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薫から大分遅れて、後ろから数えた方がずっと早い順位で舞がようやくゴールした。
このぐらいになると、もうゴールしたとたんにその場にへたり込んでしまう者が多い。
舞も一度地面に座り込んでから、咲の姿を探した。

グラウンドの片隅に、ぎゅっと手を握り締めて立っている咲の姿はすぐに見つかった。
――咲……?
だが、その咲の姿を舞は疑問に思う。

咲の姿は歓喜に沸いている者のそれではなかった。
まるで、地区大会の決勝戦で負けたときのような……、舞はよいしょと身体を起こした。

「咲!」
声をかけ、咲に近づく。咲は舞の姿を見ると、「舞……」と言いながら舞に寄ってきた。
その声がどこか弱々しいものであったので、身体の疲れも忘れて舞は咲を支えるようにする。

「どうかしたの、咲?」
「……なんだか……」
どうしたの、と舞は繰り返し尋ねる。咲は舞に身を委ねるように抱きついたかと思うと、

「満が……」
「満さんがどうかしたの?」
咲は舞の肩に顔を押し付けて首を振った。

「ううん、どうもしないよ。だけど……なんでだろう」


一方の満と薫はというと、グラウンドと校舎の間、水飲み場がある場所に二人して立っていた。
満の顔は無表情に近いものだったが、どこか陰を帯びている。薫はグラウンドの咲をちらりと見やると
満へと視線を移した。

「どうしたの、満?」
「どうもしないわ」
表情を動かさないまま満が答える。

「久しぶりじゃない、咲に隠し事をするなんて」
満はぷっとそっぽを向いた。薫はそれを意に介さずに続ける。

「それも――負けてあげるなんて。珍しいわね。もっとも、咲はなんだか
 怒っているようだけど」
満はきっと薫を睨む。薫はたじろがずにその目を見返した。

「ね、咲。少し落ち着きましょう」
舞は自分の身体にしがみついている咲を促し、皆が集まるゴール地点から少し離れた、
グラウンドの片隅へと咲を誘導する。木の影で二人はしばらくの間黙っている。
舞は待っていようと思った。咲が話す気になるまで、何も言わずに咲のそばにいた。
マラソンの方は最後にグラウンドに帰ってきた生徒がへろへろと走りながら
篠原先生に「よし、あと少しだ!」と言われているところである。
「なんかさ……」
ようやく、咲が口を開いた。いつも活発に喋る咲らしくなく、
ぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「悔しいんだ」
「なにが?」
「満、私にわざと負けたんだと思う」
舞は何かを言おうと口を開いた。落ち込んでいる咲を励ましたかった。
しかし、いい言葉が見つからない。

「よし、全員集合!」
全員がゴールしたので篠原先生がばらばらと散らばっている生徒達に声をかけた。
一度整列後、それぞれに教室に戻ることになる。咲の肩にそっと手をかけて、舞は
咲と一緒にグラウンドの真ん中へと向った。
ちょうど反対方向から満と薫の二人がやってくる。
満は咲の姿を見ると、気まずそうに目を伏せた。咲も満の姿に気づくと、
下を向いた。
二組は無言ですれ違った。薫と舞だけがすれ違いざまにちらりと視線を交わす。

「困ったものね」「ええ……」

言葉を出すことはなかったが、二人はそう会話していた。


部活や居残りがない日はいつも一緒に帰る4人だったが、今日に限っては
一緒には帰らなかった。満と薫、咲と舞という組み合わせでばらばらに帰る。
話し合ったことでもないが、4人ともそうなるだろうなと何となく思ってはいた。

満と薫は咲や舞を待つことなくすぐに教室から出てきた。下駄箱には誰もいない。
「私にはマラソン大会での順位なんてどうだっていい」
薄暗い中、満がようやく口を開いた。
「そう」
話を聞いている薫は淡々と答える。
「でも咲は、なんだか大事なんでしょ。マラソン大会で一位になるのが」
「らしいわね」
「だったら咲が一位になればいい。そう思ったのよ」
「そう」
確かにそれは合理的な判断だ――と、薫も思った。
満が一位になってもあまり意味はないが、咲が一位になることには意味がある。

「でも、それで」
靴を履き替えると満は薫と共に校舎の外に出た。光が眩しい。
「咲があんな反応するとは思わなかった」
「そうね」
「あんな風に、怒られるなんて思わなかった」
「そうよね」
満と薫はいつもよりも少し重い足取りで学校から離れていく。
緑の郷に来てからもうすぐ10ヶ月になる――もっとも、数ヶ月の間ダークフォールで
眠っていたが――それでも、人間の気持ちには良く分からないことが多かった。

満はもちろんとして薫にも、わざと負けたことに咲がなぜあんなにも傷ついた表情を
見せたのか良く分からない。
いつもなら周りの人との間で少し揉めることがあっても咲や舞がフォローしてくれるのだが、
今回は肝心の咲を怒らせてしまったから事態が深刻だ。


