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屋敷の前には誰もいなかった。門は固く閉ざされている。
「すみません!」
咲は門を叩き、大声を上げる。

「すみません! すみません!」
どんどんと、門が揺れる。しかし誰も出てくる気配はなかった。
「誰も出てこないわね、咲……」
「どいて」
咲と舞を門から遠ざけ、満は自分も門から数歩下がった。咲と舞が黙って見ていると、
満は「はああ……」と気合を入れ、走りこんで跳び上がり門に蹴りを入れた。
咲が叩いた時とは比べ物にならない音が響いた。
それでも人が出てくる気配がないので、満はそれを繰り返した。
満が蹴りを入れるたびに門ががくがくと揺れる。鈍い音が響く。そろそろ門が
壊れるのではないかと咲が心配し始めた頃、
足音が二、三、門の向こうから近づいてくるのが聞こえた。
満も蹴るのを止め、門の向こうの人間達がこちらに出てくるのを待つ。

軋んだ音を立て、門が開いた。
あまり人相の良くない男が二人、訪問者を睨みつけるようにして立っている。

「なんの用だ、お前ら」
「薫を返しなさい」
満は単刀直入に本題に入った。
「薫? 誰だそれは」
「ここの屋敷に連れ込まれたのを見た人がいるのよ」
「あ、あの、私たちの友達で薫っていう子がいるんですけど、」
咲がとりなすように間に入る。
「私たちと同い年くらいで少し背が高くて髪が青くて長い……それで、その薫がどこに行ったか
 分からないので探してるんですけど、ここに入っていくっていうのを見た人がいたんです、
 だから……」
「知らんな、そんな話は」
「あなたが知らなくても、ここに連れ込まれるのを見たって人がいるの!」
「見間違いだろう、そんな話は知らん!」
「そんなこと……」「それならせめてお屋敷の中の人に聞いてみてください!」

満と咲が屋敷の者と交渉している間、舞はあるものに気をとられていた。
門のすぐ入るところに一筋落ちている髪の毛である。青く、極めて長い。

「これ……薫さんの……?」
舞は髪の毛を拾い上げた。
「知らん。偶然だろう」
「いい加減にしなさいよ、薫を返して」
「だから知らんと言っておるだろうが!」
「だからせめて探してみてください、それか、私たちを中に入れて!」
「ばか者、そんなことができるか」
「じゃあ探してみてください!」
咲にしつこく頼まれ、男のうちの一人がしぶしぶといった様子で屋敷内に戻った。
残った男は咲たちを見張るように立っている。


「まったく、大の男がどれだけの時間をかけているのです!」
邸内のゴーヤーンは一人立腹していた。先ほどから部下達によってもたらされる報告は
一つとしていいものがない。
あの小娘が気絶しました、起こしましたが吐きません、また気絶しました――の
繰り返しである。

しかしゴーヤーン様、と部下は答える。あの者はなかなか強情で。
死んでも喋らないと覚悟を決めているようです。
「ふむ、全く厄介ですね……」
「ゴーヤーン様」
咲たちと押し問答をしていた男がゴーヤーンの前に現れた。
「例の者の家族らしき者達が屋敷の前に来て、返せ返せと騒いでいるのですが
 いかがいたしましょう」
「家族ぅ? なぜここを嗅ぎつけたのです」
「ここに連れ込まれるのを見た者がいたとか、なんとか」
面倒な。ゴーヤーンは思考をめぐらせた。
「ここにそのような者はいないと言ったのですか?」
「ええ。でも、ここに居るに違いない、とにかく探せとしつこくて」
「ふむ……」
――家族とすると、その者たちも相当強情かもしれませんねえ。

だとすれば。
――あまり、騒がれても面倒ですね。
ゴーヤーンはこの隠れ家が公になるのだけは避けたかった。

「一旦、あの者を帰しなさい」
「は……よろしいのですか」
「このまま続けていても吐くかどうか分かりませんからねえ。
 但し尾行はちゃんとつけて、素性を探るようにしなさい」
「分かりました」

