「舞、佐賀とチリとどっちがいい?」
「え?」
中三の夏休みに入る少し前のこと。お母さんにそう聞かれた舞はきょとんとした
表情を浮かべた。

「……何のこと?」
「ああ、お母さんが8月末に佐賀で考古学の学会に行くの知ってるでしょ?」
「22日から25日って言っていた学会のこと?」
「そうそう、それ」
机の上に置いてあるカレンダーの8月22日から25日の部分には黒々と
「考古学学会 佐賀」と書いてある。

「それでね、お父さんも25日からチリに行くことになっちゃったのよ。
 向こうで研究しているお友達との打ち合わせで」
「え、そうなの?」
「そうなのよ。それでね、舞を独りで置いて行くわけにいかないし、
 佐賀かチリか、どちらかについて来た方がいいと思って」
「独りって……お兄ちゃんは?」
 不思議そうに尋ねる舞に、ちょうど牛乳片手に降りてきた和也が答える。
「僕は父さんについてくよ。向こうの天文台も見学させてくれるそうだから」
「せっかくだから舞もチリに行く?」
「いい機会だとは思うよ」
和也とお母さんに口々に言われ、舞は「ちょっと待って」と二人を止める。

「あの、夏休みは勉強しなくちゃいけないんだけど……一応受験生だし」
正直なところ、中三の一学期の現段階ではまだあまり受験生という自覚はない。
しかし夏休みともなれば流石にちゃんと勉強しないとまずいだろう、と
舞は思っていた。

「舞は変なところで真面目だな。僕も受験生なんだけど」
和也のからかうような言葉に舞は「もうっ!」と拗ねたように答える。
「お兄ちゃんとは違うのっ!」
「でも舞、どうするの? 塾や予備校の夏休みの合宿みたいなのに参加する?」
「え……それはちょっと……」
お母さんのアイディアにも舞は難しい表情を浮かべる。

「勉強だけなら、道具持って行って向こうでやるって手もあるよ。勉強だけならね」
「うん……でもちょっと……」
和也からも現実的な案が出る。舞はそれにも気が乗らなかった。
「……舞? どっちにしてもこの家に独りで、っていうのは駄目よ。
 お父さんかお母さんについてくるか、舞もどこかしっかりした所に泊まるか」
「……ちょっと考えさせて」
「チケットの手配があるから、なるべく早くね」
はあいとお母さんに答えて、舞は自分の部屋に上がって行った。

「どうしたのかしらね、舞ったら」
「咲ちゃんじゃない?」
和也はあっさりと答える。
「去年の夏休みも、結局ほとんど毎日会ってたみたいだし」
「そういえばそうだったわね」
それを聞いてお母さんもくすりと笑みを浮かべる。
――学校でも毎日会っているのに……
周りはついそう思ってしまうが、舞にはそんなこと関係ないのだろうと
和也とお母さんは思った。


――佐賀かチリ、かあ……。
ぱたんと机の上のカレンダーを倒すと、舞はかばんの中から手帳を取り出した。
舞たちが今志望しているのは清海高校。和也や泉田先輩が通っている高校だ。
舞も――咲は特にだが――頑張らないと厳しいだろうというのが
現在の状況である。だからこそこの夏休みが肝心なのだ。

手帳には咲と満、薫と一緒に勉強する予定がきっちりと書き込まれている。
満と薫の二人は特に問題なく清海に受かるだろうというレベルなので、
咲と舞は二人に勉強を教えてもらうつもりだ。夏休みは特に念入りに。

――やっぱり、25日近辺も夕凪町にいた方が……?
舞は少し考えた。本当なら、和也と二人この家で留守番をしているというのが
話としては一番落ち着く。だが、和也のあの様子では絶対にチリに行くつもりだろう。
ということは、舞はこの町でどこかしっかりした所に泊まらなければ
いけないということだ。

