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「……これで、行ってみよう」
海岸の咲は岩陰の奥に置いてあったボートを引っ張り出す。
幸いオールも揃っていた。少しゴミが溜まっているがそんなに汚くはない。
「咲、漕げそう?」
「うん、多分大丈夫」
2人は並んで砂浜の上からボートをずるずると押し、海に出す。
ボートは頼りなく海面に揺れた。2人は一度靴を脱ぎ海に足を入れたからボートに乗り込む。
咲が先で、中から舞の手を掴んで引っ張りあげた。まだ海の水は冷たい。
「大丈夫、舞? ちゃんと座った?」
「ええ、大丈夫」
舞がボートに座ったまま少し身じろぎした。

「じゃあ、いくよ」
「ええ。……早く行かないと」
2人を乗せたボートは咲の腕の動きに合わせてゆらゆらと海面を進み始める。
ひょうたん岩を過ぎ、目指すのは先ほど満と薫の姿が消えたあたりの場所だ。
どんよりとした雲がその厚みを増し、海の上は肌寒く暗い色に沈んでいた。

――こんなに冷たい海なのに。
と、舞は思う。満と薫は平気そうな顔で海に向っていったが――実際平気なのだろうけれども――、
2人にだけそんなことをさせている自分がふがいないように舞には思えた。
それは咲も同じことだ。

――せめて、満さんと薫さんが出てきたらすぐにこれに乗せて……


薫は満に向けて大きく腕を振った。一度戻ろうという合図だ。満もこっくりと頷く。
これ以上あの光に近づいても何も分かりそうにはない。
来た時と同じように海流の力をうまく殺しながら海面を目指す。
下手に海に逆らえば体力を消耗するだけだ。
だが海面にあと1メートルほど迫ったところで不自然な形で2人は動きを止めた。

――どうする?
ごく小さな声で満が問う。海面に小さな船のような底面が見える。
心細く浮いているそれは小さな円を描いて海面を漂っていた。
誰かに自分たちのことを見られるのは面倒だ。

薫は無言で大きく進路を変えた。海流に乗って速く進んでいく。満もそれに従い、
船からだいぶ離れて二人は海面から静かに顔を出した。

「あら?」
ボートの2人は満と薫には気づかなかったが、満たちの目には
2人の正体がすぐに分かった。一瞬顔を見合わせ、すぐに海上へと飛び出す。
水しぶきの音に咲も舞も2人に気づいた。

「あー、満! 薫!」
「2人とも、乗って!」
「もう……なんでこんなところにいるのよ」
満はやや不満そうな口調でボートのすぐ側の海面に立った。薫もその隣に
同じようにして立っている。

「いいから、乗ってよ」
「……まあ、いいけど」
「早く〜」
「待って。このままだと咲たちも濡れちゃうでしょ」
満は戦闘服から制服に着替えるとボートに乗り込む。薫もそれに続いた。

「濡れるなんて気にしなくていいのに」
咲がオールを動かし始める。ボートはゆっくりと砂浜に向っていた。

「そういうわけにはいかないわよ。……それはそうと」
「どうかした?」
「どうかした、じゃないわ。あの光のことよ」
薫が咲と満の会話に入る。
「……何だったの?」
舞が真剣な声で尋ねる。満と薫は顔を見合わせた。

「良く分からない……けど」
「邪悪な気配はしなかったわね。今のところは」
「あ、じゃあ良かった」
すっかり安心しきった声を出す咲に「でもね」と満が釘を刺す。
「変な物があったのは確かなのよ」
「変な物? それってどんな?」
舞の言葉に、満は困ったように薫を見た。

「どう言ったらいいか……」
「あ」
咲が思わず手を自分の前に突き出した。大粒の雨が降ってくる。
「降って来ちゃった! 急がなくちゃ!」
猛然と咲は腕を動かし始め、程なくしてボートは海岸に着いた。そのまま走り、
咲の家に向う。
家に着いた頃は4人とも大分濡れていた。タオルで良く拭いてから咲の部屋に集まる。

「あ〜、さっぱりした」
咲がベッドの上で大きく腕を伸ばした。

「あなたたちまで濡れてどうするのよ」
満の言葉に咲は「へへ」と笑う。薫はその会話には構わず、
「咲、紙と鉛筆あるかしら?」
咲はベッドから跳ね上がると薫に言われたものを探し出す。
「ん? たしか机の上に……うん、この紙なら大丈夫。鉛筆と……これでいい?」
咲に手渡された紙と鉛筆を手に薫はさらさらと絵を描き始めた。
床の上にちょこんと正座して絵を描く薫の肩の後ろから、舞が覗き込む。

