12月24日を翌日に控えた夜。満と薫はいつものように同じ部屋で寝ていたが、
薫が静かに寝息を立てているのをしばらくのあいだ見守って確認すると、
するりと部屋を抜け出した。

いつも二人が食事をしている部屋の壁に、この前プレゼントされたPANPAKAパンの
制服がかかっている。いずれは箪笥の中に納めるつもりだが、
見ていたくて何となく三枚並べて飾っていた。多分クリスマスが終るまではこの状態だ。

電気をつけると、満はそのうちの一枚を手に取った。元々は
そっくり同じ三枚だったが、咲たちがそれぞれに小さく刺繍をしてくれたので
今は一枚一枚、どれがどれか区別できるようになっている。
満はその中の一枚、ムープの刺繍がついているものをハンガーから外すと
するっとパジャマの上から羽織った。ズボンも履くと、パジャマの分少し動きにくいが
ぱっと見は普通にPANPAKAパンの制服を着こなしているように見える。

満は部屋を出ると、鏡のある風呂場に向った。
電気をつけると鏡に映った自分の姿がはっきり見える。PANPAKAパンの制服を着た
自分の姿はまだ見慣れない――まだ、どこかで夢を見ているような気がする。
満は鏡に向って少しだけ笑ってみた。笑顔と挨拶が大事だとは、初めてお手伝いした時に
咲に教えてもらったことだ。

「……何してるの?」
「か、薫っ!?」
薫の声に満は現実に引き戻された。薫がまだ少し眠そうな目をして廊下の端の方から満を
見ている――かと思うと、ずかずかと近づいてくる。咄嗟に満は隠れようとしたが
間に合うはずもない。

「……何してるの?」
満の格好を上から下まで見た後改めて薫が同じことを聞く。
「べ、別に何でも」
そう誤魔化そうとしても、「なんでもない」なんてことではないのは満の姿を
一目見れば誰にでも分かる。薫でも。
「……心配しなくても大丈夫だと思うけど」
「え? 心配?」
薫は何を言っているのかと満はきょとんとした表情を浮かべた。
「その制服、似合ってるわ。そんなに心配しなくても」
「……ひょっとして薫、私がこの制服似合うかどうか心配になって着て見てるんだと
 思ってるの?」
「違うの?」
「違うわよ! もうっ!」
「初めて着るんだし、心配しているのかと思って」
「そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
だったら何なの、と薫が聞き返す。しまったと満は思った。余計なことを言った。
「そうじゃなくて、その……この制服貰って嬉しかったから……」
「そう」
すました表情で薫は答える。その視線はじっと満に注がれていた。
「……何よ」
「良く似合うわ」
「……ありがと」
ぼそりと満が答えると、
「明日早いんだからもう寝た方がいいわ」
という言葉を残して薫は台所に入っていった。お茶か何かをコップに注ぐ音が聞こえてきた。
満はもう一度鏡に映った自分を見直すと、制服を脱いで元のようにハンガーにかけてから
寝室に戻った。

 * * *

「おはようございまーす!」
「あ〜、満お姉さんと薫お姉さん!」
翌朝、まだそれほど明るくない時間に満と薫はPANPAKAパンを訪れた。
1年で最も忙しくなるクリスマス、満と薫と舞がPANPAKAパンを手伝うのは
もう恒例だ。
みのりも今日は早起きをして店の前の掃除をしている。
「咲は?」
「お姉ちゃんはまだ朝ごはん」
「まったく……、」
薫が呆れたように呟いた。これでも今の時間に起きているのだから
去年と比べればまだ進歩しているのだが。
満と薫は一旦日向家に入り、厨房に顔を出した。咲の両親は
もう仕事を始めている。
「おはようございます!」
「あ、満ちゃん薫ちゃんおはよう。早いわね」
二人が入っていくと咲のお母さんが手を止める。お父さんの方は息を詰めるようにして
今日の最初のケーキを作り始めていた。
「じゃあ私、すぐ着替えてきます」
制服を入れたバッグを抱えなおすと満は一度回れ右をして厨房を出た。
いよいよこの制服に袖を通してPANPAKAパンに立つのだ。

クリスマスシーズン、特に24日と25日、PANPAKAパンの厨房が修羅場と化すのは
ここ数年の経験から満には良く分かっていた。
制服に袖を通す緊張と、これから待ち構える忙しさへの緊張と、
二つの緊張で満の身体はきゅっと縮まるような気がしたが意識的に
ぐっと背筋を伸ばす。
「みのりちゃんの手伝いをしてくるわ」
薫はまだ着替えずに――今からサンタクロースの格好をするのは浮かれすぎだ――
さっさと満の側を通り過ぎていった。満は制服のボタンを全部留めると、一度深呼吸をして
再び厨房へと向う。

