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「初め!」
満が飛んだ。周りの者の目にはそう映った。篠原先生の声とほぼ同時に満の
刀は泉田へ襲い掛かった。

「……!」
泉田には満の木刀が自分の方向に向かって伸びてきたように思えた。
咄嗟に自分の木刀を操り、踏み込んでくる満の体を斬ろうとする。
しかし満の動きの方が数段早かった。泉田の胴は満の木刀をまともに受け止めた。

「やめ!」
衝撃で泉田の身体は崩れ落ちた。だが満は止まらなかった。膝をついた泉田になお
刀を振るおうとした。門下生達が飛び出す。咲が飛び出す。
「満、だめ!」
咲は満に後ろから抱きついた。他の門下生は泉田を庇う。
「だめだってば!」
満はまだ進もうとしたが、咲に抱き止められてやっと動くのをやめた。
ふん、と息を吐き木刀を下ろす。満の身体から力が抜けたのを感じて咲は手を放した。
門下生は泉田の周りで強い警戒の目を満に向けている。しゃがみ込んでいた泉田が
その中から立ち上がった。
「強いな、参ったよ」
満にそう言って笑って見せた。


「見事だ」
篠原先生と、満、薫、咲、舞は再び先生の部屋へ戻った。すっかり冷めた茶が
まだあったのでそれを飲む。
満と薫は茶には手をつけなかった。

「しかし、私の声が聞こえなかったか?」
「声?」
「『やめ』と言ったが」
満と薫は言われていることが理解できないような顔をしている。
「篠原先生が『やめ』って言ったとき、どうしてそこで止まらなかったのかって聞いてるんだよ」
咲が噛み砕いて説明すると、満と薫はますます不思議そうな顔をした。
「そう言われたら、止めるものなの?」
「言われたことないけど……」

今度は咲が驚いた。
「えっ!? じゃあ二人の流派では立会いをしたとき、最後どうやって止めるの?」
「簡単じゃない。どちらかが立ち上がれなくなるまでよ」
満の答えに咲は口を開けたまま固まっていたが、
篠原先生は「なるほどな」と呟く。

「闇滝流は実戦に近い流派ということだな」
「……」
そう言われても、他の流派を良く知らない満と薫には答えようがない。
篠原先生は二人のそんな考えを察したのか、
「戦場での事を考えれば、どちらかが立ち上がれなくなるまでと言う姿勢は一つの
 考えだ。そういった場で誰かが止めてくれるとは考えにくいからな。
 ただ、剣術の道場においては一定の規則を定め、始まりと終わりを決めてあるところが多い。
 ここでもそうだ。『やめ』と言われれば立会いを止めることになっている」
「そうですか」
満は答える。咲が何故必死に自分に抱きついてきたのか、やっと理解できた。

「それにしても、闇滝流というのは初めて見せてもらったが、速さを重視した剣だな」
「そうだよね。私、満の動き凄く速くてびっくりしちゃった!」
うむ、と篠原先生は頷き、
「闇滝流の道場でも、教える立場なのではないか? 夕凪に来たのは武者修行か何かかかい?」
聞かれた満と薫は気まずそうに顔を見合わせると、
「私たちは闇滝流を誰かに教えたことはありません。こちらに来たのも――
 別に闇滝流を広めたいのではなく……」
「そうなのか? 勿体無いように思うが」
「そういえば二人ってなんでこっちに来たんだっけ?」
咲の問いに二人は黙る。良く分からないが何か事情があるらしいということを
篠原先生と舞は察した。

「いずれにせよ、その腕は眠らせておくには惜しいように思う。咲もな」
満と薫は相変わらず黙っていた。


「ねえねえ、薫も満と同じくらい強いの?」
道場を後にした咲は興奮気味に話しかける。
「まあ……」
「そうね、私と薫は同じ位ね」
「へえ……、でも、どうやったらあんなに速く動けるの?」
舞の問いに薫は「さあ」と答える。
「いつの間にかこうなっていたから、良く分からないわ」
――お父さんが道場を開いたって言うし、やっぱり天性のものなのね。
舞は一人納得していた。

「ねえ、でもあれだけの腕があれば、どこででも雇ってもらえるんじゃない?
 どこかのお屋敷とか、用心棒とかでさ」
「そうね、泉田さんをあんなに簡単に倒しちゃうんだから、つてさえあれば
 どこででも雇ってもらえそうよね」
「……咲」
満は渋い顔をした。
「あなたは、剣を本格的にする気はないと言っていたわね。
 甘味処の方で働きたいから」
「う、うん、そうだけど」
「私たちも、一生剣で身を立て続けることは望んでいない」
「そうなの?」
咲には意外だった。勿体無い、とも思う。
「そうよ……少なくとも、私は」
「薫は?」
「私もよ」
「ねえ、じゃあ二人は何をしたいの?」
舞が尋ねる。満と薫は無言になった。しばらく四人は自分達の足音だけを聞いていた。
「分からない……でも、私たちは道場が嫌で出てきた。剣に生きる生活に、
 戻りたくはない」
――どうして、そんなにも嫌なんだろう。
咲は思ったが、口には出さなかった。

「それだと、仕事はほかの事で探さないといけないわね」
薫は舞に初めて謝る。「折角考えてくれたのに、済まない」
「ううん、いいの……でもそうすると、二人ともおうちにはあまり帰りたくないの?」
「可能なら」

