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――ふっふっふっ、ようやくこの時が来た!
星野屋前で見張っていた男は、星野屋からすべての明かりが消えたのを見て内心
小躍りしました。彼の同僚のように実際にダンスを披露することはありませんが、
長く待ち続けていた一瞬が訪れただけにこれまでの時間が一気に氷解するような
開放感を味わっていました。

こっそりと旅館の中に入り込みます。電気は消えたといってもまだ眠りの浅い人もいる
でしょうから、起こさないように静かにゆっくりと。
宿帳を引っ張り出して、薫という名前を探しました。ほー二番という部屋に泊まって
いることが書いてあります。夕凪町の出身であることも。

――夕凪町か、なるほどな。
夕凪町と首都の間に広がる森で精霊を初めて見つけた事を思い出し、カレハーンは
一人納得しました。
おそらくあの精霊はダークフォールのかなり近くまで来た上で逃げ出し、
人間に助けを求めたのでしょう。

――最後の精霊……これで我らがダークフォールの使命も果たされる!

男は宿帳を元の場所にしまうと、ほー二番を探すことにしました。

なー二番の横に、ほー二番はありました。
カレハーンは息を詰め、殊更にゆっくりと戸を開けます。
寝息が聞こえてきました。カレハーンの気配にはまるで気づいていないようです。

――ふふん、思ったより簡単にいきそうだな。
少しの間闇に目を慣らして部屋の中に滑り込みます。精霊の姿は見えませんでした。
フラッピは嫌な気配を感じて布団の中にもぐりこんで息を潜めていました。

――さて、どうする?
精霊はすぐには見当たりませんでした。自分がこんなに近くに立っていても
全く起きようともしない人間の様子に男は戸惑いを覚えていました。
彼の予定では、どんなに気配を消して入ったとしても気づかれ、起きた人間と
戦って精霊を奪い取っていくはずでした。
しかし、寝息は相変わらず規則正しく続いています。

――起こすか? いや、しかし……
布団を剥がして起こしたりしたら、何か痴漢のようなあらぬ疑いをかけられそうで、
男は躊躇しました。相手が男だったらためらわずに叩き起こしていたでしょうが。

――ええい、このまま倒してしまえ! それから部屋の中を探して精霊を見つけ出す!
腹を決めた男はベッドの中で寝息を立てている相手を布団の上から殴りつけ――たつもりでしたが、

「う〜ん……」
寝返りをした相手に交わされました。

――なにぃっ!? ならば!
右足を出すと思い切り相手を蹴り落とします。

「い……いったぁ……」
ようやく目覚めたようでした。目をこすりこすり、男の方を見た。

「な、何すんのよ……ていうか、あんた誰!」
「お前こそ誰だ!」
目を覚ましてきた女の子は男の求めていた相手ではありませんでした。短い茶色の髪が寝癖で少し乱れたまま、
太い眉毛の下の目で強く男を睨みつけます。

「私は咲よ! あなたこそ誰!」
「俺の名はカレハーン! カレッチと呼んでくれ!」
「渾名まで聞いてない! 何してるのよ! ……ひょっとして痴漢!?」
「ち、違う! 誤解だ、ついでに人違いだ! ここには薫ってのが泊まってるんじゃないのか」
「薫なら……、」
咲は薫のベッドを見ました。「あれ、いない」
薫のベッドの上は布団が被さっていましたが、そこに薫はいませんでした。

「なに!? 逃げられたか!?」
薫を追おうとするカレハーン。咲はベッドの上に立つと、カレハーンの腕を掴みました。

「何の真似だ、小娘」
「薫に何する気よ!?」
「お前には関係ない」
「関係ないなんてないわ! 大体人をいきなり蹴り倒しておいて」
「やかましい!」
カレハーンは咲の掴んだ腕を大きく振り回しました。
「わっ!?」
咲は勢いで振り落とされます。
「ついでにお前も始末してやる!」
咲は立ち上がると両の拳を固め、カレハーンに対峙しました。
大柄なカレハーンは「ふふん」と嘲け笑うような声を出し、咲にゆっくりと近づいてきます。

咲は拳を顔の高さくらいに置き、防御をしたままじりじりと後ろに下がっていきました。
カレハーンはこれといって戦う気のなさそうな、突っ立ったままの姿勢で近づいてきます。

