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黒く長い髪が印象的な人だった。少し釣り目ぎみの黒い目よりも、
人を食ったような話し方よりも黒い髪の方が印象に残っている。

彼女と初めて話したのは四月の上旬。舞と一緒に入った美術サークルでの
新入生歓迎コンパでのことだった。

「はい、新入生はがんがん飲んで〜!」
大学というのはこういう場だったのか……と、私は圧倒されていた。
ここは私たちが通う大学の中で美術サークルとしては一番古く、人数も多いと聞いては
いたけれどこんな宴会みたいなことをするなんて思ってもいなかった。

それは私の隣に居る舞も同じことで、先ほどから妙に口数が少ない。
多分この場の雰囲気に馴染めないでいる。それは私も同じだけれど……。

「注目ー! 伝統の○○踊りー!」
上級生が何人かバカ騒ぎを始めた。私はそっと立ち上がる。
「薫さん?」
「ちょっと、風に当たってくるわ」
「うん……」
この部屋――貸切にしたこの部屋には、新入生と上級生を合わせて50人くらいの人がいる。
私1人が出て行ったからといって舞以外には誰も気づく人はないだろう。


外に出て私はふう、と一つ息をついた。涼しい風がほてった顔に気持ちいい。
あまり人が騒いでいる場所は好きじゃない。
――舞も、連れて来たほうがいいかしら……

舞もあんな場所は好きじゃないだろう。連れて来た方がいいかもしれない。
そう思い引き返そうとしたところに、
「新入生?」
と声が響いた。
「え? ええ……」
その人は店の明かりがちょうど庇で遮られて影になっているところに立っていた。
左手には吸いかけの煙草を持って。
存在には気づいていたけど、てっきり社会人だと思っていたのに。
サークルの関係者だとは思いもしなかった。

「吸う?」
ジャケットのポケットから煙草の箱を出して私の前に突きつける。
いえ、と私は首を振った。
「吸わないんだ」
「ええ」
「未成年だから?」
「そういうのではなくて」
「ふうん」
私のことを値踏みするかのようにじろじろと見ている視線が気になり、
私はそのまま舞のところに戻ろうとした。

「騒々しいのは嫌いじゃないの?」
その人の声が聞こえてきた。
「嫌いです」
「やっぱりね。――だったら戻ることないじゃない」
「中に舞がいるんです」
「舞? ……美翔舞?」
「ええ」
どうしてこの人は舞の名前を知っているんだろうと私は一瞬不審に思ったが、
すぐに「サークルの関係者であれば知っていてもおかしくない」と思い直して会場に
戻った。

「あ、薫さん良かった」
ちょうどコンパも終ろうとしていて上級生がお金を集めているところで――新入生は
特別に無料だ――、舞は薄手のコートを羽織っていた。

「帰っちゃったのかと思った」
「……いくらなんでも、そんなことはしないわ」
舞がいなかったらそうしていたかもしれないけど。
畳んでおいた私のコートを舞が手渡してくれる。この春、これを着るのは今日が
最後かもしれない。

店を出て、
「あれ?」
と私は声を上げた。
「どうかしたの、薫さん?」
「さっきまでここに人がいたんだけど……」
「サークルの人?」
私が黙って頷くと、「ああ」と近くにいた上級生が口を挟んでくる。

「深澤さんじゃない? それ」
「深澤さん?」
「そうそう。今4年の人なんだけどね。変わってるんだよなー、いるかと思えばいないし
 いないかと思えばいたりするんだ」
なんとなく分かる気はする。あの人はきっと「深澤さん」なんだろう。
そう結論して私はそれ以上の事を考えるのはやめにした。


2度目に深澤さんに会ったのは5月のこと。
その時は新入生の歓迎イベントもようやく落ち着いて、私たちは7月にある
展示会のためにそれぞれの作品の制作に取り掛かっていた。
その日、私は朝早く部室に出ていた。講義が始まる前に作品に
手をいれておきたかったのだ。昨夜寝る前に漠然と浮かんだイメージがあったので
それを早いうちに絵に焼き付けておきたかった。
部室は学食が入っている建物の3階にある。3階建ての建物だから、一番上だ。


――あれ……。
かけておくはずの部室の鍵が開いている。ふと見ると、イーゼルが一つ出したままになっている。

誰かが昨日忘れていったのか、それとも……。吹き抜ける風が私に、屋上への
扉が開いていることを伝えた。
「関係者以外立ち入り禁止」という貼り紙のあるドアを開け、階段を駆け上る。
風向きのせいで、屋上に繋がるドアを開けた途端にわずかに煙草のにおいがした。

腰までかかりそうな黒髪の伸びる背中をこちらに向け、その人は微動だにせずに屋上の
鉄柵にもたれかかっていた。恐らく口には煙草をくわえたまま。
後ろ手にドアを開いた音が聞こえたらしく、彼女は音もなく振り返った。

「あら」
ちょっと意外そうに私を見る――手に持っていた煙草の箱を差し出す。

「吸いにきたの?」彼女は口にくわえていた煙草をはずした。
「……吸いません」
「なんだ」

「部室を開けたのは……」
「ああ、それ私。一晩中開いてたわけじゃないから安心して」
「そうですか」
私はドアのすぐ側に立ったままで話をしていた。彼女との距離は3メートルほど。
と、彼女が手招きをした。

「なんですか?」
3、4歩進み出る。
「今日は美翔舞はいないの?」
「今日はいません」
「いつも一緒ってわけじゃないのね」
「ええ」
「ふ〜ん」
吸っていた煙草を携帯灰皿にねじこむと、2、3歩私に近づいてきた。
そのまま彼女の右腕が私の方に伸びてくる。
一瞬、私は悩んだ。このまま動かないでいるか、それとも――、
――いざとなれば、この人の右手なんて簡単に砕ける。
そう思い動かないでいると、彼女の掌が私の頬に触れた。
私の目を覗き込むように彼女の目が動く。

「美翔さんとは、ただの友達を超えた関係かと思ってたけど」
「……付き合いが長いんです」
「本当に、それだけ? そうは見えないけど」
私の背筋に寒いものが走った。まさか、プリキュアのことを言っているのだろうか。
……しかし、この人がそのことを知っているはずがない。ないだろう。まさか。

ぎいっとドアの軋む音がした。彼女の手がぱっと私から離れる。

「あー、薫、ここにいたんだ」
「満」
なぜだかほっとして私は満を迎える。
「……双子?」
深澤さんは私たちを見比べていた。
「ええ、まあ」
そう答えると「ふーん」と満のことを見た上で、「じゃ、また」と
彼女は階段へと降りていった。
ふう、と私の口から息が漏れる。


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