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「みのり!? どうしたの!」
「しーっ……」
みのりは薫を見ると、唇に指を当てて薫に静かにするように合図しました。
みのりが落ち着いた様子なので却って薫は面食らいます。

「どうしたの、さっきのは何だったの」
「薫お姉さんごめんなさい、びっくりしちゃうから大きな声出しちゃいけなかったの」
「え?」

「大丈夫だよ、薫お姉さんもみのりも怖くないよ」
みのりが呼びかける先に視線を動かすと、みのりの寝具が少し膨らんでいました。
声に応えるようにもぞもぞと動いたかと思うと、寝具を動かして隙間から
青いうさぎのような生き物が出てきました。

「……何?」
「みのりもよく分からないんだけど、さっき入ってきたの」
「は……はじめましてラピ、フラッピと言いますラピ」
「……喋った……」
「ね、すごいね薫お姉さん、こんな生き物がいるんだね!」
「あ、ああ……」
みのりの言葉に相槌を打ちながら薫は素早く上下左右に視線を走らせます。
もしこの生き物が何かみのりを傷つけるようなことをしそうになった時には、
ただちに追い出さなければいけません。
「ラピー! フラッピ何もしないラピ! だからそんなに怖い顔しないでほしいラピ!」
「薫お姉さんは怖くないよ〜」
いつの間にか薫の殺気は外に漏れ出していたようです。
薫は生き物から目を離さずに問いかけました。

「何をしに来たの?」
「フラッピはお願いがあってきたラピ」
「みのりに?」
「違うラピ、薫お姉さんの方ラピ」
「私に? それならどうしてみのりの部屋に来たの?」
「話しかけやすそうだったからラピ」
「……、それで、何の用?」
「フィーリア王女に会いたいラピ」
「誰、それは」
「最初から説明するラピ」
フラッピはみのりの寝具の上に落ち着くと、話を始めました。

「フラッピは、もともと泉の郷にいた花の精霊ラピ。泉の郷は、この緑の郷とは別次元に
 ある世界ラピ」
「そんなところがあるの」
「あるラピ。泉の郷には精霊たちがたくさんいて、そこにある泉から命が湧き出てくるラピ」
「ふうん」
「でも、突然ダークフォールが攻めてきたんだラピ」
「何、それは」
「滅びの国ラピ。泉を乗っ取ってフラッピの仲間の精霊を
 みんな捕まえてしまったラピ……チョッピも守れなかったラピ。チョッピー……」
フラッピは何かを思い出すように遠い目をしたかと思うと、また薫たちの方を
真っ直ぐに見ました。

「フラッピはみんなが捕まっている間に、どうにか逃げ出してきたんだラピ……、
 無事に逃げられたフラッピには使命があるラピ、フィーリア王女に連絡して
 今後の指示を仰ぐことラピ!」
「だから、誰なのそれは」
「泉の郷の王女様ラピ。ダークフォールが攻めてきたとき、緑の郷に来ていたから
 助かっているはずラピ。緑の郷の、王家を訪ねているはずラピ」
「王家? どうして?」
「緑の郷の王家は、泉の郷と親交を持つことで緑の郷の中で力を持つことができたんだラピ」
「へえ、そうだったの」
そういえば、神話を描いた物語にどこか別の世界の支配者に協力してもらうことで
王家が力を得た話があったような、と薫は思い出していました。
それは歴史として認められたものではなく、あくまでも物語として伝承されているものですけれど。

「だからフラッピは、緑の郷の王家を訪ねてフィーリア王女に会わないといけないラピ」
「行けば?」
「薫お姉さんについてきてほしいラピ」
「なんで私が」
「あんなにあっさりウザイナーを倒す人は初めて見たラピ!」
「ああ、あれ……」
「お願いラピ、一緒に来てほしいラピ。ウザイナーはダークフォールの力で産まれるものラピ、
 これから先も」
「ちょっと待って」
薫はフラッピの言葉を始めて遮りました。