「お、満ちゃん」
作業が一段落したらしい咲のお父さんが今度は顔をあげて満を迎えた。
「午前中は昨日決めたとおりの割り振りで頼むよ。午後は多少変わるかもしれないけど――」
「分かりました」
満は昨日決められた通りの役割を果たすために厨房の一角に向った。

今年、PANPAKAパンで用意しているクリスマスケーキは三種類ある。いつものように
咲のお父さんが考えたケーキが二つ。満が考えたケーキが一つ。クリスマスケーキは
予約するようにお客さんたちにはお願いしているが、満のケーキに入っている予約は五つだ。
他のケーキと比べてやはり数は少ないが、これが今のところの満の実力だ。
満の今日の仕事はまず自分のケーキの下ごしらえをし、それが終り次第咲のお父さんが
作っているケーキのお手伝いに入る。お客さんに渡すケーキの最終仕上げは咲のお父さんだ。
満にはまだ、そこまで責任を持つことはできない。

「おはようございます、お手伝いに……」
「お父さんお母さん私も出るねー!」
店の方から入ってきた舞の声と家のほうから入ってきた咲の声が重なった。

 * * *

――あと一つ、か……
次第に日が傾いてきた。昼過ぎから夕方にかけての最も忙しい時間、商品を渡す咲や舞、薫が大忙しだった時間が終わり、厨房も予約のケーキはほぼ作り終えて少しゆとりが出てきていた。
満のケーキは、四人もう受け取りに来てくれていた。あと一人だ。
少し暗くなってきた空を見て満は少し心配になる。
突然雨が降ってきたり、ということで予約したケーキをキャンセルということも
ないわけではない。
できれば予約した人に取りに来てもらいたいものだ。満は予約表を確認してみた。
既に取りに来た四人にはチェックが入っている。残りの一人は満の知らない名前で――
数年間ここにいる内に常連客の名前はなんとなく覚えた――最近ここに来るようになった
人かもしれないと満は思った。

「みんな、順番におやつを食べてきたら? 家のほうに用意してあるから」
お客さんが一時的にいなくなったのを見て咲のお母さんが声をかける。
並んでケーキを渡す役になっていた薫とみのりは顔を見合わせた。
「あ、じゃあ私ちょっと食べてこようかな〜」
お客さんの案内係だった咲が目を輝かせる。「もうお姉ちゃんってば」とみのりは呆れ顔だ。
「えーと、じゃあ三人ぐらいずつ食べに行こうよ。舞は?」
舞は先ほど小さな子が壊してしまった飾り付けを直したところで、「そうね」と振り返った。
「満さんは?」
「私は後にするわ」
「じゃあ満と薫とみのりは後半組ね。行こ、舞」
咲と舞が家の方に向うのと同時に、また店に近づいてくる人影が見えた。
満はすぐにドアに駆け寄ると、
「いらっしゃいませ」とドアを開ける。
「あら?」
近づいてきた老婦人は満の顔を見て微笑を浮かべた。釣られたように
満も微笑を返す。満の見たことがない人だった。
「あなた、ひょっとして……咲ちゃん!?」
「えっ?」
「あら、咲ちゃんじゃないの?」
「え、ええ……」
戸惑いながら満が答えると、
「ごめんなさいね勘違いして。咲ちゃんとちょうど同じくらいの年恰好に」
と老婦人は上品に笑った。
「あの、咲なら中にいますけど……」
「あ、あなた咲ちゃんのお友だち?」
「はい」
そう答ながら満はドアを大きく開き、老婦人を中に招きいれた。
「あらー、沙織さん! 変わらないわね〜」
「あっ、中山さん!?」
老婦人はレジカウンターにいる咲のお母さんを見ると嬉しそうに
そこに駆け寄る。昔の知り合いらしいと満は思った。
「お久しぶりです」
「本当にね〜、もう10年にもなるかしら」
「こちらに戻っていらしたんですか?」
「ううん、こちらに出てくる用事があって折角だからPANPAKAパンでクリスマスのケーキを
 買っていこうと思ったの」
賑やかに話すお母さんと老婦人を、みのりはうーんと思いながら見つめていた。
老婦人のことはどこかで見たような気がするが思い出せない……、
「ほらみのり、覚えてない? 中山さんよ」
「あら、みのりちゃん!? 大きくなって……私が引っ越した時まだこんなに
 小さかったのにねえ」
「え……ええと……」
みのりは困ってしまった。確かに、どこかで会ったことはある。
だからこの老婦人がみのりのことを知っているのは何もおかしくない。
けれどもみのりにはこの老婦人のことが具体的に思い出せない。
「みのり、あんなに遊んでもらったじゃない。中山さんの犬にはしょっちゅう触らせてもらって」
「……あ!」
突然みのりの記憶が甦った。
「犬のおばちゃん!?」
「あ〜た〜り」
みのりの表情を見て老婦人は嬉しそうに笑う。
「みのりちゃん、本当にお姉さんになったわねえ……そういえば咲ちゃんは?」
「あ、咲なら中に」
タイミングよく咲が舞と一緒に店に戻ってきた。中山さんを見ると、
「ひょっとして……犬のおばちゃん!?」
と思わず叫ぶ。
「あら咲ちゃん。あ〜、咲ちゃんも大きくなったのねえ」
中山さんも嬉しそうだ。
「さっきは咲ちゃんのお友達のこと咲ちゃんと間違えちゃって」
そう言ってちらりと満の方を見る。
「あ、中学の時からの友だちなんです。うちのこと手伝ってくれてて」
「そうなの。あ、電話で予約したケーキなんだけど……」
「あ、はい。中山さんのはですね」
満の考えた最後のケーキを持って、飛行機の時間があるからと
ひとしきり話をした後中山さんは帰っていった。
やがてまたお客さんが沢山やってくるようになり、PANPAKAパンは再び喧騒に包まれた。

