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「咲! 起きて!」
薫はまず、手近の咲を蹴落とさんばかりにして起こします。
「う〜、何? まだ夜だよ」
「火事よ火事!」
咲の枕もとのフラッピを揺さぶり起こすと、薫は部屋の外に飛び出しました。

「みのり!」
「薫! みのり! 咲!」
向こうからお父さんとお母さんも走ってきます。
「薫! 咲は?」
「起こしました。今来ます」
咲はまだ半分寝ぼけていて、のんびりと部屋から出てきました。
「起きなさい! 咲! 逃げるわよ」
お母さんに言われて、咲はやっと目を覚ましたようでした。薫はみのりの部屋に入り
ぐっすりと眠っているみのりに
「みのり、起きて!」
「う……ん、チョココロネ大好き……」
声をかけても中々目を覚ましそうになかったので布団をめくるとみのりを抱きかかえて
部屋の外に出ました。

「外へ!」
四人と一人の家族は一斉に走り出し家から出ます。外に出ると、森に上がっている
火の手の様子がよく見えました。

――……?
薫は奇妙なことに気づきました。火は赤々と燃え上がりその舌をちろちろと動かして
いるものの、煙が全く上がっていません。
それと関係あるのか、何かが燃えているような臭いも漂ってはこないのでした。

「ラピーッ!?」
「どうしたの、フラッピ?」
咲の頭の上のフラッピが耳を伸ばして叫びました。
「嫌な気配がするラピ!」
「嫌な気配?」「ダークフォールの?」
みのりと咲が口々に問いかけます。
そうラピ、とフラッピは頷くと、
「森の方にいるラピ」
と付け加えました。
咲は薫と一瞬顔を見合わせると、
「私、行ってくる!」
フラッピを乗せたまま走り出そうとしました。
「駄目よ咲! 危ないから!」
お母さんが止めるのも聞かず、咲は走っていってしまいました。
「咲……」
「私も行ってきます」
「薫!?」
お母さんの驚きをよそに、薫は話を進めました。
「お父さん、この前の剣をまた借りてもいいですか?」
「ああ、それは構わないが――」
「ありがとうございます。それでは」
一礼すると、薫もその場から離れました。

「まったく、あの子達は……」
お母さんが愚痴をこぼします。二人の娘が――これまで育ててきた娘も、
帰ってきたばかりの娘も「ダークフォール」と聞いて急に顔つきが変わったのを
お母さんは見逃してはいませんでした。それは厳しい表情ともいえますし
凛々しいとも言える表情でした。二人のそんな顔を見るのはお母さんにとっては
どこか寂しいことでした。

――二人とも、あんな風に駆け出していって。
泉の郷が襲われて、もしかするとこの緑の郷も狙われるかもしれない、という事情を
お母さんももちろん知っていました。
フラッピから、薫が泉の郷の王女にフラッピを守る事を託されたとも聞いていましたし、
咲が持っている不思議な力はフラッピの力と呼応して強くなり、ダークフォールの者達に対抗
できるとも聞いていました。
それでも二人にはダークフォールなど放っておいてのんびりしていてもらいたい、
お母さんはどうしてもそう思わずにはいられませんでした。



咲と薫は森に近づくにつれ、火事の異様さに気づいてきました。
臭いや煙が出ていないのは先述したとおりですが、パチパチと何かがはぜるような、
焚き火の時に鳴るような音も聞こえてはきません。
森の中で火は燃えているのですが、木を燃やすでもなく下草を燃やすでもなく――、
何も燃えていないのにただ火だけが存在している。そんな風に感じられました。
それでいて熱と光だけは普通の火と同じように、いやむしろそれ以上に強く
伝わってきます。
眠りを覚まされた鳥たちが何羽も、木の枝から飛び立ち森の奥のほうへと飛んでいくのが
見えました。
ギャアギャアと鳴き交わす声も聞こえてきます。