「ウザイナーはその、ダークフォール……滅びの国から来るものなの?」
「そうラピ」
「最近数が増えているような気がするんだけど」
「ダークフォールの力が強くなっているからラピ」
「力が強くなっていったらどうなるの?」
「泉の郷も、緑の郷も、滅んでしまうラピ」
「滅ぶって、具体的には?」
「何もかも消えてしまうんだラピ。花も咲かなくなるし、鳥も舞わなくなるし、
 月が満ちることもなくなるし、風が薫ることもなくなるラピ」
「フラッピ、それって本当なの?」
「本当ラピ」
みのりは顔を不安で曇らせて薫の方を見上げます。
「薫お姉さん、みのりそんなのやだ……」
「……」
薫は黙ってみのりの頭を軽く撫でると、再びフラッピを見ました。
真剣な目にフラッピも真面目な視線を返します。

「あなたの言っていることは理解できたわ。でもそれが本当だという保証はない」
「信じてほしいラピ……」
「薫お姉さん、フラッピ嘘ついてるようには見えないよ」
「みのり、あなたのそういうところは好きよ」
薫はまたみのりの頭を撫でます。……みのりはきゅっと、薫に抱きつきました。

――夕食の時にも色々不安を感じていたみたいだったものね……
みのりの背中を軽くさすりながら、
――でも、この生き物の言うことを信じて従うとすると、首都に行くわけだから
  何日かみのりと離れないといけないし。

みのりから離れるということに関しては、判断は慎重でなければならない。
薫はずっとそんな風に思っていましたし、今もその原則は変わりませんでした。

「時間が少し遅いけれど、これから美翔さんの家に行ってみて、
 起きていらしたら美翔さんのお父さんお母さんの前で今の話をしてくれるかしら?」
「ラピ!?」
「できないの?」
「できるラピ。でもどうしてそんなことをラピ?」
「美翔さんはこういうことにも詳しそうな気がするから。
 あなたの話が本当らしいと美翔さんからも言ってもらえれば、
 あなたの言うことを信じるわ。証拠って言ってもそれぐらいしかないし」
「分かったラピ」
お父さんやお母さんに話したらこんな夜分遅くの訪問は止められるに決まっていますから――、
薫はフラッピを抱くとこっそりと家を抜け出しました。
美翔さんの家がどこにあるか知っていたのは幸運でした。

薫の予想したとおり、美翔さんはまだ寝てはいませんでした。
お母さんは相変わらず掃除をしたり物を壊したりしていて、
おじさんは据え付けたばかりの望遠鏡――星を見るための道具だと教えてもらいました――
の様子を確認していて、和也は牛乳を飲んでいました。
そんな状況でしたから、薫が「すみません、お邪魔します」と伺っても
驚かれこそすれ、迷惑そうな顔をされることはありませんでした。

まだあまり物の入っていない部屋に通されると、薫はフラッピを皆さんに見せて
「説明して」と促します。
フラッピは「この人たちに言えばいいラピ?」と薫に確認してから、
また先ほどと同じ説明を始めました。

「ふうん、なるほどね」
「信じてもらえたラピ?」
「信じるとも。君が泉の郷の精霊だってことは見れば分かるし、そんな重大なことで
 嘘をつくはずもないからね。それに、今の緑の郷の状態からして
 何か異変が起きているというのはいかにもありそうなことだから」
「ありがとうラピ〜!」
「あの、それならこの……子の言っていることは本当なんですか」
薫はおじさんに確認しました。

「ああ、そうだろうね」
おじさんは落ち着いています。――フラッピの言ったことも、おじさんにとっては
荒唐無稽ではないようでした。

「あの、泉の郷というのは何なんですか。
 滅びの世界というのは聞いたことがあるんですが」
「泉の郷というのは、私たちの住んでいる緑の郷の自然を支えている世界――と、
 言ったらいいかな。
 フラッピ君、この説明であっているかい?」
「大丈夫ラピ」
「だから、泉の郷が滅びに飲み込まれれば緑の郷からも何もかもが消えてしまう、
 と言われているね。古い話によれば」
「みのりも」
「妹さん? もちろん、この世界のものは皆滅びからは逃れられないだろうね」
薫は少しの間考えていました。フラッピはうつむいている薫の顔を
不安そうに見つめています。

