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 美翔舞は激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
舞には政治が分からぬ。舞は、村の絵描きである。笛を吹き、絵を描いて暮らしてきた。
けれども悪に対しては人一倍に敏感であった。

 今日舞は夕凪の村を出発し、幼馴染の日向咲と共に野を越え森を越え、ダークフォールの市にやってきた。
夕凪の村には舞の父も、母も居る。大好きな兄は村のある律儀な娘を近々花嫁として
迎えることになっていた。結婚式も間近である。
舞は咲と共に、結婚式で必要な色々のものを買い揃えるためにダークフォールに来たのだ。
ダークフォールには舞と咲の友人も居る。満と薫である。
十三、四の頃、共に夕凪の村で暮らしていた。今二人は故郷のダークフォールで
王宮に仕えていると聞いた。

兄の結婚式のことは満と薫にも手紙で伝えてある。久しぶりの機会だから是非参加してね、
と書き添えて招待状を送ったのだが、二人からは仕事が忙しくてとても抜けられそうにない、
と言う返事が送られてきた。

舞も咲もその返事にはがっかりしたものだったが、ダークフォールの市の要職についているのなら
仕方ない、それなら今度の買い物でダークフォールに行くときには
二人にも会いに行こう、ということになった。

今日来ることは満と薫には伝えていない。突然家を訪ねて驚かせるつもりだった。
舞と咲はまず予定通りの買い物をすませ、それから市の大通りをしばらくぶらぶらと歩いた。

「ねえ咲、なんだか変じゃない?」
はじめに異変に気づいたのは舞のほうだった。咲は生来ののんきな性格で、
何も考えずに通りを歩いている。

「ん、何か変かなあ?」
「以前来たときと比べて、随分静かになってるのね」
「そういえば、そうかな……でも、もう夕方だし」
舞は通りの一角で足を止めた。

「あ、ここのお店」
「カレハーンさんの古本屋さんだったのに。潰れちゃったのかしら……」
「そうだね、長い間、閉まったままみたい」
咲は店の扉に触れて開けようとしてみた。鍵は弱くなっていて咲の力でも扉ががたがたと
動いたが、それでも開こうとはしなかった。

日がほとんど落ちようとした。町はいよいよ静まり返った。
能天気な咲でもこの町は以前のそれとは違う、と感じ始めていた。
舞は通りがかったウザイナーを呼び止めると、何があったのか聞いてみた。
竜の形のウザイナーは首を振って答えず、そのまま逃げ去った。

次にはドロドロンを見つけた。
咲と舞は土の中から肩まで出ているドロドロンを見ると、肩を掴んで
「ちょっと聞きたいことがあるの!」
と、地中に逃げようとしたドロドロンを引き止めた。

「なんなんだよ、僕はもう帰るんだよ」
「お願いドロドロンさん、一つだけ教えて。ダークフォールはどうしてこんな風に
 なってしまったの?」
「こんな風って?」
「前に来たときはもっと町全体が賑やかで、夜になっても人の声が絶えなくて、
 ……それに、ミズ・シタターレさんの水芸やモエルンバさんのダンスショーや
 キントレスキーさんのボディービルディング教室や、いろいろなお店や出しものがあったと思うの」
「それは、……僕は答えたくないんだなあ」
逃げようとしたドロドロンを咲も舞もしっかり捕まえると、がくがくと
肩を揺さぶった。
ドロドロンは諦めたように、

「王様が人を殺すんだよ」と答えた。
「そんな。どうして王様が人を殺したりするの?」
「一つだけ聞かせてって言ったじゃないかあ……」
「舞が一つ、私からも一つ質問。ドロドロン、教えてよ」
「ちぇっ。王様は他人のことが信じられないんだよ。信じられなくなったんだよ。
 だから人を殺すようになったんだよ。この前はお世継ぎを殺したし、その前は
 お后様も殺したし、それに一番の側近だったゴーヤーンもね。
 悪心を持っているっていう理由らしいんだけど、誰もそんなものもっていないと
 思うなあ。
 近頃では少しでも派手な暮らしをしているものはすぐに王様に睨まれるから、
 誰も大騒ぎをしたりすることがなくなっちゃった。
 まあ、僕には気持ちがいいけどね。
 上のほうがそんなんだから、下々も不景気になってこういうことになっているんだよ。
 じゃ、さよなら」

