「こっちこっち」
舞の両親の日食についての講演会が終った後、みのりは薫の手を取って
図書館の中に設置された「日食コーナー」に連れてきた……だが、考えることはみな同じ。
図書館の一角は子どもやその親でごったがえしていて、みのりが割り込んでいけるような
雰囲気ではなかった。
「少し時間をあけたほうが良さそうね」
薫の言葉にみのりは頷くと、

「じゃあ、こっちの方に行ってみよう」
と再び薫の手を取って図書館の中を移動し始める。
子供向けの本棚はどこも混んでいたが、一般向けの本棚は比較的すいていた。
みのりはまず、小説コーナーをうろうろとしてみる。薫もそれについていく。
「みのり、あんまりこういう本読んだことないなー」
「そうなの」
推理小説のコーナーを抜け、文芸コーナーに出る。あ、とみのりはある本を目に留めた。
その視線を薫が辿る。みのりでは手の届かない少し高い場所を見ているようだ。
「これ?」
視線が指していそうな本を指して尋ねると、「ううん」とみのりは答えた。
「その隣の本が気になったの」
隣――と指を滑らせて薫はくすりと笑った。「日蝕」というタイトルの本だ。
カバーの装丁はいかにも大人向けらしかったが、とにかく棚から引き抜いてみのりに渡す。
みのりは本を開いてみて、あちゃ、というような表情を浮かべた。

「どうかしたの?」
「……全然、わかんないや」
照れ隠しに笑って薫に本を返す。薫自身もぱらぱらと開いてみたが、見慣れぬ漢字や
言い回しがページのあちこちにちりばめられていてすぐには意味が取れそうになかった。
薫は本を閉じるとそのまま元の棚に戻した。

「薫お姉さん、読んだことある本なの?」
「いいえ」
「そうなんだ。薫お姉さんでも難しい本なの?」
みのりは目をきらきらさせて尋ねてくる。「そうね……」と薫は考えた。

「見慣れない言葉が多い本みたい」
「薫お姉さんでもそうなんだあ」
みのりは安心したような笑顔を見せる。
「じゃあ、きっともっと大人の人が読む本なんだね」
「そうね……」
二人は世界文学の棚に差し掛かる。
「ねえ、薫お姉さんはここにある本、たくさん読んでるんでしょ?」
当然のようにみのりが尋ねる。え、と薫は答えに窮する。
「一杯本を読んでる人は賢くなるんだって学校の先生が言ってたんだよ。
 だから、薫お姉さんも……」
「……私は、あまり読んでいないわ」
え、とみのりが意外そうな表情を浮かべた。
「きっと、みのりちゃんの読んでいる本のほうが多いわよ」
「そうなの?」
「ええ」
それは本当だった。薫が読んでいる本はまだまだ少ない。
説明書だとか科学に関する本だとか、そういうものはすらすらと読めるのだが、
ここに並んでいるような小説を読むのは苦手だ。
一つ一つの言葉の意味もとれるしストーリーも理解できるのだが、
全体として何を言いたいのか良く分からないことが多い。
満もそれは同じらしく、二人ともあまり小説は読んでいない――国語の教科書に
載っている分くらいだ。

「じゃあ、本読まなくても賢くなれるのかな」
「そうかしら。私よりみのりちゃんの方がずっと賢いと思うけど」
「へっ?」
みのりは目をぱちくりさせる。そして薫が冗談を言ったものと思ったらしく、
「そんなことないよ〜」
と笑った。
「そのうち分かるわ」
――あなたがもう少し大きくなったら。
そう、薫は思った。

薫は緑の郷では咲や舞と同い年くらいに見える。そういう風に作られている。
しかし実際のところ薫の人生経験はそれほど長くはない。
緑の郷での経験は1年と少しだし、その前のダークフォールでの経験は「人生経験」と
言っていいものかどうか難しい。
ある意味、薫よりもみのりの方がずっと人生経験は豊富だし大人なのだ――と、
薫は思っていた。


二人は今度は「地理」のコーナーに入る。大きくディスプレイされている世界地図が目を引いた。
みのりは本ではなく、地図の方に近寄った。
赤く表示されている日本が地図の中心にある。

