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【第四話】
満が部屋に戻ると薫はもう眠っていた。
元々寝つきはいい方だが、回復するために身体が睡眠を求めているのかもしれない。
昨夜と違って寝息は落ち着いている。
苦しそうな様子もそれほどはなかった。時々顔を痛そうにしかめるのが気になるが、
その痛みも目を覚ますほどではないようだ。

最後にとってあったということなのか、薫の顔だけはほとんどかすり傷程度ですんでいた。
今のように顔だけ出して布団に包まっているとただ寝坊をしているだけのようにも見える。

満はしばらくじっと薫の顔を見ていた。こんな風に寝顔をゆっくりと見るのは久しぶりだ。
うんと小さな、子供の頃以来かもしれない。
薫の額に落書きをして怒られたこともあったものだが。
「……」
薫の規則正しい寝息は続いている。しばらくは目を覚ますことはなさそうだ。
そう判断すると、満は静かに部屋を出た。
周りに人がいないことを確認して廊下を歩む
音を立てないよう注意して舞の家を出る。道に咲でもあるいているのではないかと心配に
なったがそんなことはなく、満は簡単に抜け出すことができた。

目的地は決まっている。例の屋敷だ。満は身体の左側に剣の感触を確かめながら歩いていた。
道場で木刀を振るうことはあっても、実際にこの剣を使ったことはほとんどない。
しかしこれは紛れもなく満の剣である。

見る人が見れば、今の満は全身の毛を逆立てた猫のように見えたことだろう。
日差しは暖かかったが満はそれを感じることはなく冷たい決意の中に沈んでいた。

"薫のそばから、離れたらだめだよ?"
なぜか急に、満は咲の言葉を思い出した。振り払うように首を振る。

目的の屋敷まではあとわずかだ。黒く閉ざされた門が見えてきた。
門は今日も固く閉ざされているようである。

昨日は夜だったので不自然に思わなかったが、屋敷の周りにはぱたりと人影がなかった。
道を一本外れれば人で賑わっているというのに、ここの周囲はひっそりと静寂に包まれている。

満は門を手で押してみた。やはり開かない。昨夜と同じようにするしかないか、と考え
二、三歩後ろへ下がる。

「はあああ……」
気合を入れ、満は門を蹴破るため身体をぐっと曲げ走り出す体勢をとる。
「あの、」
突然後ろから女の子の声がした。
「え?」
勢いづいていた満だったが慌てて止まる。女の子の手が満の袖をぐいと引いた。
「何をしているのですか?」
「あなた……確か、フィーリア……」
女の子は目を閉じたままこくりと頷く。満の袖を離そうとはしなかった。

「何をしているのですか?」
「……あなたこそ何をしているのよ。こんなところで」
「お前、何をしている」
フィーリアと同じ質問が、しかしずっと野太い声で満の頭上から聞こえてきた。
上を見ると昨夜この門で押し問答をした男が立っている。
フィーリアは満の袖を離した。

男が満の後ろにいる誰かに向かって手招きするような動作をしたのでそちらを
見やると、男の仲間と思しい――これも身体の大きな男達が四、五、連れ立って
こちらにやってくる。
すぐに満とフィーリアは周りを囲まれた。

「もう一度聞こう。何をしている」
男は微かな笑みさえも浮かべて満に問うた。
満は同年代の女の子と比べても背のある方ではない。
まだ幼いフィーリアは更に小さい。二人の姿は、遠目には全く見えなくなってしまっていた。

――この子をどうする?
満は左手でフィーリアの手を取った。自分一人ならば、この男達を相手にしても勝機は
あるかもしてない。

しかし満にはフィーリアと一緒に居て勝てるまでの自信はなかった。
「別に。用があるわけじゃないわ。私はこの子と散歩していただけ」
帰ろう、とフィーリアに言い、男を一瞥すると、男達を掻き分けた。
満がこのまま帰るのなら事を荒立てる気はない、と言うように
男達は満の進路に合わせてわずかに道を空けた。
満はフィーリアの手を握ったままその道の中央を歩いていく。
男達の視線が矢のように自分の背中に刺さってくるのが分かる。

人の賑わいに紛れ、ようやく満はフィーリアの手を離した。
二人とも、手が汗でじっとりと濡れている。

「満さん……あそこで何をしようとしていたんですか?」
フィーリアは最初の問いに戻った。忘れていないのね、と満は思う。
「散歩していただけよ、言ったでしょう」
「……そうですか」
「あなたは何故、私に声をかけたの?」
「みのりさんに言われたんです」
「みのりちゃんに?」
「ええ。咲さんからの伝言で……今日はどうしても道場の方に行かないといけないけど、
 満さんが変な事をしないようにちゃんと見ててねって……」
「――咲が?」
何だそれは、満は思った。咲の目を盗んで出てきたつもりだったが、結局咲の
網の目に捕らわれていたらしい。

