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【第一話】

――また声がする。

舞は夜道に出て耳を澄ました。空は晴れ渡り月が中空に輝いている。
空は平和である。しかし風に乗って夜には似つかわしくない、
騒ぎの声が聞こえてくる。声は祭りのような賑やかな者ではなかった。
どちらかといえば悲鳴である。

夕凪に道場破りが度々現れるようになったのはつい最近のことだ。
小さい藩の城下町としては珍しいほどいくつもの剣術道場を抱えていたものだったが、
一と月ほど前から道場破りが次々と道場を襲っている。
天を突くほどの大男がある夜いきなり訪れ、道場にいる者たちを全て破り
去っていくのだそうである。
道場破りとは言いながらこの男、看板を奪っていくことはしない。
ただ道場にある金目のものを一つ、二つ持っていくそうである。
しかし道場として不名誉であることに変わりはない。
一つ、二つと破られていくにつれどの道場でも警戒を強めた。今は大抵の
道場で、夜には必ず一番の腕、二番の腕を持つ者たちを詰めさせている。
しかしながら大男を倒したという道場はまだ現れていない。
藩としても道場破りには頭を悩ませているという。

「舞、まだ起きてたのか」
和也が家から出てきていた。
「うん……またあの人が出たみたい」
「そうか。また忙しくなるかもしれないな、父さんも舞も」
「ええ」
「眠れるうちに寝ていた方がいい」
「ええ、すぐに戻るわ。おやすみなさい」
「おやすみ」
兄は家の中へと入った。舞はもう一度耳を澄ませる。

――咲……!

声の聞こえてくる方角は、咲がいるはずの場所とはややずれている。
舞はそのことを確認するとようやく安堵し家に戻った。


舞の父は医師である。その傍ら、星の動きについて記録を取っている。
しかし道場破りが出るようになってからというもの、
星について割く時間はあまり取れなくなっていた。
舞は父について医師の仕事の手伝いをしている。最近は特に、患者が多いため
父と手分けして多くの人々を手当てしていた。

「先生! 先生!」
この日、舞の家の扉が叩かれたのは舞が寝付いてからしばらくしてのことであった。
「どうしたんだい」
「大海道場の者ですが、例の道場破りが現れ多くの怪我人が」
「すぐに行こう」
みなまで聞く必要もない。舞の父はこのところいつも使っている薬箱を取り、
「何人くらいだね、怪我人は」使いの者に尋ねた。
「二十三人です」
「――舞も、連れて行こう」
道場側でも警戒して人を集めている結果、道場破りが現れたときの怪我人の数は
増えるばかりだ。道場とは関係のない人間を用心棒的に集めている例もあると聞く。
近頃舞があまり寝ていないようなので少し休ませてもやりたかったのだが、
待っている人がそんなにも居るのなら仕方がない。

「お父さん、私は支度できているわ」
舞はもう起きて、着替えを済ませ父が来るのを待っていた。


使いの者に案内され、舞たちが着いた頃には道場の多くの者達は近所の助けで道場内に寝かされていた。
普段だったら弱音一つはかないであろう剛の者たちが情けないほどの呻き声を上げていた。
「私は一番深手を負っている者から診て行く。舞は傷が中程度のものから、順番に診ていきなさい。
 手に負えそうになかったらすぐに私を呼ぶんだよ」
「はい」
父からいつもどおりの指示を受け、舞は道場に駆け入り奥ほどに寝かされている一際、
痛がっている者に近づいた。
「大丈夫ですか」
「大丈夫じゃねえよ! 痛いんだよ」
「すぐに手当てしますから、少しだけ我慢してくださいね」
舞は布団を剥ぐと「お怪我見せてくださいね」
と若侍の着物に手をかけ脱がせようとした。
若侍はここでようやく自分の治療をしようとしているのが若い女だと認識して顔を赤らめた。
「せ、先生じゃないのかよ」
「父のことなら他の方を診ています」
舞は手早く着物をはだけさせる。あまり鍛えているとは思えない貧相な身体が現れた。

しかし舞はそんなところではなく、身体に残された赤い傷跡に注目した。
いつもと同じように肩から腹にかけて斜めに、ほぼ一直線に傷跡が残っている。
傷跡としては、珍しい。

大男は必ずこの一撃を繰り出す。その動きは風のように速く、これまで戦った者達は
全てこの最初の一撃で負けているそうである。
大男の振るう剣は殊のほか重く、胸に一撃食らっただけで気絶する者が多いと聞く。
辛うじて持ち越えたとしても二撃目はよけられない。更に倒れ込んだところに
容赦なく剣が襲い掛かると言う。自らの刀で大男の刀を受け止めようとしても
その重さと勢いで押し切られてしまうそうである。