――暑い……
咲の額にも薫の額にもじっとりと汗がにじんできました。ふと見回すと、
森の入り口付近に背の高い男性が立っていました。

「和也さん! 何してるんですか?」
「やあ、咲ちゃんたち……」
美翔和也は桶やらたらいやら、水を入れたいろいろな容器を並べて
森の前に立ち尽くしていました。

「なんなんだろう、この火。水をかけても消える様子がないんだ」
そう言うと、足元にあった桶の水をばしゃっ、と森の中に投げ入れます。
水は炎に当たりました。――どんなに強い炎でも、水が当たると一瞬怯むような
動きを見せるものですが、この炎はまったくそんな様子を見せず、
橙色に強く輝くまま何事もなかったかのように燃え続けていました。
水は炎に飲み込まれ、そのまま消えてしまいました。

「本当ですね、和也さん」
「なんだろう?」
「セニョール、セニョリータ! 会えてうれしいぜ!」
と、森の置くから突然陽気な声がしました。現れたのは色鮮やかな肌をした男。

「咲ちゃんたちの知り合い?」
和也の問いに、咲はいえいえ、と首を振ります。
「誰よ、あんた!」
「俺はモエルンバ! 一緒にダンスを踊ろうぜ」
「あんたとダンスなんかしてる暇ないのよ! っていうかダークフォールの人……でしょ?」
咲はフラッピに確認します。そうラピとフラッピは頷きました。

「ふふん、セニョリータ。俺の仕事はこの火をつけることだけなんだが……」
「だったらとっとと帰ってよ」
「その精霊を見せられちゃ黙って帰るなんてできないなあ〜セニョリータ」
咲はぱっと頭上のフラッピを両手で掴みました。

「あなたなんかに絶対フラッピは渡さない!」
「だったら力で決めようじゃないかセニョリータ」
炎はみのりが楽しみにしていた木の上の小屋も明るく照らしていました。
長く伸びる舌はいずれ小屋も焼いていくだろうと思わせました。
今まで咲の後ろで黙って話を聞いていた薫がぱっと動きました。和也のそばにあった
盥を中の水ごとモエルンバに投げつけます。

「うわっ!」
モエルンバは驚きました――しかしほんの一瞬のことでした。
水を頭から被りましたが、何ら影響は受けていないようでした。

「セニョリータ〜。俺が火を操るからって水に弱いって簡単に思われちゃ困るぜ」
ちゃっちゃっちゃっ、とモエルンバは腰を振ると、
「最初のダンスはこれだっ!」
モエルンバの手が赤く光りました。その掌に火球のようなものが生まれたと思うと、
モエルンバは手を薫に向けてかざしました。

「……!」
薫は咄嗟に剣を縦に構え火球をその刃に受け止めます。一直線に進んできた火の弾は
刃に当たると眩い光を放って爆発し薫は思わず剣を取り落としました。

――海に誘導する!
そう決めた薫はモエルンバに背を向けると剣を拾い、一路、海に向け走り出しました。

「セニョリータ〜。人にダンスを申し込んでおいて逃げ出しちゃいけないぜ」
モエルンバもふふんと鼻で笑うと躍るようにステップを踏み、薫の後を追います。

「ちょっと!」
咲もその後に続きました。――咲の足は速い方です。しかし前を行くモエルンバは
もっと速く、風に乗るように進んでいました。
更に前を行く薫に追いつくのも時間の問題でした。

「薫、危ない!」
モエルンバの両手に炎が宿ったのが見えました。真っ直ぐ行けば薫の丁度背中にあたります。
咲の声に薫がちらりと後ろを見、少しだけ右にそれます。
炎は薫のすぐ左に着弾しました。岩が砕け土煙が上がり、
薫の視界が一瞬だけ奪われます。薫はそれでもまっすぐに走り続けました。

海の音が聞こえてきます。今度は右に炎が落ちました。薫は左に右に、モエルンバの攻撃を
かわしながら走りました。ひたひたと、足音が近づいてきます。直線的に走っている
モエルンバは薫に確実に近づいていました。

「……!」
薫はとうとう完全に身体を後ろに向けると、剣を構えてモエルンバに対峙しました。
海まで逃げ切るのは不可能、それが薫の判断でした。
無言のまま薫は剣を振り下ろします。

モエルンバの頭から足元まで、薫の剣は正面から彼の身体を切り裂きました――
そのはずでした。
しかしモエルンバは何らの衝撃を受けた様子もなく、けたけたと笑っていました。

