「ねえ薫……」
「何? 満」
「……やっぱり、いい」
「そう」
満と薫が二人で暮らす家には、こんな風にぽつぽつと会話が流れているのが普通だ。
会話は良く途切れて沈黙が落ちたかと思うとまた唐突に会話が始まる。
それは二人の寝室でも、リビングでも同じである。

今日、いつもと少し違っていたのは二人が台所でこの会話をしていたこと弟子だった。
二人は毎日交代で食事当番を決めているので、同時に台所にいることはあまりない。
今も、薫一人が黙々と手を動かしていて満はそれを見ているだけである。――たまに
皿を渡したりする、その程度だ。

台所の片隅に置いた料理の本をちらちらと見ながら、薫は真剣な表情で手を動かしている。
それを見ていると満も、薫の気を散らせるようなことを言うのは躊躇われた。


事の起こりは、咲の家でご馳走してもらったマツタケ料理にまで遡る。初めて食べた味を
満も気に入ったのだが、薫はそれ以上に気に入ったようだった。
それに、良く知ったみんなでいつもと少し違うご馳走を食べるという雰囲気も薫は
気に入っていた。
だから、健太と宮迫がトネリコの森でマツタケを一本だけ見つけたと言ったとき、薫はすぐに
自分たちも探すと言ったのだ。
考えてみれば、トネリコの森にマツタケが生えていたならとっくに他の誰かが見つけていて
おかしくないのに――なぜか薫も、健太と同じく一本だけマツタケを見つけた。
精霊が運んでいるようにも見えたが、とにかくマツタケだ。
薫は早速このマツタケで料理を作ろうと台所にいるのである。
満は物珍しさも手伝って薫のことを見守っていた。


薫が見ている料理の本はもう随分古い物らしく、カラーの写真や文字が大分色あせている。
三角巾をかぶったお母さんのような人のイラストが「これでばっちり!」と言っているが、
絵柄もどこか、今本屋さんで売っている本に描いてあるものとは違うように満には思えた。
それも当然の話で、これは舞の家から発掘してきたものなのである。

* *

「薫さん、確かうちにマツタケの料理の本あったと思うから寄っていかない?」
「借りてもいいの?」
「ええ、もちろん。お母さん全然使ってないから……」
マツタケを見つけた後、薫は舞の家に本を貸してもらいに行った。
満はそれにはついていかずにトネリコの森に残った。

「じゃ、咲。私たちも行くわよ」
「う……うん」
満と咲の仕事は健太と宮迫を諦めさせることだ。マツタケは見つかったが、精霊が
絡んでいそうだということになると正直に話すわけにもいかない。

「おう、お前ら! 見つかったか?」
咲たちが健太たちの方に走っていくと、健太もすぐに咲たちのことに気づいた。
軍手をしてあたりを掘り返していたらしい宮迫もぱっぱと土を払いながら立ち上がる。
「え、え〜と、その」
「見つからなかったわ」
言いよどんでいる咲の言葉を満のばっさりとした言葉が遮った。
満はこういう時躊躇いがない。
「なんだ、お前らもかよ」
「ほら〜星野君。やっぱりないって」
「でも、このマツタケはじゃあなんなんだよ」
健太はズボンの尻ポケットからマツタケを引っ張り出した。
健太が最初に見つけたマツタケだ。

「そ、それはさ、ほら……誰かの落し物とかさあ」
「誰がトネリコの森でマツタケなんか落とすんだよ。こんな高いなの」
「えーと、その、せ……」
「宣伝用のマツタケとかそんなんじゃないの?」
満は相変わらず咲の言葉を遮る。満も自分の言っていることをあまりよく理解していなかったが、
とにかくごまかすことに集中していた。
「宣伝用?」
「ほら、何かの広告のためにどっかから持ってきて……それで、落としたとか」
「そ、そうだよ! きっとそういうので、誰かが落としていったんだよ!」
咲も無理やり満の話に乗る。
「何か良く分かんねえな……」
健太がぼやくが、宮迫は手から軍手を外した。
「僕も、あのマツタケはトネリコの森に生えてるものじゃないと思うよ。
 宣伝かどうかはともかくとして、誰かが落としていったものなんじゃないかなあ」
「ほら宮迫君だってこう言ってるんだし! もう帰った方がいいよ!」
「そういえば美翔たちは?」
健太は背伸びして咲たちの向こうを見渡した。舞の姿も薫の姿もそこにはない。

「舞と薫なら一足先に帰ったわ……咲、私たちも帰りましょ」
「えっ?」
まだ健太を納得させてないのに、と言いたそうな咲の肩をぐいっと掴むと
満は後ろを向いてすたすたと歩き始める。

「ちょ、ちょっと満!」
咲は慌てたが満が足を緩めないので結局後ろを向いて満と顔を並べ、
「健太、まだ諦めてないかも……」
と声を潜めた。
「ここで見てましょ」
と満は咲を連れて木陰に隠れる。健太と宮迫は何か言いあっているようだったが、
やがて諦めたように咲たちの前の道を通って森から出て行った。
「ああ……よかった」
咲はほっとして木陰から道に出た。満も後から音もなく出てくる。やれやれ、という
表情をしていた。

「精霊のことごまかすのって難しいわね」
「でしょ? フラッピたちのことも大変だったんだから!」
そういえば、と満は動物園に行ったときの咲たちの不自然な言動を思い出してぷっと
噴き出した。

* *

首尾よく健太たちを森から帰した満と咲が舞の家に行くと、ちょうど薫と舞は本を
見つけだして舞の部屋でレシピを確認したところだった。
舞のお母さんが結婚する時にお母さんから――つまり、舞のおばあちゃんから貰ったという
その本は古代史の本の中に埋もれていたそうで、掘り出すのが大変だったようだ。

