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「……どうしたの?」
「篠原道場がやられた」
「そ……そんな」
咲の顔から一瞬にして血の気が引く。
「だって今、昼じゃない! 道場破りは夜、現れるんでしょ!?」
「そんなの知らねえよ、気でも変わったんだろ! いいから早く来い」
咲と舞はもう何も言わず、黙って駆け出した。満と薫はその場に残される。
満は黙ったまま薫の顔を見上げた。薫も満の事を見ていた。

「……どうする?」
「行ってみましょう、私たちも」
満が決断を下す。


近づいていくだけで、篠原道場の様子が以前と違うのは満たちにも分かった。声が聞こえてくる。
聞いているのが辛いほどの呻き声である。
誰も二人の事を止める者はなかったので満と薫は真っ直ぐに道場内へと向かった。
そこには舞の見慣れた、しかし満たちには初めて見る光景が広がっていた。
普段泉田や咲が木刀を振るう道場は既に一面の病床と化し、多くの者達が寝かされている。
初めはぼんやりと、多くの者達、と見えていたものはよく見ると満と薫も知っている人間達であった。
篠原道場の門下生だ。
満と薫は道場の入り口でしばしの間立ちつくした。怪我人たちの間でくるくると立ち働いている
舞と舞の父、それに咲の姿を木偶のように突っ立って眺めていた。
多くの者達はさほどひどい怪我ではないようだったが、舞の父に診られている人は――篠原先生は――
意識を失っているようで、他の者達が痛そうに声をあげる中声一つ上げることなく、
自らの意思では動くこともないのが却って痛々しかった。
と、咲が二人に気づいた。

「満! 薫! 来てくれたの? ちょっとお水汲んできてもらえる?」
道場の中ほどから手を振り、場にそぐわない能天気な大声で言ってくる。
二人は虚をつかれ言われるままに水を汲んできた。

「そのやり方よりも」
水を入れた手桶を咲に渡すと、満は泉田の治療をしている舞へと近づいた。
「こういう風に巻いたほうがいい」
舞が巻いている包帯を取ると、満は泉田の身体に改めて巻き直した。
「どうして?」
舞が目を丸くして満を見る。
「理由は、分からない。でもこうした方が、この傷に対しては痛くないしきちんと固定できる」
「なぜそんなことを知っているの?」
少し巻きにくそうにしていたので、舞は満に手を貸した。
「――よくこの傷の手当てをしていたから」
「満さんが誰かにつけた傷の?」
「違うわ。薫が誰かからつけられた傷よ」
「誰かって?」
「……たとえば道場破りとか」
はっきりとした、自白であった。道場破りと関係のある事をこれほど明快にした言葉もなかった。
舞は力なく、
「そう」とだけ言う。もはや満を責めたり、道場破りの居場所を問いただしたり――
そんなことをする元気は残っていなかった。

満は黙々と、その後も手当てを続けていた。



「で……」
一通りの手当てを終え、四人が改めて向き合ったのはもう日も暮れた頃であった。
舞の部屋に四人が集まり、咲と舞、満と薫という組み合わせに別れ、正座して向き合っている。

舞は昼に樹の下で向き合った時とは違い、すっかり落ち着いたような顔で
満と薫を見ている。むしろ咲のほうがこれから満と薫から聞かされる話を
どこか怖れているような顔をしていた。
「その、二人と道場破りの関係はどうなってるなり?」
「道場破りは私たちの兄よ」
言うと決めると満と薫の話は早い。もっぱら、満が口を開いて話を進める。
「お兄さん」
咲と舞の方はというと、主に咲が話し、たまに舞が気になる事を聞くという
状態である。
「そう。長兄。名前はキントレスキー」
「そうなの」
本来なら笑うべきであるような変わった名前であったが、状況が状況なので
咲は真剣な顔をして聞いていた。


「家族の一人がお尋ね者になっていることなど、あまり言いたくはなかった」
「そ、そりゃそうだよね……」「ねえ、お兄さんはどうして道場破りになったの?」
「知らないわ。ただ、家を出る時、剣の道を極めたいと言っていた、らしい」
「らしいというのは……?」
「朝起きたらいなくなってたのよ。前日の夜に次兄にそう言っていたらしいの」
「……家出?」
「そういう言葉を使ってもいいでしょうね。もういい年だから、そぐわない気もするけど」
「じゃあ、お兄さんが居なくなった時は道場破りをしてるなんて、
 満と薫は知らなかったの?」
二人は静かに頷いた。
「知らなかった」「ましてや、お尋ね者になっているなんて」
「満さんと薫さんが夕凪に来たのは、お兄さんを追いかけて?」
「ええ、そうよ。……別に兄を慕ってとか、そんな理由ではないわ。
 長兄にはどうしても、やってもらわないといけないことがあったの」
「それは?」
「今となってはもう夢だけどね」
満は自嘲するように笑った。