「火が斬れるかい、セニョリータ?」
薫の剣がモエルンバの右手に掴まれました。その手が赤く光り始めます。薫が両手で握る
束にもその熱が伝わってきました。

――溶ける!
薫の手ではもう握っていられないくらい剣は熱く輝いていました。
金属部分が変形するのももうまもなくでしょう。
剣は熱に溶け、ただの金属となってぐにゃりと曲がって垂れ落ちるのでしょう。
薫は両手に力を込めると、モエルンバの手から剣を振りほどこうとしました。
しかし彼の手は万力のように刃を掴んだまま、どうにも動きませんでした。

「モエルンバ! 都合よすぎ!」
到着した咲が伸ばした蔦がモエルンバの右手を叩き、モエルンバの力が一瞬弱まりました。
薫はすぐに剣を振り、たっとモエルンバから一歩離れました。

「何がだい、セニョリータ?」
咲が薫とモエルンバの間に入ります。
「水は効かないくせに剣でも切れないなんて! 火なのか火じゃないのかはっきりしてよ!」
「俺は灼熱の炎さ、多少の水なんか効くもんか」

その頃、一人残った美翔和也は地道に火に水をかけていました。かければかける分だけ
水が蒸発させられて消えて行くだけなのですけれど、それでも水を細かくかけていました。

「じゃあ咲、花の力だラピ!」
「花ぁ? 花が火に勝てるもんか」
「そんなの、やってみなくちゃわからないじゃない!」
咲の身体の周りから伸びた蔦はモエルンバと咲たちの間に壁を作ります。

「防御だけじゃ勝てないぜ♪」
モエルンバは両手を合わせると、その中に青い火の玉を作り出しました。
「咲、花の力を全開にするラピーっ!」「ど、どうするか良くわかんないけど、とにかく、うん!」

咲は両手に力を込めるとモエルンバのほうに向け、蔦が作った壁の方に向け突き出しました。
蔦が動き始め、モエルンバに向かってその触手を伸ばします。
「消せるもんなら、やってみな!」
モエルンバは育てた青く輝く火の玉を放ちました。蔦に向かって一直線に進んできます。
咲が伸ばした蔦は火の玉に当たり、燃え、焦げ、消え、焼け落ちました。
「それだけか!」
モエルンバは次々に火球を繰り出してきます。
「げ!?」
「咲、もっとだラピ!」
「うん、花の力!」
咲は両手に更に力を込めます。いくつもの蔦が火球に向かって伸び、弾を抱え、飲み込み、
「もっと!」
咲の声に合わせ、蔦がまた増えたかと思うと火球の周りに絡むように伸びました。

「焼かれたら、それ以上の蔦を出せばいいんだラピ! 今は質より量ラピ!」
――なんて強引な。
薫は思ったものの、後ろで黙って見ていました。

「そんなちんけなので勝てるかよ!」
「勝つ! 絶対勝つ!」
モエルンバに煽られて咲が何か言うたび、花の力が強くなっているらしいことに薫は気づきました。
次々と放たれる火の玉が今では完全に蔦に叩き落され、消し去られ、
そのまま蔦がモエルンバに向かって伸びていきます。伸びた蔦はとうとう、
モエルンバの身体を貫きました。一本、二本、初めはあざけるように笑っていた
モエルンバも苦しそうに叫び始めました。

「うわあああああっ!」
ぷしゅう……と気の抜けるような音がしました。モエルンバの姿は捩れ、揺らめいたかと
思うとそのまますうっと消えてしまいました。
「今のは? あいつ、薫に切られても平気だったのに」
「今のは刺したのが重要だったんじゃなくて、蔦でモエルンバの身体を冷ましたのが
 大事だったんだラピ」
咲の疑問にフラッピが解説します。

「冷ました?」
「そうラピ。生きてる植物を燃やすのは大変ラピ。モエルンバの炎は強かったけど、
 それを上回る量の蔦を投入したからラピ」
――やっぱり、強引ね。
薫はそう思いながら二人の話を聞いていました。

「薫、手大丈夫?」
咲は振り返るなり薫の手を強引にとると、掌を調べました。
「これ、火傷しちゃってるね」
「大丈夫よ。大した傷じゃないわ」
「だめだよ、ちゃんと治しとかないと」
ふふ、と薫は笑いました。咲の口調はまるでみのりの口調のようでした。
「――薫?」
「なんでもない」
一応森の様子を見て、それから二人は帰ることにしました。



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