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「多分、物の怪には触れられないようになってるんだわ」
 舞は目を閉じ縄に右手をかざして口の奥でもごもごと呪文を唱える。黄色味を帯びた柔
らかい光が舞の手の周りに生まれた。更に舞が左手も添えると光が少し強くなる。
「二人とも、私の手の近くだったら縄に触れることができると思うから……」
 満と咲が舞の両側に立つ。二人は舞の手に自分の手を添えるようにして恐々縄に手をか
ける。舞の言ったとおり、柔らかい光に触れながら縄に触れると痛みはなかった。

「じゃあ満、いくよ! この縄、はずそう!」
 安心した咲が大声を出す。二人は大地にぐっと足をつけて踏ん張ると腕に精一杯の力を
込め縄を引き剥がそうとし始めた。縄は固く絞められていてびくともしない。二人は歯を
食いしばり縄に指を食い込ませた。
「みのりちゃん、こっちに」
 川底の様子を見上げていた薫が人の姿に身を変えみのりをそばに呼び寄せる。何かが起
きようとしている気配を感じる。地面がわずかにだが震動しているような。
みのりがどこかに連れ去られてしまうことのないようにぎゅっと手を握った。みのりは
まだその気配を感じていないようで、きょとんとした表情で薫を見上げている。
声の深刻さは伝わっているようだ。

「くうう〜……」
 咲と満は苦戦していた。縄に手をかけることはできたもののびくとも動かすことができ
ない。
「あと少し、きっと、あと少しなのに……」
 咲の口から言葉が漏れる。舞は右手で満の左手を、左手で咲の右手を掴んだ。
「諦めないで、きっとできるわ!」
 縄をつかむ手に力が篭る。
「満、一緒に縄を掴んで下の方向に引っ張ろう!」
「分かったわ、せーの!」
 咲と満が同時に縄を掴み勢いをつけて下方向に引き摺り下ろすような力をかける。

 はっと薫は異変に気づいた。震動がやや大きくなったかと思うと川底、薫たちのいる
真上の岩がぴしぴしと音を立て始めている。
「薫お姉さん……」
 みのりもぎゅっと薫の手を握ってくる。薫は軽く膝を曲げ何が起きてもすぐに対応
できる体勢を取った。何かが起きる、それは期待もあるし不安でもある。びしりと大きな
音がした。

 岩を突き破った激流は一瞬にしてみのりと薫の身体を飲み込んだ。
「みのりちゃん!」
 薫はその場にこらえ、手を離しそうになったみのりをしっかりと繋ぎ止める。
岩に開いた小さな穴から水が噴出し薫たちのいる空間に流れ込んできている。
 ――このまま、ここが水で満たされてるまで待てば……
 だが薫の目論見は外れた。岩に開いた穴はゆらゆらと揺れ、ひどく不安定だ。少し大き
くなったかと思うとまた閉じそうなほど狭くなる。
 ――大きくなったときに飛び込むしかないな。
 みのりの身体をぐいっと抱き上げた。その状態で機会を窺う。
 ――今だ!
 大きく岩の口が開いた瞬間に薫は大きく跳び上がった。右腕にみのりの身体を抱えたま
ま、左手で穴の縁を掴む。流れ込んでくる水が薫の身体を押し戻そうとするが、薫は岩に
しがみつき何とか穴を潜り抜けようとする。

 咲たちもまた異変に気づいていた。しめ縄はとうに地に引き摺り下ろされているが、そ
れよりも気になるのは川の水が渦を巻いている事だった。しめ縄を下ろしたとたんに川に
変化が起きていた。
 何かの予感を覚え三人はじっと荒々しい水面を見つめていた。

 ――引きずり込まれるっ!
 穴を無理やりに通ったはいいものの薫とみのりの身体は水の流れに飲み込まれて再び
地下空間へと吸い込まれそうだった。薫は抵抗する。流れに逆らいすぎないよう、
それでも元の場所から離れるように、上を目指す。

 ばしゃりという音を聞きつけたのは満だった。渦巻きからだいぶ下流に流れたところに
ぶはっと薫が頭を覗かせる。
「薫っ!」
「あっ! みのり!」
 満と咲が同時に叫び、下流に流されていく二人を岸から追いかける。薫は一瞬岸を
確認しそちらに近づこうとしたがかなわず下流に向ってどんどん押し流されていく。
みのりを抱え上げた瞬間再び薫の顔が水に潜った。
 咲は迷わず水に飛び込んだ。満も一瞬の躊躇もあったものの水に入る。だが二人の身体
をも激流は押し流していく。
「薫!」
「みのり!」
 少しずつ二人は川の中央部へ、薫とみのりに近づいていく。薫たちの方はもはや流され
ているだけという状態だった。流されながら咲と満がようやく薫たちにたどり着くが、安
心した途端急に力が抜け水に飲み込まれそうになる。
「満さん、咲!」

 舞が尻尾を極限まで伸ばす。尻尾は途中から二つに分かれ川へと伸びて行く。
「ありがと!」
 咲と満は一本ずつの尻尾に掴まり、満は薫の、咲はみのりの身体を抱きかかえる。舞の
尻尾は大きく弓なりに曲がったかと思うと、
「ええいっ!」
 全身に力を込めて舞が尻尾を引き寄せた。満と咲、薫とみのりの身体は尻尾に掴まった
まま空中に浮かび上がり大きく軌道を描いて岸へと運ばれる。半ば投げ出されるような形
ではあったが、四人はどうにか辿りついた。舞は肩で息をして地面に這いはあはあと息を
している。
 咲と満、薫とみのりは頭から足の先までずぶぬれだった。髪の毛の先からぽたぽたと雫
をたらしている。
「お姉ちゃん……」
 ぺたりとみのりが咲に抱きついた。咲は優しく抱きしめる。みのりはぐったりとはして
いたが意識はしっかりしていた。咲に抱きついて安心したように目を閉じる。
「みのり、今まで怖かったね……良く頑張ったね」

