「全員集合!」
篠原先生の声と笛の音がグラウンドに響く。
夕凪中ソフト部員達はすぐに集まってきた。
部員の中で一人だけ先生のそばに立ち他の部員達と向かい合う形になるのは
キャプテンである。

「日向」
篠原先生に促され、日向みのりは一歩前に出る。

「それでは、今年の夏合宿はこれで終了!」
「ありがとうございました!」
みのりの言葉に、部員一同一斉に礼をする。堅苦しいのはここまでで、
後はばらばらと解散する。みのりも時計をちらっと見ながら部室へ急いだ。
今日はすぐに行かなければいけない場所がある。

「みのりー、この後クレープ食べに行く予定なんだけど一緒行かない?」
着替えていると同じ三年生のチームメイトが話しかけてくる。

「ごめん、今日用事あるから」
「あ、そうなの?」
「うん、じゃあね。ちょっと急いでいかないといけないんだ」


部活用のスポーツバッグを肩にかけたままみのりが走る。
まず家に戻り、「ただいま!」と店に叫んで「行って来ます!」とまた飛び出す。
裏に止めてある自転車にジャンプして乗ると、みのりは必死にペダルをこぎ始めた。

学校を過ぎ、いつもの生活圏内から少し外れた方へと
自転車は進んでいく。信号待ちのとき、みのりはバッグのポケットの中から
手書きの地図を取り出した。やや複雑な道順だが分かりやすく書いてある。
道が合っていることを確認するとまたしまって走り始める。

家とは逆方向、山や海から離れる方向に風を切ってどんどんと走っていく。
次第にアスファルトの道が広くなり、大きな車道へと繋がっていく。
道の周りには比較的背の高い建物が立ち並び、どこか威圧感がある。
街道とぶつかる交差点の一本前の道で、みのりはきゅっと自転車を右折させた。

細い道を駆け抜けると、先ほどの道よりはだいぶ狭い道に出る。
車はあまり通っていないし、建物も背の低いものが多いがこちらの方が
人通りは多いようだ。みのりはもう一度地図を見る。

――ここから左に曲がって少し行ったところにある○○ビル、と……

自転車を押して左右をきょろきょろ見回しながら目的地を探すことにする。
隣のビルの二階には歯科医院が入っていてそれが目印になると
書いてあるのでとりあえず歯医者らしき看板を探すと、すぐに見つかった。

隣のビルとの間にある狭い空間に自転車を停めると、目的地の
ビルに入る。外からはガラス戸しか見えなかったが、
中に入ると柔らかい照明が灯りどこか人を落ち着かせる雰囲気になっている。

「舞お姉さん」
舞は入り口のすぐそばに座っていた。見渡したところこの場所には舞しかいない。

「いらっしゃいませ、みのりちゃん」
「良かった、間に合って」
二人は顔を見合わせ笑いあう。

「見ていいの?」
「うん、絵は全部飾ってあるわ」
入り口付近から一つ一つ、みのりは絵を見ていった。
何の模様もない白い壁を広々と使って絵が掛かっている。

写実的なものから抽象的なものまで様々である。
たまに抽象的過ぎて、何がなんだかよく分からない絵もあるが、
色合いを楽しんでおくことにする。
絵の大きさも色々だ。B5ノートくらいの小さな物の隣に、
畳一枚分くらいありそうな巨大な絵が掛かっていたりする。

足音をあまり立てないように静かに歩きながら、みのりは
見慣れたタッチの絵の前に立った。絵の下には
「花と鳥」というタイトル、それに美翔舞という作者名が書いてある。
ピンク色の花と白い鳥が流れるような線で繋がり、離れ、また一つに繋がっている。
全体としてはさわやかな印象を与えるその絵の前でみのりはしばらく立ち止まっていた。

また進み、今度は「月と風」の前で止まる。――作者名はもちろん、霧生薫。
大風で木が揺れた一瞬に地上に光を届かせる月の姿を描いている。
舞の絵が抽象的に花や鳥を描き出したのと比べ、薫の絵はあくまで写実的で具体的である。
とは言っても単に風景を写しただけではなく荒々しい中にどこか静けさを感じさせていた。


「どう?」
いつの間にか舞がそばに立っている。今のみのりの身長は舞の背丈とほとんど変わらない。
「うん……なんだか不思議。すごく強い風が吹いているはずなのに、
 静かな風みたいな気もする」
「素敵な絵よね」
舞の言葉にみのりはうん、と頷いた。

