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真夏とはいえ、夜は少し涼しい。
満と薫は自室に篭り窓を通して入ってくる夜風を感じながら思い思いのことをしていた。

薫は色鉛筆で「ひまわり観察日記」に色をつけている。まだ花は咲いていないが、
今日は緑色のつぼみのわずかな隙間から黄色い花弁が覗いていた。
花が咲くまであと数日と言ったところだろう。

一方の満はというとベッドの上に仰向けになり、顔の上に本を広げて読んでいる。
題名は「メロンパン王国」、満が小説を熱心に読んでいるのは珍しい。

二人もいるとは思えないほど静かな部屋――その静寂を破るようにがたん! と勢いよく
窓が開く。家の外側からだ。
満は即座に身を起こし、薫も素早くそちらに視線を移動した。侵入者を待ち構える……と、
その姿が見慣れたものであったので警戒しながらも二人はやや緊張を解いた。

「ふ〜ん、子どもはいいわね。のんびり夏休みってわけ」
不機嫌そうに吐き捨てるミズ・シタターレを満と薫は軽く睨みつける。
「ドアから入ってきなさいよ」
満が普段より少し低い声で警告を与えるように呟く。ふん、とシタターレは鼻で笑った。

ゴーヤーンを倒した後、満と薫は緑の郷の精霊達のおかげで再びこの世界に生きることが
できるようになった。
しかしそうなったのは満と薫だけではなかった――ダークフォールの他の戦士たち、カレハーンを初めとする5人の戦士たちも何故か再びその生命を取り戻したのである。
その理由は分からないが、放っておくわけにも行かないので満と薫は現在、他5人と
一緒に暮らしている。
幸いなことに5人とも緑の郷、特に夕凪町に馴染んでいるらしいのでありがたい。

今のミズ・シタターレの不機嫌さはここ最近では稀に見るようなものだった。
「気分が悪い」というオーラを周りに撒き散らして隠そうともしていない。

「私は入りたいところから入らせてもらうわ。さっさとこの部屋に
 入るのに一番手っ取り早い通路を使っただけよ」
「ふうん、そんなに私たちに会いたかったわけ」
シタターレと満が憎まれ口を叩き合っているのを薫は興味なさそうに見ていた。

本当は「どうでもいい」と言って色塗りに戻りたいところだが、一応の警戒を
解くわけにもいかない。そんな様子である。

「そうね、あんた達にやってもらわなきゃならないことがあるのよ」
「は?」と満も薫も言いかけた。

「今度の日曜日に水下屋を手伝いなさい」
「……どうして?」
きょとんとした表情を満が浮かべる。途端、満の頬を掠めるように氷の礫が飛んだ。
むっとした表情を浮かべる満にシタターレは、
「真面目に聞きなさい。今度の日曜日、夕凪海岸には人がかなり来ることが予想できるわ」
「そうなの」
初耳だ。

「だから、ここの浜辺の海の家組合としても店の回転を良くして売り上げを上げる計画なのよ。
 というわけで、あんたたちカキ氷売るの手伝いなさい」
「……」
満と薫は顔を見合わせた。
「ちょっと、何か不満だって言うの!?」
ミズ・シタターレが声を荒げる。

「そういうことなら、キントレスキーにでも頼んだ方がいいんじゃない?」
「私たち、別のところからもお手伝いを頼まれるかもしれないし」
満と薫が口々に言うと、きっとミズ・シタターレは目を吊り上げた。

「あんたたち! 『仲間』を手伝おうって気はないわけ!?」
仲間だったかしら、と軽口を叩こうとした満にシタターレは刃のような目を向け、
「キントレスキーはキントレスキーで監視員の仕事があるのよ! 大体、あんな暑苦しい人が
 手伝ってたら売れるカキ氷も売れないわよ!」
それはそうかもしれない。満も薫も思わず納得してしまった。

「だから、あんた達手伝いなさい! たまには私の店を手伝ったっていいでしょ!?」
「……まあ、手伝わないこともないけど?」
満の言葉に薫は意外そうな目を向ける。
ふふん、とようやくミズ・シタターレは満足したように笑い、

「最初からそう言えばいいのよ。仕事内容は当日説明するから」
と言いながら部屋を出て行く。

「……満、本気?」
薫が満の方へ向き直った。少し怒っているとも呆れているとも取れる微妙な
表情を浮かべている。

「まあ、ミズ・シタターレに恩を売っておくのも悪くはないし。
 あの人を下手に怒らせて海岸で厄介な事をされても困るから」
「それはそうだけど」
「たまにはいいんじゃない?」
満はそう答え、またベッドの上に寝転がり本を読み始めた。
薫も机に戻ると色塗りを再開する。

翌朝早く、満も薫もPANPAKAパンに向った。
夏休みに入ってからというもの暇さえあればここに来ている。
とりあえずPANPAKAパンを活動の基点として咲や舞、みのりと合流し
それからどこかに行くなり、店の手伝いをするなりといった状態である。

