紫陽花は雨に濡れているのが一番綺麗だ。
薫はつくづくそう思った。教室にも誰かが持ってきた紫陽花の切花が
花瓶に生けてあったが、雨の中の紫陽花の方が薫には色鮮やかに感じられる。

薫がスケッチしている紫陽花は青紫を基調としているが花一つ一つで少しずつ色合いが違う。
――本当は、色まで描ければいいんだけど……

ここに一つジレンマがある。
雨に濡れている紫陽花は綺麗なのだが、傘を差しながら描くとなると
どうしても鉛筆だけでスケッチをすることになってしまう。
絵の具を広げたいところだが、そうもいかない。せめて目に焼きつけ、
帰ってから色をつけるしかない。
よく削った鉛筆で花びらに影をつけながら、薫はとにかく覚えておこうと思った。

数歩離れた先には舞がいる。こちらは完全に集中していて紫陽花とスケッチブック以外は
目に入っていない状態だ。

薫はちらりと舞に目をやり、そろそろ舞の絵は終わりそうだと思った。
どこか舞の集中が浅くなっている――眠りから覚めつつあるような雰囲気がある。
薫も舞に間に合わせようと手を動かす。小さなスケッチブックは飛び込んできた
雨粒に濡れつつ、紫陽花の絵で埋まっていった。


傘を差して雨に濡れた土を踏みしめながら二人は帰ろうとする。
「ねえ、舞」
薫がふと足を止めた。

「どうしたの?」
「……ひまわりパークにも、行ってみたいんだけどいい?」
「もちろん!」
弾むような声で舞は答えると、次の曲がり角で右に進む道を選んだ。この道を歩いていくと
小川を越え、ひまわりパークに出る。
ひまわりパークには誰もいないようだった。係員さんはどこかにいるのだろうが、
その姿は見えない。

門を開け、自分たちの花壇のそばに行ってみる。
咲、舞、満、薫という名前を書いた小さな立て札は雨に濡れながら花壇の
土に埋もれていた。
春にまいたひまわりの種はもう芽を出し、深緑色の茎がゆっくりと
伸びつつある状態である。
種を撒いた直後は毎日来ては水やりをしていたものだが、
ここ最近は雨が続いているのでその必要はない――とはいえ、
去年のように病気のひまわりであれば早いうちに対処した方が
良いので数日に一度は足を運ぶようにしていた。

「今年は大丈夫そうね」
一通りひまわりを見て回り舞が確認するように呟く。
ええ、と薫は一番大きく伸びたひまわりの葉に軽く触れた。
雨に濡れてしっとりとしている。
一番大きなひまわりとは言っても薫の胸くらいの高さだ。

「そういえば、この前みのりちゃんがね」
「どうかしたの?」
舞が腰くらいまであるひまわりの茎をやや曲げてスペースを作り薫のもとへと近づいてきた。

「みのりちゃんと二人で、ここのひまわり見に来たの。
 薫さんたちが日直で学校に遅くまでいた時」
「へえ」
みのりの立て札はここにはない。
何となくだが、ひまわりは四人で育てることになっていた。――去年、ここであんなことを
したものだから、今年も去年と同じ四人で育てようと誰もが漠然と思っていたのかもしれない。

「そのひまわりね、もうみのりちゃんより大きいから。
 その下に隠れて全然見えなくなっちゃったの」
楽しそうに話す舞の言葉を聞きながら薫もくすりと笑った。
真夏になれば、自分達でもひまわりの中に簡単に隠れてしまうことができる。
ましてみのりなら……。

「ここでかくれんぼしたら楽しいだろうなって」
「そうね」
フラッピたちがよくしていたかくれんぼの様子を薫は思い浮かべた。隠れるのはうまい割に
じっとしていられなくてついつい音を立ててしまいすぐ見つかってしまうムープを思い出し、
みのりちゃんもそんな感じになるのだろうかと思いを馳せる。

――いや、みのりちゃんはムープたちみたいに落ち着きがないってことはないわ。
  そうするとかくれんぼが一番強いのかも?