短期間だけ貸し出してくれるビルの一室を使って、一般の人に絵を見てもらうような
展覧会を開いてみようと言い出したのは竹内彩乃である。
舞や薫と同じ大学に通う彼女は、他にも仲間を募ってこの企画をやりあげてしまった。
今日は三日間の展覧会の最終日に当たる。ちょうどソフト部の合宿と
ぴったり重なってしまったので、みのりは合宿が終わってから急いでここに
駆けつけたのである。

「美翔さん、お疲れ様! あれっ」
竹内彩乃が大きな声を出しながら入ってくる。客がいるとは思っていなかったらしく、
みのりを見てすみませんとばつの悪そうな顔をしたが、
「あれ、確か日向さんの……」
「妹のみのりです、こんにちは」
「ああ、そうそうみのりちゃん!」
「彩乃さん、ひょっとしてもう時間?」
二人の会話がちょっと止まったのを見た舞が心配そうに尋ねる。うん、と
彩乃は頷いた。

「明日から借りる人が、できれば今日からここで支度したいからできるだけ早く
 空けてくれって」
「じゃあ、片付けしないとね……」
「絵をはずして、掃除をすればいいって。とにかく借りたときと同じ状態に
 戻せばいいらしいわ。みんなにも招集かけたからもうすぐ来ると思う。
 少し始めてようか、二人で」

――ちょっと残念だけど。
そう思いつつ、舞は片付けに取り掛かった。まず、絵である。
壁からはずして一箇所にまとめる。大きい絵は数人ではずす必要があるので
みのりも手伝った。八割がた絵を外し終えると、道路の方からクラクションの音が
一つ鳴る。

「?」
その場に似つかわしくない音に振り返ると、薫が道路から中に入ってくる。
手に持った鍵をポケットにしまいながら、
「舞、車借りてきたわ」
と言い、舞たちを手伝っているみのりを目に留めて「間に合ったのね」と微笑む。

「うん! 薫お姉さんの絵も見たよ。凄く綺麗だった」
「……ありがとう」
照れたように言うと薫も絵を外す手伝いに入る。

一通りの絵を外し終えると、薫が乗ってきた白いバンに運び込んだ。
「じゃあ、薫さんお願いね」
「ええ」
鍵を握って車に乗り込む薫を見てみのりは疑問符を顔に浮かべ、
「薫お姉さんどこ行くの?」
「絵だけ先に大学に運んでもらおうと思って。
 掃除してる時に汚すといけないから」
「へえ、そうなんだ……」
舞の答えにみのりは感心したように呟く。薫が運転免許を取って二年ほどに
なるが、運転の上手さは折り紙つきだ。

「薫さーん、みのりちゃんも一緒に乗せていったら?」
道路から舞が叫ぶと、薫が助手席の窓を開ける。
「乗ってもいい? 薫お姉さん」
「ええ、いいわよ」
みのりがシートベルトをしたのを横目で確認すると薫は静かに車を発進させる。
ハンドルを握ると性格が変わる人も居るというが、薫の場合特に冷静さが崩れることはない。

「合宿はどうだったの?」
「うん、すっごく楽しかった! 天気も良かったし。一杯練習できたんだよ!
 だからこんなになっちゃったけど」
みのりが薫に腕を見せるようにする。真っ赤になっている腕を横目で見て薫は
微笑みながら
「咲と同じね」
と呟く。

「うん!」
みのりは屈託なく笑う。釣られて薫の笑みも大きくなる。

「ねえ、薫さんたちはどうだったの?」
「どうって?」
「この展覧会してて、どんなだった?」
「絵を描くまでは、いつも通りだったけれど。チラシやチケットを配るのが大変だったわ」
「ははあ……」
そうだろうなあとみのりは思う。薫の一番苦手とすることだ。

「彩乃さんはすごいわね。舞も私も、中々配れなくて……」
「私、手伝いたかったな〜」
「そうね、みのりが居てくれたら受け取ってくれる人はもっと増えたかもしれない」
大学構内に車を滑り込ませると薫は古ぼけた建物の前でバックさせ駐車する。
二人ともすぐに車を降り、車内から絵を運び出す。