「おはようございます」
「ああ、おはよう!」
満と薫が入っていくと咲の父も慣れたものといった様子で出迎える。咲はまだ
店の方に出てきていない――朝食でも取っているのだろう。大体いつもこんな調子だ。

「私たち、外の方準備してますね」
満と薫がテラスにあるテーブルや椅子を並べておこうと歩いていくと、
「いつも悪いね」という咲の父の声が後ろから追いかけてきた。
二人はその言葉を気にせずに店の用意を整えて行く――と、「おはよう!」と
舞がやってくる。

「おはよう、舞」
「咲はまだ寝てるの?」
舞はきょろきょろと辺りを見回した。「多分ね」満が答えると、舞は少し苦笑する。

――まるで、満さんと薫さんが咲の家の子どもみたい。

知らない人が見れば、きっと満と薫がこの家の子どもで、夏休みなので
家の事を手伝っていると思うだろう。すっかり馴染んでしまった二人の姿は、
改めてみると何だか不思議だ。

「舞、そこのパラソル取って」
「あ、うん」
薫に言われてパラソルを拾い上げ渡す。

――もしかすると、私もこの家の子どもに見えるのかな。
そう思い、舞はまた苦笑した。

「おおーい! 霧生! 美翔!」
そんな時間を騒々しく振り払ったのは健太の声である。
大慌てで道からPANPAKAパンへと入り三人の側に来ると、

「……咲は?」
はあはあと息を切らせて三人の顔を見回す。

「まだ起きてないみたいだけど」
冷静に答える満の言葉に健太ははっきりと落胆の色を浮かべた――が、
満たちの後ろから出て来る人影を見てぱっと表情を変える。

「咲!」
「ん……うん? 健太? どうしたのこんな早く?」
咲はまだ半分寝ぼけている様子である。健太はそんなことには構わずに
喋り始めた。

「お願いがあるんだよ、咲にも美翔にも霧生たちにも」
私たちも? と舞や満、薫はきょとんとした表情になる。

「今度の日曜、星野屋の海の家、手伝ってくれないか。カキ氷売るんだ」
「う〜ん? いいよ」
咲は欠伸を一つすると、
「でも健太、なんでそんなに慌ててるの?」
ほっとした顔になった健太に尋ねると、健太はうーん、と渋い声を出した。

「いや、今年はみんなに頼まなくても何とかなると思ってたんだけどさ、
 昨日父ちゃんが大変なことをして」
「え?」
「この雑誌知ってるか?」
健太が見せたのは「夏休み穴場スポット案内!」と表紙に大きく書かれた雑誌である。
夕凪町を含むこの県一帯のお薦めスポットを案内しているらしい。

「知らないけど」
「これがどうかしたの?」
咲と舞は口々に言いながら雑誌を開いた。知らない地名がたくさん踊っている。

「ほら、ここだよここ」
健太は中ほどのページを開いた。右隅に小さく、
「溢れる緑に囲まれた海が魅力――夕凪町」のコピーと共にひょうたん岩の写真が載っている。

「あ、これ!」
咲が驚いて声を上げると、健太は
「だろ? これが出たから、今度の日曜混むんじゃないかって話なんだ」
説明を続ける。

「じゃあ頑張らなくっちゃね!」
「うん、それでさ……」
明るい咲の言葉とは対照的に健太の表情は暗くなっていく。

「昨日、海の家の寄り合いがあったんだよ。日曜に向けて頑張りましょうってなこと
 だったんだけど」
「だけど……?」
健太に心配そうな目を向けながら舞が繰り返す。

「そこで、水下屋と大喧嘩したらしくってさ」
「えーっ!?」
咲と舞が大声を上げる。ほとんど無表情で健太の話を聞いていた満と薫が
ここでぴくりと眉を動かした。

「け、喧嘩って何で!?」
「知らないよ、でもなんか今度の日曜にカキ氷の売り上げで勝負することになって、
 負けた方の店は今年はカキ氷を売らないってことになったらしいんだ」
「えー、何それ」
咲は呆れていたが満と薫は納得していた。昨日の夜のシタターレの唐突な行動も
これで説明がつく。

「だから、咲たちに手伝ってほしいんだ、頼む! 太田と伊東にもこれから
 頼みに行くから!」
ぱん、と顔の前で手を合わせ頼み込む健太に咲はぷっと吹き出すと、
「私ならいいよ」と答え舞たちの方を振り返る。