「それが、海で薫さんたちが見たもの?」
「ええ」
紙はほぼ一面黒く塗られているが、微妙な陰影がある。白い光の輪と、
その中にちょうど突き刺さるようにして……

「これは……尾びれ?」
舞の言葉に薫は鉛筆を動かしながらこくりと頷いた。
「そんな風に見えたわ。……でも、すごく大きかった」
「その白い光が、」
満が薫の言葉に続ける。
「洞窟の中みたいなところから光ってるような感じで。その洞窟に魚が頭だけ
 入れて止まってるような感じだったわ」
「魚……どのくらいの大きさ?」
「尾びれの幅が……」
満と薫は顔を見合わせた。
「2メートルくらいかしら」
「それってひょっとして鯨じゃないの?」
「くじら?」
満が不思議そうな顔をした。

「海で1番大きな動物よ」
「それは知っているけど」
薫は鉛筆を置いて舞を見た。
「こんな所にいるの? もっと外海じゃないの」
「たまに迷い込んでくる個体もいるらしいわ」
「……」
満と薫は黙って顔を見合わせた。咲と舞が言うなら、そうなのかもしれない。

「でね、咲、舞」
満が場を仕切りなおすように言う。
「この光自体に邪悪な気配は感じなかったわ。で、この魚……鯨、どうしたらいいと思う?」
「どうしたらって?」
「多分、洞窟に頭突っ込んじゃって出られなくなってるんだと思うの」
「え」
咲と舞は意外な展開に一瞬呆気に取られた。

「そ……それは、助けてあげないと……」
「やっぱり、そうよね。岩壊せばいいかしら?」
満は薫の方を振り返りできるわよね? と念を押した。ええ、と薫は頷く。
「……あっ!」
舞が突然大声を上げたので全員が驚いて振り返る。

「どうしたの、舞?」
「く……鯨って哺乳類だから、ずっと水の中にいたら死んじゃうわ。
 早く呼吸できるようにしてあげないと……」
「ええっ!?」
満と薫が驚いたように声を上げ、
「そういえばそうね」と一瞬で薫は冷静な声に戻った。
満はといえば直ちに灰色の戦闘服姿に戻る。
「薫、早く行きましょ」
「ええ」
咲の部屋の窓をがらりと開け、2人は飛ぶために身構えた。外は雨が降りしきり、
部屋の中にも大粒の雨が次から次へと入ってくる。

「待って、満、薫! 私たちも行くよ!」
咲の声に満は振り返ると優しく微笑した。
「大丈夫よ。私たちだけで。……わざわざこんな中を出て行くことないわ」
その言葉を合図にするかのように満と薫は雨の中へと飛び出して行く。
残された咲は舞と顔を見合わせると、そのまま手に手を取って玄関へと向った。


「さて……」
雨の日はいっそ海の中の方が気持ちいい。満は薫と並んで先ほどの光の輪の近くへと進んでいった。
鯨の尻尾部分はどこかぐったりしているようにも見える。

「薫はあっち側から」満は向って左側を指差した。
「攻撃して、岩を壊して。私はこっちからやってみるわ。鯨には傷つけないようにね」
「分かってるわ」
満と薫は鯨の両側に別れ、タイミングを合わせて光弾を放つ。
まばゆい赤い光が暗い岩に飲み込まれると、岩から放たれた白い光が2人を襲った。

――……!
一瞬視界を奪われた満の身体が急激に起きた海流に飲み込まれる。地響きのような音を立て
鯨が動き出す。
満は慌てて体勢を立て直すと薫の姿を探した。薫も同じように身体の自由を取り戻したようだ。
薫の胸のクリスタルが明るく輝いている。自分の胸のもそうだ。
鯨が解放されたことで一時的に撒きちらされたあの光のせいだと満は直感した。

――あの光は、多分緑の郷の精霊たちのもの……

海の中の洞窟に精霊の力が集まり、それが鯨を呼び寄せたのかもしれない。
結果的に、出られなくなってしまったが。

鯨が海上を目指して上っていく。満も薫もその後を追うように弓なりに並んだ。

「わっ!」海上のボートに乗っていた咲と舞には突然海面が揺れたように見えた。黒い塊が
波から上に顔を出す。

「あれが、満と薫の言ってた……」
鯨は高く潮を噴き上げた。大粒の雨にも負けないような勢いで。

「やっぱり来ちゃったの?」満と薫がボートの側面から顔を出す。
雨でびしょぬれになっている咲と舞を見て呆れた顔をした。
「だって、待ってるだけなんてできないし……」
手を差し出し、咲は満と薫をボートの上へと引っ張りあげる。

「ふふ」
満は軽く笑い、遠くなっていく鯨を眺めた。
咲はまだオールには手をかけず、満と薫を見ている。

「ねえ、満。『緑の郷』、好き?」
「え?」
何を言い出すのかと満は一瞬驚いた表情を浮かべたが、
「……好きよ。もちろん」
咲はその答えを聞いてにっこり笑った。

「私も舞も、私たちの住むこの世界が好き。……だから、私たちにできることは小さくても、
 満たちと一緒にこの世界を守りたいんだ」
満は黙って微笑した。

-完-

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