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【第二話】
都合のいいことに舞は家に居た。最近は道場破りの件で診察に出ていることが多いが、
今日はまだ呼ばれていないそうである。寺子屋としている部屋からは子供達の声が聞こえてくる。

「それでね、二人はこういうことで……」
舞の部屋には咲の声が響いている。先ほどから、満と薫のこれまでの経緯を説明しているのだ。
二人はやや緊張して部屋の中に座っていた。

金を盗られた、ということを聞いて舞は眉を顰めた。「最近多いんですってね」と、
同情するような目を二人に向ける。
「だからね、私としても二人に協力したいんだ……舞にも、お願いしていいかな?」
「もちろん! えーっと満さん、と」舞は二人の顔と名前を確認した。
「薫さん、よね」二人は無言のまま頷く。

「それでね、二人とも何か仕事があればいいなって思ってるんだけど、
 舞、何か知らないかな?」
「ええっと……そうねえ……今、お父さんが往診に出てるから、帰ってきたら色々と聞けると
 思うけど」
二人は無言で、軽く頭を下げた。
「そんなにかしこまらなくてもいいのに」
舞が軽く微笑む。

「ところで、二人ともどこから来たの?」
「闇滝っていうところだって」
咲が先回りして答える。

「闇滝?」
「聞いたことないでしょ、田舎だから」
満がまた言う――少し恥ずかしそうだ。

「う、うん……どうして、こちらに来たの?」
「まあちょっと、用事があってね」
「二人のお家はすごいんだよ。七人兄弟なんだって」
咲はまるで自分の事を言うかのように誇らしげだった。何がそんなに嬉しいのだろう、
と満は思った。

「別に、すごくはないわ」
「でも二人とも――ご兄弟がそんなに居るお家から旅してくるの、寂しかったでしょう?」
「別に……」
素っ気無く答える満。舞はその態度を、わずかに疑問に思った。
「舞、ちょっといいかい?」
声と共に舞の兄、和也が部屋の中に入ってきた。

「友達がいるところ悪いんだが、今日は子供達の数が多くてね。子供達にいくつか
 課題をさせたから、確認して家に帰したいんだけど時間が掛かりそうなんだよ。
 手伝ってくれないか?」
「はい――じゃあちょっと、ごめんね」
舞は、三人には部屋でゆっくりしていてもらいたいと思ってこう言ったのだったが、
咲は「私たちも行ってみよう」と二人を誘う。

満と薫もなんとなく――反対する理由も取り立ててないので――二人についていった。
寺子屋として使用している部屋の戸を開けると大勢の子供達の姿が目に入ってきた。

「あ、薫お姉さんたちだ!」
その中に居たみのりが目ざとく二人の姿を見つけた。
見たことのない人が物珍しく、子供達がわっと満、薫の周りに集まってくる。

「こらこら、ご迷惑になるからだめよ」
舞が慌てて子供達を二人の周りから引き離した。

課題、とは習字だった。
子供達は舞と和也に次々と字を見せ、良くできた子はそのまま返り、注意を受けた子は
再び書き直している。
みのりの番が来た。数枚を舞に見せている。一枚だけ、指摘を受けたらしい。
書き直さなければならないようだった。

みのりは自分の机に戻りお手本を見ながら字を書き直す。気に入らないらしく、
首を捻っている。見かねて薫は近づいた。

「どうしたの」
「あっ、薫お姉さん! このしんにょうが、上手く書けないの」
「貸して」
薫はみのりから筆を受け取ると机の前に座り、紙を新しくして一気に文字を書いた。

「薫お姉さん、すっごく上手!」
みのりの言葉に、咲や他の子供たちが集まってくる。
薫の字は、そのままお手本にしても良いほどであった。

「か……薫……すごい」
咲が感嘆する。咲も昔ここに通って舞と一緒に読み書きそろばんを習っていたものだったが、
中々上手くならなかったのである。
今も咲の字はそれほど上手くない。

「ねえ、どうやったらこんな風に書けるの?」
「座って」
薫はみのりを自分の前に座らせると、筆を持つみのりの手を上から強く握った。

「力の入れ加減の問題よ。こう書いて、こう……ほら、書けた」
「ほえ〜」
信じられないと言うように、みのりは今自分の書いた字と自分の手を何度も見る。

「じゃあ、今度はみのり自分で書いてみるね!」
「ああ、そうすればいい」
興味なさそうな顔をして薫は立ち上がった。

そんな薫を入り口の傍で満は見ていた。薫が誰かにあんな風に
親切にしている姿は見慣れないものであった。

「……あの子は?」
見回し、ふと目に入った子について舞に尋ねる。
薄い桃色の髪で、目を閉じたまま、筆を動かしている女の子が居る。

「あの子は最近ここに来るようになったの。目が悪いんですって。
 でも、ゆっくりとならきれいな字を書けるのよ」
「ふうん」
世の中には色々な人がいるものだと満は思った。女の子は周りの雑音に惑わされず、
黙々と筆を動かしている。