「私も大丈夫だけど、」舞は答えて満と薫を見やった。
「満さんと薫さんは?」
「頼む、霧生も!」
健太が再度手を鳴らした。満と薫は困ったように顔を見合わせる。

「――どうかしたの、満も薫も」
「ちょっと、先約があって……ミズ・シタターレにも手伝うように言われたから」
「えーっ!?」
満の言葉に健太が大げさに声を上げる。

「あ、そうなんだ……」「それなら、シタターレさんの方を手伝った方がいいわね」
「な、なんなんだよ咲も美翔も!」
不満そうに咲と舞をきょろきょろと落ち着きなく見る健太に、「あのさあ」と咲は言う。

「なんだよ」
「健太、確かにその喧嘩で星野屋が負けても困るけど」
「シタターレさんが負けても困るんじゃないかしら?」
咲と舞は諭すような口調になった。健太は意外そうに二人の顔を見比べる。

「どっちかの店がカキ氷出さなくなったら、せっかくのお客さんもたくさん待たせることに
 なっちゃうし」
「それは、そうだけどさあ……」
「星野君のお父さんとシタターレさんが上手く仲直りできるようにした方がいいよ、健太」
「そうね。……そのためには、」
舞はちらりと満と薫を振り返った。

「満さんと薫さんはシタターレさんの方を手伝った方がいいかもしれないって気がするの」
満と薫はまた困惑した表情を浮かべる。

「舞、……私たち、そういうこと、仲直りさせるようなことって苦手だけど」
薫の言葉に舞はうん、と頷き、
「でも、満さんと薫さんがシタターレさんの方を手伝った方が、
 うまく行くと思うわ……少なくとも、みんなが星野君のお家を手伝うよりは」
「健太、日曜日はタイミング見計らって何とかしようよ」
咲は咲で健太に注文をつける。
「あ……ああ。そうだな」
満と薫はタイミングってそんな難しい事を言われても、と内心思っていたが
舞はそれを見透かしたように
「大丈夫よ、きっと。みんなで協力すれば」と健太にも満たちにともつかない口調で言った。

「……それじゃ、俺、太田と伊東にも頼んでくる」
「うん、……あっ、健太!」
「何だ?」
咲の声に呼び止められた健太が走り出しそうな姿勢のまま顔だけ咲に向ける。

「おじさん機嫌直してたら、仲直り勧めたほうがいいよ」
「ああ、分かってる!」
健太はすぐに走り出して行ってしまった。


――面倒なことになったものね……

日曜の朝、薫は雲ひとつなく晴れ渡った空を眺めながらつくづくそう思った。
ミズ・シタターレにあれこれ言われながら水下屋の手伝いをするというだけで
あまり気が乗らないのに、喧嘩も絡んでいるとなると厄介だ。
はあ、とため息を一つつくと満がシタターレと一緒に段ボール箱を持って
家から出てきた。

「薫も運んで」
満に言われ、指示されるとおりに荷物を車に詰め込む。
助手席まで荷物で埋まっているような状態になるのでシタターレは当然のごとく、
「じゃ、私は運転していくからあんた達は海岸まで歩いてきて」
と車に乗り込みドアを閉める。
勢いよく車が走り去ると薫はまた一つため息をついた。

「今日は面倒なことになりそうね」
満の呟きに薫は無言で頷く。満は青空を見上げた。「お客さんも多そうだし……
お客さんにだけは迷惑かけないようにしないと」
「そうね……、シタターレが変な事をしそうになったら止めないと」
決意を固めるように薫は右手の拳をぎゅっと握り締める。

「ところで薫」
「何かしら?」
「今日、私たちの『手伝い』って具体的に何をするのかミズ・シタターレから聞いてる?」
「え? 満、聞いてないの?」
「薫も?」
二人は顔を見合わせた。
「……早く行って、何をするのか聞いた方がいいんじゃないかしら」
「そうね……」
半ば呆れたような、うんざりしたような表情になって二人は浜への道を駆け始めた。

海岸は人で一杯だ。昼間とは違う活気に溢れているのは、海の家の準備があちらこちらで
始まっているからである。
星野屋はまだ静かではあるがおじさんたちは店を出たり入ったり忙しくしており、
ミズ・シタターレはその隣で一人屋台形式の店の前で
幟を立てたり看板を出したりしている。

「あんたたち、遅いわよ!」
満と薫が近づいてくるのを見て軽く怒鳴りつけると、シタターレは服を二枚投げてよこした。

「何? これ」
満と薫が服を開いてみるとエプロンが二枚だ。

「あんたたちのよ。その格好のままだったら店の人間か客か分からないからね」
へえ、と満は少し感心した。

――意外と気がつくのね。
伊達に緑の郷で商売をしているのでもないようだ。
ピンクのエプロンと水色のエプロンをそれぞれ着け、改めて「で、今日は何をすればいいの?」
と尋ねる。

「注文をとるのと、できた商品を客に渡すのとよ」
「……それだけでいいの?」
確認するように満は尋ねる。思っていたよりも随分仕事量が少ないような気がする。
てっきり、もっとこき使われるものと思っていたが。

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