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「しばらくは、ここにいなきゃならないようね」
「ええ、そうね」
呟いた満に薫は同意する。しばらくは。しかしその後は、一体どうするのだろう?

「ねえ薫……」
「お待たせしましたー」
満が言いかけた言葉は甲高い声に遮られた。小さな女の子がお盆に団子を二皿載せて立っている。

「お団子二人前、お持ちしました」
慣れた様子で、二人が座っている場所に皿を置く。

「ああ、そう……」
口の中でもごもごと言い、団子に手を伸ばそうとして満は女の子がいつまでも
自分達の傍にいるのを不思議に思った。ああそうか、と懐に手を入れる。
「二人分でいくらかしら?」
「お金は店を出るときに頂きます」
「そうなの」
「お姉さんたち、旅の人ですか?」
女の子は話しかけられるのを待っていたようだった。目が好奇心できらきらと輝いている。

「さあ」
そっけなく薫は答える。だが女の子はめげなかった。

「どこから来たの?」
「遠い所よ。あなたは、多分知らない」
どうでもよさそうな薫に代わって満が答える。この言葉もあまり愛想のいいものではなかったが。

「どんなところなの?」
「何もないところよ」
「こら、みのり! またお客さんにいろいろ話しかけて!」
奥から、先ほどの女の子の声がした。改めて見比べるとどこか似ている。
みのりと呼ばれた小さな女の子は不満そうに少し頬を膨らませて、奥へと戻った。
二人を店に招いた少女はみのりと入れ違う形で熱いお茶を持ってくる。

「ごめんね、みのりがまとわりついちゃって」
「さっきの子とは、姉妹なの?」
お茶を一口啜ってから満が問いかける。薫の方はと言うと、お茶と団子を交互に口の中に
流し込み、放り入れていた。

「うんそう、私の妹。寺子屋がない時は店を手伝いたがっちゃって」
「寺子屋って?」
「この近くにあるんだよ。近所の子供に読み書きそろばんを教えてくれるの。
 私も昔は通ってたけど、一通りは習ったからもう行ってないけどね」
「ふうん」
それじゃ、ごゆっくり。女の子は言い、満と薫はようやく二人きりに戻った。
薫はもうすっかり食べ終わっている。満は慌てて自分の団子に手を伸ばした。

「ねえ薫、これから本当にどうする?」
「そうね……とにかく、捜して早く見つけ出した方がいいんじゃないかしら。
 これ以上話が大きくなると、面倒なことにもなりかねないわ」
「闇滝の方には連絡する?」
「しておいた方がいいでしょうね。すぐ戻って来いって言われるかもしれないけど」
「薫、私は戻るつもりなんてないわよ。やっと出てきたんだもの」
「ええ、知っているわ」

満が最後の団子を喉に流し込んだ頃、雨は随分小降りになった。空がさっと晴れることこそ
なかったが、雨はほとんど降っていなかった。たまに水滴が二、三落ちていくのが見えたが
それも屋根や梢から落ちてくるものであったかもしれない。

雨宿りをしていた客達が一斉に立ち上がり始める。満と薫はしばらくの間待つことにした。
女の子達が勘定でてんやわんやになっている。みのりの方は勘定ではなく、
皿を下げるのが仕事らしかった。

「ありがとうございましたー」
出て行く客に言いながら、客の残した皿を重ねて手に持つ。満と薫の前を通り過ぎようとした時、
女の子が少しよろめいた。咄嗟に薫の身体が反応する。転びそうになったみのりの身体を支え、
皿が落ちないようにした。

「気をつけなさい」
「ありがとう……あっ!」
みのりは薫の着物を見て真っ青になった。薫はみのりの視線を辿る。みのりが持っていた皿に
残っていた団子のたれが、薫の着物についてしまっていた。
どうしよう、どうしようとみのりはうろたえる。他の客の勘定を終えたみのりの姉が
やってくる。事態を把握すると、とにかくごめんなさいと謝り、何度も何度も謝り、みのりには
濡らして固く絞った布巾を持ってこさせた。薫の着物に布巾を押し当てるようにし、たれを拭き取る。
しかし染みが残ってしまった。

「どうしよう……」
売り場での騒ぎを聞きつけ、みのりの父と母、この店の責任者がやって来た。
またしても頭を下げられる。
「何とお詫びしていいか……娘が大変なご迷惑をおかけしまして」
「あの、着物を洗ってお返しします。洗っている間は咲のものをお貸ししますし、
 少しの間待っていただけたら……」
「いえ、いいです」満が断る。あまり面倒には巻き込まれたくなかった。
肘でつつくと、薫も同じように断る。

「すみません、ご迷惑をおかけしまして……」
店の者達はまだ恐縮していたが、満は懐から小銭を取り出した。
「いくら?」
咲に尋ねる。

「迷惑かけちゃったから、お金は受け取れないよ」
「それとこれとは話が別よ」
満は素早く目を走らせ、壁に貼ってある「団子○文」の紙を見つけると
二人分の代金を咲の手に握らせた。行こう、と薫を促し黙って店を出る。

