中三の夏休み。晴れて受験生になった咲たち四人は、毎日のように咲の家に
集まっては勉強をしていた。
咲は主に満から、舞は主に薫から勉強を教えてもらっている。
たまにみのりがジュースやお菓子を届けに咲たちの部屋を覗く。
そんな日々が、もう一月以上も続いていた。

「……ちょっと休憩した方がいいかしら」
問題集を区切りのいいところまで終えた舞の様子を見て薫が呟く。ふう、と舞は
鉛筆を置いて息をついた。
薫がちらりと咲に目をやると咲はまだ集中して問題に取り組んでいて一休みできる
状態ではなさそうだ。

ちょっと出てるわね、満にそう目で伝えると薫は舞と一緒に部屋を出た。
廊下に出て部屋の扉を閉めると、舞ははあっと大きく息を吐き出した。
「咲、すごく集中してるわね」
と閉めたばかりのドアを見やる。
「そうね、私たちの話にも全然気がつかなかったみたい」
「ソフトボールしてる時みたいね」
「そうね」
二人は足音を立てないように階段をそっと降りた。
そのまま台所に向かい、冷蔵庫を開ける。お茶やジュースは好きなだけ飲んでいいわよ、
と咲のお母さんに言われていた。
舞がコップを取ってきて――どこに食器があるのかも大体分かるようになってしまった――、
薫がポットから冷たい麦茶を注ぐ。一気に口に流すと、冷たさが喉に心地いい。
ずっと座っていて固まったようにも思える身体をほぐそうと、舞はコップを置いて
大きく伸びをした。

「ねえ、そういえば舞」
「うん?」
薫が空になったコップを二つ流しに浸ける。
「床の間ってどういう場所のこと?」
「え? 床の間?」
「そう、床の間」
あまりに唐突な薫の言葉に舞は思わず聞き返したが薫はあくまで真剣な表情だ。
「えっと、床の間って言うのは和室にあって……ちょっと段が高くなっている板の間みたいな……」
実物を見せてあげるのが一番いいんだけど、と思いながら舞は薫の顔を見上げる。
薫はどこか不安そうな表情だ。

「床の間がどうかしたの?」
「舞、床の間というのは和室にしかないものなの?」
「う、うん。そうだけど……」
薫はそれを聞いて困ったように眉を顰める。舞はその様子を見てますます不思議に思った。
「床の間がどうかしたの?」
と同じ質問を繰り返す。

「私たちの家には和室がないから……つまり、床の間もないということね」
「ええ、そう思うけど。でも、床の間がないと困ることがあるの?」
「お客様は床の間の前の上座に通すものだって……」
「え?」
薫はひどく深刻な表情だ。
「どこで聞いたの?」
「この前読んだ本に書いてあったの。失礼のないおもてなしにはそうするものだって、だから……」
「えーと、ちょっと待って」
話が良く分からない。舞は薫の話を止めた。
「誰かお客様がくる予定なの?」
「ええ。そうよ。舞も知ってるじゃない」
意外そうに薫が答える。え? と舞はまた不思議に思った。
――そんなに気を遣わないといけない人が薫さんたちの家に来る予定、あったかしら……?

「えっと……?」
疑問符を顔一杯に浮かべている舞に薫は
「ほら、みのりちゃん。舞が咲の家に泊まる日にうちに泊まるって」
と説明した。
「え、みのりちゃん?」
「ええ、そう」
薫はあくまで真剣な顔だ。
「お客さんが泊まりに来るなら失礼のないようにしないといけないって
 満が言うから、図書館でそれらしい本を探してみたんだけど、
 却って良く分からなくなってしまって……」
「あ、あのね薫さん」
舞はうつむいた薫の手を取った。