「私たちの家は、道場をやっているの。前も話したと思うけど。父が死んだから、
 今は次兄が跡を継いでいるわ。でも闇滝は基本的に農業の村。父の時代は
 ともかく、戦乱が収まった今現在、昔は刀を持ち腕を磨いていた人たちも次々に
 農業一本に戻っている。門下生が少なくなっていく状態で、家計は厳しい」
「そ……そうなの」
「長兄は性格にはやや問題があるけど、腕は家族の中で一番よ。
 父は長兄には、藩の剣術指南役として仕官することを望んでいた。
 若殿への代替わりの時期だから指南役も入れ替わるだろうって考えてね。
 闇滝流の名を上げることにもなるし、そうなれば門下生も
 もう少し増えるでしょうしね」
「お兄さんはそれを知っていたの?」
「もちろん。でも、あまりその道を望んではいなかったようね。父は昔の知り合いのつてを
 たよって兄を仕官させる運動を始めていたようだったけど、その矢先に死んだの。
 それで、兄ははじけた」
「はじけた?」
「ええ。はじけたわね。兄に命令できる人はこの世で父だけ。父の手前、大人しく仕官しようと
 思っていたようだけど、父が死んだならもうそんなことをする必要はない、と思ったらしいわ。
 それで剣の道を極めるという目標のために家を飛び出した」

「そのお兄さんがどうして道場破りに?」
「剣の道を極める修行の一環としてしてるんでしょうね。あと道場は残り二つになったのしら。
 全てを打ち破ったあと、どうするつもりかは知らないけど」
「ふうん……」咲は今まで聞いた内容を反芻し、一番聞きたかったことを聞いた。

「二人が夕凪に来たのは、お兄さんと関係があるの?」
「まあね。あるっていえば、あるけど。……私たちは兄を捜して連れ戻すってことで
 こちらに来たの。最初の理由としてはね」
「最初の理由?」
「長兄みたいに家出しても良かったんだけど、一応兄達に断って私たちは出てきたの。
 その時使った理由が、『キントレスキーを探して、一旦連れ戻す』って言うことだったの。
 長兄がこんな風に騒ぎさえ起こしていなければ、あの時点では連れ戻して
 父が進めていた仕官するための運動をすることも不可能ではなかったから……」
お尋ね者になった今ではどう考えても不可能だけどね。満はそう付け加え、
今、兄のことに関しては闇滝からの返事を待っている状態だと続けた。

「闇滝がどうしろと言ってくるかは分からないけど。お金の問題もあるし」
「……ねえ。二人がこちらに来た本当の理由は?」
今までほとんど黙っていた舞が尋ねる。「使った理由」という満の言葉が気になったらしい。

「ここに来た理由と言われると難しいけど、ただ、家を出たかったから」
満は当然の事を言うように淡々と答える。
「……?」
分からない、そう言うように舞は首を傾げる。
ただ家を出たいという気持ちは舞にも、そして言葉にこそ出さないが咲にもあまり
理解のできるものではなかった。

「あの家に居ても私たちは生きられない」
満が言った言葉にも、舞はまだ分からないという顔をしている。
「私たちはあの家で存在が認められていなかった。家には居たけど、
 私たちのことなど家族の誰もが放置していた。だからあそこに居ても、
 仕方がないと思ったの」
「そ、そうなんだ……」
満の言うことは、咲にとっても舞にとっても俄かには信じ難いことであった。
二人とも家族の関係が比較的濃い家に住んでいる。
家族の誰からも放置される状態、というのがどういうものか良く分からなかった。

「私たちはある程度刀を扱える」
満は突然話を変えた。
「これは次兄に叩き込まれたからよ」
「じゃあ放っておかれてるなんてことないじゃない!」
咲は何故だか強く言ってしまった。満と薫の置かれていた状況が二人の言うほどひどくはなかったと、
そう思いたい気持ちになっていた。

「違うわね」
今度は薫が言う。
「次兄は私たちを、自分の剣を鍛える練習台にしただけよ。結果的に私たちも
 剣を扱えるようになったけど」
「……」
咲も舞も、黙ってしまった。薫の静かな言葉には反論を認めないような
雰囲気が漂っている。

「とにかく、そういうこと。……舞が気づいたとおり、私たちは道場破りと関係はあるけど、
 だからって止めるように言ったりすることはできないってこと」
満が話をまとめる。

しばらくの間、誰も口をきこうとはしなかった。
重い空気が舞の部屋を支配していた。
結局のところ、満と薫に本当の事を言わせたからと言って事態は何ら
変化していなかった。