 頭を撫でながら咲が話すと、みのりは「薫お姉さんと一緒だったから、頑張れたんだ
よ」と言い、ふうっと身体から力を抜いて咲にもたれかかった。咲は一瞬慌てたが、
眠っているだけだったので安心する。
 薫はそんなみのりの様子を横目で見ていた。改めて満を見るが、何と言えばいいか分か
らず黙ったままでいる。満もそんな状態のようで何か言いた気にもじもじしていたがやが
て、

「ひ……久しぶりね、薫」
 短い言葉だったがそれを聞いた途端薫の中で何かが切れた。満がえっと思ったときには
薫の長い腕が満をきゅっと抱き締めていた。
「……か、薫?」
「会いたかった」
 抱き締める腕の力が弱くなり満を放す。水に濡れた顔のまま満も薫を見つめ、
「私も」
 と目を細める。薫はまた満を軽く抱いた。今度はさすがにお互いの身体がびしょぬれな
のが気になった。ぶるぶるっと満が身体を振って水滴を落とす。

「あの……みんな日の当たる場所に戻って身体を乾かした方がいいんじゃ……」
 今まで会話に入るのを躊躇していた舞がおずおずといった様子で話しかける。薫は
ちらっと声の主を見、誰? と満に目で尋ねた。
「舞よ……あなたを探すために色々手伝ってもらったの」薫は意外そうな顔をしたが満の
声に合わせるように舞がぺこりと頭を下げたので薫も慌てて下げ返した。

「こっちは、咲」
「ああ、それは分かる。みのりちゃんがたくさん話してくれたから」
「えっ! みのり何か言ってたの、私のこと」
「ええ色々と……」
 咲が慌てているうちに舞が雲を出す。満は心得たものとばかりにその上に乗り、薫を
引き上げた。薫は戸惑ったような表情を浮かべたが、おとなしく満に従っている。
最後に咲が乗り、舞の雲はゆっくりと発進した。

 穏やかに日の当たる場所を探していたら、大空の樹まで戻ってきてしまった。ぽかぽか
とした場所で皆身体を温める。舞には大空の樹が前と少し違っているように思えた。
どこが違うと上手くはいえないが、
 ――何だか、前より葉っぱがきらきらしてるみたい。

 川近くで日向ぼっこをしているみんなから少し離れ大空の樹に触れる。しめ縄が降ろさ
れた現在、大空の樹は舞の手を拒絶することはなく――幹に触ると暖かくさえ感じた。
「ラピ!」「チョピ!」
「えっ?」
 大空の樹の上から二つの光が舞に向けて落ちてくる。舞の頭でぽよんとと跳ね返ったそ
れはすぐに精霊の姿になった。
「あれ、精霊だ」
 咲がその存在に気づいた。ムプププともう二体の精霊も現れる。
「久しぶりだね〜どうしたの?」
 咲の問いに精霊達はお礼を言いに来たラピ、と答える。
「お礼? 何の?」
「大空の樹が封印されてたのを解いてもらったチョピ」
 四人とも大空の樹を見上げた。しめ縄があった時よりはるかに堂々としているように見える。

「あのしめ縄は大空の樹を封印していたの?」
「そうムプ、でもムープたちにもあれが封印だったとは分からなかったムプ」
「でも龍が降りてきたり水の流れがおかしかったり、あの山が火を噴いたりした異変はこ
の樹が封印されてて大空の樹が発する気が乱れていたからププ」
 舞に向ってムープとフープが口々に話す。
「フラッピたちもどうすれば封印が解けるのか全然分からなかったラピ、でもさっき封印
を解いてくれたからこの樹も甦って色々なものも元に戻るラピ、ありがとうラピ!」
「薫」
 精霊達の話を聞いていた満が真剣な表情で薫を見た。
「何があったの? どうしてあなたまで樹と一緒に封印されるようなことになったの」
「封印されていたのかしら、私は」
「しめ縄を取った途端に川が渦巻いてあなた達が出てきたのは確かよ。しめ縄が大空の樹
を封印していたのならあなた達も一緒に封印されていたんじゃないの?」
「……そうね」
 確かにあの空間からはどう頑張っても出られそうになかった。いきなり岩に穴が開いた
のはしめ縄を解いた瞬間だったのだろう。そう考えれば納得はいく。

「でも私も、良く分からないの。あの日、山が火を噴いた直後に大空の樹に触って何かを
している人がいたから止めようとしたら地下の部屋みたいな場所に落とされただけだから
……みのりちゃんは多分、すぐ近くにいて巻き込まれたのよ」
 満と薫の会話を聞いて舞は一つ思い当たることがあった。
 ――封印されていたから、薫さんとみのりちゃんの妖気は完全に閉じ込められていたの
ね……だからあの占いでも居場所が分からなかったんだわ……

 納得し、大空の樹に軽く触れる。あの占いはある意味真実を言い当てていたのだ。
自分にその結果を解釈する力がなかっただけで。
 それにしても問題になるのは、
 ――誰が、何のためにこの樹や薫さん達を封印しようとしたのかしら……
 首筋に違和感を感じた。右手で軽く抑える。初めは違和感程度だったものがはっきりと
した痛みへと変貌して行く。
「うっ……」
 舞は思わず首筋を抑えてうずくまった。首筋が熱を帯びてひりひりとする。
「舞! どうしたの!」
 異変に気づいた咲がみのりを岩にもたれさせて駆け寄ってくる。
「来ないで咲っ!」
 何かが自分の身体についている。それが暴れている。自分の中から飛び出そうとしている。



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