――咲の……家に泊めてもらえたら……?
もしそうできたら、それが一番いい。明日咲に聞いてみようと舞は思った。


「うちに?」
翌日PANPAKAパンのテラスでその話をしてみると、咲は意外そうな表情を浮かべたが
「だめ……かな?」
舞がおずおずと尋ねると、咲はううんと元気良く首を振る。
「そんなこと、全然ないよ! ね、お母さん!」
店内に居た咲のお母さんにも話は聞こえていたらしく、「ええもちろん」と笑って頷いてくれる。
「舞ちゃんがそのつもりなら、舞ちゃんのお母さんに後で電話しておくわ」
「すみません……私からも伝えておきます」
「ええ、気にしないで大丈夫よ、舞ちゃん」
舞と咲の話を二人の後ろで聞いていたみのりは「いいなあ」と呟いたかと思うと
傍にいた満と薫を見上げた。

「その日、みのりも満お姉さんと薫お姉さんのお家に泊まっていい?」
「え?」
薫が意外そうにみのりを見る。
「それはもちろん構わないわ。でも、そんなに面白いことは……」
「あ、みのり。薫のこと困らせないの」
咲がすぐにそう釘を刺すと、ぷっとみのりは不服そうに、
「だって、みのりだって誰かのお家にお泊りしてみたいもん」
と口を尖らせる。

「困ったりなんかしないわ。みのりちゃんさえ良ければ、いつでも
 泊まってくれていいのよ」
「本当!?」
ぱっとみのりの表情が明るくなった。

「え〜いいの、薫? 満も」
「ええ、もちろん」
二人が同時に咲に向って頷く。みのりはと言えば早速とばかりに
お母さんのところに泊まってもいいかどうか相談に行っている。


そんなわけで、結局8月25日は舞が咲の家に、みのりが満と薫の家に泊まることになった。
当日は夕方までは咲の家で勉強。みんなで夕食を食べさせてもらった後、
満と薫はみのりを連れて自分たちの家に帰っていったので日向家には咲と舞だけが残る。
みのりたちを玄関で見送った後咲とみのりの部屋に戻ってみると、急に静かになったような
気がした。

「あ〜、何か不思議」
咲はそう言って、自分のベッドの上にうつ伏せに倒れこんだ。舞はそっとその傍に座る。
「舞が私の部屋に居るのはそんなに珍しくないけど、みのりが家にいないのなんて
 滅多にないもんね」
「そうね」
舞はそう答えて少し笑った。

「今頃はみのりちゃんも薫さんたちのお家で楽しくしてるんじゃないかしら」
「二人に迷惑かけてないといいけどな〜」
咲はまだ少し心配そうだ。
「大丈夫よ、みのりちゃんなら。一緒に居るのが満さんと薫さんなんだし」
「だったら、いいけど」
咲はごろりと寝返りを打って仰向けになる。頭がちょうど枕元に置いていた
参考書の角にぶつかった。

「痛っ。もう……」
大体三分の二くらいまで終ったそれを咲は枕から離しておいた。今日の昼間も使ったものだ。
舞がすっと腕を伸ばしてそれを手に取る。

「夏休み中に、目標にしていたところまではいけそうね」
「う〜ん、でもこんなに勉強する夏休み初めてだよ〜」
頭が熱くなってそう、そう言って額に自分の手を当てる咲に舞は苦笑しながら、

「でも咲、すごく力がついてるってこの前満さんが言ってたじゃない」
それを聞いて咲はえへへと笑う。
「満がこの前出した問題、全部正解できたんだ。でも、」
咲は真面目な顔になると、身体を起こしてベッドの上に座る。

「清海高校行くためには、もっと頑張らないといけないみたい」
「そうね……私も」
「え〜、舞はもう余裕なんじゃないの?」
「そんなことないわ」
舞は笑って手を振った。
「私もまだ、ちゃんと頑張らないと」
「そっか……」
咲は舞の持っている参考書を自分の手に引き取ると、立ち上がって机の上に
それを置きなおす。

