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第五話 五条の鬼

 暗くなるのを待ち、咲と舞は家を出た。目指すは一路、五条の橋である。出る前、咲は
一応満に声をかけ朝ごはんの時と同じように昼食の膳を回収した。しかし満が起き出して
くる様子がなかったので仕方がない、五条の橋までの地図だけをそばに置いて自分ひとり
で舞について行くことにした。日はとうに落ちている。幸いに今夜は上弦の月、深夜まで
は月が辺りを照らしてくれそうだった。

「で、その五条の鬼っていつ頃から出てきたの?」
「数ヶ月前から、いきなり。最初は刀を集めているかどうかも分からなかったの。
襲われた人が怖がって刀を放り出して逃げただけなんだけど、だんだん刀を出せば鬼が
引っ込むという風になってきたのよ」
 そう答える舞は手に笛を一本持ったきりで刀など何も持っていない。さすがに咲も少し
不安になり、

「ねえ、私も何も道具持ってないけど大丈夫かな?」
「道具って?」
「ほら、退治するための武器とか……」
 舞はうーんと考えた後、
「大丈夫だと思うわ。たぶん」
 と頼れるのか頼りないのか良く分からない口調で答える。

「もし五条の鬼さんが本当に鬼なら、私が使う呪でどうにかなると思うの……たぶん」
「呪?」
「ええ、おまじないのようなものね」
「ふうん。じゃあ、五条の鬼が実は人間だった場合は?」
「その時は話し合ってみて、話が通じなかったらその時は」
「その時は?」
「全速力で逃げるしか……、相手が人間なら私が退治する筋合いでもないし……」

 話があまりにも頼りなくなったので咲は却って噴き出してしまった。
「? 私何か変なこと……」
「ううん、変なことなんて何も言ってないよ。そうだ、逃げる時は私が舞のことおんぶ
してあげる。狸とは言え結構足は速いんだから」
 ふふ、と舞は笑い、咲と一緒だと何だか心強いわ、と続ける。
「えへへ、私にできることなら何でもするよ。そもそも私たちのことでこんなことに
なってるんだし」
 しばらく他愛もない会話を続けた後、二人は五条の橋のすぐ手前についた。ここまで
来ると川の音も聞こえてくる。二人はすぐに橋に行くこともなく、しばらく耳を澄ませ
気配を窺っていた。

「まだ今日は被害者が出ていないみたいね……、私が行ってみるわ、囮になって鬼が出て
くるかどうか調べてくる」
 舞は仕事前だからなのか表情が引き締まり動作もどこかきびきびとしている。
「そう、じゃあ私は……」
「咲はたもとのところで待っていて。何かあれば呼ぶかもしれないから」
「うん、分かった。待ってるね」

 咲と舞はそこで分かれ、舞は橋へ咲はたもとへと向った。二人とも足音を立てぬようひ
たひたと闇の中を歩いていく。
 橋まで着くと、舞は笛を口に当てた。一度気の抜けるような音を吹いた後もう一度吹き
なおし、咲には曲名は分からないもののどこか懐かしい気持ちになる曲である。
こつ、こつ、こつと今度はわざと足音を立てるように歩き、木の橋の上を舞が渡っていく。咲は暗く沈む橋の袂でじっと耳を澄ませていた。ここまでくると川の音が怖いくらいに響いている。

 舞の姿が闇に飲まれ見えなくなった。哀しげな笛の旋律だけが舞の無事を知らせている。
再び、ゆっくりと笛の音が大きくなってきた。舞がこちらに近づいてくる。月の光の中に
舞の姿が現れたとき、咲は心の底からほっとした。
「舞!」
 思わず袂から飛び出して舞に駆け寄る。舞は少し困ったような微笑を浮かべた。
「だ、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だけど……鬼さん、出てこなかったから。もう一度渡ってみて出てこない
かどうか試してみるわ」
「え、また行くの? ……それなら私もついてく」
「咲、たぶん一人の方が出てきてくれそうな気がするから」

 やんわりと断る舞に、咲はうーんと唸りながらも結局はその場に残って再び遠くに消え
て行く舞を見送った。
 ――なんか、嫌だなあ……。
 一人でいるのが怖いのではない。置いていかれるのが不安なのでもない。ただ咲は、
舞が敢えて危険な場所にいるのを黙ってみているだけという状態がたまらなく嫌だった。
こんな気持ちで待っているくらいなら一緒に行った方がまだましだ。
 突然、笛の音が止んだ。咲ははっと橋を見る。舞の姿はもう見えない。
 ――舞っ!
 咄嗟に駆けて行こうとした咲に、野太い笛の声が聞こえてきた。先ほどまでの繊細な音
色とはまるで違う、力強い音である。
「笛とはこのように吹くものではないのか」
 妙に落ち着いた男の声が聞こえてくる。
「それは色々あると思います……」
 舞の声は心細そうだったが、取り乱している様子はない。