二人の力が弱まるとドロドロンはぱっと土の中に潜っていってしまった。
「ひどい……そんな……」
「舞?」
咲は舞に起きた異変を速やかに感じ取った。
舞はおとなしい性質である。基本的にはいつでも穏やかにしている。
しかしそんな舞にもはげしい一面があり、咲は他の人と比べてそのことを良く知っていた。
今、舞のその一面がはっきりと表に現れ始めていた。

「そんなの、絶対許せない!」
舞は怒ると直線的であった。咲が止めるのも聞かず、王宮に乗り込んでいった。
たちまち二人は巡邏の警吏に周りを囲まれた。

「あっ、空飛ぶ円盤!」
咲の機転で一度は逃れたものの、二度目は無理だった。二人は捕縛された。
調べられて、舞の懐中からは油絵を描くときに使うナイフが出てきたので
騒ぎが大きくなってしまった。
舞と咲は王の前に引き出された。

「このナイフで何をするつもりであったのか。言え!」
暴君アクダイカーンは静かに、しかし威厳を以って問い詰めた。
王は巨大な兜を被り、その下の目は真っ赤に燃えている。

「市をあなたの手から救うの」舞は悪びれずに答えた。
「お前が?」
アクダイカーンは嘲笑した。
「お前には、我の孤独は分かるまい」
「そんな!」舞はいきり立った。
「あなたが疑っている人たちに、そんな悪心を持っている人なんていないわ。
 あなたは民の忠誠まで疑っている」
「疑うのが正しいと、教えてくれたのはお前達だ」
アクダイカーンはため息をついた。
「我とても人を疑いたいのではない。しかし現実には約束を破り、命令をきかない
 者達ばかりだ。部下たちには裏切られ続けた。信じてはならぬ」
「そんな……そんなの、絶対許せない!」
「許せなければ、どうする」
アクダイカーンはしわがれた声で呟いた。

「お前は明日には磔となる身だ。無力な者よ」
「明日……?」
突然舞の心がぐらついた。明日という具体的な日付を聞き、
現実にいきなり引き戻された感があった。

「待って!」咲が初めて声をあげた。
「ほう?」
「その、舞は夕凪の村に大切な用事があって」
「ふん」
「今ここで捕まっちゃったままだとその、色々と困るんですが」
「命乞いか、見苦しいぞ」
「えーっと、その……実は、この舞は本物じゃなくて私が腹話術で操ってるの!」
「……?」
何を言い出す。アクダイカーンは思った。
「だから、捕まるのは私だけでいいから、この舞は自由にしてあげて」
見え透いた嘘を。アクダイカーンは心底呆れた。

「咲、何言ってるのよ!」
「だって舞、夕凪でまだ遣り残したことがあるじゃない」
「だからって……、」
咲の気持ちはありがたい。夕凪の村に残してきた仕事は確かにある。
考え、舞は一つの提案をした。
「王様、お願いがあります。三日だけ私に時間をください」
「ふん?」
「三日あれば戻ってきます。夕凪の村に、描きかけの絵があるのです。
 兄と婚約者を描いた絵で、婚礼の折に渡すつもりでした。しかし結婚式までは
 待ちません。村で絵を描き上げ、そうしたらすぐ戻ってきます。ですから、
 三日だけ時間をください」
「馬鹿を申すな。逃げだした小鳥が帰ってくるとでもいうのか」
「そうです、帰ってくるのです。……どうぞ私を、信じてください」
「それならその間、私が身代わりになります!」
咲が会話に割って入った。