戻ってきた咲は舞のちょうど向い、みのりのベッドの方に腰を下ろした。

「ねえ、舞はやっぱり和也さんが清海高校だから清海を受けようと
 思ってるの?」
「え……、」
そういえばそういう話を咲とはしたことがなかった、と舞は思った。四人の中で最初に
志望校を清海に決めたのは咲。そのまま何となく、舞も満も薫も合わせて
四人で清海高校を目指すことになっている。

「そうね、お兄ちゃんがすごくいい高校だって言ってたし、それに……」
「和也さんが学校の友達といるのたまに見るけど、すごく楽しそうだもんね」
「ええ。学校の雰囲気もいいみたい。咲が清海を志望したのってお兄ちゃんを見てて、なの?」
「ええええっと、それだけじゃないよ!」
咲は突然顔を真っ赤にして舞の言葉を否定した。その様子に舞はきょとんとした顔で
首を傾げる。
「ほほほほら、泉田先輩も通ってるから! 清海高校のソフト部も、
 すごく熱心なメンバーが揃ってるらしいんだ」
「お兄ちゃんにも聞いたことあるわ。まだあんまり強くはないけど、今年から
 新しくソフト部の顧問になった先生がすごく気合入れてるって」
「でしょ? でしょ? だからやっぱり清海行って――また泉田先輩と一緒のチームで
 プレーしてみたいしね」
そういうものなんだと舞は思った。舞は体育の時間や遊びでスポーツをしたことはあっても、
咲のように部活でチームスポーツをした経験はない。
だから、咲が今言ったような気持ちを想像することはできても――実感としては
どこか曖昧なままだ。

「咲は泉田先輩に憧れてるの?」
「そりゃそうだよ! 優しくって格好よくってさあ。あんなキャプテンになれたらいいなって
 いつも思ってるけど……無理っぽいけど……」
咲の声がだんだん小さくなる。舞はくすりと笑うと、
「咲のキャプテンもだいぶ様になってきたってこの前伊東さんたちが言ってたわよ」
と取り成す。

「本当〜? 仁美、結構厳しいんだよね」
「厳しいって、一年生や二年生にってこと?」
ううん、と咲は首を振る。
「下級生には別に普通に接してるんだけど、キャプテンの行動にいろいろと。
 指示が分かりにくいとか」
舞はそれを聞いて苦笑した。ソフト部の練習風景を見ていて、
咲が言ったことをもう一度仁美が説明し直す場面は何度か見たことがある。

「でも、四月よりは咲もキャプテンらしくなってきたって」
「だったら、いいんだけど」
咲はベッドに深く座りなおして、改めて舞を見た。

「そういえば、舞にも憧れの先輩っているの?」
「私?」
舞は咲に聞き返す。

「そうそう、泉田先輩みたいな――こう、ああなりたいなって感じの人とか」
「そうね……」
舞は少し考えこむ。そんな様子を見ながら咲は、
――舞にはそういう人いないのかな。あんなに格好いいお兄さんがいると、
  憧れの人とかできないものなのかも……
と思っていた。

「ああいう風になりたい人、というのはちょっと違うけど……」
小さな声で舞が呟き始める。
「うん」
咲は舞の声を聞き逃さないように耳をそばだてた。

「その、一緒に居て明るい気持ちになれるような、明るい気持ちにしてくれて
 いつまでもずっと一緒にいたいと思えるような人には、……憧れるわ」
「へえ〜」
咲は納得したように頷く。
「そういう人が、舞が憧れるタイプなんだ」
「……ええ、そう」
蚊の鳴くような声で答える舞に、照れなくてもいいのにと咲は思う。


「咲、舞ちゃん! お風呂入っちゃいなさい!」
階下からお母さんの声がする。
「うちのお風呂狭いけど、一緒入っちゃう?」
冗談めかして咲が聞くので舞は釣られて笑いながら、
「そうね……一緒に」
と答える。
「よーし! 日向温泉にご案内〜!」
咲は機嫌よく着替えの支度を始めた。

-完-

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