「ふむ、まあ良い」
「あの、それであなたは一体? 五条に現れるという鬼さんですか?」
「鬼?」
 男の声に微かな嘲笑が篭った。
「私はキントレスキー。鬼などではない。刀も、求めてはいない。私はただ、強さを求め
修行をするのみ」
「あの、それではどうして人を襲うようなことを……?」
「待てその前に、そちらも名乗るのが礼儀だ」
「ま、舞です」
 舞と、鬼と呼ばれた男との会話が闇に飲み込まれていく。

 風を浴び、満は目を覚ました。昼食がほどよくお腹の中でこなれている。ごろごろと
喉を鳴らした後少し歩いて庭が見える場所でちょこんと座る。
止まりそうになりながらも静かにそよいでくる風は心地よい。目を閉じてしばらく風を浴びる。

 ――薫は、黄昏時に風を味わうのが好きだったっけ……
 目を閉じると、小高い岩に登って風下の小さな動物たちが山犬の匂いに怯えるのも
構わずに風に身を任せていた薫の姿が思い浮かぶ。自分よりもずっと嗅覚が敏感な
薫のことだ、風が運んでくる様々な匂いもその時嗅ぎ分けていたはずである。
もしかすると、昔薫がいた山犬の群れの匂いもあったのかもしれない。
『薫……』
 そんなひと時を終えて戻ってきた薫に満は尋ねてみたことがある。
『何かしら』
『もしも今……』
 この問いは残酷な気もしたが、どうしても満は聞いてみたかった。

『群れに戻れるとしたら、戻る?』
『……』
 薫は黙って、表情を変えないまま満をじっと見ている。
『その時、私は一緒には行けないけど』
 ふっと薫はため息をついた。
『もしそうなったら実際どうするかは分からないわ。そんなこと、絶対にないけど』
『……そう』
 あくまでも冷静な薫の答え。満はどこか心の底に穴が開いたような感覚を覚えた。
『でも……、』
 薫は満から目をそらし気味にして言葉を繋ぐ。
『……満とは一緒にいたい。どうにかして』
『ふうん』
 どうでもいいような口をききながら、満は内心ほっとしていた。……
 ――変なことを思い出しちゃったな……
 ごろりと横になると咲が置いていった地図が目に入った。前足で引き寄せてみる。地図
は単純な線で構成された分かりやすいものだった。一目で位置関係が頭に入ってくる。

「そもそもはそいつが原因なのだ」
 キントレスキーが橋のたもと、咲の方を指差したので舞ははっと身を固くしたが、
「え〜、僕のせいじゃないよう……」
 咲の前の地面がむくむくと持ち上がり図体の割に気弱そうな男が顔を出す。
「あの人のどこが?」
「見ろ、ドロドロンの身体を! ちっとも鍛えていないというのに筋肉が盛り上がってい
る! しかし私は鋼鉄の精神と鋼の肉体を持つ男、鍛え上げてそいつよりもずっとたくま
しい筋肉を手に入れなければならんのだ!」
「ねえ言いがかりだろう、僕そんなの興味ないのにさあ」

 ドロドロンはそばにいる咲に向かって小声で愚痴をこぼす。僕はのんびりしていたかっ
たんだよ、でもキントレスキーが来いって言うから来なくちゃいけなくってとぶつぶつ呟
いている。
「それで、どうしてここに?」
「ここで戦士が来るのを待っている。戦士同士の戦いは互いの力を極限まで引き出すもの。
そのような者と出会うことさえできれば私の身体は、」
 ぐっとキントレスキーは腕に力を込めた。筋肉が盛り上がる。
「このようなものではなくもっと鍛え上げられるはずなのだ」
「ねえ見ろよ、僕より身体を鍛えるまで帰さないっていうんだよお」