「ごめんなさい!」
舞が突然謝った。満と薫はきょとんとしたまま固まっている。

「満さんと薫さんのこと疑って、言いたくないことまで言わせて。
 本当にごめんなさい!」
「疑ったって……だって、本当のことじゃない。あなたは誇りこそすれ
 謝る必要なんてないでしょ。ちゃんと私と薫の事を見抜いたんだから」
「で……でも、なんだか無理やり言わせたみたいで」
「そうね、何で私たちの事を話そうと思ったのかは私にも良く分からないわ」

「お姉ちゃんたち、ここ?」
四人のどこか重苦しい空気を破ったのはみのりの明るい声だった。
「みのり、どうしたの?」「薫お姉さんと満お姉さんにお手紙が来たよ!」
みのりは遠慮なくとことこと部屋の中に入ってくると薫にはい、と手紙を渡す。
「家からね」
薫は手紙を開いた。隣から満が覗き込む。

「……無茶苦茶を言ってくるわね」
途中まで読んだ満が呟く。
「何て言われたの?」
「道場破りがキントレスキーだと知られる前に彼を闇滝に連れて帰って来いって」
咲は満の答えを聞いて、何て難しい事を二人の家族は言ってくるんだろう、と思った。
「肝心のお金については、なんか変なことが書いてあるわ」
薫の言葉に、満は再び手紙を覗き込む。
「ほら、ここから」
薫に指差された箇所を満は音読した。

「『近年の財政の悪化により、父上が遺したいろいろな文書を調べたところ、
  お前達が勝手に持ち出した壷に』……微妙に嫌味っぽいわね……『父上が我が家の
  隠し財産のありかを隠しておいたことが分かった』。へえ。『よってそれを直ちに
  持って帰ってくるように。キントレスキーの仕官を当てにすることなく暮らしていける
  だけの財産の秘密がそこに隠されている。 カレハーン』。……ふうん、そうなの」
「隠し財産? なんか、わくわくする言葉だね」
「薫、壷ってあれのことよね? 古道具屋に売った」
「でしょうね。あれは篠原道場に買われていたから、もう一度買い戻しましょう」
「……満、薫。それってひょっとして篠原道場に置いてあったこのくらいの、」
咲は腕で形を作って見せた。

「壷のこと?」
「そうよ」
「それ、今日道場破りに持っていかれちゃったなり……」
「え!?」
「つまり、私たちはとにかくキントレスキーを捕まえて、壷を手に入れて
 キントレスキーはこっそりと闇滝に帰せばいいってことよ、満。できるものなら」
「できるものなら、ね……」
満はぼそりと呟いた。
言うだけなら簡単である。しかし実際に行動するにはどうすればいいか……。

「ねえ、その話」
舞がおずおずと口を挟む。
「ん?」
「その隠し財産って、相当な大金よね?」
「知らないけど、この話からいくとそうみたいね」
「確か数年前に一定以上の財産を持つ者は藩にその旨を報告するように
 お触れが出てたはずだと思うけど。
申し出なかった人が謀反の疑いをかけられたこともあったと思うんだけど……」
「……」
咲、満、薫は黙ってしまった。これまで大金などに縁がなかったので、
そんなお触れの存在などすっかり忘れ去っていた。

「一定以上の財産であるという確証はないけどね」
「一定以上ではないという確証もないわ。……キントレスキーが暴れていることもあるし、
 謀反の疑いをかけられることも十分あり得るわね。
 ……こっそり取り返すしかないのかしら」
「え〜と、つまり、こういうこと?」
満と薫の話を聞き、咲は頭を捻りながら言う。
「満と薫のお家の隠し財産は今、道場破りのキントレスキーが持ってる。
 だからこれから、まずキントレスキーを探して壷を貰って、
 闇滝に帰るように説得して、それで全部仕事はおしまいと」
「そのあらゆる過程を、とにかくさりげなく、見つからないようにしないといけないわ」
「そうね。こういう時はとにかくさりげなくね」

三人が口々に交わす言葉を聞きながら、舞は不安を抑え切れなかった。

――言うのは簡単だけど、すべてのことをさりげなくなんてできるのかしら……?

「ねえ舞、私たちも協力しよう、二人に」
「え、ええ、そうね」
咲に言われ、舞は頷く。
「別にいいわよ。面倒なことになりそうだから」
突き放す満の言葉に、咲は、約束したから、と答える。

「約束?」
「うん。満と薫が何かの事情で悩んでるんなら力になるって今日約束したじゃない」
そうだっけ、と満と薫は思った。確かにそんな言葉を聞いたような気もするが、
ほとんど気にも留めていなかった。

「だから、頑張ろう!」
おー!と一人咲は手を挙げた。

【第二話 完】

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