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 満の声にえっと咲が思うと突然ばしゃっと水が大量にかけられた。思わず目をぱちくり
させて少し離れた場所に居る満を見る。満は桶を持っていて――これに水を入れてきたら
しい――真剣な目でこちらを見ている。舞はと見ると頭から足まで全身びしょ濡れだ。し
かし咳は止まっている。
「舞?」
「臭いが流れたみたい――大分楽になったわ」
 大丈夫、と尋ねながら満が近づいてくる。満もやや苦しそうに顔を歪めているが、それ
でも人間の姿のまま近づいてきて舞を支え立たせた。
「川に行って、ちゃんと水で流した方がいいわ」
「ありがとう、満さん……」
 ほら咲も、と満は咲の手をとってぐっと身体を引っ張り上げた。ううんと力を入れ咲も
人間の姿に戻る。少しまた息苦しくなった。
 舞に合わせてゆっくり歩いて川につく。舞は服のまま川に入って頭まで潜ったかと思う
としばらくして顔を出しずぶ濡れのまま上がってきた。息はまだ乱れているようだがすっ
きりした表情をしている。

「ありがとう、咲も満さんも……すごく楽になったわ。もうほとんど全部落ちちゃったみ
たい、あの臭い」
 心配かけてごめんなさいと言う舞に満は、
「それはいいけど……、ゴーヤーンって人にやられたの?」
「ええ……、」
「どんな人だったの? ゴーヤーンさんって」
 それは、と説明しようとしたらくしゅっとくしゃみが出てきた。
「あ、後でいいよ舞。早く帰って身体乾かさないと風邪引いちゃう」
 三人は急いで舞の家に戻った。舞が身体を拭き服を着替えるまで話はお預けになった
ので、満は待ちきれないようにうずうずしている。
 着替えを終えた舞が二人の前に来たのはしばらくしてからのことだった。

「舞、本当にもう大丈夫?」
「ええ、咲。あの臭いであんな風になっていたみたい」
「舞、その首にあるそれは……?」
 満が舞の首筋に訝しげな視線を向けている。真っ赤な傷跡は舞の白い首で一際
目立っていた。
「これ……いつの間にか傷になってたの」
 舞も気づいていたようだ。満に指摘されて右手で軽く傷を撫でている。
「ゴーヤーンって人のところで?」
 ぶっきらぼうな口調で満が尋ねる。どうにもゴーヤーンと言う人物は胡散臭いと満は思
っているようだった。

「ええ。私少し暴れたから、そのときに怪我をしたのかもしれないわ」
「暴れた? どうして?」
 満の問いに、舞は視線を伏せた。
「ねえ、ゴーヤーンさんになんて言われたの?」
 咲も尋ねる。屋敷を出てすぐの舞の状況を見れば、ゴーヤーンと言う人物と普通の会話
をしたとは思えない。二人の問いにじっと舞は黙っている。だが一度顔を上げて二人の目
を見ると覚悟を決めたように、
「恐ろしい人だったわ……」
 と呟いた。

「ええっ! そんなことされたの?」
 舞からゴーヤーンの話の一部始終を聞いた咲は大声を上げてしまった。
満も信じられないと言うように目を丸くしている。
「怖い人よ。私のこと、完全に見抜いてた……」
「で、でも見抜いてたからって無理やり正体を出させるなんてひどいよ!」
 咲がいきり立つ。理不尽に舞が苦しめられたのが腹立たしくてならない。
今にもゴーヤーン邸に飛び込んでいきそうな勢いの咲を、満の声が冷静に引き止める。

「占いはなし?」
「ええ、ただ世界樹というのを探しなさいって……この前見た龍たちは、妖気の流れがお
かしくなって地上に迷い込んできたんですって、妖気の流れがおかしいのは世界樹に何か
異変が起きているからで、もし妖気の流れを正常に戻すことができたら行方知れずの
人たちも見つかるかも知れないからって」
「それ、本当の話なのかなあ……」
「そんな人だもの、当てになるか分からないわね」
 咲と満が口々に言う。二人の話を聞いていると舞もそんな風に思えてきた。