「ちゃんと整理しておいてくれればいいのに……」
と、舞はぶつぶつと不満そうだ。薫はマツタケ料理のページを真剣に見ている。
満はベッドに座っている薫の横に座ると「何作るつもり?」と覗き込んでみた。

「やっぱりこれかしら……、5人で食べるとなると」
薫はお吸い物のコーナーを指差した。一本のマツタケでもこれなら大勢で食べられそうだ。

「5人って、ひょっとしてみのりも?」
「……みのりちゃん、今日は用事か何かあるかしら?」
「ううん、大丈夫だと思うけど。いいの? みのりも」
「いいに決まってるじゃない」
薫の横でへらっと満が笑う。薫はちらっと横目で満を睨んだが満には何も言わずに、
「できれば、その……みのりちゃんも……」
「うん、じゃあ家帰ってみのりに話しとくね」
というわけで、今日は5人で薫のマツタケ料理を食べることになったのだ。


満と薫は舞の家に出ると、すぐに買い物に向った。お吸い物には三つ葉や白身の
魚があるといいらしい。ご飯とお吸い物だけでは少し寂しいから薫は他に一品つくる
つもりでもいて、そのためにも魚が必要だった。商店街にあるスーパーに向ってみるが、
本に名前の出ていた魚はない――ということがとりあえず分かった。

「特別な魚なのかしらね、あれ」
「分からないけど……今日はもう売れたのかもしれないし……」
満に答えながら薫は魚のコーナーに並んだ魚の切り身を見て悩んでいた。
本に書いてある魚がない以上別の物で代用しなければいけないが、
何を使えばいいのか良く分からない。

――舞についてきてもらえば良かったわ……
そう思いながら薫は魚介類コーナーをうろうろと歩いた。
「ねえ薫、どうするの?」
「何か別のもので代用したいけど……」
「これなんかどう? 本に載ってた魚と似た感じに見えるけど」
「確かに似てるけど……」
薫は少し躊躇った。これが自分と満、二人だけの料理の材料だったら迷わずに買っている。
だが今日は違うのだ。
見た目は似ていても全然味が違っていて、マツタケが台無しになるのは避けたい。

――舞に来てもらおうかしら。
薫が本気でそう考え始めた時、「なんだよ、買い物か?」という声がした。
健太が買い物籠をぶら下げて――家にあるものなのだろうが中学生男子の持ち物としては
ミスマッチだ――こちらに歩いてくる。

「魚か……午前中なら家に来れば新鮮なのが一尾くらいは手に入るぞ」
「……これから作る料理の材料だから」
「へえ、霧生がつくんのか」
健太はぶっきらぼうな薫に答えると、そのまま二人の横を素通りしようとした。

「待って」
薫の声が健太を引き留める。健太は明らかに意外そうな顔をした。
「聞きたいことがあるんだけど」
「お、おう。何だよ」
「料理に使いたいんだけど、どの魚がいいのかしら?」
「料理? 霧生が?」
「そう」
意外と家庭的なんだなこいつ、と思いながら健太は
――真面目に答えないと、すげえ怒られそうだな……
と考えた。

「何の料理だよ」
「マ」
「えーっと、お吸い物よお吸い物! あと煮付けよ、ね、薫!」
マツタケ、と言いそうになった薫を満が慌てて押し留めた。
――薫はこういうところ、本当に無防備って言うか何も考えてないんだから……
内心ぶつぶつと呟きながら、満は健太と薫の会話にまた聞き耳を立てる。

「お吸い物と煮付け? だったら白身の魚だったら大体大丈夫じゃないかな」
これとか、これとか。健太が2つ3つのパックを指差す。
「どれでも大丈夫なの?」
「味はそれぞれ違うけど……そんなに変なことにはならないと思うぞ」
「そう、ありがとう」
「ああ」
薫が選び始めたので健太は魚売り場を離れると頼まれた調味料を買いに向った。
満はそれを見て、ほっとしていた。

* *

そんなこんながあって、薫はやっとマツタケ料理に取り掛かることができた。
今はマツタケを切っているが、随分薄切りにしているような気がする。
――透かしたら向こう側が見えちゃうんじゃないかしら。
満はそう思ったが、黙っていることにした。全員に少しでも多くのマツタケの薄切りが
行き渡るようにという薫なりの考えだ。多分。

満は冷蔵庫にもたれて窓の外の空を見上げた。そういえば家のテーブルには椅子が
2脚しかないけれど薫はどこで5人揃って食べるつもりなんだろう、とふとそんなことを
考える。

「満、ちょっと来てくれない?」
「味見?」
薫に呼ばれて満は鍋のそばに寄った。
「はい」
お吸い物を少し取った小皿を渡され、満は一口飲んでみる。
「どう?」
薫は心配そうな表情だ。満は少し意地悪したくなった。
「うーん……」
目を閉じてそう言ってみる。目を閉じたままでも、薫がはらはらしているのが分かる。
「おいしいじゃない」
たっぷり引き伸ばしてからそう言った。これは本心だ。
「よかった」
一転、薫の表情が安堵に満ちる。満は笑いそうになるのをぐっと堪えた。
こういう時、薫は面白いほど単純だ。

――まあ、こんなに単純だから色んなことをごまかすのは私の担当になっちゃうんだけど……
そう思いながら、まあ仕方ないかと満は思っていた。
薫からこの単純さが消えても困る。

きっと椅子が足りないことを薫はまだ全然気づいていないだろうなと思いながら
満はいつ言いだそうかと思っていた。

-完-

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