「それで、どうするの?」
あくまでも冷静さを保ったまま薫は満に問う。満は黙ったまま何も答えなかった。
「咲とこのままでいいの?」
薫はさらに問いかける。「それは嫌」満は即答した。
「だったらどうするの?」
聞いていながらつくづく意地悪な質問だと薫は自分でも思う。
薫にも、こういった状況でどうしたらいいのかということは分からない。
満にもおそらく分からないだろう。

満に分かっているのは、咲とこのままでいるのは嫌だという自分の気持ちだけだ。

「マラソン大会、初めからやり直したい――今度は、わざと遅れたりしないから……」
「無理ね」
それは、そうできたら一番いいでしょうけど、と薫は思う。
どう考えても実現し得ないことを言っても仕方がない。
「もっと現実的なことを考えなさい」
「分かってるわよ」
苛立ったように満は答えた。


「はふう〜」
PANPAKAパンにお客さんがいないのをいいことに、咲は外に出してあるテーブルに
突っ伏した。普段の舞の指定席、舞が良く咲やコロネの絵を描いている席である。
舞はその隣に腰掛けた。

「ねえ咲、満さんは別に咲を騙したりしたわけじゃなくて……」
「分かってる!」
舞が驚くほど大きな声で咲は言葉を返した。

「満に悪気がなかったのも、多分、私に気を遣ってくれたのも分かってる。
 でもなんだか……」
「うん……」
舞は静かに、咲の言葉を待っている。
「なんかもやもやしてるのが、取れないの」
すっきりしない。咲の気持ちを一言で表すとこうだった。
「ソフト部の後輩にいいところも見せたいし、マラソン大会は去年泉田先輩が優勝したし……」
「うん」
「一位になりたいって思ってたけど、でも、満に嘘をつかせての一位なんて
 ……別に……」
そんなものは欲しくない。咲はようやく、その言葉に辿りついた。
「そうね……」
「でも満は私のこと、きっと気を遣ってくれてたんだよね……」
今となっては咲はそのことも気になり始めていた。
どう考えても満には悪気はなかった。むしろ自分のために良かれと思ってしてくれたことなのだろう。
良かれと思ってしたことが良くない結果になってしまうのは、そんなに珍しいことでもない。

「満、怒ってるかなあ……」
満がわざと遅れたことに気づいたとき腹立たしかったからといって、
自分のとった態度はあまりにもひどくなかったかと咲は鬱々と思い悩む。
そばで聞いている舞はテーブルに突っ伏した咲の髪に軽く手を添えた。

「ねえ咲、満さんと話してみよう」
「うん……でも、もう嫌われちゃったかも……」
いつになく思い悩んだ声で咲が言う。舞は微かに笑うと
咲の頭を撫で回した。


「大丈夫よ。私たちはみんな、星空の仲間なんだから」
と、弾かれたように咲が顔を上げた。
「そうだよね、舞!」
声が突然、明るくなっている。いつもの咲の声だ。

「満に話してみる! 話して、わざと負けるのなんて嫌だってちゃんと言ってくる!」
「私も一緒に行くわ、咲!」
「うん!」
手を取って、二人は駆け出した。


満と薫の行動範囲は夕凪町の中でもそんなに広くはない。
学校、大空の樹と回って、咲と舞は海岸で満と薫の姿を見つけた。
砂浜に座り、ぼんやりとひょうたん岩を見ているようだ。
満の表情には遠目に見てもそれと分かるほど元気がなかった。
それを見た咲の胸が痛む。

「みーちーる!」
大げさなほど元気な声を出して、咲は満に近づいた。
「咲!?」
満が驚いて振り返る。満が何か言う前に、咲は「ごめん!」と両手を合わせた。
「咲?」
きょとんとした満に、咲は「さっき、言いすぎたよ」と続けた。
「ねえ咲、私は……」
「うん、満はきっと私のこと考えてくれたんだよね」
「ま、まあね……」
「それなのに、言いすぎたよ。ごめんね」
咲は軽く頭を下げる。
「もう、いいわよ」
いささか投げ遣りな口調で満は答えた。咲は屈託のない笑顔を浮かべて顔を上げる。

「満、ありがと!」
「でも……私、良く分からないの。どうして咲が怒ったのか」
「うん……」
咲は少し考えてから言葉を継いだ。

「私は一番には、それはなりたかったけど、でも、満がわざと負けた一番だと
 そんなの全然、意味がないからさ……」
「……」
「満がちゃんと最後まで走ってくれて、それで私が一番だったらきっと凄く、凄く嬉しかったと
 思うよ。後輩にいいところも見せられるし……でも、満にわざと負けてもらってまで、嘘ついてもらってまで、
 一番になりたかったわけじゃないんだよ。
 だって、満が一番で、私が二番で、それで十分だもん」
「そうなの」
「うん。私が一番になるのもいいけど、格好いい満も見たかったな」
「……咲」
満は何かを決心したように口を開いた。
「何?」
「今更、マラソン大会をやり直すことはできない……けど」
「うん」
「もう一回、走りましょう。今度は最後までちゃんと走るから」
「もう一回って、マラソンコースをそのまま?」
こくんと満は頷いた。
隣の薫は冷静な顔をしながら、内心呆れて満の言葉を聞いている。
「うん、分かった。じゃあ、学校へ行こう!」
するのね、と薫は思った。咲なら満の提案を受け入れるだろうとは思ったが。


