前へ 次へ


しかし、咲が朝食に現れることはなかったのである。
ただでさえ寝坊しがちな咲であるから、二度寝した状態ではきちんと起きるのは
至難の業である。満、薫以外の三人は心得たもの、といった様子で何事もなかったように
朝食は五人でとった。

みのりが寺子屋に行くというので薫が手を引いて送っていく。満が咲の代わりに
店の前を掃除する。二人とも自覚こそしていなかったが、
いつの間にかこの環境に馴染み始めたのは事実であった。

昼前、咲がようやく目を覚ましてきた。二人が手伝っているのを見て、
慌てて手伝おうとする。
満はそんな咲を制止した。

「もう少し休んでいたら? 疲れているみたいに見えるけど」
「大丈夫なり!」
咲は飛び跳ねるように店に出てくる。
「少し動いていた方が、却って楽なんだ、私」
「そう……なの」
客は二組しか居なかった。もう注文された品は出してしまったので、後は客が食べ終わるのを
待つばかりである。
咲は外に出、少しでも客引きをしようとしていたが
「今日はなんだか人通りが少ないや」
ぶつぶつ言いながら戻ってきた。


「ねえ……」
そんな咲の様子を見ていた満が話しかける。
「何?」
「楽しそうね」
「そう……かな?」
咲は笑って首を捻った。いつも楽しいけど、今日は満と薫も一緒だから特に楽しいのかも、
と答える。
答えている咲の顔は自分の言葉に何らの疑問も抱いては居ないようだった。

「家の手伝いが、そんなに楽しい?」
「うん! だって、みんなお父さんとお母さんの作ったものをおいしいって食べてくれるんだもん。
 いろんな人とも会えるし、こんなに楽しいことって中々ないよ」
「……ふうん」
なるほど、ね。そう思いながら、満は次の疑問を口にした。

「あなたはこの店を継ぐの?」
「大人になったら? うーん、まだ分かんないけど、私不器用だから、
 でも、できたら楽しいだろうな」
「ふうん」
幸せね、と満は思う。親から受け取ったものをそのまま生かせるのが楽しいなんて、
親にとっても子供にとっても一番幸せな道じゃない。
「そういえば満たちのお家って何してるの?」
「別に、なんでもないわ」
愛想なく満は答え、食事を済ませた客の勘定に向かった。
合計いくらになるのかすらすらと計算して見せて客に驚かれた。

舞が尋ねてきたのは昼過ぎだった。考えたことがある、と言う。
「満さんも薫さんも、ひょっとして剣の腕前がすごくあるとか、そういうことはないの?」
二人が今日は刀を帯びていないのに躊躇しつつも舞は尋ねる。
甘味処で客を驚かせても仕方がないので二人は刀をはずしていたのである。

「さあ。……自分の力がどのくらいか、よく分からないし」
「ねえ舞、もし二人が強かったら何かあるの?」
「剣の力が凄くあると、同じ流派の道場で面倒を見てもらえたりすることもあるみたい」
「折角考えてくれたけど、それは無理ね」
薫がばっさりと斬り捨てる。

「私たちの流派の道場は、一つしかないから」
「あ……そうなんだ。なんていう流派なの?」
「……闇滝流」
満がぼそっと呟く。そのままの分かりやすい名前はあまりみっともいいものではないと
満は常々思っていた。

「そっかそっか、地名がそのままついてるんだね、なるほど。
 でも一つしかないってことは、そこの人が始めた流派ってこと?」
「まあそういうことね……父だけど」
「えっ!? お父さん!?」
咲が驚くのを見て、満は隠したままにしておけばよかったと
ちらりと思った。だが言ってしまったものは取り消しようがない。

「凄いじゃん、二人とも! じゃあお家で相当剣は仕込まれたんじゃない!?」
満の動揺に気づかずに咲は興奮して話を進める。満は薫と顔を見合わせ、
「まあ、そうね。結果的には」
「えええ!? ねえねえ、二人の剣の使い方、見せてよ!」
咲はもう身を乗り出し、二人の手を握らんばかりにしてねだった。

「え……ちょっと、その」
「駄目?」
咲は満の顔にぐっと顔を近づけて目を大きく開き満の目を見つめた。
薫は隣でそしらぬ顔をして茶を飲んでいる。

「わ、分かった! 分かったからそんなに近寄らないで!」
「満?」
満が承諾したことに薫は驚いた。


それじゃあ早速、ということで手近の道場に連れて行かれる。
往来での勝負は禁じられている。
まだ戦国の世の面影の残る時代ではあったが、道場などのしかるべき場所を除き
基本的に果し合いは禁止となっているのである。