「連れて行け」
戻ってきた男は気を失った薫の身体をどさりと満に押し付けた。
そのまま何も聞かないと言うように門を閉める。
「薫! 薫!」
満は薫の身体を揺さぶるが薫は目を覚まそうとしなかった。
舞は薫の様子を見てこれは危ないと直観した。

「満さん、薫さんを私の家まで運びましょう。父に見てもらったほうが良いわ」
「あ、ああ……」
ぐったりとしている薫の身体を満は抱き上げようとしたが、薫の方が身体が大きいので
傍目にもそれは無理だった。
「手伝うよ、満」

咲と満は二人で薫の身体を支え、夜道を舞の家まで急いだ。二人は急いでいるつもりだったが、
実際の足取りは遅く、幾度ももどかしい思いをした。

舞の家に着き布団に薫を横たえ、とにかく舞の父を呼ぶ。薫の額にはじっとりと汗が滲み出していた。
「少し診せてもらうわね、父が支度できるまで」
舞は満が頷いたのを見て薫の着衣を脱がせた。うっと言う声が舞の喉から漏れる。
咲も満も、思わず息を飲んだ。
「ひ……ひどい……」
咲がようやく思いを言葉にする。薫の身体には殴られた跡、火傷の跡が無数に残り
元来の白い肌はほとんど見えない。数箇所からは血も出ている。赤黒く流れ出した血は固まり
皮膚にこびりついていたが、まだぬらぬらと光っている部分もあった。

「……随分な目に遭ったようだね」
舞の父は薫を一目見るなりそう言った。
「お父さん……薫さんは」
「水をくんできてくれないか。沢山ね。それと、布も」
「わ、私が行く!」
転がり出るように満は部屋から駆け出していった。
「おじさん……薫はどうなんですか?」
咲の問いにすぐには答えず、舞の父は薫の身体のあちこちを診た。
その度に眉間の皺が深くなる。
満が水をたっぷり入れたたらいを持って戻ってきた時には舞の父は一通りの診察を終えていた。

「ど……どうなんですか」
不安そうに満が尋ねる。舞の父は表情を険しくしたまま、
「ひどい目に遭ったね」と言った。
「あちこち火傷しているし、骨も折れている。
 意識を取り戻してさえくれれば、命に別状はないと思うが……」
ふっ、ふっ、と薫の息遣いが荒くなった。汗が今まで以上に滲み出している。

「熱が上がってきたようだな……舞、身体を拭いてあげて。どこかの傷口が……」
舞の父は薫の身体を改めて診、化膿している傷口を見つけた。傷口はじくじくと熱を帯びている。
しばらくの間、舞と舞の父が立ち動く音と薫の荒い息だけが部屋の中には響いていた。
身体の中の全てのものを押し流そうとするかのように薫は次から次へと脂汗を流す。
額に当てている水で冷やした布も、熱ですぐに温まってしまっていた。舞が何度も何度も
布を替える。

傷口自体の治療は終わっても、薫はまだ眼を覚まさない。意識を取り戻せば、
薬を飲んでもらって熱を下げることもできるのだが――舞の父はそう思ったが、
薫はまだ目を瞑って力なくされるがままになっていた。

咲と満は布団の傍らで無言のまま治療の様子を見ていたが、不意に満は立ち上がった。
「薫を頼みます」
一言呟き、満は部屋を出る。そのまま静かに舞の家の外へと出た。
自分の刀を腰にしっかりと差し確認する。

「満、どうしたの? 薫の傍にいないの?」
目的地に向かって一歩を踏み出そうとしたとき、咲の声が満を呼び止めた。
満は答えず、咲の目を一瞥するとそのままくるりと向きをかえその場を立ち去ろうとする。

