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 咲が部屋を出て行ってから、満は猫の姿のままくくくと伸びをした。今日はもう一日こ
の部屋でぐだぐだしていようと心に決める。そもそも、これまで真面目に旅をしすぎてい
る。元来猫とは一日のうち何度も何度も、暇さえあれば寝ているものなのである。

『どれだけ寝たら気が済むの』
『別にいいでしょ……私の勝手よ』
『死んでいるのかと思ったわ』
『縁起でもないこと言わないで』
 昔の会話を唐突に思い出して満は目を開いた。
 ――薫の馬鹿……

 確かあの時に約束したはずである。「何でもいいけど、私が目を開けた時に薫はそばに
いてね」と。いや、約束ではなかったか。一方的な通達だった。
『いつ目を開けるって決まってるの?』
『そんなのその日によるわ』
『……』
 付き合ってられない。そんな顔でため息をこぼした割に、薫は満が目を覚ました時そば
にいることが多かった。あの時もそんな感じだった。いつもと同じように。ただいつもと
違ったのは、満が起き上がった時ひどく身体がだるく、なんだか動けなかったことである。
最初は満がだらだらしているだけだと思っていたらしい薫も、次第に心配そうな顔つきに
なった。
『水、汲んでくるわ。それと薬草も、摘んでくる』
『え、あれ苦いからあんまり好きじゃない……』
『わがまま言うんじゃないわ、こんなことで』

 反論を許さないような厳しい表情で言うと薫は、また寝てなさい、満が目を覚ますまで
には戻ってくるからと言って出て行ったのである。
 ――嘘つき……、ずっと戻ってこないじゃない……
 薫が出て後しばらくして、地鳴りがしたかと思うと山が火を吹き上げた。大地が鳴動す
る中満はじっと薫を待ち続けていたのだが結局戻ってくることはなかった。満は身体が回
復してから薫を探し始めたが見つからず、現在に至る。
「満!」
 咲が部屋の戸を開けた。満は慌てて目を閉じた。
「まだ寝てるんだ……朝食、置いておくね。舞、ゴーヤーンさんにお手紙書いてくれたん
だって。すぐには無理かもしれないけど、そのうちお返事来るんじゃないかな」
 朝食を載せた膳を置くと咲はしばらく満を見ていたがやがてまた部屋を出て行った。狸
寝入りを決めこんでいた満はむっくりと起き上がると朝食に手をつけまた横になった。

     * *

 ゴーヤーンからの返事は意外と早かった。と言っても、本人からのものではなかった
かもしれない。
「何? 何て言ってるの?」
 届けられた手紙を開く舞に咲が興味津々といった表情で尋ねる。舞は一通り読み終える
とやや表情を曇らせた。
「ゴーヤーンさんは忙しいって」
「あ……、断られたの?」

「ううん、お断りっていうわけでもないみたい。時間を作るため、五条の鬼退治を変わり
にしてはもらえないだろうか……、と書いてあるわ」
「五条の鬼?」
 聞きなれない名である。何それ、と咲が尋ねると、近頃五条の橋の上に出ると言われて
いる鬼よ、と舞が説明した。
「夜な夜な、偉い人たちに戦いを挑んでは刀を奪っていくんですって。天を突くほどの
大男だそうで、それで鬼と呼ばれているの。ゴーヤーンさんが退治を頼まれてたのね、
知らなかったわ」
「へえ……なんだか怖そうだね」
「ええ……多分、退治できるとは思うけど」
「私も手伝うよ、夜行くの?」
 咲の言葉に舞は驚いたが、ええ、と頷いた。

「今夜だね、ちょっと満にも言ってくるよ」
「待って咲!」
 満の名を聞いた舞は慌てて咲を呼び止める。
「うん?」
「満さん、その、どんな?」
「う〜ん、」
 どう説明しようかと咲は二度三度頬を掻いた。

「ずっと寝てる……多分寝た振りだと思うけど。昨日は、もう薫を探すの止めたいって言
ってたけど……」
「そう……やっぱりあんなことしなかったほうが……」
「舞、そんなに気にすることないよ」
 俯いてしまった舞の背中を咲は軽く叩いて勇気付ける。
「だって、満なんだかんだ言ってまだここにいるもん。本気で探すのやめるつもりだった
ら、さっさとここを出て夕凪の方に戻ってるよ」
「夕凪?」
「あ、私や満が住んでた地方の名前だよ」

