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「みーちーる!」
病室にはそぐわない元気な声が突然聞こえてくる。
はっと満が顔を上げると病室の戸の向こうに咲が立っていた。
手に何かを持っている。

咲は遠慮なく入ってくると、
「いけない、薫寝てるのかな?」
そう呟き、薫の寝顔を覗き込む。薫が静かな寝息を立てているのを見て
安心すると、
「はいこれ、お土産だよ」
と、手にしたひょうたんを満に見せた。

「お土産?」
「うん、私今日篠原道場の手伝いに行ってたんだけどね」
咲はどっかりと満の隣に座り込む。

「薫が大怪我した、って話したら篠原先生が満にって、くれたんだ。
 先生が昔住んでたところの地酒なんだって。満、飲めるでしょ?」
この時代、酒を飲むのに年齢の制限はない。だいたい十二、三になれば多くの者が
酒を飲むようになる。

「ええ。飲めるけど」
「よしっ! じゃあ今日は咲ちゃんと夜まで飲もう!」

咲は手際よく、すでに杯も支度していた。一つを満に持たせ、酒を注ぐ。
軽く杯を掲げると二人は酒を一気に飲んだ。辛口である。

「ぷはっ」
「わー満、いい飲みっぷりだね」
「薫が寝てる側で昼間からこんなことしてていいのかしら……」
「大丈夫大丈夫、寺子屋でこんなことしたら怒られちゃうし。
 舞の部屋に勝手に入るわけにはいかないし」
「それは、そうね……でも」
「篠原先生が、こういうときは思いっきり酒でも飲んだほうがいいって言ってた」
「そうなの」
「うん、怪我人を抱えてるとどうしても気が滅入るから少し
 気楽に構えた方がいいって。満のこと、心配してたよ」
「そう……」
心配されているということが満には不思議だった。
篠原先生には一度しか会ったことがないのに。
しかも、彼女の門下生を倒した身だというのに。

「泉田さんも、心配してたよ」
「……そう」
一体あの道場の者たちはどこまでお人よしなのか。そう思いながら
目の前の咲の丸い顔を見る。多分一番のお人よしはこの子だ。


「はい、どんどん行こう」
咲は言い、満の杯に酒を注いでいく。満の身体は次第に熱くなってきた。
酌み交わしている咲の顔もどんどん赤くなっていく。

「ねえ、咲……」
「うん?」
ふと、満は咲に聞いてみたくなった。

「私には何ができるんだろう」
「え?」
咲のきょとんとした顔を見て満は後悔する。
一体何を聞いているのだ。この子にそんなことを聞いても分かるはずがないのに。

「満、どうしてそんなこと聞くの?」
「――いや、いいわ。忘れて」
「え、でも私に聞きたかったんでしょ」
「でも、いいの。本当に忘れて」
「満にはいろんなことができると思うよ」
「たとえば?」
忘れてと言っておきながら結局咲の言葉を求めている。
しかし今の満にはその矛盾に気づくゆとりはなかった。

「たとえば――、
 小鳥を助けたりとか」
「小鳥?」
満は咲の言っていることの意味がとっさに飲み込めなかった。

「ほら、覚えてない? 篠原道場に四人で行った時の帰り道で鳥の雛が巣から落ちているのを
 舞が見つけてみんなで元に戻してあげたの」
「ああ――」
満は思い出した。そういえばそんなこともあったような気がする。
もう遠い昔のように思えるが。

「それで、それが?」
「ほらあの時、満がてきぱきと指示してそれで私たち雛を元に戻せたじゃない?
 私感心したんだ、満ってすごいなって」
「そんなこと」
誰にでもできるじゃない、満は答える。そんなことないよ、と咲は更に言った。

「満がいなかったら、きっと私たちしばらく困ってたと思うよ」
「――そう」
「でも満、どうしてそんなこと聞くの?」
満は目を閉じ、顔を天井の方へ向けた。

「薫に、何もできてないから……」
「え? そんなこと」
「元々闇滝を出ようと言ったのは私。でも、こちらに来てから
 薫に苦労ばかりさせているような気がする」
「満、薫のそばにいるじゃない」
「え?」
「きっと薫は、満がそばにいるだけで安心してると思うし、
 薫だって、おうちを出たがってたんでしょ?」
「ええ、まあ――」
きっと、そうだけど。

「ほらほら、どんどん行こうよ」
咲は空になった満の杯に酒を注いだ。

満が杯をあおる。お返しと、咲の杯に満が酒を注ぐ。
篠原先生からもらった酒は次々に二人の体の中に吸い込まれていった。
久しぶりに飲む酒の味に、満はしたたかに酔った。

「満、薫が治ったら……」
「うん」
「治ったら、私、二人がこっちに居られるようにがんばるよ。
 お兄さんから壷を返してもらうの、私も協力する」
「ん……」
「でも、薫は何であそこに居たのかなあ……」
「うん」
「満?」
満の返事が適当なものになっているのに咲は気づいた。
見ると満は座ったままうとうとと、船を漕いでいる。

畳んである満の布団を薫の布団の隣に敷き、咲は満をそこに寝かせた。
疲れていたらしく満はすっかり熟睡している。

「満も、ゆっくり休んだほうがいいよ」
咲は杯やひょうたんを持つとそっと部屋を後にした。


舞の父は夕方になってからやっと戻ってきた。
「失礼、入るよ」
薫が寝ている部屋にそっと入る。
布団がもう一組敷いてあって一瞬ぎょっとするが、寝ているのが満と分かり
やれやれと安心する。

薫のほうはと見てみると少し前から目を覚ましていたらしく、
布団の中からこちらを見上げていた。満の方はぐっすりと眠っている。

「遅くなって」
満を起こさないよう、足音を立てずに薫のそばへ行く。
薫はゆっくりと布団の中から起き上がった。
身体を動かすとあちこちが痛む。

「彼女も、疲れているみたいだね」
舞の父は満を見た。
こちらで薫がごそごそと動いているのに満はまったく気づいている様子がない。

「いろいろ、心配させているから……」
薫は呟く。
「少し落ち着いてくれるといいがね」
舞の父は言い、薫の診察を始めた。

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