地下一階、二階……
と表示が変わっていった。各階ではそれぞれ数種類のタイプの国民が生み出されている。
今度の任務に共同で派遣されることになっているウエスターとサウラーはそれぞれWS型、
SR型だが彼らが生まれたのは地下二階であるはずだ。

各タイプにはそれぞれの特徴がある。WS型は力は強いが頭は弱い。SR型は頭は良いが力は
それほど強くない。社交性に問題がある。イースのES型は……、現在位置ランプが地下三階を示した。

地下階のほとんどの領域には人が立ち入ることはできない。
作業は原則として機械により行われる。
人が入ると衛生面の問題が出てきてしまうからである。
各階に設けられた作業準備室まで人間が立ち入り、機械の動作状況のチェックや
緊急時の判断を行う。

現在のところ、このシステムはまだ完璧ではない。生れてきた子が外界に出られるように
なるまで育つ確率は二分の一といったところか。その分を見越して、必要になる人数よりも
多めに誕生させることになっている。
増えすぎた人口は寿命の管理でカバーするのがラビリンスの現在の状況である。
まだシステムは改善の余地がある。この生殖・寿命の責任者がクラインだ。
彼が地下にいるのも、その仕事の為――のはずである。

イースは作業準備室に入ると整然と機械の並ぶ中を通り抜けてクラインの姿を探した。
作業準備室には生殖用の機械の動作を測定する種々のメーターや手動運転時に使用する
パネルが何枚も並んでいる。大きく開いたガラス窓からは実際の機械の動きを目視で
確認することができた。ここはES型の国民が生み出される階だ。
イースと良く似た性質を持つ国民が今も刻一刻と産まれ育っている。
イースはその光景を一瞥するとすぐに目を逸らした。
「ようこそ」
何かの作業を中断した様子でクラインがイースのところに近づいてくる。
彼女が見ているものを見やると、ああとクラインは声を上げた。

「ES型は優秀ですね」

そんなことは知っている、とイースは思う。かなり古くからあるWS型などとは違い、
ES型はごく最近になって確立されたタイプだ。これまでのタイプのいいところを
組み合わせた性質を持つように開発されている。基本的には冷静であるし、
任務を果たすために全力を尽くす。忠誠心で言えば各タイプの中でも最高なのでは
ないだろうか――イースももちろん、そういった性質を持っていた。

機械の一つにつけられたランプが青く点滅して消えた。一時間に一回、中に入っている
国民の様子を測定して特に問題がなければあのランプが点灯するのだ。
「ご安心下さい、ES型は順調に生み出されています。あなたが今回の任務で倒れたとしても他のES型が引き継ぐでしょう」
「……」
クラインの言っていることはラビリンスとしてはごく常識的なことだ。
ラビリンスの国民は国家の為に必要な仕事についているが、不慮の事故などで
その仕事が滞ることがあってはならない。だから、誰が倒れたとしても
すぐに良く似た能力を持つ人員がその職場に配置される。
イースが突然倒れた場合に彼女の代わりに任務につくのはES型の誰かだろう。
人が止まることはあっても、ラビリンスの営みが止まることはない。
総統メビウスの理想に向けて粛々とラビリンスは進んでいく。

国民はその中で動く歯車の一つ一つとなり、一つが壊れてもすぐに新しい歯車が
そこに入るのである。――誰であれ、代わりはいくらでもいる。
だがイースは今のクラインの言葉をひどく不快なものに感じた。

「今回の用件ですが――パラレルワールドでの仮の仕事が決定しました」
「仮の仕事?」
「侵攻先の住民の目を欺きつつ接触を果たすために、占い師になっていただきます」
「占い師……?」
「メビウス様の管理下に入っていない世界では、住民達は未来があまりにも
 定かでないためそういったものに未来を教えてもらおうとするのです。
 出発までの間、占いについて調べてください」
イースは納得した。ラビリンスの管理下にない人々のことをつくづく愚かだとも思った。