 心配しないでと言い残し、咲はまた満のいる部屋に向った。先ほど持ってきた満の朝食
が綺麗に平らげられているのを見て咲は声を出さないように笑いつつ、まだ丸くなって
いる満に近づく。
「満、起きてる?」
 多分起きているだろうと思いつつ、一応声をかけた。満は知らん振りをして身体を丸め
ている。
「今夜、五条の橋の上に出るっていう鬼退治に行くんだって。それができたらゴーヤーン
さんが会ってくれるらしいよ。私も手伝いに行くつもり。ゴーヤーンさんに会えたら、
薫さんのことも聞いてくるよ」
 満はまだ何も反応を返してこない。苦笑いを顔に浮かべつつ、咲は満の食べ終えた朝食
の膳を下げた。

 満の膳を舞に渡すと、舞の手の上に載ったそれは跡形もなく消えてしまった。片付ける
べき場所にいったらしい。内心驚きつつも、舞だから、と思って咲は気を落ち着け部屋の
端、すぐそばに庭が見える場所に行って腰を下ろす。微かに吹いてくる風が心地よい。運
ばれてくる草木の匂いを感じていると、自然、頭の上から耳が生えてきた。
「咲」
 舞が静かに咲の隣に座る。
「うん、何?」
 狸の耳がぴこぴこと頭の上で動いているのに気づいていない様子の咲がなんだか可愛ら
しくて、舞はそのまま指摘しないでいようと思った。しかし咲本人が自分で気づいてしま
ったようで、
「あ……いけない」
 と耳をしまおうとする。
「そのままでいいのに」
 舞が言うと、ん、そう? と聞きなおして咲は耳をそのままにした。良く見ると尻尾の
先も伸びてきている。
「咲は本当の狸にもなれるのよね」
「うん、そうだよ。こんな感じ」
 するすると咲の身体が変化した。みるみるうちに小さくなり茶色の柔らかい毛皮が身を
覆う。舞の横にちょんと四つ足で座って舞を見上げる。ふふっと舞が咲の頭を撫でると、
またむくむくと身体が大きくなり元の姿に戻った。
「夕凪では、どちらの姿をしているの?」
「う〜ん、色々だよ。決まってないっていうのが正しいのかな。人間が近くにいるときな
んかは狸の姿になっていることが多いし、それ以外は人の姿になってることも……あ、川
釣りをするときは絶対尻尾が生えてるけど」

「それはどうして?」
 きょとんとした表情の舞に、咲は自分のふかふかした尻尾をやや自慢げに見せる。
「この尻尾を川の中に垂らして少し待つとね、魚が食いついてくるんだ。そこでえいっと
釣り上げるんだよ。村の中で一番……一番は健太かな……二番目には魚釣り
上手いんだから、私」
 胸を張る咲を見て舞は素直に「すごいわ」と感心する。
「それとね、年に一度のお祭りで踊る時はみんな人間の姿になるんだよ。これはそう決ま
ってるの。音楽を演奏する人は狸のままだけど」
「へえ……」
「みのりもね、今年からお祭りに出られる歳なんだ」
 咲の顔に少し懐かしそうな寂しそうな色が浮かぶ。

「すごく楽しみにしてたから……絶対、間に合うように探し出さないと」
「うん……」
 隣で頷いている舞に咲はふと思い出したように、
「そういえば舞ってずっと人間の世界で暮らしてるの?」
「え……ええ、そうよ」
「へえ、そうなんだ。小さい頃は山の方で暮らしてたのかと思ってた」
「お母さんはずっとお父さんと一緒にいたから……」
「あ、そうなんだ。じゃあ、舞はずっと人間の姿で?」
「ええ、そう。小さい頃は、とにかく狐の耳を出さないように気をつけてたわ。
今は、注意しなくても出ないようになったけど」
 舞はまた俯いてしまった。ずっと人間の世界にいたならそうだろうなと咲も思う。ただ、
「可愛いのにね。勿体無いな、何だか」
 と言わないと咲の気持ちが収まらなかった。
「可愛い?」
 舞が顔を上げて尋ねる。
「うん、すっごく可愛い! 白いし、ふかふかしてそうだったし」
「ふ……ふかふか?」
「ご、ごめんね触ったこともないのに。でも可愛かったのは本当だよっ」
 慌てて取り繕う咲に舞は笑みを浮かべる。それを見て咲もほっと安心した。
「ありがとう、咲。そんな風に言ってくれた人初めて」
「誰にも見せてないからだよ、誰だって見たらそう言うって」
 咲が笑うと舞もまた静かに笑っていた。

【第四話 完】



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