夏休みには宿題がある。ドリルや日記は普段の宿題が一まとめになって出されたような
ものだが、「長い休みを利用して普段できないことをしてみましょう」といった
ものもある。
中学生になると勉強を主目的とした宿題が中心になるが、
小学生の間は自由研究であるとか朝顔の観察であるとか、そういったものが多い。
みのりはどちらかというとそちらの方の宿題が好きなので、
あまり苦ではなかった……が、何を自由研究の題材にしようか、とりかかるまでに
あれこれ悩むのは他の子たちと変わらなかった。

「自由研究という名前なら、好きな事をすればいいじゃないの」
いつものように薫に相談すると冷静な答えが返ってくる。
「う〜ん……好きなこと……去年はコロネのぬいぐるみを作って出したんだけど……」
「ふうん」
「今年はちょっと違うのにもしたくって……お絵かきしようかなって思うんだけど」
「そうすれば?」
「何描いたらいいのかなあ」
「好きなものでいいじゃない」
「う〜ん、せっかくだから何か夏っぽいもので、普段だと中々描けないようなもので……」
「いらっしゃいませ」

最近のPANPAKAパンには人手が余っている。咲に加えて舞、満と薫、みのりまで毎日
手伝っているからで、お客さんよりも店員の方が多いのは常態になっていた。
正規のアルバイトであれば少し人数を減らすことを考えていい状況ではあるが、
娘たちが手伝いつつお喋りをしつつ楽しんでいるのが良く分かるので咲たちの
両親も、何も言わない。人数が多いからといって無駄話ばかりしてお客さんへの対応が
おろそかに、ということもないのでむしろこの状況を喜んでいた。

「それなら、少しお出かけしてみる?」
お客さんに薫を取られたみのりに舞が話しかける。
「え? どこに?」
「いい場所、見つけたの。明日にでも」
「本当!? 舞お姉ちゃんすごーい!」
「舞〜、いつもごめんナリ〜」
「ううん、私も誰かと一緒に絵を描きに行きたいと思っていたから」
と、いうことで。
「薫お姉さんとも一緒がいい!」
という希望もあり、翌日は咲と満が店に残り、舞と薫とみのりがお出かけすることになった。

-------------------------------------------

「それで、どこに行くの?」
「ちょっと遠出しようかと思うの」
「舞お姉ちゃん、薫お姉さん、みのり支度できたよ〜」
みのりが持っているのはスケッチブックと、絵を描くためのお道具セット。鞄に入れて
背中に背負ってい、「今年の夏に新しく買ってもらった」という真っ白な帽子をかぶっている。
舞もスケッチブックと道具一式を持っているが、薫は手ぶらだ。

「じゃあ、行きましょう」
「薫お姉さんは何もいらないの?」
「私は、別に何も」
「お絵かきしないの?」
「別に。いいわ。こっちに行くの?」
薫はさっさと歩き始めた。舞とみのりがぱたぱたと後を追ってくる。
すぐに追いついた。みのりが真ん中に、薫と舞がその両脇を歩く形に自然になる。

「舞お姉ちゃん、今日はどこ行くの?」
「うーん、着いてからのお楽しみ。でもすごくきれいなところよ」
「えへへ、楽しみ〜」
「ちょっと……」
みのりの右脇を歩いていた薫が手で軽くみのりを左の方へ押しやる。
「?」舞とみのりが疑問に思って薫のほうを見たとき、グレーのワンボックスカーが
静かに三人の横を走り抜けて行った。

「あ……」
――全然気づかなかった。
舞は少し反省した。
この道は比較的歩道が広く、三人で横に並んでいても十分に歩ける幅はある。
しかし白線を引いているだけの歩道であるから、車が来たときにはやはり
注意しなくてはいけない。

――気をつけ、なくちゃ。みのりちゃんも一緒なんだし……

舞たち三人の足は、いつかのようにキャベツ畑へと向かっていた。
夕凪町の中でも緑の濃いところへと。
橋を渡り、木々の中へと入っていく。

「暑いわね、今日は」
「薫お姉さん、みのりの帽子かぶる?」
「みのり、あなたの帽子はあなたが被ってなさい」
「大丈夫?」
「私は大丈夫だから。木の影にも入ってきたし」
「薫さんもみのりちゃんも、これからはもうずっと森の中だから、
 少し涼しくなると思うわ」
蝉の声が大きくなってくる。わずかな夏の期間を地上で過ごす蝉達は
今こそが自分達の天下、と言わんばかりに思う存分鳴いていた。
木々の間を風が吹きぬけ、三人の顔から一瞬すうっと汗が引いた。

足元の土は乾いている。ここ数日雨の降ることがなかった。
かさついた地面を蟻が何匹も這い回っていく。

「あ〜……あじさいこんなになっちゃった」
梅雨の期間きらきらと輝いて咲き誇っていた紫陽花はどれも花を落としてしまっていた。
わずかに残る白く残った花びらが却って無残な印象を与える。