「咲!?」
「私がここに残ります。ですから舞に三日の間夕凪に帰る事を許してください」
いい余興だ。アクダイカーンは胸のうちでほくそ笑んだ。
こんなことを言っていても帰ってはこないに決まっている。
この嘘つきにだまされた振りをして小鳥を逃がすのも面白い。
帰ってこないのを確認し、我はいかにも悲しそうな顔をしてこの者を磔に処そう。

「願いを、聞いた。行くがいい。そのかわり三日目の日没だ、日没までに帰ってこなければ
 この者は間違いなく殺す」
「ありがとうございます!」
咲は素直に礼を言った。舞は複雑な顔をしていた。

「少し、遅れてくるがいい」
アクダイカーンは舞を嘲った。
「そうすれば、お前の罪は未来永劫問わぬ」
「なんて事を」
「はは、お前の胸のうちは分かっているぞ」
舞はぐっと唇をかみ締めた。悔しくてものを言うこともできなかった。

「咲……必ず、戻ってくるから」
そう言い、咲を抱きしめる。二人の間はそれで良かった。
咲はすぐに縄打たれ、獄へと入れられた。
舞はすぐに出発した。初夏、満天の星が空には輝いている。

舞はその夜一休みもせずに歩き、深夜、夕凪の村に着いた。
そのまま家に入り、泥のように眠りこけた。


満と薫がこの件を知ったのはその翌朝である。二人は仕事でダークフォールの市の
はずれまで出かけていた。
王宮に戻り任務の報告をした後、部下から留守にしていた間の王宮の様子について
報告を受けた。
彼女達は王直属の親衛隊として働いている。王の密命を受けて活動することも多い。

一仕事終えて疲れて帰ってきた二人は部下の報告を聞き流していた。
どうせ今日も異常なしでしょ、と思っていた。
「午前中は異常ありませんでした」
「そう」
「ただ午後、侵入者が二人王宮に入り込みました。すぐに捕らえましたが」
「そう」
捕らえたのなら、問題ないわね。すぐに処刑して終わりよ。
「侵入者、一名は日向咲。もう一名は美翔舞です」
「え?」
満と薫は初めて真剣に部下の顔を見た。「もう一度言って」部下が名前を繰り返す。

「どうか、しましたか?」普段ほとんど無表情な満と薫の顔にわずかな動揺が浮かんだのに
部下は気づいた。
「なんでもないわ。聞き逃しただけ。それでどうなったの?」
満と薫の顔からまた表情が消える。
「それが、複雑な事態になりまして」
満と薫は説明も二度繰り返させた。一度聞いただけでは成り行きが理解できなかった。

「――どうして、そんなことになるの」
「さあ。私は起きた事をご報告しているだけでして」
「この件はそれでおしまい?」
「三日の間は日向咲を監視していることになります」
「他に、異常事態は?」
「ありません」
「そう。下がっていいわ」
部下が去ると、満と薫はすぐに互いの顔を見合わせた。
お互いに困惑しているのが分かる。

「……どういうこと?」
「さあ?」
理解できない、薫はそう呟いた。満も頷き、
「でも咲と舞ならしそうな気もするけど」
「無謀にもほどがあるわ。アクダイカーン様に意見しようとするなんて」
「そうね……、どうする?」
「裏から手を回すしかないわね」
二人の部屋の扉を叩く音がした。別の部下が入ってくる。
「満様、薫様、アクダイカーン様がお呼びです。緊急の用事があるとか」
「……」
二人は内心舌打ちしながら王の下へと向かった。


舞が目を覚ましたときには太陽は既に高く上り、小鳥達の朝の囀りも終わっていた。
のろのろと起きて行くと、母親が驚いたように舞を見た。
「随分急に帰ってきたのね。疲れているんじゃない? もう少し寝ていたら?」
「ううん、いいの。すぐに絵を仕上げないと」
残されている自分の分の朝食を食べ、舞はすぐにいつも絵を描いている部屋へと篭った。
油絵はまだ半分ほどができているに過ぎない。舞は絵を見、ためつすがめつ、
そうしてパレットの上で赤い絵の具を混ぜ合わせた。