「ここは?」
「篠原道場――私も通ってるんだ」
「あなたも?」
「うん、お侍の家に生まれたわけじゃないし、刀は持ってないけど――刀の使い方だけ、
 ここで教わってるってところかな」
「咲はすごくスジがいいんですって」
舞が付け足す。舞の顔は嬉しそうに笑っていた。
「折角だからもっと本格的に修行を積んだらって言われてるんだけど……ね?」
「私は剣も好きだけど店のほうも好きだからなあ。
 中々剣一本っていうわけにはいかないよ」

道場からはえい、えいと鍛錬する声が聞こえてくる。
咲は満と薫を、当主である篠原先生の元へと案内した。

先生は弟子達の指導を一番弟子である泉田に任せて奥の部屋に引き込んでいたが、
咲を見て「正式に弟子にでもなりに来たか」と、声をかける。

「いや違うんですけど、ちょっとお願いがあって」
「またか、お前のお願いは碌なことがない」
「え、えへへ……ちょっと紹介したい人がいて」
二人とも入って、といって咲は満と薫を部屋の中に引き入れた。
二人の姿を見た篠原先生の目の色が急に変わる。

「私の友達で、満と薫っていうんです」
「ほう……」
篠原先生は満と薫の目つきから二人が剣のかなりの使い手であることを見抜いたようだった。
部屋に入ると満と薫は軽く一礼し、すぐに正座した。

篠原先生は二人の手の動き、足の動きを見逃すまいとするようにじっと見ていた。
「茶を持ってこさせよう」
「……お構いなく」
篠原先生は満の社交辞令は気にせずに茶を持ってくるよう言いつけると、
改めて満と薫を見た。
満と薫はその視線に臆することもなくきっと前を見据えている。

「それで、この二人――満と薫、といったね――がうちの道場に何か関係があるのか?」
自分達からは口を開きそうにもない満と薫の代わりに、篠原先生は咲に尋ねる。

「それなんですけど、二人とも剣が凄いらしいのでちょっと見せてもらいたいと思って。
 うちの道場で誰かと立ち会ってくれないかなって思ったんです」
「流派は?」
「闇滝流っていうそうですよ」
篠原先生の聞いたことのない名であった。それだけに、どのような剣を振るうのか興味もあった。

「いいだろう。見せてもらおう。ついておいで」
門下生が茶を人数分淹れてきたが、「すまない、自分で飲んでくれ」と篠原先生は言い残すと
咲、舞、満、薫の四人を道場へと連れて行く。

木刀を使い打ち合う音が響いてきた。満はやや眉を顰める。
「やめ!」
篠原先生の一言で門下生は一斉に動きを止め、それからすぐにこちらを向いた。
新入りか、と門下生達は見慣れない二人組を見て思う。


「この二人は闇滝流の剣の使い手だ。今日はここで剣の腕を披露してくれる」
――話が大きくなってきてないかしら?
最初は披露する、と言う話ではなかったような、と満は思った。どうでもいいが。

「と言うわけで誰か――泉田」
「はい」
「立ち会ってみろ」
「……分かりました」
門下生達は少しざわめいた。
どこの馬の骨とも知れぬような流れ者を相手にするなら、門下生の中でも
あまり力のないものをまず指名するのが通常である。
一番弟子である泉田を選ぶのは異例のことであった。

「分かりました」泉田は木刀を二本手にし、一本は自分のものとすると
満と薫に向かって、
「どちらが相手?」と残りの一本を差し出す。
満と薫は一瞬瞳を合わせ、
「私が行くわ」
帯に差していた大小を薫に預けると泉田から木刀を受け取る。
木刀を右手に持ち、満は首を捻った。
「どうかした?」
「もう少し軽い方がいい」
咲へ答える満の声を聞き、泉田は優子にもう少し軽いものを持ってこさせる。

「それが道場で一番軽いものだが、どうだ?」
泉田はどうせ立ち会うならば自分も相手も全力を出し切れる状態でありたいと思っていた。
師の教えに従ってきた結果、そういう考えを持つに至っていた。

「これなら」
満が承諾し、二人は道場の真ん中で向き合う。
門下生は固唾を飲んで見守っていた。

――壷が……。
満は道場に見慣れたものがあるのに気づいた。
先日自分達が古道具屋に売った壷だ。あれが今は、こんなところに買われて来ている。
――どうでもいいわ。
そんなことに気をとられている場合ではない、と満は木刀を握りなおした。

向かい合うと、泉田のほうが満よりも少し背が高い。刀も長い。
見た目には泉田のほうが少し有利に見えた。

木刀を持ち構えると、
満はそのまま木像のようにぴたりと動かなくなった。

前へ 次へ

長編SS置き場へ戻る
indexへ戻る