「……寂しいものね」
「うん、ずーっと咲いてればいいのにね」
「でも、また来年咲くわ」
「来年? 本当に?」
念を押すように薫は尋ねた――舞は断言した。
「ええ、必ず。必ず来年も咲くの。今年と同じくらいきれいに」
「だったら来年もお絵かきしに来たいね!」
「そうね。また、みんなで」
舞はちらりと薫のほうを見た。――薫は紫陽花の葉に触れている。
緑の葉を撫でているように見えた。

「カタツムリはどうしたのかしら」
「カタツムリも、どこかへ行ったんだと思うわ。来年になればまた出てくるの」
「蝉は?」
「蝉は今鳴いているわ」
「秋になればいなくなるんでしょう」
「そう。……来年になれば、また鳴くわ」
「ずっと、続いていくのね」
「そうよ、薫さん。続いていくの、ずっとずっと」
「じゃあ、また来年の夏も来るんだよね!」
「そうね。……そろそろ目的地に行きましょうか。本当にきれいなところだから」
「うん!」
舞は紫陽花の群生地を越えて、少し上り坂になっている道へと二人を案内した。
「少し、山道なんだけど。そんなに大したことはないから」
木の葉をすり抜けた陽光が三人に当たり、三人の顔は斑に照らし出される。
おしゃべりが好きなみのりも今は黙って上っていた。
そんな風にして二、三十分も歩いただろうか。
次第に木がまばらになってきた。

「みのりちゃん、薫さん。あっち見て」
先頭を歩いていた舞が突然振り返る。舞が指し示した左手の方を見ると、
視界の下に夕凪町が見えた。

「わっ! すごーい!」
そんなに上ってきたわけではないから町並は家や建物が識別でき、どこか
誰の家か分かるくらい、けれどもいつもよりは小さく見える。
「あのへんがPANPAKAパンで、あそこが学校だね! なんかおもちゃみたい!」
みのりは早速鞄を下ろし、スケッチブックを広げた。
置き場所に困っていたらしいので薫が受け取る。
みのりのスケッチブックはもう半分ほども使ってあった。
コロネであったり、咲であったり、友達の絵であったり、学校の絵であったり――
みのりの好きなものが何ページも何ページも描かれている。
今日はそこに夕凪町の風景が加わるのだろう。

舞も絵を描き始めてしまったので――彼女が集中し始めたら邪魔しようとしても
無駄な事は良く知られている――、薫は二人から少し離れて広場のようになっている
草の中に寝転がった。
草は柔らかくて気持ちよかった。土も乾いており、そのまま触れることがあまり気にならない。

空は青い。
空の泉でもこんなに青い空を感じることは中々ない。
白い雲が視界の片隅に盛り上がっているのに薫は気づいた。
入道雲と言う雲だと前にみのりが教えてくれた雲だ。
少し固い綿あめのようにも見え、見るからに雨を降らせそうな
黒い雲とは違って、あくまでも平和に空に浮いているように見える。
しかしそれが激しい雷雨を降らせる雨だと、みのりはそこまで教えてもくれた。
こうやって見ている分にはまるでそんな気配は感じられないと言うのに。
だからプールで泳いでいる時に入道雲が見えると、今のうちにたくさん泳いでおこうと
一生懸命になるらしい。

――まだ、小さい、か……

入道雲の様子を気にしながら薫は空に浮かぶ他の雲にも目を向けた。
先ほど見ていた雲が形を変え、隣の雲と融合しそうになっている。
よくよく見ていると、止まっている雲は一つもなかった。
一見停止しているように見えても、少し時間を置いてみると必ず何かが変わっている。

薫はまた入道雲を見てみた。大分大きくなっている。根元、というのだろうか、
最下部の形も変わって……
――ゴーヤーン!?
一瞬、ろくでもない形に見えた。まさかダークフォールの大幹部が
こんなところで雲に化けて遊んでいる筈もない……ない筈だが、しかし薫は
思わず自分の腕を見ていた。
最後にゴーヤーンに会ったときにひどく掴まれた左腕だ。

もう痣はほとんど残っていない。――良く見ると微かに痕跡が残っているが、
ぱっと見る程度には誰も気づかないだろう。

――まさか、な……
再び見上げると雲の形はまた変わっていた。緑の郷の空が起こした単なるいたずらだろう。
薫がひどく動揺したのは確かだったが、空は何事もなかったように変化していた。
幾分、悪い方に。

腹の底に響くような雷の音が上から聞こえてきた。薫は跳ね起きると、
舞とみのりの傍に近寄る。

「薫お姉さん、かみなり!」
空はまだ晴れている。雨が降り出す前にどこかに逃げるのが得策だと薫は判断した。
「舞、絵描くのは中止」
舞は聞こえていないようなので、薫は舞の背に手を掛けてぶんぶんと揺さぶった。
舞がようやく薫の方を見る。

「薫さん、みのりちゃんも……どうしたの?」
「舞お姉ちゃん、さっきかみなり鳴ったよー。聞こえなかった?」
「え、ええ!?」
「舞、近くに雨宿りできるような場所はないの?」
「確かこっちに行った先に休憩所があったはず……」
舞の言葉に被さるように雷が再び鳴った。先ほどよりもずっと大きい。
「行こう。早く」
みのりの手を取ると、薫は舞に先に行かせてすぐにその後を追った。