「薫さん?」
真剣な顔をしてかくれんぼをシミュレートしていた薫の目の前に突然舞の顔が現れる。

「どうかした?」
「いえ……、なんでもないわ」
「そう?」
それにしても……、と薫は再びひまわりの葉に手を伸ばした。まだ小さくて柔らかい。

「なんだか、不思議ね。こうやって雨に打たれているところを見ると、
 これからどんどん大きくなって『輝く金の花』を咲かせるところなんて想像つかないわ」
薫がわざとキュアブルームの台詞をもじって言って見せたのに舞は苦笑しながら、「そうね」
と答えた。
確かに、今の状態のひまわりは「少し背の高い草」という印象しか受けない。こうして
ひまわりパークに植えられているからひまわりと分かるが、他の草に紛れていたら
ひまわりと気づかずに見過ごしてしまうかもしれない。

「あじさいはどうなるの?」
「え?」
「今が一番綺麗なときなんでしょう? ひまわりの花が咲く頃、あじさいはどうなるの?」
舞は薫の質問にどう答えようかちょっと悩んだ。
悩んだ末に、こう答える。

「夏になるとね、だんだん花が白っぽくなってくるの」
「へえ?」
今はあんなに鮮やかなのに? と問い返す薫に舞はええ、と頷く。

「それで最後には花が枯れちゃって……また葉っぱだけに戻るんだけど」
ふうんと薫は呟いた。
「その頃にはひまわりが見ごろだと思うけど……」
「来年はまたあじさい、花が咲くのね」
「ええ、そうよ。また来年も見に来ましょう」
「そうね。来年は、もう少しうまく描けるといいけど」
薫はスケッチブックを開いた。あまり満足のいく物ではなかったようだ。
舞は横から覗き込む。
上手く描けてると思うけど、と言う舞に薫は軽く首を振った。
「……少し、違うの。描こうとした絵と」
傘から雨粒がぽたりとスケッチブックに垂れた。

今度はみんなと一緒にひまわりパークに来よう――と舞と薫は話を決めて足を家の方へと向ける。
雨に濡れたキャベツ畑を通り過ぎ、だらだらとした坂道をゆっくりと下っていく。
アスファルトの道になると家に近づいてきたという感覚がある。

と、目に眩しいくらいの黄色が視界の中に飛び込んできた。全身をレインコートに包んで長靴を
履き、さらに傘をさしたみのりがてくてくと道を歩いている。

「みのりちゃん」
舞が声をかけると、みのりはくるりと顔をこちらに向けぱっと輝かせた。

「舞お姉ちゃん、薫お姉さん!」
小さな水溜りの水を跳ね飛ばすようにしながらみのりが
こちらに寄ってくる。
「どうしたの? お使い?」
薫の問いにみのりはうんと答え、
「健太おにいちゃんのお家にお使い」
「星野君の?」
舞に向ってみのりはにっこり笑うと、
「この前健太お兄ちゃんのお家から蛸貰ったんだ! だから、お返しにって
 うちのパン持っていくんだ」
みのりは手に持ったビニール袋を見せた。
ビニール袋に入っているのは中身が濡れないようにと言う配慮だろう、
中には見慣れたPANPAKAパンの袋が入っている。

舞と薫はちらっと目を合わせた。

「だったら、私たちも行こうかな」
舞が言うと、みのりはんー? と首を傾げた。

「一人でも行けるよ、みのり」
「それは分かってるわ。でも――」
雨の日は危険だ。以前とは違って、交通事故などの面から。
薫がこう言おうとしたのを舞の言葉が遮った。
「それに一人で行くより楽しいでしょう?」
舞が補足すると、みのりはまたちょっと考えたが「うん!」と答え、
「じゃあみのりについてきてね」
と二人の前に立つ。

ぱちゃぱちゃと水音を立てながら歩くみのりは妙に楽しそうだ。薫と舞は
やや足を速めてみのりの両脇についた。
「あのね、この長靴この前買ってもらったんだよ」
少し誇らしげな口調でみのりが告げた。
「今までのは、小さくなっちゃったの?」
「うん、それでね。今年買ってもらったんだ。みのりが選んだんだよ。
 だからね、今日はどこかに出かけたかったんだ」
可愛いの買ってもらって良かったわね、と舞が言うとみのりはにこにこと笑う。
薫はというと、耳では二人の会話を聞きながら視線をあちこちに配っていた。
雨の日はどうしても車の音が聞こえにくい。