 * * *

「終った〜」
ドアの前の表示を「closed」にした咲がため息をついて店内の椅子に座る。
とりあえず今日、24日の営業は終わりだ。また明日も忙しいが、
例年の傾向から言って今日ほどではないはずである。

「お疲れ様」
「うん、舞も薫もね」
満は厨房の片付けの方に行っているので店の中にはいない。
ちょっと満を見てこようかな、と咲は厨房に片付ける物を纏めて持つと
そちらに向った。
――あれ?
厨房にいるのは咲の両親だけだ。
「お父さん、満は?」
「満ちゃんは少し休んで貰ってるよ。今日は一日働きづめだったし、明日もだからね」
「あ、私ちょっと様子見てくるね」
荷物をそこに置いて、咲はぱたぱたと家の中に入る。
満は咲の家のリビングでコップに入れた水を持ったまま何か考え事を
しているようだった。
「満!」
「……咲」
「今日はお疲れ様〜。満のケーキ、全部取りに来てもらえてよかったよね!」
「ええ」
言葉少なく、満は答える。自分の着ている制服の胸を軽く握るようにして、
やはり何かを考えているようだった。
「……満、どうかした?」
「ちょっと……」
「ちょっと?」
「ちょっとだけ、気になることがあって……」
「気になること?」
咲は視線で、続けるように満に促した。満は躊躇いがちに口を開く。
「さっきの、中山さんって人。私のこと咲と勘違いしてたんだけど……」
「ああ、もうずっと会ってなかったからね〜、私くらいの年の女の子を見たら勘違いしちゃうんだよ」
咲は屈託なく笑って見せたが、
「それだけじゃないわ」
と満は首を振った。
「年恰好もあるけど、一番大きいのは多分これよ」
そう言って、自分の制服を指差す。
「PANPAKAパンの制服を着てれば咲だと思うわよ」
「う〜ん? そうかもしれないけど……」
それが一体どういうことになるのか、咲にはよく分からなかった。
「あの中山さんって、昔の常連さんなんでしょ?」
「うん。引っ越す前まではほとんど毎日うちでパン買って行ってくれたんじゃないかなあ」
「この店は……、」
「うん?」
「この店は、咲のお父さんとお母さんが咲やみのりちゃんと一緒にずっとやって来た店で、
 お客さんたちもそういう咲の家族をずっと見てきたんだなって思うと」
「うん」
「この制服、重いんだなって思ったの」
「ふうん……?」
咲は首を捻った。
「でも満、中学の時からずっとうちのこと手伝ってくれてるよね。
 大学に入ってからのほうがお手伝い増えてるけど」
「それはそうよ」
当たり前じゃない、というように満は答えた。
「だったら、満だってうちのお客さんたちにずっと見られてたんじゃないのかなあ。
 中山さんはたまたま少し前の常連さんだっただけで」
「……え? 私が?」
不思議そうに満が尋ねる。
「うん。満だってずっと一緒にうちのこと手伝ってくれてたんだし、
 そんなに重く考えることないと思うけど」
「そう……かしら」
「そうそう」
咲は笑って満の肩を叩いた。
「明日も頑張ろ! 最近良く来るお客さんで今日来てない人、きっと明日来るよ!」
「……そうね」
満は咲に向ってくすりと笑うと、コップの中の水を一気に飲み干した。

-完-

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