もうこの頃は、薫もみのりに自分たちと同じことをさせていた。
「あなたの体力では無理よ」と止めることはほとんどない。
同じくらいの時期に、呼び方も「みのりちゃん」から「みのり」へと変わっていた。
みのりも最近、薫と二人きりで居る時には良く「薫さん」と呼んでいる。

「ついてきて」
絵を持ったまま薫は古ぼけた建物に入る。その一室に入ると、絵をゆっくりと机の上に置いた。

「ここに置けばいいの?」
「ええ。ありがとう」
二人で何度か往復すると絵は全て部屋の中に運び込まれた。

「ねえ、それでチケットやチラシはどうやって配ったの?」
薄暗い廊下を歩きながらみのりが尋ねると薫は少し恥ずかしそうに、
「結局舞も私も、満がパンを売るときに置いてもらってそれで全部配ったわ」
「満お姉さんの、あの移動販売の時に一緒にってこと?」
「そう」

満は大学に通いながら、咲の店でパン作りを本格的に習っている。
特に夏休みともなると一日中パン漬けの生活だ。週に二度、スーパーマーケットの前の
広場でPANPAKAパンのパンを売る日があるのだが――当然、パンは咲の家から車で運ぶ――、
夏休みはその移動販売を満が取り仕切っていた。咲も手伝っている。
問題があればPANPAKAパンに電話をして助けを求めることになっているが、
今のところそういう事態は起きていない。


「ああ、何か満お姉さんのパン食べたくなっちゃった」
車に戻って伸びをしたみのりを見て薫はちらりと時計を見る。
「このまま行ってみる? まだスーパーの前にいるかもしれないわ」
ちょっと考えてみのりはううん、と首を振った。

「さっきのところに自転車置いてきちゃったから取りに行かないと。
 パンは後でも食べられるし」
「そう、じゃああの場所に戻るわよ」
来た時と同じように薫は静かに車を発進させる。


みのりを降ろすと、薫は車を返すために走り去った。舞はちょうど
掃除を終えて出てきたところだ。彩乃は鍵を返すために夕凪町とは
逆の方へ歩いて行っている。

みのりは舞と連れ立って自転車を押しながら夕凪町へと向った。
舞は胸に小さな絵を抱えている。

「あれ? その絵も大学に持っていくんだったの?」
「ううん、これは小さいからこのまま自分で持って帰ろうと思って」
絵にはPANPAKAパンが描いてある。さっき壁に掛かってたっけとみのりは首を捻った。
そんなみのりの様子を察したように舞は、

「絵は一人一枚って決まってて。これとあの絵と悩んだんだけど、
 展覧会に出すのはあっちにしたの」
「ああ、そうだったんだ」
舞の荷物を自転車の籠に入れ――絵だけは舞は自分で持っていた――、
みのりは舞に歩調を合わせてゆっくり歩く。

「どうしてあっちの絵にしたの?」
「あっちの方を元々出すつもりで描いていたのね。
 これは気分転換に描いてみたらすごく好きな絵になったんだけど。
 ……それと、この絵は別の場所に置きたいような気がして」
「ふうん……?」
夕日の当たる道を二人は静かに歩いていく。


車を返した薫が日向家に戻ってくると、みのりも舞ももうリビングに居た。
まだ営業時間中なので咲や満は店の方に出ている。

「手伝った方が良さそう?」
舞とみのりに尋ねると、「さっき聞いてみたら今日はお客さんあんまり居ないからって
言われちゃった」という答えが返ってくる。

「そうなの。いいのかしら」
腰を下ろすと、

「お帰り、みのり」
大介が部屋の中に入ってきた。トレイの上に山盛りのパンを載せている。
「お父さん、ただいま!」
「食べ盛りが揃ったところで、ちょっと食べてみてくれないか、これ」
テーブルの上に置いたトレイには、メロンパンを初めとするPANPAKAパンの主力商品が
載っている。

「いただきまーす!」
みのりが手を伸ばした。舞と薫もそれぞれにパンを手にする。しばらく三人は無言で
口をもぐもぐと動かす。

「どうだい?」
「おいしいよ、お父さん。いつもと同じで」
「舞ちゃんたちは?」
「おいしいです」
薫も舞に合わせて頷くのを見て、大介はふむ、と考え込むような仕草をした。

