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第八話 大空の樹

 翌日の朝早いうちに咲と満、舞は都を出た。乗り物は舞が出してくれた雲だ。人に
見つかる前に急上昇して高度を保つ。
「わあ〜」
 咲は雲の縁まで這って行って恐々下を覗いている。
「気をつけてね、咲」
 雲の進行方向一番先に座っている舞はそんな咲の様子を見て苦笑いする。
「雲が薄くなっているように見えるところは本当に薄いから、穴が開いて落ちる危険もあ
るの。注意してね」
 さらっとした顔で恐ろしいことを言う。咲はびっくりして、自分の座っている場所を慌
てて見回した。他のところと比べても十分白く分厚く見えるのでほっと安心する。満はと
いうと、舞の隣に座って道案内をしている。

「ええと……多分、まだこの向きでいいんだと思うわ。真っ直ぐに」
 道案内とは言っても、空の案内は随分と勝手が違う。道を通らずに最短距離を直進
すればいいが、見慣れている目印が上からは見えないことも多く、満としても夕凪から
都まで出てきた距離と方角を思い出しつつ指示を出すことになる。

 とてとてとて、と咲が二人のそばに来た。人の姿をしているが、両手両足を雲にしっか
りと置いて這ってくる。
「うーん、と」
 目の上に手をかざし咲は遠くを見つめた。「あ、あの山!」と、突然声を上げて立ち上
がり身体をよろめかせ慌てた満に支えてもらう。
「気をつけなさい、咲」
「ごめん、ありがと満。……それはそうと、あれ、夕凪の近くにあった山じゃない?」

 咲が指差す方には、山肌が大きくえぐられて本来あったであろう木々の緑がなく白っぽ
い岩が露出してしまっている。形も瓢箪のような特徴的なものだ。
「あ、そうね……そうかもしれない」
「じゃあ、あそこに近づくように行けばいいのね」
 ぐうんと舞が雲を加速させる。咲は振り落とされないようにしっかりと雲にしがみつい
た。
 空から見えた山からは少し離れたところで舞が雲を降ろした。ある程度のところまで近
づいたら歩いていかないと、上空から大空の樹は見つからない。谷底に流れる川のほとり
に立っている樹なのである。
 地面に降りると咲と満は軽く脚を振ったり足首を曲げたりして身体をほぐす。緊張して
いたつもりはなかったが、慣れない状態にずっとあったものだから身体は少し固くなって
いるように思えた。しっかりした地面に立てるのが嬉しい。舞は雲に乗るのも慣れた様子
で二人が落ち着くのを待っている。

「大体あってるよね、満。ここ夕凪の近くだよね」
「そうね、多分この道をこっちの方に、」満は一方を指差す。「進んでいけば大空の樹が
ある川沿いに出るはずよ」
 三人は辺りにやや注意を払いつつ進み始めた。木々に光が遮られ森の中は暗い。
満や咲にとってはよく知っている場所だが舞は少し脅えているようにも見える。
咲が舞の手を取り手を繋いだ。先頭を行く満は身をかがめて低く枝を垂らす木の下を
通り抜け、ゆったりとした下り坂を降りて行く。数日前に雨が降ったのだろう、
しっとりとした柔らかい土の上は歩いていて心地よい。舞は滑りそうで怖いらしく後ろで
咲にしがみついている。風の音に混ざって川の水の音が聞こえてくるようになってきた。
木々の間を抜け川べりへと降りる。川はいつもより水かさを増し速く流れていた。

「ここが、その川?」
 舞がようやく咲の身体から手を離す。
「ええそうよ。大空の樹はあれね」
 満は上流を指差した。舞はそちらを見たもののどれが大空の樹か良く分からず曖昧な
表情を浮かべる。舞の目には、同じような樹が何本も並んでいるように見えた。

「近づいて見れば分かるよ、舞。大空の樹だけ幹の部分に祠があるから」
 とにかく、というわけで三人は上流に向け少し歩む。川を挟んで大空の木とほぼ向かい
合う場所で足を止めた。
「見える? 舞。ここから見てあの――幹がくねっと捩れている樹の隣の樹。幹の下の
ほうに祠みたいなのが見えるでしょう?」
「ああ――あれね」
 舞もようやく大空の樹がどれなのか理解した。「天をつかむような形」ではなく、もっ
こりと丸い形に枝を伸ばしてはいるが確かに根元には祠がある。一度気がついてみれば周
りに立ち並ぶ木々よりは一回り以上も大きい。

「しめ縄もあるのね。ご神木と見られているのかしら」
 自然に呟いた舞の言葉に、咲と満がえ? と振り返る。
「しめ縄? そんなの巻いてあったっけ?」
「記憶にないわね」
「え、あれ……祠の少し上に巻いてあるけど……」
 対岸の樹をじっと見つめ、満と薫は舞の言うとおりにしめ縄が樹に巻いてあるのを確認
した。汚れきった縄は随分古いもののようにも見えるが、
「じゃあ私たちがここを離れてから誰かが巻いたんだろうね、見た覚えないもん」
「そうね……、いつも幹を見ていたわけではないけど、昔なかったのは確かだわ。それに
しても、あの形どう見ても天をつかんではいないわね」

