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【第五話】

「ダークフォールに戻る」
翌朝の食事の席で満は意外な言葉を口にしました。人数が多いので
咲と満、薫は家の外にテーブルを持ち出して三人だけで囲んでいたのですが、
咲は満の言葉を聴いて椅子から半分腰を浮かしました。

「どうして? そんな……折角薫にも会えたのに。ダークフォールに戻ったりしたら、
 また……」
「……」
薫は黙って満を見ていました。満には咲のような反応は予想できていたようでした。

「分かっている。――でも、舞を放ってはおけない」
満の脳裏に舞の顔が浮かびます。一人でいる時の舞はいつも寂しそうで、
苦しそうな表情を浮かべていました。
満の姿を見つけるとぱあっと明るい笑顔を浮かべるのでしたが。

「舞を一人でダークフォールに置いておくわけにはいかないんだ……」
「だったら、その舞さんもこっちに連れてくれば」
咲の提案に薫も小さく頷きます。
できればいいけど、と満は答えました。

「舞はダークフォールから離れることをひどく恐れているから……」
「それじゃ満はどうするの?」
「どうにか説得できればいいけど……」
満は、薫が困ったような顔で自分を見ているのに気づきました。

「薫。昨日、一緒にいようと約束したけど……私はこちらに来る前、必ず
 舞のところに戻ると舞に約束したから……だから、
 一度は、戻らないといけない」
「……」
薫は黙っていました。心の中では一つの言葉が浮かんでいました。
「いやだ」という三文字でした。
ダークフォールに戻ったりしたら、またあのミズ・シタターレに何をされるか
分かったものではありません。満自信も舞の説得には自信がないようですし、
またずるずるとダークフォールにいることになってしまうのかもしれません。

「だから。一度、ダークフォールに帰る」
満は繰り返しました。咲も薫も、賛成できませんでした。


――満さん、遅いなあ……
ダークフォールの暗闇の中、舞は満の部屋の前に佇んでいました。
昨日の夜、満は緑の郷へと出て行って結局そのまま帰ってきてはいないようでした。
――まさか、倒されたなんて……ううん、そんなことあるはずないよね。
舞は胸の奥から沸き起こってくるいろいろな考えを「縁起でもない」と
振り払っていました。

カレハーンのこと、モエルンバのこと。
大して気にもしていなかった二つのことが、今は舞を不安に陥れていました。
精霊を守っているという戦士にやられたなどということは考えたくもないことでしたので――、

――満さん、何か戦うための対策を用意しているみたいだったし。
  きっとそれで時間がかかっているんだわ……

舞は自分を落ち着けようと一生懸命でした。
満がダークフォールに来てからというもの、彼女は一度だって
ダークフォールを離れたことがありませんから、舞は今回久しぶりに
ダークフォールに一人でいることになったのでした。

舞がダークフォールに来たのはもっとずっと小さかった頃です。
ダークフォールの住人達は舞と友達になれるような者たちではありませんでしたから、
舞はずっと一人でした。一人で、たまに来るゴーヤーンに嫌味を言われたり怒られたりしていました。

緑の郷にいた頃は絵を描くのが好きでしたが、こちらに来てからはふっつりと描きたい気持ちが
なくなってしまいました。
何を見ても、誰を見ても、絵に表したいという気持ちが起きてこないのです。
舞が再び絵を描くようになったのは、満がこちらに来てからでした。

来たばかりの満はひどくやつれていました。あのゴーヤーンが肩を貸して満を歩かせていたほどです。
「舞殿、ちょっと」
ゴーヤーンは自室にいた舞に呼びかけ、舞が外に出て行くと満の身体をどん、と
舞に押し付けるようにしました。
「新しくダークフォールの一員となったものです。舞殿と似たような存在ですから、
 よろしく頼みますよ」
満の身体を受け止めて、舞は少しよろけながらも踏ん張りました。
満からは太陽を浴びた土の匂いがしました。
この時から、満は舞にとってただ一人の仲間でした。

――やっぱり、私が行けばよかったのかも……満さん、ごめんなさい……

舞は自分のせいで満が緑の郷に行く羽目になった事をひどく悔やんでいました。
元々の計画を成功させるか、もしくはゴーヤーンに命じられたとき
自分が行けばよかった、と思っていました。
満がいないと心細く思うだろうとは思っていましたがこれほどとは思いませんでした。


「おやおや、満殿はまだですか。随分仕事が遅いですなあ」
その場所に現れたのはゴーヤーンでした。
「満さんは、仕事が遅くなんか……何か作戦を練っていたから、それで」
「そうですな、頼もしい限りですな」
ゴーヤーンの口調は優しくも聞こえましたが、舞は一瞬たりとも気を許しませんでした。
ゴーヤーンが外から見てどんなに優しそうな、あるいは気弱そうに見えたとしても
それは見せ掛けだけであると舞は良く知っていました。
ゴーヤーンはそんな顔をしているすぐ後に、ひどく残忍なことをできる男であると
舞は思っていました。