「舞お姉ちゃん、これ見て!」
みのりの元気な声がした。薫と一緒に書いたときの字には及ばないが、
一回目に見せたときよりはずっと上手にしんにょうが書けている。

「はい、上手に書けたわね……、今日のは合格」
舞に言われ、みのりは飛び跳ねるように薫のところへと戻った。

「薫お姉さん、ありがとう! みのりとっても上手に書けたよ!」
「……そう」
表情を変えずに答える薫にみのりはにっこりと微笑むと、

「フィーリアちゃん、どう?」
と、先ほど満の見ていた、目の見えない女の子へと近寄った。

「ええ、もう少しで全部書けます……」
フィーリアの腕は最後の一枚を書き終えようとしているところであった。
目こそ開くことはないものの、フィーリアの表情はみのりに話しかけられてやや和んだ。

「今日は新しい方が来たようですね、二人も」
フィーリアは書き終え筆を置き、立ち上がりながらみのりに尋ねる。
みのりはとりたてて彼女を手伝うことはしない。そんなことをしなくても、
彼女が不自由なく動けるのを良く知っているからである。

「うん、薫お姉さんと満お姉さんだよ。二人とも、うちに泊まってるんだ」
「そうなんですか、楽しそうですね」
舞に見てもらい、フィーリアは外へ出て行った。戸のすぐ近くに立っていた
満が進路を空けると、「ありがとうございます」と言って出て行く。

満は後姿を見送っていたが、特に危なげもなく歩いていくのを見ると視線を再び中に戻した。
薫がみのりに「一緒にお家まで帰ろうよ」と誘われている。
咲はこれからまだ寄っていくところがあるそうなので、満と薫、それにみのりの3人で
戻ることになった。甘味処に帰ると、お客さんがぼつぼつ多くなり始めていた。
なし崩し的に二人も手伝うことになる。
みのりに教えてもらいながら手伝うことになったので、みのりはどこか得意そうに
二人に手伝いの仕方、接客の仕方を指導した。

働いていると夜は意外と早く来る。咲はまだ帰ってこない。今日はこのまま夜まで
出ているつもりらしい、と言う話だった。今日の手伝いのことに関してお礼を言われたりしながら、
咲を除いた五人で夕食を食べた。
二人が初めて食べる料理が多かったが、美味しく感じた。

部屋に戻って二人だけになると、満も薫も無口になる。
「今日は終わったわね」
満がようやく口を開く。

「ああ……」
「これから、どうなるのかしらね」
「さあ」
薫は短い言葉だけを返す。
「薫……」
満は少し気になっていた事を尋ねた。
「何?」
「闇滝に帰りたい?」
「……」
薫は黙っていた。

「もともと、あそこを出たがっていたのは私のほうだし」
「私も、居たかったわけじゃない。早く出たかった」
「でもこんなことになって」
「こんなことになったのは私のせいだ」
「そんなことが言いたいんじゃないの」
満は若干語気を強めた。
「もし薫が闇滝に帰ったほうがいいって思っているなら、私は……」
「少し待とう」
穏やかな声で薫は答える。

「確かにこちらで暮らし続けていくのは難しいかもしれない。だけど、状況が
 変わるかもしれない。今日会った彼女が何か仕事を教えてくれるかもしれないし、
 手紙の返事も待たなければいけない。返事が着いたときに状況が変わっていれば、
 それに応じて考えよう」
「そうね……ねえ、薫?」
「何かしら?」
「私たちにできることってあるのかな?」
薫は答えなかった。代わりに窓の外を見やる。今夜もどこかの道場から、誰かの叫び声が
聞こえてきていた。

翌朝、早く起きた薫が店の前をぶらぶらと歩いていると、帰ってきた咲と
ばったり出くわした。

「あれ? 薫、随分早いね」
「目が覚めたの。あなたも早い――いえ、遅いと言うのかしら?」
あははと咲は笑った。最近ずっとよそに泊まっているから、と言い、
薫と連れ立って店に入る。

「朝ごはんまで、少し眠るね」そう言って、みのりの部屋に入ろうとする。
「ああ――お休み」
薫の目の前で、扉が閉じた。

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