クラインの用事が済んだのでイースは医療塔の外に出る。メビウス城が良く見えた。
――メビウス様……
中にいるであろうメビウスを思い、イースは胸の前できゅっと手を握る。
――私を見て……!
それは言ってはいけないことだ。ラビリンスの総統はすべての人民を見ている。
誰も彼も、ラビリンスを動かす歯車の一つに過ぎない。誰かを特別扱いすることはない。
誰もが、誰かによって代替可能な存在なのだから。灰色の人並みの中をイースは歩き始めた。



……目が覚めた。東せつなはベッドの中で身動きしないまま目だけを見開いた。
この部屋の天井にはまだ慣れない。桃園家の一室、せつなのために空けてもらった部屋だ。
つけたばかりのカーテンがまだどこか硬さを持っている。
――夢……。
時間が経つに釣れ、今まで見ていたものが夢だったとはっきり自覚されてくる。
枕もとの時計に手を伸ばすと12時過ぎ。ラブにお休みなさいと言って部屋に
入ってからまだそんなに時間は立っていない。ふう、とせつなは息をつく。嫌な夢を見た。嫌な夢――心が空虚さに支配されてしまいそうな気がする。

少し考えてからせつなはするりとベッドから降り立った。まだそれほど遅い時間ではない。
音を立てないようにして部屋から外に出る。隣はラブの部屋だ。
「ラブ……起きてる……?」
軽くノックをして部屋に入ると、雑誌を読んでいたラブがくるりとせつなの方に振り返った。
「あれ、せつなさっき寝たんじゃなかったの?」
「ええ、ちょっと……」
ラブの屈託のない笑みはせつなを安心させる。これだけがあれば他には何も要らないとさえ思えるほどだ。
「どうかした? 怖い夢見た?」
ラブは少し心配そうだ。
「そうじゃないわ」
せつなはわざと笑って見せた。だがラブはまだ心配そうな表情を浮かべている。
「本当?」
ラブはせつなの手を取るとベッドの上に座らせた。その隣に自分も座る。
「本当よ」
「だったらいいけど……」
ラブはまだ納得していない。せつなの目からその気持ちを読み取ろうとするかのように覗き込む。
「ねえ、ラブ」
「何、せつな?」
ラブの視線にせつなは思わず目を逸らしたが、言葉だけを彼女に向ける。
「ラブはどうして……」
「?」
「どうしてこんなに私に優しくしてくれるの?」
「それはせつなが友達だから」
当たり前のようにラブが答えると「ラブには友達、沢山いるじゃない」と聞き返す。
「んー、それは沢山いるけど……でもせつなも友達だから。美希たんもブッキーも友達だけど、
 せつなも私の大事な友達だから」
「ねえ、ラブ」
せつなは一瞬ラブと目を合わせたがまた視線を逸らした。
「ラビリンスがこれからどうするかは分からないけれど……、私の代わりに要員を補充する
 可能性はあるわ」
「……ウエスターやサウラーの他に新しい人が来るってこと?」
「ええ、そう。新しく補充される人は私に似たタイプである可能性もあるわね」
「似たタイプ? どうして?」
「こちらへの侵攻部隊のバランスを考慮してよ」
「そうなんだ……」
「その、私に似てるかもしれない人にもラブはやっぱり優しくするの?」
「うーん?」
せつなの問いかけの意味が分からないままにラブは考える。
「友達になれば、そうするんじゃないかな」
「……そう」
せつなは視線を下に向けた。何故だか少し残念だった。
「でもね、せつな」
ラブはきゅっとせつなの手を握った。
「もしそうするとしても、それはその人と友達になったからであって、
 せつなに似てるからじゃないよ」
「そう……なの?」
「うん!」
ラブは満面の笑みを浮かべてせつなの顔を両手で支えるとくいっと自分の方に向けた。
「せつなはせつな一人だよ。誰とも違うんだから」
「……ラブ。私のこと、ずっと見ててくれる?」
「うん、もちろんだよせつな!」
せつなが目を閉じると、ラブの腕がせつなの首に巻きついてきた。

-完-

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