とはいえ、夕凪町に関して言えばそれほど交通量が多いわけでもなく、しばらくして
三人は星野家の前に着いた。海のすぐ近くだ。

インターホンを押すと健太の声が帰ってきた。すぐにドアが開く。

「お、みのりちゃんありがと! あれ? 美翔と霧生も?」
「そこで会ったから一緒に来たの。はい、これお母さんからです」
みのりが説明しビニール袋を健太に手渡した。
「サンキュー……そうだ、お前ら、暇だったらちょっと上がってってくれよ」
さあ帰ろう、と言わんばかりだった薫の顔に疑問の色が浮かんだ。
「星野君、何かあるの?」
「うん、ちょっと頼みたいことがあってさ。お前らだったら丁度いいから」
「……何かしら、頼みって?」
薫が鋭い声で聞き返す。詳細を話さない限り絶対に行かないという決意めいた物が
ひしひしと感じられ、驚かそうかと思っていた健太もあっさりと、
「カキ氷食べて欲しいんだよ」
と答える。
「カキ氷?」
きょとんとした顔をした三人に、
「ああ。今年の新しい味を今研究してるんだ」
「そう――」
薫がそれなりに納得したような声を出したので三人は星野家にあがることにした。

入るといきなり台所へと通される。皿の上にカキ氷が三種類持ってあった。
シロップはどれもイチゴのようだが――トッピングが目に付く。

一つ目は、蛸のぶつ切りをメインとしたトッピングがカキ氷に乗っている。
二つ目は、ワカメのようだ。三つ目は切ったスイカが乗っている。

「……何、これ」
薫がいかにも不審そうな声を出す。舞もみのりもどこか不安げな顔色だ。

「あー、最近果物とか色々載せたカキ氷流行ってるだろ? 星野屋でも何か出してみる
 かって思ってさ」
「……それが、これ?」

「そっ」
健太は胸を張った。
「お客さんが釣りしてきた魚をそのまま乗せるサービスとかもさ、いいだろ?」
どことなく舞たちをからかっているようにも見え、
――本当に、「いい」のかしら……
舞が疑問に思っていると薫がタコのカキ氷に手を伸ばした。

「お、おい、霧生?」
「薫さん、それ食べるの!?」
「……食べられないってわけじゃないんでしょう」
慌てる健太と舞を尻目に薫はシロップの掛かった氷とタコの切り身を口に含んだ。
「大丈夫か、おい」
自分で出したものなのに健太は妙に真剣に心配している。

「……食べられないことはないわね。別々に食べた方が美味しいと思うけど」
薫はあくまで冷静な論評だ。
「……あ、じゃあ私はこっちを……」
舞はワカメの方を自分のそばに引き寄せる。
「じゃあ、みのりスイカ食べるね」
「お、おう。ちょっと待っててな」
健太はみのりが食べやすいように少し高めの椅子を持ってきた。

その間に舞はもう食べ始めている。
「どうだ、美翔?」
「食べられる……けど、ワカメはお酢か何かで味付けして、シロップをなくしたほうが
 いいかも」
「……それはワカメの酢の物に氷を入れただけにならないか?」
「そうね、そんな感じ」
「それじゃ海の家じゃなくて総菜屋だろ……」
「これ、すっごく美味しいよ! スイカがしゃきしゃきしてて」
みのりが健太と舞の会話に割って入った。
「お、そうか? じゃあスイカは本当に出すか……」
タコと氷を全部食べた薫は舞とみのりの様子を見る。二人とも全部食べてしまうまでには
まだ時間が掛かりそうだ。

「……色々、考えるものね」
「ああ、もうすぐ夏だからな」
呆れたような薫の言葉に健太は頭を掻いて答えた。

薫は窓の外を見る。雨はまだ降り続いている。しかし雲の隙間から太陽の光も
漏れこんでいる。
この雨が上がる頃には、もうすっかり夏である。

-完-

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