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満とフィーリアはそれからは碌に言葉を交わすこともなく舞の家まで戻ってきた。
満が何事か考え事に耽っているようなのでフィーリアはそれを邪魔しないよう
黙っていた。本当はいくつか、聞きたいことがあったのだが。

「あ、満お姉さん! フィーリアちゃんと一緒だったの?」
寺子屋の方から半分ほど顔を出して外をのぞいていたみのりが二人の姿をみとめて
ぱたぱたと走っていた。

「ええ、まあ、ちょっとね。散歩してたわ」
「薫お姉さんが満お姉さんに会いたいって言ってるよ」
「薫……!」
――起きてたのか。
そう思うと同時に満は駆け出していた。薫に変な心配をさせるわけにはいかない。
自分がいないことで、妙なことを考えているかもしれない。
一刻でも早く、薫に自分の姿を見せなければならない。
みのりに礼を言うことも忘れ、満はその場から消えた。

後にはみのりとフィーリアだけが残される。
「満さんは薫さんが本当に好きなのですね」
フィーリアがぽつりと言った。その顔はどこか嬉しそうである。
「うん、満お姉さんと薫お姉さんは姉妹なんだって……だから、仲良しなんだよ」
フィーリアはくすりと笑う。姉妹ということが即仲良し、ということに直結するのは
咲という姉を持つみのりならではである。

「二人は、どこから来たのですか?」
「うーんとね、たしか、やみ……闇滝っていう、ここからは遠いところなんだって」
「二人だけで」
「うん。今は薫お姉さんが怪我してるからここにいるけど、前はみのりの家に二人とも
 泊まってたんだよ」
「そうでしたね。……いつか闇滝へ帰ることも考えているんでしょうか?」
うーん?とみのりは口をへの字に曲げて考える。

「いつだったかお姉ちゃんたちに、あんまり帰りたくないようなこと言ってたのを
 聞いたことはあるけど」
「そうですか」
「いっけない、もうすぐ始まっちゃうよ、フィーリアちゃん、中入ろう!」
手を取ろうとするみのりにフィーリアは首を振った。
「ごめんなさい、忘れ物を思い出しました。少し遅れるって和也さんに伝えておいてください。
 すぐに戻ってきますから」
「そうなの? じゃあ、また後でね」
また、と言ってみのりは出てきた時と同じようにぱたぱたと足音を立てて
――全く警戒していない足音を立てて中へと戻っていく。
フィーリアは自分の背後に意識を集中した。

「……そこにいるのは分かっています」
「中々、鋭いな」
フィーリアの背後にある巨木からキントレスキーがその身体を現した。
彼は甘味処に立ち寄ったが、薫がこちらに居ると聞いてここに来たのである。
近づいてくる気配を感じ、フィーリアがキントレスキーの方に振り返る。
キントレスキーはその顔を見て立ち止まった。
「目が?」
「ええ。私の目は見えません」
「しかし私の存在に気づいた」
「目が見えなくても、感じることはできます。命の輝きを」
「命の輝き?」
「あなたの命は大きく、熱く輝いています。すぐに分かります」
「ふむ……」
「私は視界を失いましたが、却って感じることができるようになりました」
「それでは……」
キントレスキーはフィーリアに一歩近づくと囁いた。

「屋根の上に妙な者がいるのも?」
フィーリアは厳しい顔をして頷く。
「目的は分かりませんが」
ふふん、とキントレスキーは笑う。
「完璧だな。面白い者を見た」
じゃりっと、後ろを向く。そのままフィーリアから離れ、その場を立ち去った。

「どこへ行くのです?」
「少し考えたいことがある」
キントレスキーはその言葉だけを残していった。


「薫!」
満はがらりと病室の戸を開けた。薫は布団の中から視線を満に向ける。
「ああ……満」
どこへ行っていたの、と厳しく言われることもなくどこか弱弱しい声で言われ、
満は却って動揺した。