「本当に、すみませんでした!」
店の者達の声が後ろから二人を追いかけた。


「却って悪いことしちゃったかなあ……」
「どういうこと、咲?」
「うん、今のお客さんたち雨に濡れてたからうちで雨宿りした方がって連れてきたんだけど……」
「そうね、ご迷惑になったかもしれないわね」
咲と彼女の母親がそんな会話をしている傍らでみのりはすっかりしょげ返っていた。
肩を落として今にも泣きそうだ。大介がそんなみのりの背中を軽く二、三度叩く。

「みのり、いつも言ってるだろう? 何でも無理するもんじゃない。
 お手伝いしてくれるのは嬉しいけど、お皿を何枚も重ねて運んだりするのはみのりには
 ちょっと早いね」
「はあい……」

「そうそう、それとみのり! お客さんにあんまり色々話しかけちゃ駄目だって!」
咲に強く言われて、みのりの目にはみるみる涙が溜まっていった。
「ほらほら、泣かないの」
沙織がみのりの頭を優しく撫でる。
「次からは気をつけないとね」
みのりは小さく頷いた。


土が軟らかい。満と薫は雨にしっとりと濡れた道を当てもなく歩いていた。たまにある
水溜りを二人は静かに迂回する。無言のまま、音もなく。二人の傍を何人もの人が
歩き去っていったが、みなどこか目的地に向かって歩いているようだった。

「ねえ薫……」
狭い路地裏、満が足を止める。
「私たち、どこに向かって歩いているの?」
「彼が居そうな場所よ」
「どこよ」
「さあ?」
結局あてずっぽうじゃない、と満は思う。薫はそんな満の気持ちを察したように、
「何か他に当てでもあるの?」
「ないわよ。あったらとっくに言ってるわ」
「だったら、探し回るしかないじゃない」
「でもこんな――」
満は周囲を見回した。家が立ち並ぶ間を縫うように、曲がりくねって路地が走っている。

「狭いところに現れるかしら?」
「じゃあ、もっと広いところに出ましょうか」
「あの人広いところの方が好きだから」
満と薫は夕凪の町の中心とも呼べる大通りへ出た。
人の声が様々に聞こえてくる。口々に話される会話はばらばらだが、ときどきわっと歓声の
上がることがあった。
通りの中に、人だかりができている場所がある。中心には誰か居るようだが、人垣に阻まれて
満と薫には見えない。

「何かしら?」
「どうでもいいわ」
薫が心から興味なさそうに呟き、人だかりの傍をすり抜けようとしたとき、前から走ってきた
男の子と軽くぶつかった。

「すみません」
男の子は一言薫に言い捨て、そのまま走り去る。

「こんなに混んでいる光景なんて、初めて見たわね」
「ええ」
満の言葉に薫は頷いた。
大通りを端から端まで三度歩いてみたが、尋ね人は現れなかった。
夕暮れが迫ってくる。
「ねえ、そろそろ宿を探そうとまずいんじゃない?」
満が口火を切る。薫は空を見上げた。
「そうね――でもこの通りには宿は一つもないみたいね」
「これだけの町だもの、絶対どこかにはあるわよ。その辺のお店で聞いてみましょう」
「そうね」
薫は言い、懐に手をやる。「――やられた」
ただでさえ白い薫の顔からすっと血の気が引いた。
「やられた? 何が?」
「――掏り」
薫は懐から紐を取り出し、満に見せた。紐は鋭利な刃物ですぱりと切断され、先端につけて
あったはずの巾着は影も形もない。

「え? えーとつまり……お金、ないってこと?」
力なく薫は頷く。
「そんな! それじゃどうするのよ!」
「――分からない。どうしたらいいんだろう」
満に見せた薫の顔はひどく情けないものであった。いつも淡々としていてあまり冷静さを崩すことのない
薫だったが、今は捨てられた子犬のような目を満に向けている。

二人が旅をしてくるに当たって、旅費は基本的に薫が管理していた。満はその日その日、
食事に必要となるくらいのお金を薫から渡されていたのである。
したがって、今二人が持っているのは満が懐に持つわずかばかりでしかない。
しかし、あまり情けない顔をしている薫を責めることは満にはできないので、自分の金がまだ
懐にある事を確認すると、

「宿は、無理ね。野宿しないと。できそうな場所を早く見つけましょう。暗くなる前に」
「そうね……」
二人が野宿するのは初めてではない。故郷からここに着くまでの間、何度か外で寝なければ
ならないことがあった。だから慣れてはいる。しかし、あまりしたいものではなかった。
今夜は絶対に布団の中で眠れると思っていただけに、失望も大きかった。

「この町を、出ましょう」
まだどこか呆然としている薫に、満は自分の考えをてきぱきと伝えていく。
「え……せっかくここまで来たのに?」
「何も闇滝まで行こうって言うんじゃないわ。町に入る入り口から、
 少しだけ外に出ましょう。この町で寝てたら何をされるか分からないわ」
「そうね……」
満と薫は来た道をそのまま戻り始めた。愉快な道のりではなかった。自然、二人は無口になる。
日も落ち始め、家路へ急ぐ人々の間を二人は黙って歩み続けた。
甘味処の前で呼び止められたのは二人にとって全く予想外のことであった。

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