前へ 次へ


 岩の陰で満は頭を抱えていた。どうしてああも余計なことをするのかと胸のうちでぶつ
ぶつと呟く。
「身の程を思い知らせてあげるわ! はっ!」
 妙な気配を感じて岩から再び覗くとシタターレの手から出る吹雪に咲が吹き飛ばされ地
面に叩きつけられている。
「咲!」
 満は思わず岩の上から飛び出した。身を捻るようにして女のすぐそばに降下し、爪でそ
の顔を切り裂く。
「何すんのよ、私のお顔にっ!」
 激怒した女の腕からするっと毛玉が抜け出した。ムプーププーと満の胸に飛び込む。
「へえ、今度は猫。あなたにも身の程ってものを教えてあげようかしら」
「待ちなさいよ……」
 満の背後で咲が立ち上がる。二人ね、と言うとミズ・シタターレは
「カレハーン、いらっしゃーい!」
 と芝居がかって叫ぶ。――咲の背後の地面が盛り上がったかと思うと仮面をつけた男が
現れた。
「二人相手なら、こちらも二人がかりで行かせてもらおうかしら」
「待ちなさいよ、そもそもなんでこんなことしてるのよハナミズターレ」
「ミズ・シタターレと言ってるでしょう! まあいいわ、消滅する前に教えてあげる。こ
このところ何故かお肌が荒れてねえ。そこにいる精霊さん達が知っているはずの、美貌を
保つための妙薬を手に入れようと思ったのよ」
「美貌?」
 咲が繰り返すとミズ・シタターレは満足げに頷き、
「ええそうよ。お肌がつるつるになったら私、もっと美人になれるでしょう? ってそこ
の猫! 何視線そらしてるのよ!」
「待って、つまりあんたは美人になりたいってことね」
「ええそうよ。この精霊さん達をあぶりだすためにカレハーンに頼んで木を枯らしてもら
ったんですもの、折角捕まえたのに放すことなんてできないわ!」
「待って、そんなの必要ないわよ!」
 咲が満の一歩前に出る。何ですってとばかりにミズ・シタターレが眉毛を吊り上げる。
「だって、今のままでもすごく美人だもの!」

 何を血迷ったのかと満は咲を見たが咲はごく真剣な顔をして話を続ける。
ほら、と言いながら頭の上で枯葉を振ってぽわんと鏡を出す。
「ほら、見てみればいいじゃない」
 ミズ・シタターレに見せながら、
「ねえ鏡、世界で一番綺麗なのは誰?」
 と鏡に聞いている。当然鏡が答える訳もないのだが
「はいそれはミズ・シタターレ様でございます……」
と、口があまり動かないようにしながら咲が言っている。

 ――いくらなんでもそんな見え見えの腹話術で騙されるほど馬鹿じゃないでしょ……
 満がそう思っていると、
「あら、まあ。そうなの」
 ひどく嬉しそうなミズ・シタターレの声がした。
 ――騙されてる! なんておめでたい人なの!
 うっとりと鏡の中の自分を見ているミズ・シタターレに呆れながら満がちろっと横目で
カレハーンを見ると、この男もやはり呆れているようだ。
「……随分おめでたいのね、あの人」
 皮肉交じりに満が囁くとカレハーンはああと頷き、
「まあ、構わん。こんなくだらないことにつき合わされるくらいならあれで満足してくれ
る方がいい」

 ――それは、確かに……。
 満が納得していると、ミズ・シタターレは鏡の中の自分の姿に満足しきった様子で、
「いいものを見せてくれたわ、狸」
「いえいえどういたしまして」
「用事はなくなったわね。カレっち、帰るわよ」
「カレっちと呼ぶなー!」
 ミズ・シタターレの姿が突然崩れた。女の形から蛇のような形へ、そして龍へと変化し
て行く。カレハーンを引っつかむと水色の龍は天へと登っていく。駆け上る龍の姿が
小さくなるに連れ、ぽつぽつと雨が降り始めた。今まで岩しかないように見えていた
地面から草が生えてくる。
更に木が生え、大粒の雨を遮るように葉を茂らせていった。
見る間に辺りが緑に覆われていく。恐らくはこれが元の姿なのだろう。
満の腕からするっと毛玉が抜け出し、咲と満に礼を言った。