一同は学校へと移動し、満と咲は体操着に着替える。
マラソン大会の時実際に使ったスタートラインに二人だけで並ぶ。
「位置について、よーい、スタート!」
舞の声で二人は一斉に駆け出した。

「本当にやり直すと思わなかった」
校門を出て行った二人を見て薫が呟く。
「本当に、って?」
「満はマラソン大会やり直せたらって言ってたのよ。
 咲と気まずくなったときに。無理だって言ってたんだけど」
「咲は――」
舞は薫を見てにっこりと笑う。

「満さんと仲直りできるためだったら何でもするんだと思うわ」
「ま、そうかもしれないわね……それにしても、暇ね。しばらく」
「咲と満さんの走ってる姿、見てみたいけど」
「じゃあついて行って見る?」
「薫さんならできるけど、」
舞は恥ずかしそうに笑った。

「私はとても二人にはついて行けないから……」
「飛んで行けばいいじゃない」
「え?」
舞が驚いた隙に薫はすっと後ろから舞の身体を抱きしめた。
何も言わず、そのまま上空へと浮かび上がる。

「ええええ!?」
「ま、舞、暴れないで……」
地面がどんどん遠くなる。木々や校舎が小さくなる。
「いや、薫さん、ちょっと待って! 降ろして!」
腕の中の舞があまりに言うので、薫は一旦学校の屋上に降りた。屋上の床を踏んだ舞は
はあはあと息をつき、

「こ、怖かった……」
「舞、良く大ジャンプしてたじゃない」
そんな舞を見て薫は不思議そうな顔をする。

「それは、プリキュアに変身してた時だから」
「変身してないと違うの? 攻撃できないのは知っているけど」
「全然違うのよ、薫さん」
「そうなの」
「そうよ、やっぱりプリキュアに変身すると身体能力が色々上がるから……」
「ふうん」
薫は意外そうに、イーグレットだから飛ぶのには慣れていると思ってた――と続けた。

「イーグレットやウィンディになってれば平気なんだけど。
 変身してないと、落ちたときただじゃすまないから」
「じゃあ、落ちなければいいのね」
「う、まあ、そうだけど」
薫は舞に背中を見せると、すっとしゃがみ込んだ。
「薫さん?」
「こっちの方がいいでしょう、しがみつけるし」
薫の意図を察して舞がおぶさると、薫は再び床を蹴り、上空へと浮かび上がった。
「満と咲はどこまで行ったのかしらね」
薫の声が聞こえてくる。だが舞は、薫に掴まって目をぎゅっと閉じていた。

「ああ、いたいた、あんなところに」
舞は恐る恐る目を開けた――夕凪町が見える。
満と咲は、商店街の真ん中を走っている。
マラソン大会のときは事前に告知があったから良かったが、
今咲と満は二人だけで走っているのでかなり目立つ。
体操服で中学生が二人、ふざけた様子もなく真剣な顔をして走っていれば
どこか異様ではある。
道行く人も二人を見てぎょっと驚いているようである。

しかし咲も満も、そんなことを気にしている様子はなかった。
相手のことは意識しているものの、周りの人たちのことは全然見ていないようだった。
もちろん、自分達がどう見られているのかということも。


二人はトネリコの森に入っていく。
舞と薫の視界にも緑が多く入ってくる。
舞は上から見る森が鮮やかな緑色をしていることに気づいた。
薫の言うとおり、変身していた頃は良く大ジャンプしていたものだったが、
戦闘中なので景色を見ている暇もなかったのである。

大空の樹を越え、折り返し。
満と咲はぴったりと並んだまま走り続ける。夕凪中校門まで、二人はたまに抜きつ抜かれつ
しながらもどちらかが一方的に大きく引き離すということはなかった。

――ラストスパート!
そう思い、咲はダッシュする。満も今度はついてきた。校門をくぐると
緩やかな上り坂になっているが、それでもぐいぐいと速度を上げて行く。
咲もまた、更にスピードを上げた。
お父さんが車に乗っているときに良くするギアチェンジのイメージで。
二人とも、ぐいぐいと坂を登りグラウンドに戻る。
地上に降り立った舞と薫の見る中、二人はほぼ同時にグラウンドに入り、
競り合った。

そして、白く引かれたゴールラインを走り抜ける。
走りぬけてしばらくしたところで満も咲も止まった。

「どっち?」
咲が振り返り、見ていた舞たちに質問する。
「僅差で……」
「満の勝ちね」
「やっぱり」咲は笑った。グラウンドの地面に大の字になって寝転んだ。

「咲……」
やや息を上げながら満が近寄る。
「みーちーる!」
咲は満の手を掴むとぐいっと引っ張った。満が地面に倒れこむ。

「さ、咲!?」
「一緒に、空見よう!」
言われて満も仰向けになる。空が青い。真っ白な雲が一つ二つ、ぽかりと浮いている。

薫と舞は二人をそのままにして、水を汲んでこようとその場を離れた。

-完-

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