絵の中にはまだ表情のはっきりしない兄とその婚約者が立ってこちらを向いている。
これから何色かの絵の具を塗りあげて行くと笑顔が現れることになる。
舞には完成する絵の姿が見えていた。後はそれに向かって近づけて行くだけである。
左手にパレットを持ち、無心に色を塗りつけて行く。本当は1ヶ月くらいかけて完成させる
つもりだった。色の具合や乾き方を見ながら毎日少しずつ完成に近づけて行く
つもりだったが、今となっては、仕方がない。
音が聞こえなくなった。窓の外で鳴いている筈の鳥の声がもう聞こえない。
舞はキャンバスに色を塗りつける作業に没頭していた。
自分の頭の中に存在するこの絵の完成した姿に一歩一歩近づけて行く。

時間が経ったのに気づいたのは窓から差し込む陽が橙色に変わってきたからだった。
光の色が変わると絵の印象も変わってくる。舞は一旦作業を中断することにした。

一休みしがてら散歩に出る。
夕日を浴びた夕凪の村のあちこちから子供達の声が聞こえてくる。
これが村である。町である。舞はその思いを強くした。
昨日のダークフォールの市は、この時間にもうひっそりと寂れていた。
やはりあの市は何かがおかしい。何かというよりも王がおかしい。
人が信じられないなどと、そんなことがあるものか。

「あれ、舞お姉ちゃん?」
良く知った声に呼び止められた。
声の主は日向みのり。咲の妹である。

「もう帰ってたの? お姉ちゃんは?」
「みのりちゃん……ちょっと用事があったので、私だけ戻ってきたの。
 大丈夫よ、咲もすぐに帰ってくるから」
舞は自分でも気づかないうちに「大丈夫よ」と言う言葉に力を込めてしまっていた。
「? ……ねえ、薫お姉さんには会った?」
「あ、会ってないの。本当にすぐ、戻ってきちゃったから」
「そうなんだ、もう舞お姉ちゃんはダークフォールには行かないの?」
「行くわよ」
舞は答えた。明日あの絵を描き上げたら。あの絵をお兄ちゃんに渡したら、すぐに。

「そうなんだ」
みのりは満面の笑みを浮かべた。ああ、この子はダークフォールが昔のままだと
思っている。舞はそう確信した。
昔薫さん達がこちらに居るとき、懐かしそうに話してくれたダークフォールが
今もあると思っている。

「じゃあ、薫お姉さんに会ったら、みのりともまた会おうねって言っておいてね!」
「そうね、会えたら」
「うん、じゃあまたね!」
元気良く手を振って家に帰るみのりに舞は何も言えなかった。
いっそこのままこの村に留まっていたい、そう思う気持ちを止められなかった。

でもだめ、ダークフォールには咲が待っている。
私が一つだけ残してきた心残りのために、私の代わりになってくれている。
だから私は必ず行かなければいけない。
私が行かなかったら咲が戻ってこれない。みのりちゃんのお姉さんが、
戻ってこないことになる。
だから必ず、行かなければ。

くどいほど、舞は己を叱咤した。
そうしなければ自らの思いに負けてしまいそうな気がした。

家に戻ると、家人は舞の様子がおかしいのに気づいていたようだった。
何かあったのと、それとなく聞いてくる。
なんでもないよ、大丈夫と舞は言い続ける。
あの絵を早く仕上げないといけないから、またちょっと篭るね。
どうしてそんなに急ぐの? お兄ちゃんに早く渡したいから。

言葉どおり、舞はまた部屋に篭ってキャンバスに向かった。
その夜はキャンバスの前で丸くなって寝た。


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