「待ってよ、満! どこに行く気!?」
咲は満に追いすがった。満はその手を振り払う。
「薫の傍にいないの、満」
咲はそれでもあきらめなかった。満はどこかうんざりとした表情で、
「薫には舞たちがいるじゃない」
と言った。

「そりゃいるけど、でも満もいないと」
「私がいて何ができるって言うのよ!?」
満は大きな声を出した。
「え?」
「私がいたって何もできやしないわ。それよりは他の行くべきところに行った方がいい」
「行くべきところ? それって?」
咲の目は真剣だった。満はその顔を真っ直ぐに見て言い放った。
「薫をあんな目に遭わせた奴のところよ」
「そこに行ってどうするの?」
「決まってるじゃない、薫をあんな風にしたこと絶対後悔させる……」
「そんなの、全然大事じゃないよ!」
咲の言葉は爆発した。
「満が今、いなくちゃいけないのは薫の傍だよ、そんなところじゃないよ!」
「だから薫の傍にいて何ができるって言うのよ! 私には刀を振るうことしか結局は
 できないんだから!」
「何ができるとかじゃないよ」
満も退かなかった。しかし、咲も一歩も退かなかった。

「何ができるとかじゃなくて、とにかくいてあげてよ、薫の傍に。
 いるだけで満は何かしてるんだよ!」
「……」
更に言い返そうとしたが、しかし満は口をつぐんだ。どうしてこの子はこんなにも必死に、
泣きそうにさえなって私を止めているのだろう?

「満さん!」
舞の声がした。二人が振り返ると戸口のすぐ中に舞が立っていた。

「薫さんが目を覚ましそうなの。声をかけてあげて」
「ほら、満」
咲は満の背中を舞のほうへと押しやった。押された満は二、三歩よろめき、そのまま
家の中へと入っていく。咲は安心して後へと続いた。

薫が寝かされている、病室となっている部屋へと近づくにつれ薫がうめいている声が聞こえてくる。
満はぎょっとして足を速めた。
「薫!」
からりと部屋の襖を開けると布団の中に寝かされている薫が苦しそうに声を上げている。
できる手当ては全て終え、舞の父は腕組みをしたまま布団の傍らに座っていた。

「薫!?」
満は大股に薫に近づくと、布団からはみ出していた薫の右手を思わず握り締めた。
薫の声がぴたりと止まった。
「薫?」
満は不安になって薫を覗き込む。薫は落ち着いた寝息を立てていた。
「……薫……」
安心した満が薫の手を離そうとする。と、薫は不意に首を大きく廻らしすっと目を開いた。

「薫……」
「……満」
薫は自分のすぐ傍にいる満に気づくと優しく微笑んだ。
「ここは?」
「舞の家よ。薫の治療をしてもらってたの」
「治療?」
薫は怪訝な顔をしたが、すぐ思い出したように、
「……そうか」
と呟いた。
「どうやら、危機は脱したようだね。今日はゆっくり寝るといい」
舞の父は言い、立ち上がる。「ありがとうございました」
頭を下げる満に舞の父はいやいや、と言い、
「薫君はしばらく家に泊まったほうがいいかもしれないね。まだ突然具合の悪くなることが
 あるかもしれないから。今夜は満君も一緒にいたほうがいいだろう。
 舞、満君の分も布団を出して差し上げなさい」
満がまた頭を下げているうちに舞の父は部屋を出て行く。舞がもう一組布団を持ってきた。

「満さん、これを使ってね。私もお父さんも家にはいるから、薫さんに何かあったらいつでも呼んで」
「あ……ああ……」
「良かったね、満! 大勢いても迷惑だろうから私は家に帰るけど……」
咲は声を潜めた。
「薫のそばから、離れたらだめだよ?」
「……分かってるわ」
満も小声で答え、更に声を小さくして咲と舞にありがとう、と付け加えた。
「じゃあね! 薫、また明日来るからね!」
「あ……ああ……また明日」
布団の中から薫が弱々しく答えた。


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