舞は膏薬を何枚も貼り、若侍の身体に包帯を巻いた。「痛い」と顔をしかめるが、
きっちりと巻く。
全員の手当てを終える頃には東の空が白々と明るくなり始めていた。


あくる日の夕凪城では国の筆頭家臣、ゴーヤーンが昨夜のことについて報告を受けていた。
「全く困ったものですなあ……」
直属の配下であるウザイナーの報告を受けたゴーヤーンは嘆息した。

「誰も道場破りを止めることができないと言うのも困ったものですが」
ウザイナーは同意し、ゴーヤーンは城の上に広がる空を見上げた。
空はどんよりと曇り、今にも雨が降り出しそうだ。

「いつまでも野放しにしておくわけにはいかないでしょうねえ。人相書きを作り、
 お尋ね者として手配しましょう」
道場破り自体は取り立てて罪となるものではありませんが、と言うウザイナーの言葉を
ゴーヤーンは一蹴した。

「世間を騒がせたと言うだけで十分です。物事には何でも程度というものがあります。
 その男は少々やりすぎたようですからねえ」
配下の者であっても敬語を使うのがゴーヤーンの特徴であった。それが少しも
腰の低い印象とはならずに、むしろ傲慢な印象を与えるのが不思議であった。

「今は殿から若君様へと移る大切な時期ですからねえ。余計な揉め事を起こさぬよう、
 頼みますよ」
ウザイナーは了解した。



曇り空の下、二人の旅人が夕凪の町に辿りついた。若い女である。しかし男装束を身に纏い、
腰には小ぶりながらも二本の刀を腰に帯びている。

「着いたようね、薫」
「ええ、そうね」
戦乱から少し遠ざかり、その記憶も薄れ始めたこの時代、男装束を身につける女は
少なくなったとはいえ人の目を引くほど珍しいものでもなかった。多くの人が
二人を敢えて見ようともせずに通り過ぎて行く。

「さ、行きましょう」
背の低い方が促す。二人は夕凪町に入る橋を渡った。前をまっすぐに見、どこか
近寄り難い雰囲気を醸し出している。
「あれは?」
薫と呼ばれた、背の高い方の女が通りの向こうを指差す。
「高札かしら」
二人は道の傍らに掲示された紙を見に近づいた。
お触れなどを知らせるものではなく、人相書きであった。

「この者、世間を騒がせた罪により……」と書いてある。
横には「筋肉が鍛え上げられている」「目が緑色に光る」などの特徴とともに似顔絵が描いてあった。

「満、これ……」
「うん」
とうとう大粒の雨が降り始めた。満と薫は身じろぎもせずに立て札を凝視していた。

「どうする?」
満が問いかける。薫は小さく首を振った。
「……分からない」
「考え直さなければいけないようね」「そうね」
「あの〜」
二人の背後から小さな声がした。

薫は立て札を見たまま、満だけが振り返る。同い年くらいの女の子が立っていた。

「濡れちゃうよ」
「そうね」
初めて気づいた、というように満は空を見上げる。雨が満の額に落ちる。
「ねえ、良かったらうちで雨宿りしていかない? すぐ近くなんだ。座れる場所もあるし」
満は軽く薫の背を押した。振り返った薫と目を合わせ、
「そうさせてもらうわ」
微かな笑みを口の端に浮かべて答える。

「そう、良かった! こっちだよ、私について来て」
女の子の家は坂をわずかに下ったところにあった。甘味処、の看板も出ている。

「さあ、入って入って。座るところもあるからさ」
二人は女の子の笑顔に押し込まれるようにして入る。店内には数人の客がいる。
二人は入り口近くの席についた。落ち着きなく周りを見る。

「お店だったのね」
「うん、甘いもの中心に売ってるんだ……お腹すいてたら、何か食べてく?」
二人は顔を見合わせた。こういう店は今までの二人の生活にはないものであった
――お腹も、すいていた。

「あ、ごめんね。お節介だったかな」
「どんなものがあるの?」
満の問いに女の子はお団子と――と、商品名をすらすら並べ上げる。

「全部覚えているの」
「ほとんど毎日手伝っているから、覚えちゃった」
「じゃあ、私はお団子」
「私もそれで……」今まで黙っていた薫が言い添える。

「じゃあお団子二人分ね! ちょっと待ってて」
女の子が行ってしまって、満は改めて周りを見回した。数組いる客達も思い思いに、
甘い者を食べながら雨のやむのを待っているようである。

――また、出たんですって。まあ……今回も誰も敵わなくて、けが人が沢山出たらしいわよ。
  恐ろしいわね。あんな知らせを出しても、捕らえられる人がいるのかしら?

途切れ途切れに声が聞こえてくる。薫は外をじっと見ていた。太い糸のようになって
空から降り来る雨は、一向に止む気配がない。
地に穴を穿つ勢いで雨は続いた。

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