「満さん、」
「……何?」
フィーリアに答える満の声はどこか不機嫌であった。
「あの家には何があるんですか?」
「知らないわ」
満は冷たく即答した。


「ふむ……」
「あら、珍しい」
キントレスキーはミズ・シタターレの家で腕立て伏せもせずに絵を描いていた。
紙の上にさらさらと描かれつつあるものは大きな木である。
「どこの木?」
「先ほど見たものだ」
キントレスキーの筆は木の上に鳥の巣のようなものを描いていく。

「あら」
「雛鳥が、親鳥の帰りをじっと待っていてな」
「へえ」
キントレスキーはことりと筆をおく。

「で、あんたはこれからどうするのさ」
「うん?」
「まだ道場が二つ残ってるのに、行く気が失せたみたいじゃない」
「うむ……」
描いた絵を手に持ち、首を捻るとキントレスキーは紙をぐしゃぐしゃに丸めてしまった。
気に入らないというように投げ捨てる。

「この前、邪魔が入ったのでな。どうも、面倒なことになりそうで中々行く気になれない」
「へえ?」
「妙な者達が取り囲んでいてな。奉行所の役人ではなかった」
「そりゃあんたは恨まれたって仕方ないことをしてるからねえ」
「……シタターレ、この前私が持ってきた壷はまだあるか?」
「え? ああ、あれなら奥にしまってあるわよ。どうかした?」
「うむ……実は昨日、薫に会ってな」
「かおる?」
シタターレは頓狂な声を上げた。キントレスキーよりも早く家を出たシタターレの場合、
脳裏に浮かぶ薫の印象はまだ幼いものである。

「あの子何しにこっちに来てるの?」
「さあな。――道場破りをやめろとかなんとか言っていたが」
「カレっちにでも頼まれたのかしらねえ」
「カレハーンが薫にそんなことを頼むかな」
「ふうん――で、感動の再会を果たして、それでどうなったの?」
「うむ……」
キントレスキーは顎を撫でた。

「あの壷の中に、父の隠し財産のありかが隠されている、とか何とか言っていた」
「隠し財産? そんなものがうちに?」
「だから返せ、と言って来た」
「ふん……カレハーンも情けないわね、もう道場のやりくりに苦労してるのかい」
「あれは私が道場を破り手に入れたものだ。私を倒さなければあれを渡すことはできん。
 しかし……、」
「私はそんなものはいらないわよ」
「誰もお前にやるとは」
「何だ、世話になってるからって私にくれるのかと思ったわ」
「お前にはそんなもの必要あるまい、しかしあいつらには返した方がいいのだろうか……?」
「さあねえ。あんたの好きにすれば」
「うむ」

キントレスキーは立ち上がり、空を見上げた。今日の空は雲ひとつなく
晴れ渡っている。

「薫とも、立ち会ったぞ。満と薫の二人はカレハーンに剣を教えられたのだったかな」
「へえ。薫は剣の腕はどうなのかしら」
「これまでに立ち会ったどの者よりも手ごたえはあったな。しかし――」
――私の敵ではない。
キントレスキーは言葉を飲み込んだ。

薫はまだ若い、キントレスキーから見れば妹である。
自分に敵わないのも無理はないと言えば無理はなかった。
それよりも、こちらに来てから渡り合ったどの相手よりも妹の方が強いということが
キントレスキーには衝撃であった。

「詰まらんな」
吐き捨てるように言う。明るい空が却ってキントレスキーの苛立ちを大きくした。
「何がさ」
「結局、ここにいたとて私の腕をあげることはできそうにない」
「闇滝に帰るの?」
「いや、あそこに帰っても同じことだ」
――私の腕をあげることはもうできないのか……?

考えようによっては、キントレスキーが現段階で最強の男と名乗っても
誰の批判も受けない状況である。
数多くの者と渡り合っているというのに誰も彼を脅かす者が現れないのだから。
しかし、彼にとってこの状況で最高などと気取ったところで意味のあるものではなかった。

最強とは今の自分のような者に与えられる称号ではない。
もっと次元の違う強さがあるはずなのだ、そこに達して初めて名乗れるはずのものなのだ。
キントレスキーは自分とは違う次元があることに感づいていながら
そこに近づく方法が分からない。
彼の苛立ちはそこに起因していた。
道場破りを続けたとしても、そこに近づく方法ではあるまい。

「ちょっと出るぞ。帰りは遅くなるかもしれない」
「野垂れ死ななければいつでもいいわよ」
いつもの挨拶を交わし、キントレスキーはミズ・シタターレの家を出た。

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