薫は初対面の人に何かを頼まれたからといってすぐに引き受けるような性質では
ありませんでした。――しかしみのりにも関係のあることといえば話は別でした。

「明日、首都に行くわ。その、泉の郷の王女様に会えれば何かが変わると言うのなら」
「薫ー! ありがとうラピ!」
フラッピはぴょんと飛ぶと薫の膝に乗ってきました。

「ははは、よかったねフラッピ君。それにしても薫君――」
「はい?」
薫は飛び乗ってきたフラッピを掴むと両手で机の上に戻しました。

「気をつけないといけないよ。滅びの国はこの精霊を狙ってくるだろうからね。
 ――良かったら、うちの和也をつけようか? あれでも何かの役には立つだろうから」
「いえ。……一人のほうがいいです」
「そうかい。なら、気をつけるんだよ」
「はい」

外に出ると、満月はもうほとんど昇り切っていました。
薫はフラッピを左腕に抱えたまま、無言で歩き始めます。
お父さんお母さんにどう説明しようかと少し考えていました。

「ねえ、薫――薫って呼んでもいいラピ?」
「どうでもいいわ」
「ラピ。……」
フラッピは薫の左腕の中でもぞもぞと動くと、ふにっと顔だけを腕の上に出しました。

「薫は一人ラピ?」
「え?」
「お家の中で、薫だけ少し雰囲気が違うラピ」
「……!」
ぐっと、薫はフラッピを見ました。余計なことを言うな、それ以上言うな。
そんな言葉を視線に込めて。

「ラピッ!? ご、ごめんなさいラピ。……ででで、でも、フラッピも一人ラピ!」
「……?」
「フラッピの仲間もお友達も、みんな滅びの世界に連れ込まれていなくなって
 しまったラピ、だからフラッピは今一人ぼっちラピ! ……フ、フラッピは、
 薫とお友達になりたいラピ!」
「……私の仲間はお父さんとお母さんとみのりよ。それ以外には、いらないわ」
土を踏みしめる自分の足音だけが薫には聞こえていました。

薫は、今もはっきり覚えています。十歳になった頃、お父さんとお母さんがひどく
真面目な顔をして薫に「話がある」と切り出した時のことです。
みのりは外に遊びに行っていました。

「薫は、私たちとは血が繋がっていないんだ」
話の内容は、端的に言ってそういうことでした。
「……」
薫はしばらくの間何も言えませんでした。
正直、驚愕したというほどのこともありませんでした。どこかで薫は察していたのです。
町の人たちもそんな風に思っている節はありましたし、薫も自分とみのりがあまり似ていない
ことには気がついていました。
しかしそれを改めて言われると衝撃がありました。

「十年前、私たちには娘がいてね。咲って言う。しかし産まれて三ヵ月ほどで突然
 姿を消してしまった……」
後から聞いた話によると、この「突然」は本当に突然であったそうです。
何かの穴に落ちてしまったかのように跡形もなくいなくなってしまったのだそうでした。

日向家のお父さんとお母さんは当然、必死になって探し回ったのですが咲はどこにも見つからず、

「その時、ちょうど薫を見つけたんだ」
当時赤ちゃんだった薫は、遊牧の民の服を着て夕凪町の路地裏に捨てられていたそうです。
「人に聞いてみたんだが、遊牧の民の中には双子を忌避して、片方をよそに捨ててくる、 そういう風習を守っている部族が今でもいるらしい」
多分、薫はそういう部族の出なのではないか。お父さんとお母さんはそう考えていたのでした。

「でもね、薫。あなたは私たちの子で、みのりのお姉さん。産まれはどうあれ、
 それは絶対に変わらないわ。自分のことについては知っておいた方がいいと思ったから
 今日こんな話をしたけれど、今までと変わらず私たちは家族よ」
「……はい」
薫の生活はその話を聞いた後でも特に変わることはありませんでした。
ただ、何かの折に遊牧の民の話を聞いたり、本を読んだり――、
草原での生活に思いを馳せる機会が増えました。

【第一話 完】


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