「ねえお父さん、どうしたの?」
「いや実はこれ、満ちゃんの焼いたパンなんだよ」
薫も舞もみのりも、ぽかんとした表情を浮かべた。

「え、そうだったの!?」「全然、気がつかなかった……」
みのりと薫が口々に呟く。それを聞いてうんうん、と大介は頷いた。

「まだ品目は少ないけど、こういうパンに関してはかなり上達しているんだよなあ……、
 ありがとう、みんな。少し考えてみる」
考え事をしたまま大介は店の方へ戻っていく。残された三人は顔を見合わせたが、
大介の言葉の意味は誰にも良く分からなかった。

言葉の意味が明らかになったのは店が終わってからのことである。
咲と満、舞と薫にみのりが集まって居る前で大介が満を呼ぶ。

「満ちゃん」「なんですか?」
「今度の移動販売の時、自分で焼いたパンを主体にして売ってみたら?」
「え……と、それは」
聞いていた咲たちにも緊張が走る。当事者の満は尚のこと、どこか困惑したようにも
見える表情で大介のことを見つめている。

「どういうことですか?」
「さっきみのり達にも食べてもらったんだけど、パンによっては満ちゃんかなり
 腕を上げているからいいんじゃないかと思うんだ。
 移動販売は元々そんなに品目を揃えるわけじゃないから満ちゃんの焼いたパンだけで
 いけるだろうし、お客さんの反応を直接満ちゃんが見られるしね」
「満、すごいじゃない!」
「え……でも、そんな」

咲は大喜びで飛び上がると満の背中をバンバンと叩くが、満はどこか不安そうな顔をしている。

「何でそんな元気ないのさ〜、ほらほら」
「だって、もし何かあったらPANPAKAパンの信用に関わるのよ!?」
真剣な面持ちの満に咲は「大丈夫だって!」と言う。
「満のパンでお客さんに満足してもらえるとお父さん思ったんでしょ?」
大介を振り返るとうんうんと頷いていた。

「まあ、無理にとは言わないけど一度試してみるのもいいんじゃないかな。
 少し考えたら返事してもらえるかな」
「は……はい」
大介が店に戻るのを満は追いかけ、片づけを手伝う。

「あの、店長」
「うん?」
店の清掃もほぼ終わりかけた頃、満は大介に呼びかけた。
「さっきのお話、やります」
言い終えてしまってから満の背中を一筋の汗が伝う。
言ってしまったという気持ちが満の中に渦巻く。緊張できゅっと満のお腹が引きしまる。
将来自分の店を持つのならこういう経験もしておいた方がいい。
分かってはいるが緊張はしてしまう。

「大丈夫だって!」
咲が言ってくれた言葉を信じる。満はとにかくそうするしかないと考えていた。
そうでないととても乗り切れそうにない。


「……自分でやるって言った割に自信なさそうね、満」
「うるさいわね……」
自宅へ帰る道々、どこかとぼとぼと歩く満を見て薫が呆れたように言う。
言い返す満の言葉にも、あまり元気はなく実際にパンを焼いて売るときのことばかりを
考えていた。


数日後、満の移動販売の日。スーパーマーケットの植え込みの影に隠れて、
みのりと薫と舞は様子を窺っていた。
満と咲はいつものように笑顔でパンを売っている。

「満お姉さん、普段と変わらないね」
「まあ、腹を決めたみたいだから……パンを焼くところさえ終われば、
 後はいつもと同じ仕事だし」
「本当に大変なのは、今日食べたお客さんが次の時も来てくれるかどうかよね」
舞の言葉に薫もみのりも無言で頷く。

「大丈夫だと思うけどな、あんなにおいしいんだし」
「……ええ、そうね」
大丈夫であってほしいと薫は願う。将来的にパン屋を開くのが満の夢であることは薫も
知っているし、あまりこのことで落ち込む満は見たくない。


たまに買ったパンをその場で食べる客がいる。
満はそういう客がいるとついじっと視線を送ってしまう。
今食べ終えた客は満の視線に気づき「ご馳走様!」と笑顔で言うとそのまま
歩いていった。
ふうっと安心したように満は息を漏らす。
咲もその客のことは気にしていたようで満の顔を覗きこむようにしてにっこり笑った。
満も照れ笑いを浮かべる。

移動販売用の白い車の扉にフックをつけ、舞に貰ったPANPAKAパンの絵を
満は飾っている。振り返ってその絵を見て安心したように胸の前で手を一つ握ると、
満はまた接客に戻った。


-完-

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