「どうした、どこでも打つがいい」
「……」
咲は部屋の一隅へと自分が追い詰められていっているのが分かりました。

「ならばこちらからいくぞ! 出でよ!」
カレハーンが右手を突き上げると同時に窓という窓から葉が吹き込んできました。
咲の身体に巻きつき、へばりつき、
「ちょ、ちょっとこれ何!?」
「木の力を甘く見た報いだ! その中に埋もれて死ぬがいい!」
「咲ーっ!」たまらずフラッピが飛び出してきました。
「花の力!」
フラッピが咲の頭の上に飛び乗ると叫びます。と、咲の身体近くから蔦のようなものが
伸び、迫る葉っぱを振り払い振り払い、何とか咲の身体を自由にしようとするのでした。

「ここにいたか、精霊! 手間をかけさせおって! だがいつまで持つかな」
「咲はフラッピが守るラピ!」
「がはは、やってみるがいい!」
咲の身体はもう肩ほどまでも葉っぱに埋もれていました。
身体を動かそうにも、まとわりつく葉は咲の身体にべったりとへばりつき、動かすことができないのでした。
フラッピの力で蔦が葉っぱを振り払っていても吹き込む葉の数はそれよりもずっと多いのでした。
「負けないラピー!」
「私も、諦めない!」
もう二人の目にはカレハーンの姿もほとんど見えず、舞散る葉っぱばかりが見えています。

「諦めない! 絶対に!」
「花の力ラピーッ!」
二人の声が合わさった時、一際太い蔦が現れ一筋の緑の光となって
葉っぱの幕を一閃、断ち切りました。
その向こうにはカレハーンが笑っていて――、と思うと、ぐらりと倒れました。

「へっ!?」
――今の蔦、あの人には当たってなかったのに。
咲が驚いている間にも部屋に溜まった葉っぱが跡形もなく消えて行きます。
咲の身体もすぐに自由になりました。

カレハーンは倒れ、そのまま起き上がることなく一掴みの枯葉となって、
やがてそれも粉状に分解して見えなくなってしまいました。

カレハーンの背後には薫が立っていました。何事もなかったような顔をして、
剣を拭いています。

「薫……?」
薫は剣を元通りに鞘に収めました。
「どこ行ってたんだラピ?」
「ちょっとお手洗いにね……帰ってみたらこんなことになってたから……」
「ありがとう、薫。助けてくれたんだね――ってところで、これは何?」
咲は頭の上に乗っていたフラッピを下ろしました。

「薫の持ってたぬいぐるみでしょ、これ……いっつも持ってたからよっぽど好きなんだと
 思ってたんだけど」
「そういうわけじゃない」
「初めまして、フラッピラピ」
「フラッピ? 何で喋れるの? ――というか、さっきのカレーパンだっけ、あの人と知り合い?」
「知り合いじゃないラピ。詳しく、説明するラピ」
フラッピは咲のベッドにぴょんと飛び降りました。咲もそのベッドに座り、薫も反対側に
座ります。
フラッピを中心に置いて、薫と咲が同じベッドの反対側でフラッピの話を聞くような格好に
なりました。

「フラッピは、泉の郷というところから来て……」


「と、いうわけで、逃げ続けていればなんとかなるらしいラピ」
フラッピが話し終えるまで一時間近くかかりました。薫との出会いや、フィーリア王女の話も
しなければいけなかったので長く掛かったのです。

「ふ、ふうん……それであの、カレーパンってダークフォールの人なの?」
「そうラピ。あいつは木を支配する力を得ていたんだラピ」
「そういえば、フラッピ花の力って言ってたよね。あれは何?」
「フラッピは花の精霊だから、花の力が使えるラピ……でも、咲も」
「私?」
咲はきょとんとフラッピを見ます。
「咲も、花の力と相性がいいラピ」
「え? なんで?」
「最後の大きい蔦はフラッピの力だけじゃ出ないラピ」
フラッピは言いながら、どこか嬉しそうでした。
「咲のもって生まれた力と花の力が合ったからラピ」
「そうなの?」
「そうラピ。咲は状況によってはフラッピがいなくても花の力が使えるラピ」
「蔦って花?」
「細かいところは気にしちゃいけないラピ」
「……さっきの話だけど、フラッピがいなくてもさっきの蔦みたいなの出せるってこと?
 あれって、上手く操作できたらすごくいいよね! 高いところにある果物採ったりとか」
「そんなことに使うラピ?」



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