休憩所は二、三分走ったところにあった。
屋根があって、中には木のベンチが四つほどおいてあるだけの簡単なものだ。
走っている間にも空はどんどん暗くなっていた。三人が休憩所に辿りついて少し経つと、
空は溜め込んだ水分を大粒の雨にして放ち始めた。

「間に合ってよかったね、舞お姉ちゃん!」
「そうね、薫さんがいてくれて良かった……」
――私、また絵に夢中になっちゃって……みのりちゃんが一緒なのにこんなんじゃ……

「……薫さん?」
また反省しながら舞は薫を見、――少し不思議に思った。
薫は左手で胸を抑えながら真剣な表情で空を見ていて――稲光が光った。雷鳴が轟いた。
胸に添えた薫の手が震えている。

「どうかした?」
「な、何でもない……」
何でもない、と言いながら薫は自分の内に湧き上がる感情に気づいていた。
――怖い……!

空を白く光らせる雷光。一瞬視界の全てが白い闇に包まれる。
それは薫にアクダイカーンのことを思い出させるのに十分な光景だった。
最後にダークフォールを訪れたときに受けた電撃の事を。

――嫌だ……嫌だ……!
思い出したくない。忘れていたい。ダークフォールのことも自分達を生み出した存在のことも、
ゴーヤーンのことも滅びの力のことも電撃のことも。
もう二度とあそこには戻りたくない。係わり合いにもなりたくない。
ずっと満と舞と咲とみのりと、緑の郷にいたい。

「薫さん……」
「舞……?」
舞の手が薫の左手に添えられていた。
「一緒に、こっちで休みましょう」
薫の手を取り、ベンチへと誘導する。みのりもぱたぱたと傍に寄ってくると、
薫の隣にちょこんと座った。スケッチブックを薫の膝に乗せる。

「今日の絵、途中になっちゃった」
そう言って一番新しいページ――先ほどまでスケッチしていたページ――を開いて
薫に見せる。

「ここがね、PANPAKAパンなんだよ。ここがお姉ちゃん達の学校でしょ。
 こっちから海になってて、ここがひょうたん岩で……この前行ったとき、きれいだったね!」
「あ、ああ……」
左手を舞に握ってもらったまま、薫はみのりから説明を受ける。
みのりの絵は鉛筆書きで白黒だったが、夕凪町を知る者には色合いが感じられる。
ふんわりとした柔らかいタッチで、このまま色をつけたら何かの絵本の一頁になりそうな、
そんな絵だった。

「――ここに住んでるのね、みんな」
「うん、そうだよ! 薫お姉さんもね!」
――私がどこに住んでるか知らない癖に。
薫はそう思って心の中で苦笑した。
空の泉に住んでいるなどとはみのりに言えない。

小一時間も休憩所にいただろうか。雨は次第に小降りになり、また太陽が顔を覗かせた。
蝉たちが再び鳴き始める。
薫は結局ずっと握られていた手をそっと放した。――少し、恥ずかしい。

「雨、やんだね!」
「そうね、そろそろ」
「帰りましょうか」
「えー、もう!?」
みのりは少しむくれたような表情を浮かべる。
「今日は予定より少し遅くなっちゃったもの。咲たちもみのりちゃんの
 お父さんもお母さんも心配してると思うから」
「え〜」
「仕方ないわ、みのり。また今度来ればいいじゃない」
「舞お姉ちゃんも薫お姉さんも、また一緒に来てくれる?」
「そうね」「今度は咲や満さんも一緒だといいわね」
二人の答えに満足したのか、みのりはまたご機嫌な表情に戻った。

-------------------------------------------

PANPAKAパンに戻ってみると、満が病気になっていた。
「病気!? 満が!?」
――まるで、そんなの……人間みたいじゃない……
実際、タオルを額に乗せて寝ている満は普通の人間のように見えた。
薫はどこか嬉しいような、複雑な気持ちで満を見下ろしていた。

「満を頼むわね、今夜……私はとても、看病なんてできないから……」
日向家に満を頼み、薫はPANPAKAパンを後にする。
病気の満は自分よりも日向一家に任せた方がいいだろうと思えた。

「薫さん」
「舞……?」
PANPAKAパンを出たところで美翔舞に声をかけられる。彼女はもう帰ってしまったものと
思っていたので驚いた。

「良ければ、今夜、私の家に泊まらない?」
「舞の家に? ……どうして?」
「だって薫さん、今日は満さんいなくて一人でしょう?」
「そう……でも、別に」
「薫さん、」
舞はまた薫の手を取った。手を挟んで二人で向き合うような格好になる。
「私も……薫さんや満さんの力になりたいの。
 お節介かもしれないし、頼りないかもしれないけど……」
「……ありがとう」
二人は連れ立って美翔家へと向かった。


-完-

 ←押していただけると嬉しいです。



SS置き場へ戻る
indexへ戻る