「そういう本に書いてあることって、もっと大人がするようなことだと思うの」
「……そうなの?」
「ええ、そう。仕事上のお付き合いとか、そういう時は色々気をつけないと
 いけないと思うんだけど、今回はみのりちゃんだもの。
 大好きな薫お姉さんと一緒にいられるっていうだけで
 みのりちゃんは楽しいんだと思うの。あまり形式に捕らわれずに、
 みのりちゃんが楽しんでくれることを一番に考えてみたら?」
「それで、いいのかしら」
ほっとしたような表情で薫が青い瞳を舞に向ける。
「ええ、それが一番だと思うわ」
「だったら、その方向で考えてみるわ」
ありがとうと言って薫がコップを洗い始めたので、舞は近くにある布巾で
コップを拭くと元の通りに食器棚に戻した。


 8月25日、みのりが満と薫の家に泊まりに来る日。ばたばたと薫が動き回る音で
満は目を覚ました。枕もとの時計に目をやると、普段の起床時間より一時間以上も早い。
「もう、なんなのよ……」
目をこすりながらベッドの上に起き上がると、薫は自分の勉強机の上を雑巾で拭いている。
昨日までその上に積んであった本は、もう本棚にしまったようだ。

「あ、満。起きたの?」
「起きたわよ。何なのよ、もう」
「咲の家に行く前に掃除くらいはしておこうと思って……、」
そう言いながら、薫はちらりと満の机の上に目をやる。こちらの机には、
「パン作り方大全」を初めとする本が雑多に積み上げてあった。
満は薫の視線を追い、「片付けろっていうの?」と尋ねる。
「……できれば」
「やれるだけはやってみるわ。先に朝ごはん食べてきていい?」
「さっき片付けたから汚さないようにしてね」
はいはい、と軽く答えて満は階下に向かい、いつものご飯を食べる部屋に入って
絶句した。普段からテーブルはきちんと拭いているが、今までになく
ぴかぴかと磨き上げられている。

――いつから起きて掃除してるのかしら、薫。
半分呆れながら天井の方を見やる。自分たちの部屋からはまだばたばたと
薫が掃除している音が聞こえてくる。満が起きたので遠慮がなくなったらしく、
がんがん掃除機をかけている音も聞こえてくる。
――これで汚したりしたら本当に怒られそうね……。
  昨日はずいぶん買い物もしていたみたいだし。

触らぬ神にたたりなし。今日の薫に余計なことをいうと本気で大変なことになるかもしれない。
パンくずを落とさないように気をつけて、満は食パンをトースターに
突っ込んだ。


満が机の上を片付け終えてから、二人は咲の家に向った。今日はいつも通りに
咲、舞と勉強をして夕食をご馳走になってからみのりと一緒に家に帰る予定だ。
みのりの代わりに舞が日向家に泊まることになっている。
夕食が終わり、陽も落ちる。そろそろ満と薫が帰る時間だ。
「それじゃあ、今日はそろそろ……」
薫がそう咲に言いかけると、みのりが一旦二階に駆け上がり大き目のリュックサックを
背中に担いで降りてきた。
「薫お姉さん、これから出るの?」
満面の笑みを浮かべたその様子は、もう「Yes」という答えしか期待していないのが
誰の目にも良く分かる。
「そうね、これから。じゃあ、一緒に……」
「うん!」
薫の腕に飛びつかんばかりのみのりを見て咲は困ったような笑みを浮かべると、
「ごめん、満。みのりのこと一日お願いね」
「ええ、大丈夫よ」
「みのりも満と薫のこと困らせたら駄目だよ」
咲が今度はみのりに直接注意すると「大丈夫だもん」とみのりは少し不満そうに
口を尖らせる。満と薫、みのりの三人は咲と舞に見送られるようにしてPANPAKAパンを出た。

「みのりちゃん、それには何が入っているの?」
満と薫の真ん中にみのりという形で三人は連れ立って帰り道を歩く。
満がみのりの大きなリュックサックを指して不思議そうに尋ねると、
「パジャマとねー、あと、おみやげ」
月明かりに照らされてみのりの笑顔が明るく輝く。
「おみやげ?」
「うん、おみやげっ! 薫お姉さんたちのお家に着いたら見せてあげるね!」
満にそう答えるとみのりは待ちきれないようにたったっと小走りに駆け始める。
くすりと声も立てずに薫は笑うと、追いかけるように走り始めた。
満はやれやれといった表情を一瞬浮かべたが、早足で二人についていく。

