「たっだいまー。あれ、満お姉さん一人?」
ソフト部の練習を終えたみのりがPANPAKAパンに帰ってみると、店内には満が一人で
レジの後ろに座っていた。

「お帰りなさい」
「お父さんとお母さんは?」
「おばさんはさっき買い物に出かけたわ。おじさんは奥」
満がちらりと店の奥、厨房の方に視線を向ける。みのりはそれで大体状況がつかめた。

「薫お姉さんは?」
「さあ? その辺ぶらぶらしてるんじゃない?」
「そっか」
みのりは俯いて呟くと、ありがとうと言って家の奥に入って行った。

お客さんが誰もいないので満は少し店内をぶらぶらしてみる。窓から見える
空はもうすっかり秋の色をしていた。群青色の空をバックに薄く白い雲が浮かんでいる。
もうすぐ夏休みも終わりだ。満たちは大学に、みのりは中学に行く日々がまた始まる。
今年の夏はみのりにとってソフト部のキャプテンとして過ごす夏休みだ。
部活のある日は朝早く出て夕方近くになるまで帰ってこない。
夏の始めと比べてずいぶん日焼けした腕や顔が、その熱心さを物語っていた。

「満お姉さん」
少し経ってみのりが奥から出てきた。シャワーでも浴びてきたのだろうか、
着替えもしてすっきりした表情になっている。
「どうしたの? 何か食べる?」
「ううん、そうじゃなくて……」
「?」
満が不思議そうな顔をしていると、「ちょっと満お姉さんに聞きたいことがあって」
とみのりは満に囁く。
「今でも平気?」

「いいわよ。何?」
「えーと、ちょっと外に出てもいい?」
満は少し不可解に思った。満が一人で店番をしている今、店を出るというのは
やりにくい。そのくらいのことに気づかないはずはないのに……と
思っていると、
「あ、外ってテラスのところ」
とみのりが補足する。
「ああ」
と満は頷いた。テラスのところなら、お客さんが来れば見えるから店の中に戻れる。
それを見てみのりは一足早く店から出て満に手招きしてからテラスに置いてある
椅子にぺたんと座る。

――どうしたのかしら。
普段と少し様子の違うみのりに戸惑いを覚えながら満はみのりを追いかけ、
みのりの正面にある椅子に座った。テーブルを挟んで二人は向かい合う。

「それで、聞きたいことって?」
中々話を始めようとしないみのりに代わって満が口を開く。

「あの……」
少し逡巡してからみのりははっきりとした言葉を口にした。
「満お姉さんはパン屋さんになるの?」
「……なれたらね。でも、どうしてそんなことを聞きたいの?」
「うーん」
みのりはテーブルの上に頬杖をついた。
「満お姉さんがここに引っ越してきたのってえっと……中二の時だよね」
「ええ、そうね」
「お姉ちゃんと仲良くなってから割とすぐ、うちのお手伝いするようになったよね」
「……ええ」
この町に来て間もなくこの店を手伝ったことがあるが、あの頃のお手伝いは「お手伝い」
と言っていいものなのか今の満には少し疑問ではあった。
満と薫は別の目的があってこの店に近づいたのだから。――もっとも、それをみのりに
言うわけにはいかないのだが。

「引っ越してくる前からパンを作ってたの?」
「ううん、それは違うわ。ここに来る前はそんなことしたこともなかったから。
 咲から教えてもらって作ったのが初めてよ」
果たしてみのりがどんな目的でこんなことを聞いてくるのか満にはまだ良く分からなかったが、
とにかく聞かれたことにはなるべく正直に答えようと満はしていた。

「それで、作り始めたらもうすぐにパン屋さんになろうと思ったの?」
「そうね……割とすぐに」
「そっかあ」
みのりはどこか気抜けしたようにため息をついた。そろそろいいかな、と満は思う。
「ねえ、みのりちゃん。そろそろいいかしら? どうしてそんなこと聞くの?」
「あ、うん……」
みのりは満から少し視線をそらすとまたすぐに視線を戻した。
「もうすぐ二学期が始まるけど、始まってすぐに進路指導があって」
「進路指導?」
なんだか懐かしい言葉だと満は思った。中学生の時や高校生の時は良く聞いていたが
最近はめっきり聞かなくなったような気がする。
「それで何て言おうかなって思ってて……」
「なりたいものを言えばいいじゃない」
「それが良く分からないから困ってて」
「そうなの?」
大きくみのりは頷いた。
「特にうちの場合、進路っていうとまずお父さんお母さんの仕事を継ぐの、っていう
 話になっちゃうし」
「へえ……」
そうなんだ、と満は思った。そういえば咲も昔そんなことを言っていたような気がする。