「とは、言うものの……」
 満が何かを言いたげに舞を見つめる。
「その人、言うとおりにしないとひどい目に遭わせるとか何とか言ったんじゃないの?」
 満の鋭い眼差しに見つめられて舞はぎくりとした。そんなこと一言も言っていないのに
もう気づかれている。隠し通すことはできそうにない。
「……ええ。私の本性を他の人に話してここにいられなくするって……」
「ふうん……」
 そんなのひどいよ、と咲がいきり立っている横で満は妙に冷静だった。頭の中で今まで
の話と現在の状況を考え合わせる。
「多分、言うとおりにしていた方がいいわね。言うことを聞いているような振りだけでも
していた方がいいわ」
「えっ何で……」

 咲は心外だと言うようにただでさえ丸い目を更に丸くした。そんな人の言うことなんて
聞きたくないよ、と満に反論する。
「落ち着きなさい、咲。困るのは舞なのよ」
「でも……」
「人間の社会のことに私たちは口出しできない」
「でもさ、それだと舞はずっとそのゴーヤーンさんの言うことを聞いていないといけない
じゃない! そんなの良くないよ」
「で、その世界樹って言うのはどんななの?」

 満は会話の相手をくるっと舞に変えた。ひどく落ち込んだ表情で二人のやり取りを聞い
ていた舞は突然話を振られてええと、と慌てている。
「ゴーヤーンさんの話では、天を掴むように伸びていて根元には祠があるって言う話よ」
 ――でも、たったこれだけの情報じゃ……
 自分で言いながら舞は思う。この世の中に何千本、何万本の樹があるか知らないが、こ
の二つの条件だけでたった一本の樹を特定するのは到底不可能であるように思えた。だが
咲と満は違うようだった。

「根元に祠がある樹……? 私それ、知っているような気がするんだけど」
「私も、根元に祠がある樹なら知っているわ。天を掴むような、かどうかは難しいけど」
「ええっ?」
 こんなに簡単に見つかっていいのだろうか、舞が二人の話を聞いて頓狂な声を上げた。
「でもその樹、世界樹じゃなくて大空の樹って呼ばれてたけど」
「奇遇ね咲。私も同じ名前の樹を知ってるわ……同じ樹でしょうね、多分」
「それは二人が住んでいた場所にあった樹なの?」
 舞が慌てて尋ねる。二人が知っている場所に世界樹があるとすれば、随分楽な話だ。
なるほど、物を探す時は人間の手ではなく物の怪の手も借りて探した方がいいのかもしれない。

「うん、私たちの村の近くだよ……長老やお母さん達に聞いてみたら、世界樹って言うの
知ってるかもしれない。大空の樹が昔は世界樹って呼ばれてたのかもしれないし」
「そうね、戻ってみる価値はあると思うわ」
「うん、そうだね! 舞、一度大空の樹まで行ってみようよ、何か分かるかもしれないよ」
「そ、そうね……ありがとう、二人とも」
 小さく舞はお礼を言った。どうも自分のしていることは二人の人探しを邪魔している、
横道に入らせているような気がしてならない。

「でも、世界樹に関しては私が探すから、二人はこのままみのりちゃんと薫さんを探すの
を続けて貰った方が」
「何言ってるの舞」
 咲はぐっと舞の手を握る。
「私たちと一緒に行った方が、大空の樹すぐに見つかるよ! あの辺にいる物の怪たちに
話を聞くのも、私たちと一緒にいたほうがいいよ。それに……」
 咲は半笑いのような表情で満に振り返った。
「ゴーヤーンさんって人も占いはしてくれないみたいだし、満、私たちも少し方針を考え
ないとね……」
「そうね……帰って考え直した方がいいかもしれない」
 満が冷静に答えるので咲はほっとする。舞が再び礼を言い、とりあえずの方針は固まった。

「あれだけ脅かしておけば私の正体に感づく余裕もなかったでしょう」
 昼尚暗い屋敷の中、舞が逃げる時に開けていった大穴を見ながらゴーヤーンは一人ごち
る。舞の仲間の物の怪が仕返しに来ることを考えしばらくの間つけていた仮面も今は外し
てしまっていた。その顔は普通の人間の顔と見える。目で見る分には間違いなく人間であ
る。しかし物の怪には目だけではなく鼻と言う武器もある。
 ――物の怪の嗅覚にはかないませんからね。……用心には用心を重ねないと……。しか
し、舞殿を利用して物の怪どもも世界樹探索にかからせることができれば楽になりますね
え。
 水を一口啜りながらゴーヤーンは一人ほくそ笑む。

【第六話 完】

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