「お礼なんていいよ。あなた達は精霊なの?」
「そうムプ、月の精ムープと風の精フープムプ!」
「ムープとフープかあ」
 咲は指先でちょんちょんとムープを突付いてみた。くすぐったそうにムプムプと笑って
いる。
「さっきの人、水龍なんだよねきっと。どうして水龍があんな理由で地上に降りてきたの
か知ってる?」
 咲の問いにムープとフープも顔を見合わせる。
「ムープたちも良く分からないムプ」
「でもここのところ、色々なことがおかしいププ」
「何? その色々なことって」
 聞き捨てならない――というように、満が話に割り込む。
「上手く言えないムプ……でも水の流れが変わった感じがするムプ」
「水? さっきの水龍がここの水を枯らしてあなた達を探してたんでしょ?」
 フープが満に首を振って見せた。

「さっきの水龍が出てくる前から、ここの水はおかしかったププ。木も、なんだか前と感
じが違うププ」
「ふうん……」
 精霊達の話は要領を得ないが、本当のことを言ってはいるようだ。どこかはっきりしな
い表情を浮かべている咲と満にとにかく、と精霊達はお礼を言った。
「ありがとうムプ」
「おかげで助かったププ」
 その言葉を残し、精霊達の姿がすっと草の影に消える。咲が草をかき分けてみてもその
姿はもうどこにも見当たらなかった。
「いなくなっちゃった」
「どこかに帰ったんでしょ」

 そっけなく満は言うと手近の木の幹に背をもたれかけた。雨はまだ続いており、葉の間
をすり抜けて落ちてくる雨粒もある。満は濡れるのが嫌なようで、雨粒に触れるたびしき
りにその場所を拭いている。
「雨が止むまでここにいようか、動いても多分雨に打たれるだけだし」
「そうね」
 咲の言葉に一言で満は答えると空を見上げた。先ほどまでぎらぎらと照りつけていた日
の光も今は雲と木の葉に遮られている。
「ねえ」
「何、満?」
「あなたってお節介なのね」
「うん?」
 満の言葉に咲が首を傾げる。
「精霊達、助けるなんて」
「そう? ――でも満だって、誰かが困ってたら放っておけないんじゃない?」
「そんなことないわ。私だったら放っておく」
 ぷっと咲は吹き出した。どうしてこんなところで笑うのかと満が怪訝な表情を浮かべる。
「そんなの嘘だよ、だってさっき私のこと助けてたもん」
「――助けた?」
「あのハナミズターレに襲われた時」
「あれは……、だってああでもしないと面倒なことになるでしょ」
「ふ〜ん」

 猫だもんなあと咲は思う。犬族と比べ猫が素直でない、何を考えているか分からない、
気まぐれ、わがままなどと評されるのはよくあることだ。猫とこんなに話すのは咲として
も初めての経験だが、確かに犬族と比べると満の感情表現は分かりにくい――かもしれない。

「ねえ、満?」
「何?」
 ふと疑問を覚え、咲は尋ねてみる。
「薫さんって猫も満に似てるの?」
 基本的に単独行動を好む猫同士がどんな風に付き合っているのか咲は興味を感じていた。
「違うわ。薫は山犬だから。狼とも呼ばれていたけど」
「えっ?」

 咲は目をしばたかせた。満の答えがあまりにも予想外なものだったからである。
「変?」
「へ、変ってわけじゃないけど……その、珍しいね。山犬と山猫が一緒にいるなんて」
「まあね。色々あって成り行きで」
 満があまり話したくなさそうだったので咲はそれ以上深く突っ込んで聞くのは止めた。
しばらく雨の音を聞く。
 ――山犬って群れで暮らすものなのに、なんで山猫と山犬で一緒に過ごしてたのかなあ
……そもそも私が住んでいた所の近くに山犬の群れっていたっけ?
 いくつか疑問が浮かんで来たが、隣で座っている満の表情を見ると一度に色々聞くのは
憚られた。
 ――また今度、話してくれるよね。
 そう思い、咲も雨の音に耳を澄ませることにした。

【第二話 完】


前へ 次へ
長編SS置き場へ戻る
indexへ戻る