「ねえ、薫お姉さんは外国に言ったことある?」
地図を一通り眺めてからみのりが振り返る。
「いいえ、ないわ」
「そうなんだ……みのりもないんだよ。でも、友達は結構、夏休みに海外旅行に
 行くって言ってるんだ」
「へえ、そうなの」
「うん、あつし君はアメリカでさやかちゃんはパリなんだって。飛行機に十時間くらい
 乗るんだって」
「ふうん……」
「行ってみたいな〜……」
連れて行くことならできる、と薫は思った。連れて行って観光して帰るだけなら。
しかしそれはみのりののぞむような旅行ではないだろう。飛行機に乗って、列車に乗って、
滞在地のホテルに泊まって……といったある意味面倒なことも大事なのだ。たぶん。
みのりはちらっと薫の顔を見上げたが今度は何も言わずに「日食コーナー」に目を戻す。
もうだいぶ人が少なくなっていた。
みのりはとことこと「日食コーナー」に近づくと、薫に頼んで高いところにある本を
3冊ほど取ってもらって貸し出しの手続きをした。


トネリコの森に寄って行きたいとみのりが言ったので、二人はPANPAKAパンに戻る前に
森に回った。木々の間から海が見える。夕陽は辺りを茜色に染めていた。
「あのお日様がなくなっちゃうんだね……」
みのりがしみじみと呟く。日食が起きるのは一週間ほど後だ。
「そうね……」
「皆既日食だと、本当に夜みたいになって星が見えるんだよね?」
「そういう話だったわね」
もっとも、夕凪町では部分日食だ。大きく太陽が欠けたとしても星が見えるまでには
ならないだろう。

「えっと、冬の星座が見えるようになる……んだっけ」
「そうよ。舞のお父さんがそう言ってたわ」
実際は太陽の出ている時間にも星は出ている。ただ太陽の光が明るすぎて見えないだけだ。
昼間に皆既日食が起きればその季節では通常見られない星座、夏場であれば冬の星座を
見ることができる筈である。たとえばオリオン座とか、おおいぬ座とか。舞のお父さんは
そんな風に説明していた。

「今でもお星様、出てるんだもんね」
「そうね。ただ見えないだけで」
「お星様って薫お姉さんみたいだね」
「え?」
突然のことに薫はやや間の抜けた声を出した。みのりはそんな薫を見て
にこにこと笑う。
「薫お姉さんも、あんまり言わないけどいろんなものを沢山持ってるような
 気がするんだもん」
「いろんな……もの?」
薫は不思議そうに聞き返した。
「うん! それで色んなことみのりに教えてくれるでしょ」
「……」
そうなんだろうか、と薫は思った。自分では良く分からない。

「あー、やっぱり昼間のお星様見たかったな〜」
黙っている薫をよそにみのりは垂れ下がった枝の先についた葉を引っ張る。
「仕方ないわね、ここでは部分日食だもの」
「そうだよね……、ねえ、薫お姉さん?」
「何かしら?」
みのりが葉から手を離すとぱっと枝が跳ね上がる。
「確か、5年くらい後にまた皆既日食があって外国に行けば見られるんだよね?」
「そうね」
ぽつぽつ皆既日食はあるそうだが、5年後にもまたあるという話だった。
「その時って、薫お姉さんもう大人だよね」
「ええ、まあ……」
成人しているという意味なら、そうだ。
「じゃあ、その時みのりと薫お姉さんで外国に旅行して見に行こうね!」
「りょ、旅行!?」
「うん、だって大人が一緒だったら旅行行って大丈夫だもん。そうしようよ、薫お姉さん」
「旅行……」
――みのりちゃんと一緒に、飛行機に乗って、列車に乗って、
  滞在地のホテルに泊まって……面倒なことを沢山して……
悪くない、と薫は思った。知らず知らず、顔がほころぶ。
みのりは薫の表情の変化を、了承と受け取った。
「じゃあ、約束だよ薫お姉さん」
「そうね」
5年後、皆既日食の見える場所に旅行に行くこと。
ちゃんと約束を交わしてから二人はPANPAKAパンに戻った。

-完-

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