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「すみません……」
星野屋と看板を掲げた建物に入っていくと、中はしんと静まり返っていました。
――受付時間終了? でも、鍵は開いているし……

「おう、お泊りですか?」
奥から人影が出てきました。威勢のよさそうなおじさんでした。

「お一人様?」
「はい」
「さっき街の入り口で元気な女の子に会ったでしょう」
「え? はい、会いましたけど」
「ああやっぱり、さっき帰ってきてね、うちの宣伝したからきっとお客さんが
 来るなんて言ってて……ただ、一人部屋が空いてないんですよ。
 二人部屋なら空いているけど」
「別に、かまいません」
「ただ先客がいて」
「え?」
「そのお客さんと相部屋にして泊まってもらいたいんだけど、かまわないですかね」
「……」
薫は、できればそういう状況は避けたいと思っていました。

「一人部屋は、一つも残ってないんですか。二人部屋に一人で泊まるのでも
 いいんですけど」
「いえ、残ってないんですよそれが。本当にその部屋しかなくて。すみませんね」
びょんびょん、と薫の持っている袋が動きました。フラッピが中で暴れているのに違いありませんでした。

「じゃあ、その部屋にします」
「すみませんね、どうも。少し割り引かせてもらいますんで。
 朝食はでます。向こうに炊事場あるんで、自炊もできます」
「どうも……」
案内された部屋は二人部屋、というには少し狭い部屋でした。海の匂いがする、と思ったら
部屋の壁にはここの旅館の主人が釣り上げたらしい魚が飾ってありました。

先客はどこかに行っているようでした。質素なベッドの一つに荷物が置いてあります。
普通の女の子の持ち物と思しき物の中に一つだけ異質なものがありました。
一振りの大きな剣です。薫が今腰に佩びているものと同じくらいの大きさでした。
薫は空いているベッドに荷物を置くと剣をはずし、それから袋の口を緩めてフラッピを取り出しました。

「はふ〜、やっと落ち着けるラピ」
「今夜は人形の振りをしてくれかしら。精霊って説明するのが大変そうだから」
「うう、分かったラピ。おとなしくしてるラピ」
フラッピは言葉どおり、黙ってベッドの端に行きちょこんと座りました。

薫もどさりとベッドに身を投げ出しました。一日中歩き詰めでさすがに少し、疲れていました。

「あ〜あ、こってり絞られちゃった。あれ?」
聞き覚えのある声がして部屋の扉が開きました。入ってきたのは、あの女の子でした。
「あー、さっきの! やっぱりここに来たんだね!」
「……ありがとう」
小さく薫は言いましたが、女の子にはまるで聞こえていないようでした。

「この街って来る人多い割に旅館少ないから、他のところ探すっていっても大変だったでしょ? 
 でもここは穴場だし、安いし、お薦めだよ。毎年泊まってるんだ、私たち」
「そ、そうなの……」
「ねえ、私は咲っていうんだけど。名前、なんていうの?」
「私は――薫……」
「薫って呼んでもいい?」
「どうでもいいわ」
明るい茶色の髪をした女の子は、薫の戸惑いを意に介さずに話し続けました。
話す相手がいるのが楽しくて仕方がないといった様子でした。

「私たちは、いつも色々なところを転々としてるんだけど。薫はどこから来たの?」
「夕凪町よ」
「そうなんだ! 私あの町は行ったことないんだよね、すごくきれいな場所だって
 聞くけど、本当?」
「ええ、そうよ」
「ふーん、やっぱり。行ってみたいな〜、いつか行けるかな……」
「よく喋るわね」
「え?」
「なんでもないわ」
「それで、薫は何か用事があってこの町に来たの?」
「……まあ、そうね」
「ふうん……しばらくここにいることになりそう?」
「場合によっては、そうかもしれないわ」
「じゃあ、しばらく同室だね! よろしく!」
咲は薫に右手を差し出してきました。薫も右手を出すと軽くその手を握り返します。

「それで、薫夕食もう食べた?」
「まだよ。……自炊できるとかなんとか……」
「そうそう! 今日ここに着いたばっかりだったら材料とか全然買ってないでしょ!」
咲はもう扉の側に立つと早く行こう、と言うように薫を手招きしました。