「ど、どうしたの、どこか何か……」
「ん……」
近づいてくる満に向かって薫はそっと右手を伸ばす。満はその手を握った。
「どうしたの薫、どこか痛いところが……」
「特別に痛いわけでは、ないわ」
薫は少し微笑んで見せた。
「ただ、満に居て欲しかっただけ」
「薫……」
満は薫の布団のすぐ脇へと座り込んだ。もちろん、手は握ったままだ。
薫とはずっと一緒に過ごしてきたが、満の覚えている限り薫がこんな風に満に
甘えてきたことはない。

「いつから、起きてたの?」
「少し前よ。……満がいなくなってたから、驚いたわ」
「――ごめん」
「どこ、行ってたの?」
「散歩よ」
つるっと口から言葉が出た。散歩という言葉を口にしたのは今朝だけで何度目だろう。
言い慣れた嘘は、言い易かった。

「そう……」
薫はそれ以上突っ込んで聞くのはやめた。満の表情から、今嘘をついているという
ことは分かる。しかし彼女が薫に嘘を言うのは大抵それなりの事情がある場合なので、
追求するのは止めにした。

「薫、気分はどんな?」
優しい声で囁くように満が尋ねる。
「う――ん。良くは、ないけど……」
「そう」
「朝と比べると、少しすっきりしているかもしれない」
こんな曖昧な言い方しか薫にはできなかった。今、薫の全身は鈍い痛みが支配している。
手足を碌に動かせないまま、薫は痛みだけを生きている証として感じているような
状態だった。

「舞のお父さんは……」
「さっき舞が来てくれたわ。舞のお父さん、急病の患者さんがだいぶ悪いみたいで夕方に
 なりそうなんですって」
「そう。……薫、眠った方が……」
「ええ」
ええ、と言いながら薫は中々目を閉じない。満の顔をじっと寝床から見上げている。

「どうしたの?」
「眠っている間に満が居なくなると嫌だから……」
「大丈夫よ」
満は薫に覆いかぶさるようにして口を薫の顔に近づけ囁く。

「今度はずっと薫のそばにいるから」


満の言葉に安心したのか、それからすぐに薫は深い眠りに落ちた。
薫の手が満の手から離れ、布団の中へと潜っていく。
満は壁際へと移動すると壁に背を持たれかけて座った。

――私は何をしているのだ……?
そんな思いが満の中に渦巻く。

闇滝を出てくるときは、これですべてが上手くいくに違いないと思っていた。
未来のことは分からないが、とにかく一度闇滝を出る、それで後は何とかなると
思っていた。
自分も薫も闇滝の道場の片隅で兄たちに追いやられるようにして生きることもなく
自分たちの望む生き方を――それが何であるか具体的には分かっていないが、少なくとも
闇滝に留まる限り得られるものではなかった――できるのだと思っていた。

しかし現実はこれである。

結局のところこちらに来てしたことと言えば、お金をなくしたこと、
薫が傷つけられたこと、このくらいしかない。
しかも薫を傷つけた誰かは、どこかでのうのうと暮らしている。
それがまた満には許せない。

――刀を……
と、満は思う。刀を振るうことはそんなに好きではない。
しかし、薫を傷つけた者に対してだけは話は別だ。
今こそ自分の持つ刀と身につけた剣の腕を使うべき時である。


そう思いながらしかし、満はどこかでそれは実現できないのではないかとも思っていた。
何しろ、まだ相手の名さえ分かってはいない。
あの屋敷の持ち主だとは分かっているが、正面から突破しようとしても多くの
部下たちが持ち主を二重三重に守っている状態である。

満が一人だけで持ち主と対峙することはまず難しい。

で、あるならば。

屋敷の守りを突破してたどり着いたとしても、その時には既に体力の大部分を
失っている状態である可能性が高い。
そんな状態では倒すことなどとてもできないだろう。

屋敷の持ち主をどこかにおびき寄せることができればいいが、
相手がどんな人物なのかも分からないのにおびき寄せるのは至難の業である。

結局、満には薫の怪我の仇をうつことなどできはしない。


そう思考を進めると満はさらに愕然とした。
壁にもたれている背が丸くなり、顔はうつむき自分のひざを見る。

――私には、何もできない……

薫の仇を討てないだけではない。
薫を治すのも、舞と舞の父に任せきりだ。

ため息をつき満はじっと身を丸めた。
自分の無力さが恨めしかった。

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