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「今の、サークルの人?」
満の言葉に私は頷く。「4年生の人よ」
「ふーん、薫以外にもこんなに朝早くから来る人がいるものなのね」
「ねえ、満……」
「どうしたの?」
私の声が少しいつもと違っていたのか、満が真面目な顔つきになった。
「プリキュアのことや私たちのこと、誰かに知られるなんてことないはずよね」
「……ないわよ。なんで?」
「さっきの人、私たちのこと知ってるみたいで……」
「どういうこと?」
「舞と私のこと、『ただの友達を超えた関係』とか言ってたわ」
「え?」
「まさかあの人、プリキュアのこと……」
最後まで言いかけた私に満は「それはどうかしら」と冷静な言葉を返す。

「カマかけられたんじゃないの?」
「かま?」
そうそう、と満は頷いた。

「たとえ何も知らなくたって『ただの友達を超えた』……なんて言ったら、
 薫みたいな性格だと動揺して本当のこと言っちゃうかもしれないでしょ。
 だから、言って試してみただけなんじゃない?」
「……」
私は何も言う気がおきなかった。そういう厄介な会話は苦手だ。

「それで、薫。忘れ物よ」
「あ……ありがとう」
満から今日の講義に使う教科書を渡される。

「薫、……さっきの人には少し気をつけた方がいいかも」
満が顔を近づけ囁く。私は無言で頷いた。今日はもう絵を描くのは止めにしよう。
そう思いながら部室を覗くと、先ほど出ていたイーゼルはもう片付けられていた。


3度目に会ったのはその一月後のこと。
サークルに入って最初の展覧会を一ヶ月後に控えて、私はその日も朝早くに部室を訪れていた。
部室の奥の壁には名簿が一枚貼ってある。部室を使った日には一応印をつけることになっている。

柔らかい鉛筆を手に持って名簿に書き込もうとして、私はふと1人の名前が赤線で
消されているのに気がついた。「深澤」という苗字は1人しかいない。

――ふうん……。

そんな感慨しか浮かんでは来なかった。彼女の姿は通常のサークルの活動でもほとんど
観なかったし、それに彼女の絵も結局見たことはない。やめたとしても別に不思議はない。
……風が、また吹いた。放っておこうと思った。もうあの人と大した関係はない……最初から関係なんてなかった。どうでもいい。

「さっきの人には少し気をつけた方がいいかも」
そうだ。満もそう言っていた。大体、あんな面倒な会話は苦手だ。微かな匂いが私に届く。
煙草だ。がんがんとドアを叩く音がする。私は諦めて振り返った。ドアに嵌ったガラスを
通して、あの人が手招きしているのが見えた。

「よっ」
私が出て行くとそんなことを言う。手には火のついた煙草を持ったままで。

「館内は禁煙ですよ」
「じゃ、屋上ね」
彼女は勝手に歩き出した。私は後に続く。屋上に出た、今日は日の光が眩しい。

「何か用ですか」
「うーん、別れの挨拶っていうか? もう大学もやめたから不審人物だけどね、ここに居たら」
「……そうですか」
海外に留学することにしたと彼女は言った。
「周りに知り合いが増えると鬱陶しくてね。何年かに一度、誰も知らない場所に行きたくなって。
 大学入ってこっちに来た時、誰も知り合いが居なくてすがすがしく感じたんだけど、
 また知り合いが増えてきたから」
「……そうですか」
良く分からない考え方をする人だと私は思った。
「そういや、霧生も美翔舞もサークル別のとこに移るんだってね」
なぜそんなことを知っているのかと訝しく思いながらも私は頷いた。

「いいと思うよ。このサークルは絵を描くっていうよりみんなでわいわいやりたい人が
 増えてきたみたいだから。特に最近は。……あの空の絵、できたの?」
空の絵、というのは多分展示会用に今描いている絵のことだ。展示会まではここに所属して、
それが終ったら竹内さんが作る新しいサークルに合流しようということになっている。