 満が舞と同じ考えを口に出す。天をつかむような形というのが世界樹の条件の一つ
だから、きっと大空の樹は世界樹ではないのだろう。
「じゃあさ、これから私たちの村に行って世界樹について知らないかみんなに聞いてみようよ」
「そうね……」
 満は川の水面をじっと眺めた。流れこそ速いものの水はきれいだ。

「薫お姉さん、また誰か来たみたいだよ」
 みのりが薄く見える光に目を凝らす。川を通ってくる光が乱れ、誰かが川の中に入って
くるようだ。
「そうね……」
 じっと座ったまま薫が答える。ここで声を出しても向こうに聞こえないことは分かって
いる。どんな人が来たのかとみのりは興味深げに見上げているが、薫はどうでもいいわと
ばかりに動かないままだ。

 ぱしゃぱしゃと満は水音を立て少しだけ川に入ると、腰をかがめて水を掬い飲み干した。
飲むと却って喉が乾いたような気がして再び潤いを求めて手を水につける。

「目の感じが少し薫お姉さんに似てる人が来たよ」
 みのりの言葉に、うん? と何の気なしに薫も上を見た。ゆらゆらと揺れる光の向こう
に居る人を見た瞬間に心臓が跳ね上がるように動く。
「満っ……」
 思わず言葉も漏れた。みのりはそれを聞き逃さなかった。

「満、そろそろいい?」
 掬っては飲み、を繰り返していた満に咲が声をかける。うん、と満は口を拭った。
「久しぶりに美味しかったわ」
 そう答え、水音を再び立てながら岸に戻る。

「ああ……、」
 嘆くような声が薫から漏れた。満が行ってしまう。手を伸ばせば届きそうなところに満
が来てくれているのに自分の存在には気づかないまま、またどこかへ行ってしまう。
「薫お姉さん、満お姉さんを呼ぼう!」
 みのりは口に手を当て「おーい」と叫ぶ。この声が届かないことは薫には分かっている。

「じゃあまず夕凪の、私の村に二人を案内するよ」
「今更だけど、狸の村に私や舞が行っても大丈夫なの? 怖がられたりしない?」
「うんうん大丈夫、満と舞なら狸のこと襲いそうにないから! 行こ行こ!」
 咲も故郷の近くに戻って来てどこか興奮しているようだった。二人の背中を押して
いこうとする。

「満お姉さーん!」
 みのりはまだ叫んでいる。満は完全に見えなくなった。
 ――満の姿が消えてしまった、折角来てくれたのに……
 もう満には会えないかもしれない。ずっと思っていたことが改めて脳裏によぎる。
 ――嫌だ……!

「薫お姉さん?」
 みのりの視線が薫に移動した。長く青い髪を持つ少女の姿からみのりの初めて見る姿、
青い瞳の山犬へと変化して行く。薫はその場に座り込むと首を真上にもたげゆっくりと息
を吸い込んで吠え始めた。
 ――山犬がこんな風に鳴くのは……
 みのりは思った。夕凪には山犬は住んでいないものの、近くの山に住みつく山犬たちの
遠吠えが聞こえてくることがあった。群れで暮らす山犬たちが仲間を呼ぶために鳴く声だ
とお母さんが教えてくれたことがある。薫は今、仲間を求めて懸命に声を上げていた。

「きっとみんなも二人のこと歓迎してくれるよ」
 咲はどんどんと二人の背中を押す。だが満がぴたりと足を止めた。
「どうしたの、満?」
「ちょっと……」
 ぱっと満は咲の横を通り川の側に戻った。じっと地面を見つめる。
「どうしたの?」
 咲と舞も満を追いかけて戻ってくる。
「薫の声……」
「えっ?」
「薫の声が聞こえる」
 小声で答えたかと思うと満は身を伏せ大地に右耳を当てた。しばらくじっとした後に身
を起こす。
「この下から、この下から薫の声が聞こえる!」
 満はもう何も考えずに両手を地面につけると土を掘り起こし始めた。咲もしゃがみ込ん
で手伝う。だが二人が少し掘り進むとがつんと固い層にぶつかる。岩でできた層には二人
の手では歯が立たない。だが、満も咲も何とかして岩を動かそうと手を掛ける。
 舞は舞で別のことに気がついていた。満と咲が岩に触れるたびに、大空の樹が微かに揺
れる。二人を手伝うのとどちらがいいか迷ったが、雲で川を飛び越え樹の前に立つ。咲と
満が動くのに合わせ樹も揺れる。
 はっと舞はしめ縄を見た。

 ――これ、しめ縄じゃないわ……、似てるけど、何かを封印している?
 縄に手を掛けようとすると掌に熱い痛みが走る。後ろで咲と満がわっと声を上げた。
地面が突然光ったらしい。
「咲、満さんこっちに来て! この縄が何か関係しているみたいなの!」
 雲を走らせ満と咲を呼び寄せる。二人は舞の言っていることが最初理解できないよう
だったが、咲がしめ縄に触れようとするとばちりと閃光が走る。思わず咲は身を丸めて
樹から離れた。
「この縄、何だか分からないけど変だよ、ただのしめ縄じゃない」
 咲の様子を見て満も納得したようで、
「じゃあこれをどうにかすればいいのね」
 と縄に手を掛けようとするが咲と同じで触れることができない。


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