「舞殿、どうです、満殿の様子を見てみることもできますが」
「え?」
「私の力により、今緑の郷にいる満殿の姿を映すことができるのですよ。
 声は聞こえませんが」
「そんなこと……本当に……」
「ええ、もちろんですとも。いつまでも満殿が帰ってこないのでは心配でしょう」
「ど、どこ? どこで満さんが見えるの?」
「まあまあ、そう慌てなさいますな、舞殿。私の部屋です」
舞はゴーヤーンについてすぐに彼の部屋の一つに行きました。
ゴーヤーンはダークフォールのあちこちに自分の部屋を作っています。
彼なりには使い分けているようですが、舞にはその基準は分かりませんでした。

今回案内された部屋はこの前満と一緒に来た部屋とは少し違いました。
床にぽっかりと穴が開き、池のように水が溜まっています。

「池……?」
「いえいえ、ただの水ではございませんとも。ここに映る姿をよくご覧に
 なることです」
ゴーヤーンが手を揉み合わせると、水面にさざなみが立ちました。
やがて波が収まると、水面に赤い髪の少女が映し出されました。

「あ、満さん!? これって、たった今の姿なの?」
「ええそうですとも。生中継でございます」
「よかった……無事なんだ」
水面に映る赤い髪の少女、満は真剣な顔で何かを話しているようで口を動かしていました。
映す角度が少し変わり、満を大きく捉えた画像から満の周りを含めた様子を映す画へと
移行していきます。
満は机の前に座って、その隣と前には青い髪の少女と茶色の髪の少女がいました。
机の上にはいくつものパンがあって、少女達は思い思いにパンを選んでは食べているのでした。

「満……さん……?」
――朝ごはん? でもどうして暢気にごはんなんか……?
「おやおや、満殿はすっかり緑の郷に取り込まれてしまいましたかなあ」
ゴーヤーンが嫌味を込めた口調で言います。

「そ、そんなこと……」
「そうですかな? 敵と食事を摂ったりするものでしょうか?」
「それは満さんの作戦か何かで」
「作戦。しかし満殿の使命は夕凪町の破壊です。月の力を活用すればそんなに
 難しくはないはず。先に精霊を守る者たちを倒すにしても――、
 仲良くなって油断したところを、なんて悠長なことを考えるはずがありますまい。
 何しろ、舞殿をこちらで待たせているのは満殿もよくご存知のこと」
「……」
ゴーヤーンの言葉は舞の胸に一々突き刺さりました。

「ああ、なるほど。そういうことでございますな」
黙っている舞を尻目に、ゴーヤーンは一人納得したような声を上げました。

「ほれ、舞殿。こちらの人間を御覧なさい」
ゴーヤーンの言葉に合わせ、画像が動きます。青い髪の少女、薫の姿が大写しになりました。
「満殿とどこか似ていますな。目の雰囲気やら。もしかしたら満殿の血縁の者かも
 しれませんな」
「そんなこと……だって、満さんのご家族はみんないなくなったって……!」
「どうでございましょうな」
わざとゆっくりとした口調でゴーヤーンは続けます。

「血縁の者の一人や二人くらい残っていてもおかしくはないでしょう。
 とすれば、満殿はもうこちらには戻ってこないかもしれませんなあ」
満が戻ってこないとすれば、一番怒るのはゴーヤーンであるはず。
舞の頭は、もうそんな風に推論を立てることができなくなっていました。
ただ水面に映る満が、緑の郷の者達と平和にご飯を食べていることと、
もう戻ってくることがないかもしれないというゴーヤーンの言葉が頭の中を渦巻いていました。

「で、……でもそんなはずないわ、満さんは言ってたんだから、
 必ず戻ってくるって」
「はて? それならなおのこと、ご飯を食べている場合ではございますまい」
舞の必死の抵抗もゴーヤーンの言葉に押し流されてしまいました。

「で……でも……約束、したから……」
「もう、満殿は忘れてしまっているのでしょう。舞殿と交わした約束のことなど」
ゴーヤーンは自分の作戦が成功に近づいていることを感じ取っていました。
そのまま舞に畳み掛けます。

「舞殿。満殿は舞殿のことなどもはや何とも思ってはいますまい。
 今はもう、緑の郷のお友達のことしか考えてはいないのでしょう」
「そ……そんな……」
「舞殿。満殿は舞殿のところに戻ってはきません」
「い……」

ゴーヤーンは水面を見つめている舞を見ながらにやりと笑いました。
「いやよ、そんなの……」
「舞殿。諦めた方がよろしいかと思いますよ。何しろ、満殿は舞殿を――
 裏切ったのですから」
「ゆ……ゆる……」
水面を見る舞の拳が固く握り締められました。

「許せ……ない……」
水面の満は何かを話しています。声が聞こえることはなくても、
緑の郷の二人に敵意を持っている様子がないことは伝わってきました。



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