「でも私、あんまり向いてないような気がするし」
「そう……かしらね」
答える満の顔をみのりはじっと見た。
「満お姉さんだったら何でもできそうなのに、どうしてパンなの?」
「なんてもできるなんてことないわよ」
満は軽く笑ってみのりの目を見つめ返した。
「それにね、パンってすごくおいしいじゃない? おいしいパンを食べるとみんなが
 喜ぶし、だから……」
「進路指導のとき、もうパンのこと話したの?」
「ええ、そうよ。……確か篠原先生には『あまり進路を決め付けずに視野を広く
 持つようにした方がいいぞ』って言われちゃったけどね」
そうだろうなとみのりは満の話を聞きながら思っていた。
みのりは小さな頃から両親の大変なところを見ている分、パン店の経営に
苦労が多いことも知っている。
――満お姉さんならどんな仕事でもできそうだし、大変な仕事を選ばなくてもいいのに……
というのはみのりの正直な思いだった。それを満に言うことはなかったけれど。

「ねえ、でもみのりちゃん? 進路指導になんて答えればいいか迷ってるなら
 咲やおじさんたちに相談してみた方がいいんじゃないの?」
「うーん、こういうことって却って家族には相談しにくくって」
「そういうもの?」
うん、とみのりは答える。

「何て言おうかなあ、進路指導」
「そこは正直に『まだ良く分かりません』でもいいんじゃないの? 確か
 咲も舞もそうしたはずよ」
「薫お姉さんはどうしたの?」
「薫は……」
満はみのりのきらきらした目からちらっと目をそらした。

「聞いてもあんまり参考にならないと思うから聞かないほうがいいわ」
「え、なんで?」
「だって……」
だって、と答えようとして満は口をつぐんだ。みのりが座っている場所からは見えないが、
満の座っている場所からはPANPAKAパンにやってくるお客さんの姿が良く見える。
一人のお客さんが――いやあれはお客さんではない。タイミング悪いわねと満は思った。

「珍しいわね。二人でこんなところで話してるなんて」
「あ、薫お姉さん!」
薫はテーブルに近づいてくると遠慮なくみのりと満の間の席に座った。
おや、という表情で店内に目を向ける。

「店の中誰もいなくていいの?」
「ええ、お客さんもいないし。ここにいればお客さんが来れば分かるから」
「ふうん」
「ね、薫お姉さん……」
満と薫の話が終るのを待ってみのりが薫の袖を引っ張った。
「ん?」
「中三の時の進路指導って何て言ったの?」
「え?」
薫は本当に呆気に取られたような顔をした。進路指導? 中三? とみのりの出した
キーワードが頭の中でぐるぐる回る。

「中三の時に進路指導なんてあったかしら。高校生の時にあったのは覚えているけど……」
「あったわよ。忘れたの?」
満は不機嫌そうに答える。その様子を見て薫は不思議そうな顔をした。
「ええ、覚えてないわ」
薫はきょとんとした表情のままだった。本当に何も覚えていないわね、と満は思う。

「あなたその進路指導のとき、篠原先生になんて言ったか本当に覚えてないの?」
「ええ。覚えてないわ。何て言ったんだったかしら」
何故か言い争っているように見える満と薫を、みのりははらはらした表情で見守っていた。
「『この町にずっといれれば進路はどうでもいいです』って言ったのよね、薫」
「ああ……」
薫は後頭部に手を当てて、何かを思い出すような表情を浮かべた。
そういえば篠原先生にそんなことを言ったかもしれない。進路指導の場でだったかどうかは
定かではないが。

「薫の直後に私の進路指導の時間があって、そこで篠原先生にものすごく心配されたんだから。
 引っ越してくる前に嫌なことがあったんじゃないかとか、ちゃんと将来のことも
 考えているのかとか。取り繕うのに苦労したわよ」
「そう……だったの」
薫は「初めて聞いた」とでも言いたそうな表情だ。満はその時もさんざん薫相手に文句を
言ったはずである。それも含めて覚えていないのかと満は脱力した。

「ねえ薫お姉さん?」
みのりが心配そうな表情で薫を見あげた。
「ん?」
「あの、それって本当に引越ししてくる前に何か嫌なことがあったとか……そういうことなの?」
「ええと……」
薫は少し言い方を考える。
この町に暮らしているうちに、薫も他の人に怪しまれないようなことを言えるように
なってきていた。満ほどうまくはないが。

「この町の居心地がいいってことよ」
「そうなんだ」
みのりはほっと安心したように笑った。そしてまた、自分の問題に戻る。

「私は何て言おうかなあ」
「そんなの悩むことないじゃない」
薫の答えは明快だ。単純と言ってもいい。
「あなたが考えていることを正直にそのまま言えばいいのよ」
「うーん、まだよく分からなくて……」
「だったらそう言えばいいのよ」
「そうかなあ」
二人の会話を聞きながら、まあいいかと満は思っていた。「思ったことをそのまま」
というのは満も薦めていたことである。

とは、いっても。

「みのりちゃんなら大丈夫だと思うけど」
と満は口を挟んだ。
「『進路はどうでもいい』なんて薫みたいなことを言うと先生にいろいろ心配されるわよ」
「うん、それは言わないよ。だって、どうでもいいなんてことないし……」
「まあ、みのりちゃんならその辺は安心よね。薫と違って」
みのりは満のその言葉をくすくす笑って聞いていた。

お客さんの姿を遠くに見て、満は立ち上がると店内に戻った。
みのりと薫はまだ少し話を続けている。

-完-

 ←押していただけると嬉しいです。




短編SS置き場へ戻る
indexへ戻る