「今日は薫が初めてここに来た日だから、咲ちゃん特製の夕ご飯を作ってあげるよ。
 卵料理中心でね!」
「……そう。ありがとう」
ありがとう、とは答えたものの。結局薫は咲を手伝って二人で夕食を作ることにしました。
咲の手際があまり良くなかったので見ていられなくなったというのが正直なところでした。

食事を食べた後は入浴です。咲に大浴場の場所を教えてもらいました。
大浴場は厨房の横手にあるので、泊まっている部屋から着替えを持ってきて――、
咲は着替えを探しているらしくまだ来ていません――脱衣所になっている部屋に入ります。
浴場には誰もいないようでした。壁に貼ってある紙からすると、
もうすぐ浴場は閉まってしまうらしいので薫は少し急いで服を脱ぎ始めました。

「おっ風呂♪おっ風呂♪」
――またのんびりと……
咲が鼻歌まじりにやってくる声が聞こえました。

「ここ、お湯がすごく気持ちいいんだよ〜」
がらりと脱衣所の扉を開けます。あんまり広く開け放すので、「もう少し控えめに開けて」
と薫は注文はつけました。

「ああ、ごめんごめん、どうせこの辺誰もいないって思って油断しちゃって」
「そういう問題じゃ」
咲はずかずかと入ってくると、ふっときちんと畳んである薫の脱いだ服に目を留めました。

「あ、すごいきれいな……宝石?」
「あっ……」
咲が見たのは、薫がいつもつけている青いクリスタルでした。
薫は慌てて服の下に隠しましたが、時すでに遅く、咲ははっきりとそれを見て
しまっていました。

「ごめん、もう見ちゃったよ。でも、そんなにきれいなの隠すことないのに。
 薫ってひょっとしてすごくお金持ちのお家の人?」
「……違うわ」
低く、薫は答えました。注意していないと聞こえないくらい低く。
これが聞こえないならもう相手にしないというように。

「そうなんだ、見ちゃってごめんね」
咲には聞こえていたようでした。
そしてまた「お風呂〜♪」と歌い始め、服を脱ぎに掛かりました。


翌朝、薫が起きたとき咲はもう部屋から出ていました。
外から体操しているらしい多くの女の子の声が聞こえてきましたから、
咲もその中に混ざっているのでしょう。

早々に朝ごはんを食べると、薫はフラッピを連れて出かけました。
首都の中心にあるお役所――ここは一般庶民から政府への意見を受け付ける
唯一の窓口です――に行き、まず入り口で今日来た目的を書類に記入します。
何と書こうか悩んだ末薫は、「逃げ出してきた精霊が、フィーリア王女に会いたいと
言っています」と記入しました。三番の窓口に提出して番号札を貰い、
呼ばれるまで待ちます。何時間でも何時間でも。途中昼休みになって窓口が閉まったので、
薫は食事に出ることにしました。
といっても、取り立ててお店を知っているわけでもなかったので、
食材だけ買って星野屋で作ることにしました。

――炒め物にするか、簡単にできるし。

野菜を買おうかと薫が星野屋近くの八百屋であれこれ見ていた時、
また咲が声をかけてきました。フラッピはすぐに人形のふりをして固まります。

「あれっ、薫! これからお昼?」
「あ、ああ……」
「良かったら、私と一緒に食べない?」
咲は一人でした。「こっちのパン屋さんでパン買っていこうよ」と薫を引っ張り、
野原の大きな木の下に薫を連れて行きました。

「ここ、いい場所でしょ? 友達になった人には教えることにしてるんだ」
「……友達?」
「うん!」
二人の買ってきたパンを、布を敷いた上に並べます。
陽は優しく二人の食卓を照らしていました。

「ん〜おいしい! ここのメロンパン最高だよ!」
「……PANPAKAパンのほうがおいしいわ」
「PANPAKAパン?」
「夕凪町にあるの。私の家よ」
「へー、薫ってパン屋さんの子なんだ! じゃあ、他のお店のパン食べたら
 焼き方が分かっちゃうとか?」
「そんな才能はないわ」
「私ずっと食べ物屋さんになりたかったんだよね、ねえパン屋さんって」
「どうしてそんなにたくさん話すの?」
「え?」
咲は薫の言葉にきょとん、とした表情を浮かべます。



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