「まだです」
「そっ」
煙が目にしみるといった表情で彼女は軽く目を細める。
「日本の空とは少し違う色で面白いと思ったけど」
私はまたぎくりとした。――あの空は、空の泉で見た空のつもりだ。この人に
そんなことが分かっている筈はないけれど。
ふーっと長く煙を吐き出し、彼女は空を見上げた。
「最後に一つ、教えてくれない?」
その目は私を見ていない。声もどこか、遠く聞こえた。

「……なんですか」
「美翔舞に何があったか」
「……え?」
満、と私は思った。この会話を満に肩代わりしてもらいたい。私では何かまずいことを
言ってしまいそうだ。だがそんなに都合よく満は現れてはくれない。私はただ黙って、
彼女の次の言葉を待った。

「霧生はいつから美翔舞の絵を見てるの?」
「中二……の頃から……」
「ふ〜ん」
彼女は考えるみたいに私に目を向けた。

「私が彼女の絵を初めて見たのは彼女が小学校二年生のとき。
 何かのコンクールみたいなので佳作になってた」
「……そうですか」
舞ならそんなことがあっても不思議はない。
「その絵見たとき、不思議な気がして。まだ小二なのに『誰かに伝える』ということが
 ちゃんと意識されている絵だと思ったんだけど……でもどこか寂しいような」
「寂しい?」
「そう。誰かを待っているような」
「……」
私はその絵を見たことはない。だが、舞から聞いた小さな頃の話を思い出すと
ありそうなことのような気はした。

深澤さんは一瞬私の言葉を待っていたようだが、すぐにまた話し始めた。

「次に見たのは確か……美翔舞が小六、かな? その時も同じ印象だった。でも」
不穏な言葉に私は彼女に気づかれないよう耳をそばだてる。

「その三年後、彼女が中三になったときの絵は全然違ってた」
「全然……?」
「そう、全然」彼女は初めて真剣な目つきで私を見た。
「さっき言った寂しい感じが全然なくなってて、どこか満たされているみたいな……」
「満たされて……」
「成長したって言えばそれまでだけど」
彼女は屋上の柵にもたれかかった。
「美翔舞に何があったのか、誰に会えばあんな風に変われるものなのか気になっててね。
 元々彼女の絵は好きだったけど、あんなに変わるものかと思ったから。
 霧生かと思ったんだけど」
「……違います」
彼女の知りたいことがそれなら、もう厄介な会話をする必要はない。
「じゃあこの前の、ええと、満って子?」
「それも違います。舞を変えたのは、咲……」
「咲?」
私はこくりと頷いた。
「舞は中二の時、夕凪町に越してきて咲と友達になって……」
「へえ?」
彼女の目がまたにやにやとしたどこか不真面目なものになった。

「じゃ、留学先にはその子を連れてこうかな」
「……は?」
「面白い人間は好きだからね。美翔舞の絵をあれだけ変えた人間なら一度見てみたいし」
「……!」
冗談じゃないと私は思った。やはりこの人に余計な事を言うべきではなかった。なんとしても
止めなければ。いざとなったら満を呼び寄せてでも。

「そんな睨み付けないでよ」
ぷっと彼女は笑う。冗談よ――そう言って煙草を灰皿にねじ込んだ。

「出発まであと一週間しかないんだからそんなことできるわけないでしょ」
まあ、その子にはちょっと興味あるけど――と呟きながら彼女は柵から身を起こし、ゆっくりと
歩き始めた。

「ああ、そうだ」
ぽんと私に煙草の箱を投げてよこす。私が手を伸ばさずにいると煙草は身体に当たって
そのまま落ちた。

「受け取ってよ」
「吸いませんから……」
「吸えとは言わない。でもそれ、箱の色綺麗でしょ」
私は屈んで箱を拾いあげた。中には4本だけ煙草が残っている。原色で
塗り分けられた箱は自動販売機で見かけるものとは大分違っていた。
元々は外国で売られている物らしい。

「じゃ、さよなら」
箱を見ている私のところに小さな声が届いた。顔を上げると、彼女はもう屋上から降りる
ドアに手をかけている。

「さよなら……」
ドアが閉まると、残ったのは風と煙草の匂いばかりだった。

-完-

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