 うーんと咲は頭を抱えた。これまで会って来た人たちにも妙な者が多かったが、今回も
中々の難物である。
 ――でもこの人を何とかしないとゴーヤーンさんに会えないし。
 知恵を振り絞ろうと咲は必死に考える。
 ――何とか……なんとか……にゃんとか……猫じゃないって……
 微かに猫の声がして咲はぱっと顔を上げた。暗闇から二つの赤い瞳が近づいてくる。
「満! 来てくれたの?」
 満は猫の姿のまま咲に近づいてきた。ドロドロンの頭を踏み越えるようにして――さす
がにドロドロンが何だよっと大きな声を出した。
「うん?」
 キントレスキーがドロドロンの声に顔を向ける。
「猫だと……!」
 その視線は咲を通り越して満に向いていた。異様な雰囲気に満の背中の毛が逆立つ。
「ふふふ、これはいい」
 キントレスキーはもう舞のことなど気に留めていないように大股で咲たちの方に向かっ
てきた。満はじりじりと後ずさりする。
「猫こそ、我が生涯の好敵手! さあ、あの猫と同じように私と勝負するが良い!」
 ――何の話よ……大体誰よこの人……
 ぞくっと満の背中の毛が逆立った。ぱっと飛び退ったのとほぼ同時、キントレスキーが
地面に拳を打ちつけ大地が引き裂かれる。
「ほう、やはり猫だな。よけるとは!」
 言葉と同時にその肉体が躍り上がる。にゃっという叫びを上げ満はぱっと身体の向きを
変え一目散に走り始めた。
 ――冗談じゃないわよ、あんなの相手にしてられない!
 走りには自信がある。走って走って敵を遠く引き離してしまえばもう疲れて誰も追って
こない。満は全速力で駆ける。川に沿いひたすら真っ直ぐに。もう走ることが目的となっ
ているような走り方で地面を蹴る。

 だが、
「はっはっはっ! 面白いぞそこの猫!」
 能天気な声がした。すぐ後ろと言うほど近くもないが引き離したと言えるほど
遠くもない距離から。しかも息を切らしている様子がない。
「私から逃げられるつもりならやってみるがいい!」
 雄たけびと共にキントレスキーが速度を上げる。地響きが後ろから近づいてくる。満も
慌てて速度を上げる。いっそ川に飛び込んでしまおうか、泳ぎは好きではないくせに
そんなことまで考えてしまう。
「舞、どうしよう、満が!」
 咲と舞のいるところからもう満の姿は見えない。ただキントレスキーが大喜びで追いか
けている声が聞こえてくる。

「乗って咲!」
 舞は口をもごもごと動かして呪文を唱え、巨大な綿あめ状のものを出した。
「何、これ?」
「雲みたいなものだと思って。飛べるから。早く!」
 いきなり出てきたものに戸惑っている咲の手をぐいっと引っ張り引き上げると、舞は雲
を飛ばし一路満とキントレスキーを目指す。咲は振り落とされないよう必死になって雲に
つかまっている。

 上空からキントレスキーの輝く身体は目立った。今は満があちらこちらと向きを変えて
いるようでキントレスキーの巨体もそれにあわせてふらふら動いている。
「居たけど、どうしよう……」
「よ、酔いそうナリ〜……」
 舞が途方に暮れていると満がぴょんと跳んだ。
「おのれっ!」
 キントレスキーの頭の上を飛び越え、来た道を帰るように走る。
「待て、猫め!」
 一瞬立ち止まったかと思うとキントレスキーが気合を入れて声を上げる。
「見て咲! キントレスキーが!」
 その黄金に輝く身体が変化していく。筋肉がいつも以上に盛り上がり髭も伸びていく。
「さあ、私から逃げてみるがいい!」
 飛ぶような速さでキントレスキーが地を駆ける。巨体に相応しい地響きが満に届く。
「待ってキントレスキーさん!」
 舞は雲を彼の目の前に下ろした。咲はもうしがみつくだけでやっとだ。
「あなたの今の身体、さっきの人に負けないくらい筋肉がついているわ!」
「うん?」

 キントレスキーは自分の腕を見た。ようやく理解したようにふふふと笑う。
「久しぶりにこの姿になったようだな……、我を忘れて夢中になったからかもしれん、ド
ロドロン! 天に帰るぞ、今こそお前と勝負の時だ!」
「え〜、僕そんなのしたくないよ……」
 泣きそうな声のドロドロンを引きずりキントレスキーは龍へと身を帰ると天に昇ってい
ってしまった。
「満さん……」
 一方の満はというとようやくキントレスキーから解放されたものの、その場に止まった
まま動くこともできずにはあはあと苦しそうに息をついている。
「満、大丈夫?」
 猫のままの満を咲が抱え上げる。満は言葉も出せないほど苦しそうだった。咲に抱かれ
ても特に抗議の声を上げることもなくぐったりとしている。
「あの人が天に帰ったの、満さんのおかげよ」
 舞が言い、咲もうんうんと頷いていたが当の満はそんなことに気づくゆとりもないよう
だった。舞の家に戻ると満はすぐに眠ってしまった。

【第五話 完】



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