――でもそれは、無理かもしれない。

薫の言葉を聞きながら、満はそう思う。予定外の事態が立て続いて起きているし、
薫をあまり苦労させたくもない。

「何かの声がしない?」
舞は足を止める。他の三人も釣られて止まった。
「ん? 何か聞こえる?」
舞にはどこかからか、微かに鳥が鳴くような声が聞こえていた。
咲には聞こえないようだったが。
舞は道の端に立っている大きな木に近づく。

声はその根元から聞こえてきた。小さな毛玉のようなものが地面の上で微かに震えている。
舞は毛玉を拾い上げた。くちばしの広い、鳥の雛だった。
舞の手の中に納まるとしばらくの間鳴くのを止めた。

「この子、どうしよう」
「上から……」咲は木の上を捜す。巣らしきものが一つ掛かっていた。

「あそこから、落ちたんじゃないかな。もどしてあげないと」
「高いわね。どうしよう……」
「そんなに考えることはないわ」
薫は刀を木の根元に立てかけると、束に足をかけそのままごつごつとした木をするすると登った。

「は、速い……」
咲が驚いている間にも薫は巣のある枝に辿りついた。――のは、いいが。

「薫、雛はここに居るのにそっち登っていってどうするのよ」
「……」
「変なところで抜けてるんだから」
満は呆れ、「貸して」と舞から雛を受け取ったが、木はどこから登っても
両手を使わなければ登れそうになかった。
「舞」
満は舞に雛を返すと、
「私、途中まで登るわ。手を伸ばせばぎりぎり薫に届くところまで。
 咲、後から登ってきて。手を伸ばしたら私に届くところまで。
 多分そのくらいで、地上にいる舞が咲に雛を渡せるでしょう。次々に
 雛を渡していけば巣に返せるわ」
そういうことで、登れるわよねと確認してから満は薫の後を追って木に登る。
咲も登り、満の言ったとおりに雛を巣に返すことができた。


咲、満、薫の順に木を降りてしばらく下で見ていると
親鳥が巣に戻ってきた。巣の近くで人間達が去るのを待っていたらしい。
雛が特に蹴り落とされたりすることもなく親鳥から餌を貰っているようなので
舞は安心した。
「ありがとう、薫さん満さん」
「お礼を言われるようなことじゃないわ」
薫は舞の顔を見ずに、そのままその場を立ち去ろうとした。
舞は咲と顔を見合わせて、満と薫に気づかれないようにこっそりと笑った。


泉田が舞の家を訪れたのはそれから数日後の昼であった。
「この前あの子にやられたところが、なんだか治りが悪くってね」
舞の治療を受けたいと言い、男のお医者様に見せるのは少し恥ずかしいから、と続けた。

「薬か何か、塗ってもらえないかな」
「じゃあ、拝見します」
舞は泉田の着物を脱がせた。その身体に残された傷跡を見て、舞の背筋に冷たいものが
走った。
思わず赤く走る筋を軽く撫でる。

「これは――満さんにつけられたものなんですか」
「そうだけど」
「その後、誰かと立ち会ったとか」
「道場で練習はしてるけど、誰の刀も私の身体に触れてはいないよ。……どうかした?」
舞が少し様子がおかしいのに泉田は気づいた。――まさか、思っていたよりずっと深い傷なのか。
「いえ、何でもありません」
無理に舞は冷静な振りをした。
「お薬塗りますね」
「これは、ひどい傷なのか? そうは見えないけど」
「ええ、大丈夫です。すぐに治りますよ」
舞は泉田の傷に薬を塗りこみ、「あと数日で赤いのも落ち着くと思います」と伝えた。

泉田が礼を言って出て行ってから、舞は部屋の中を一人、うろうろとした。
泉田の身体に残っていた傷は、舞の良く見慣れたものである。
肩から腹にかけて斜めに、ほぼ一直線に残る赤い傷跡。道場破りが残して行くものと
良く似ている。

――満さんが、まさか……

そういえば、と舞は思い出す。満はあの時、やめと言われても打ちかかろうとしていなかったか。
それは道場破りの、倒れこんでも更に打ち据える姿勢と共通するものではなかったか。

でも、と舞は必死に自分の考えを否定しようとした。
泉田さんの体に残っていた傷は道場破りのと比べてずっと浅いものだったじゃない。
それに、目撃談によると道場破りは大きな男の人だって言うし。
関係ないわ、満さんと道場破りは。関係あるはずないじゃない。

舞は猫背になり、部屋の中をぐるぐると回り続けた。右手を口に当て、
考え込んでいる。考え込んでもそれ以上の考えが出てくるわけでもないというのに、
考えるのを止められなかった。

――満さんは、もしかしたら疑われないために少し手加減をして、
  泉田さんの傷を浅いままにしておいたのかもしれない……

悪い方に、悪い方に、思考は進んでいきそうになる。

――襲われている側の人間が恐怖心から、襲っている人間を実際よりも大きく感じて
  しまうのもよくあること。負けたと言う恥もあるし。満さんのことを大男と言っても
  仕方ないのかもしれない……、

いや、そんなことはない、と舞は思い返す。そんな、みんながみんな満さんのことを
大男と言うなんて。被害者は沢山出てるんだから、誰かが本当の事を言うはずよ。
……でも、二人は何故夕凪に来た理由を言いたがらないの? 人に言えないことだから?
まさか……。

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