「じゃーん! これが『おみやげ』だよっ!」
家に着くと早々にみのりはリュックを開き、お土産を取り出した。
「……花火?」
「はなびセット」という文字の躍る袋が出てくる。
買ったばかりらしい。中にある花火はどれも色とりどりに彩色されていた。
「薫お姉さんたち、花火好き?」
「え、ええ……?」
と満と薫は顔を見合わせた。二人はお祭りの時の打ち上げ花火を見たことはあったが、
こうした花火は初めてだった。
「ねえ、やってみようよ〜」
みのりはもう待ちきれない様子だ。
「ええ、そうね……」
どうすればいいのかしら、と薫は悩みながらもみのりに言われたとおりに花火を持って庭に出た。
蝋燭ある? と聞かれたので停電の時用に……と咲が置いていった蝋燭に点火して
満が持っていくと、みのりは早速袋の中から一本花火を取り出して火をつける。
パチパチと言う音と共に光が花火から流れ出し、見ていた薫も満も驚いたように目を細めた。
初めは白かった光が時間と共に赤、ピンク、黄色と色を変え、やがて
火が消える。

「薫お姉さんたちもやってみてー」
みのりから一本ずつ花火を渡されて、満と薫もそれぞれ花火に火をつける。
鮮やかな光の帯が二人の持つ花火から流れ出した。

「綺麗ね」
「でしょ? この花火、毎年買ってもらってやってたんだけど
 今年はお姉ちゃんがお勉強ばっかりでできなかったから……」
嬉しそうにみのりが薫に答える。みのりはまた新しい花火に火をつけた。
今度の花火からはパチパチとはぜるように光が飛び散る。
「これも綺麗……」
そう呟くみのりを、薫は何も言わずに、ただ温かい微笑を浮かべて見つめている。
満は自分の花火が消えると、そっとその場を離れた。

――今の薫は、何も当てにできないみたいね……、
そんなことを思いながら台所に入り、冷蔵庫を開ける。そこには薫が昨日
買ってきたスイカが入っていた。もちろん、みのりちゃんが好きだからという理由で
買ってきたものである。

――薫に任せてたら、絶対これ出すの忘れるわね。
そう思いながら、ざくざくと包丁を入れて手ごろなサイズにカットする。
大き目の皿に盛り付けると、
「みのりちゃん、はいこれ食べる?」
と庭に出た。
「わー、スイカだー!」
とみのりが火のついた花火を持ったまま傍に寄ってくる。
「みのりちゃん、食べるんだったら私が」と薫が花火を受け取った。
「満お姉さんありがとう!」
そう言いながらみのりは皿からスイカを一切れ取った。一口食べて、
「うん美味しい〜」と満足げだ。
「これは薫が買ってきたのよ。みのりちゃんがスイカ好きだからって」
「そうなの?」
くるっとみのりが薫に振り向いた。

「え、ええ……」
薫は花火を持ったまま、満からスイカを一切れ受け取った。
薫ってばみのりちゃんが来るって物凄く張り切ってたんだから、と満は言いかけたが
薫が睨んでいるのでそれは止めた。みのりはといえば、満からお代わりを受け取ると
ととっと薫の近くに行き――花火がちょうど消えた――、
「ありがとう薫お姉さん!」
と抱きついた。思わず薫は花火を取り落としそうになる。
「ど……、どういたしまして……」
月明かりと蝋燭の明かりでは良くは見えないが、きっと薫は今顔を真っ赤にしているのだろう。
満は必死に笑いを堪え、口の中にスイカを放り込んだ。

「みのり、また今度も泊まりに来ていい?」
「え、ええ……」
「もちろんよ。ね、薫」
まともに答えられない薫に代わって、笑いを押し殺しながら満が答える。
わーいとみのりは喜び、また新しい花火を取り出す。はい、と渡され薫もまた花火を手に取った。

白い光が辺りを明るく照らす。光の中に浮かび上がったみのりの満面の笑みを見て、
薫もやっと落ち着いたように、自然と微笑を浮かべていた。

-完-

 ←押していただけると嬉しいです。




短編SS置き場へ戻る
indexへ戻る